2話 婚約破棄されました:逃げる気満々な令嬢
「いや待てよ、農耕王……農耕王……ここはもうちょっとなんかインパクト欲しいな。なんかないか……」
「マルク様! 話を進めて下さいですの!」
ぶつくさ自分にダメ出しをし始めてしまったマルクに声を上げたのはアレリアではなく、二人の成り行きを黙って見ていたエメリーヌだった。
「しかし気になるだろう。なんかもうちょっと――」
「話を進めますの」
マルクのことは放っておくと決めたらしい。
エメリーヌは肩を怒らせてキッとアレリアを睨みつけた。
「アレリア様。あなたは侯爵令嬢でありマルク様の婚約者でありながらエミィを苛め抜きましたわ。階段から突き落としたでしょ! 証人だっていますのよ!」
「……ああ! あなたでしたか」
そういえばそんな人がいた。
もちろんアレリアは突き落としてなどいない。
前世でも同じ冤罪のかけられ方をしたものだが、それとは質が違った。
階段を降りようとしたら、前にいた下級生が突然自分から足を踏み外して転げ落ちて行ったのだ。
見事な落ちっぷりだった。
ごろごろごろーっと階段を回転しながら落ちていったかと思うと掌で床を叩いてそれはそれは見事な受け身をとって廊下に着地、あまりの見事さに周りにいた生徒に拍手を沸き起こらせていた。
もちろんアレリアも、なんて見事な体術だろう、と感心してため息をつきつつ拍手した覚えがある。
「自分から落ちて、凄まじく綺麗な受け身で……。なにかの部活のパフォーマンスかと思っていました。その後お身体は大丈夫ですか?」
「受け身をとればあんな階段落ちくらいなんともないですの!」
「運動神経がよくて羨ましいですわ」
「あ、あの……ふん、それだけじゃないんですの。あなたはエミィが勉強していた本を取り上げて、騎士位のあなたにお勉強なんて似合いませんわ、とかせせら笑って、こう、このような感じで構えて振りかぶってからのゴミ箱にナイっシュー!」
「そんなことありません。どんな人にも勉学は必要ですわ。よかったら今度一緒に図書館に行きましょうか、一年の勉強なら教えて差し上げられてよ」
「あっ、あのっ、それだけじゃなくて大型犬をエミィにけしかけもしましたの!」
「いやそれでよく生きてますわね……」
「大型犬は昔からスパーリングの相手ですので弱点を知ってますの!」
「……いやあのですね。さては階段の件といい、あなた身体能力抜群すぎて普通の感覚分かってませんね?」
「とにかく! エミィとマルク様は真実の愛に目覚めましたの! 邪魔者は消えて下しいまし! ハイハイ婚約ハイハイ破棄! ですの!」
あれおっかしいなー、とアレリアは思わずまた眉間を揉んだ。
前世とシチュエーション自体は同じはずなのに、なんでこうアホな方向に寄って行くのだろう?
「まあそういうワケでな」
輝く美少年マルク王太子が口を開く。
彼はわくわくと輝かせた水色の瞳でアレリアを見つめていた。
「アレ姉、早く! そんなの嫌って言えって! 熱い涙付きでな!」
「話は聞かせてもらった」
「うっ、リヒャルト様……」
「え?」
今度はなんだ?
ピンク髪のエメリーヌのうめき声を受け、アレリアは周囲を見渡した。
「婚約破棄したのなら僕が貰っても構わないよね、マルク君。アレリア、僕と結婚してください」
「リヒャルト殿下? どちらに……あっ」
見つけた。
青い髪に濃い灰色の瞳をした青年が、隣のテーブルで遠い目をして微笑んでいた。
彼はリヒャルト・ファインツヴェルテン。三年一組所属。つまりはアレリアのクラスメイトである。大国であるゼルデモンド帝国から留学してきている皇太子で、整った顔立ちをしているが影が薄い。
テーブルにはティーカップがあった。アレリアと同じように食後の紅茶を愉しんでいたらしい。
「わたくし、ここでずっと昼食をとっていましたのに。いつの間にそこにいらっしゃっていたのですか?」
「最初からここにいたんだ、実はね。いつ気づいてくれるのかと……」
辛そうに言葉を切り、目を細めるリヒャルト。
「でも、だからこそあなたと結婚したい。その存在感の濃さに与りたいんだ。僕のプロポーズ、受けてくれるかい?」
「ちょっと待て! アレ姉は俺と結婚するんだよ!」
「婚約破棄をした君はもうアレリアの婚約者ではないだろう? それにここは学園だよ、先輩に向かってタメ口はないだろう」
「約束が違いますのマルク様! アレリア様とは婚約破棄してエミィと婚約してくれるって」
「あっこらエメリーヌ! それ言ったら駄目なやつ!」
どうやらエメリーヌと共謀してアレリアをはめようとしたらしい。
コメディチックな空気に流されそうなところではあるが、幼い頃に一方的に婚約宣言してきたと思ったら今になって一方的に婚約破棄である。そこに他人であるエメリーヌを巻き込むことに罪悪感すら抱いていない。
アレリアを振り回して……そして騎士爵令嬢エメリーヌを振り回して。アレリアに自分の思い通りのことを言わせるつもりだったのだ。
相手の気持ちなど考えずに、婚約破棄だのなんだのと。
エメリーヌもこのワガママ王太子に付き合わされて可哀想に。
王族が身分が下の者を振り回すのは、もういい加減にして欲しい。
前世はそれで、処刑までされたのだ。
もうこんな茶番には付き合いきれない。
そう、これは前世から学んだこと。権力者の茶番に付き合うのは危険だ。命がいくつあっても足りない。
アレリアは椅子から立ち上がるとマルク王太子に向かってお辞儀した。スカートの端を上品に摘んだ令嬢の正式な挨拶だ。
「マルク殿下。婚約破棄のお申し出、謹んでお受けいたしますわ。今までのご寵愛感謝いたします。そちらの方と、どうかお幸せに」
もう二度と、処刑なんてされない。