3話 影が薄い人
それから数日経った日の昼休み、アレリアは学園の喫茶室にいた。
あの日以来、食堂には行っていない。婚約破棄されたのが食堂で、なんとなく食堂には行きたくなかったのだ。マルクが待ち構えていそうな気がして。
それでもお腹はすくわけで、喫茶室にてサンドイッチを摘ま無ようになったのである。
食べ終わって紅茶をたしなんでいると、アレリアは、虚空から話しかけられたような錯覚を覚えた。
「プロポ」
「お断りいたします殿下」
咄嗟に断りの文句が出た。
こういうことを言ってくるのは殿下しかいない、と思ったから殿下と言ったが、さてマルクかリヒャルトか。
しかしてアレリアのテーブルの前に座っていたのはすらりとした長駆、青い髪に灰色の瞳の……正解はゼルデモンド帝国の皇太子、リヒャルト・ファインツヴェルテンだった。
「まあ、リヒャルト殿下でしたか」
「……ふふ、自分の存在感のなさが恨めしいよ。君に気づいてもらえないのはほんと心にクる……」
「あっあの、わたくしはその力、凄い能力だと思いますわよ? 使いようによっては隠密活動にも使えますし。身分を隠して街に溶け込み国民の生活の実態を調査する隠密皇太子、なんてなんだか格好いいですわ。きっとそんな、限られた人だけが持つ貴重な能力なんですわ、それは」
「そうかな……」
「そうですわ、きっと」
「……ありがとう。あなたにそう言ってもらえると幾分か救われます」
あからさまなフォローではあるが、リヒャルトの顔からは若干哀しみが消えた。アレリアはそれにほっとする。
「ところでアレリア、あなたのお心は変わらないのかな?」
「あ……ええ。申し訳ありませんが……」
本来なら目上の立場、しかも王族からの求婚など断れるものではないのだが、そこは昨日マルクに婚約破棄されたことが関係している。
マルクは自分から婚約破棄してきたのではあるが、本人は「なし! あれはなし!」と撤回している。
しかしアレリアは婚約破棄を受け入れている。
どちらが正しいか……なんて決まっている。身分が上の者の意見である。
が、あの場には帝国の皇太子リヒャルトがいたため事態は複雑になっていた。
マルクの婚約破棄宣言をアレリアが受け入れたことが、リヒャルトの証言によって有効になっているのだ。
マルクの立場でいえばアレリアはまだマルクの婚約者であるが、リヒャルトの立場ではアレリアはマルクの婚約者ではない。
そんな矛盾した状態がいまのアレリアだった。
そのためリヒャルトのプロポーズを断ることは、「マルクの婚約者としてのアレリア」の立場を利用すれば当然のことなのである。
どっちつかずの状態を利用するのはずるいとは思うが、王家・皇家の求婚を断るにはこれくらいしか方法がない。
「やはりマルク君に未練があるのかな……?」
「そういったものはないのですが……なんと言いますか。女が一人で生きていくのはそんなにおかしいでしょうか?」
「おかしいとは思わないよ。僕の親族にも生涯未婚を誓った女性がいるし。本人が強い意志を持っているのならばまったく問題ないと思う」
「そうですか、良かった」
「だけどね、あなたの美しさは男を放っておかないんだよ。今まではマルク君が婚約者ということで皆遠慮していたんだけど、婚約破棄と相成った今、君を生涯の伴侶にと願うのはもうこれは男の性だ。おそらく僕の他にもプロポーズしてくる男が出てくると思う……中には力尽くで妻に、とあなたに狼藉を働くものもあるかもしれない。そういった者から我が身を守るためにも僕に決めてみてはいかがかと思うんだけど……」
男に襲われるかもしれないぞ、と脅してきている。
「それは、その……」
アレリアがたじろぐと、リヒャルトは取り繕うように微笑んだ。
「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかった」
「……あの、こちらにも事情がありまして。どうしても結婚は嫌なんです。申し訳ありませんがお断りいたします」
「あなたをその厳冬の檻に囚えた事情、僕に教えてくれるわけにはいかないかな? あ、いや。結婚とかは関係なく、問題解決に協力しようかと。クラスメイトだしね」
リヒャルトの優しい提案にアレリアは少し考えたが、すぐに首を振った。
「言ったってどうせ信じてくれませんわ。『お前はなんでそんな嘘をつくんだ』というような目で見られるのはもう耐えられませんし……」
「それでは歌っていただきましょう。アレリア・ステヴナンで『私が結婚しない理由』。さあ、はりきってどうぞ!」
「え、あの殿下? わたくし真面目にやってるのですが」
いきなりとち狂ったリヒャルトに戸惑うアレリアに、リヒャルトは紅茶を一口飲んで間合いをとってから笑ってとりつくろった。というか紅茶まで飲んでいたのか……気付かなかった。
「……すまない、アレリア。姉たちがよく僕の秘密をこんなふうに暴こうとしていたので、もしやアレリアにも通じるのではと思ってね……」
「……その場合、殿下は秘密を歌ってしまわれるのですか?」
「まあ大体は。もちろん大した秘密ではないものに限るけどね」
さすがにアレリアはため息をついて眉間を揉んだ。
なんだろう、これ。
前世は随分悲惨だったのに、今世は妙に変な人たちと知り合うではないか。
これは天のお詫びなのだろうか? シリアスに過ぎた前世を送らせてしまったことのお詫び。不正義を見逃したことのお詫び。
アレリアが転生したこと自体、お詫びともとれるが……。
正直、そんなお詫びはいらない。
前世のうちに救ってほしかった……。