トゲって地味に痛い
引きずられるように吽形へ近づいて、その足を突き刺す。
……刀が勝手に。
「ぐぉおおおおおおお」
刀を引き抜けばその傷口からあの黒ずんだ赤色の霧が噴き出した。
吽形の唸り声が闇に轟き、続いて膝をなで斬りにすれば更に霧は濃くなり、吽形は膝を押さえて崩れ落ちていく。
すると、瘴気に沈む吽形の体の表面にぽつ、ぽつ、と何かが現れた。暗闇に目を凝らせばそれは人の顔や手足で、その一つ一つが気味悪く動いてうめき声を上げていた。
“人を食らう末路よ。とどめを”
勝手に動いて吽形の足を斬り倒した刀は何もかもを知ったように話した。
黙って聞いていた童女はその光景に眉をしかめていたが、意を決したのか力強く頷くと刀を持ち直して吽形に向かい、静かに目を閉じた。
すると、吽形の背にごく小さなもやもやがあるのを見つけた。それは紫色で、吽形の背に刺さっている棘の様にも見えた。
「怪我してるの?」
友達に話しかけるかのように声を掛け、柄を口に咥えて吽形の背によじ登り始めた。
棘の刺さっていると思しき場所に手をかざそうと試みるのだが、吽形の体から生えてきた手に掴まれ、それから引っ張られ。足には踵を落とされた上に蹴られて仕舞う。終いには焦点の合わない目をぎろぎろと動かす気色の悪い顔に噛み付かれる始末だ。
しかしこの童女は困っている人のためであれば怯むと言う事を知らないのか、登っては蹴落とされを繰り返しても諦めない。
「ちょっと! 引っ張らないでよっ、いたっ、かかと落としやめてくれる! あんた!噛むんじゃないよっ、手が届くんだからこの棘抜いてあげなよっ!」
さすがに苛々してきたのか、咥えた刀を手に持ち直すと人の心をなくした亡者へ食って掛かり、大人しくしていろとその額をひっぱたいて黙らせて仕舞う。
文句たらたら、両手に棘を握って足で踏ん張って。
ずぽんっ、
と抜けると蹈鞴を踏んでバランスを崩し、それに加えて吽形は奇怪な叫び声をあげて体を起こしたものだから童女はその背を転げて地面へ落ちてしまう。
「抜けた……でかい棘」
痛みを堪えてむくっと顔を上げた童女が目にしたのは、吽形の背中から赤黒い霧がとめどなく噴き出し辺り一体が染まっていく様だった。
吽形は悶えて苦しそうだが攻撃を仕掛けてくる様子はないらしい。ひとまず難が去った童女はその棘を地面へ突き刺し自重で埋めてしまう。
するとその背に、吽形の落ち着いた声が聞こえてきた。
「人を食らわば、痛みが癒えると教えられた」
戦いの最中に落としたサイリウムを拾い、空に向かって掲げた童女の目に見えたのは、棘を抜く前よりも細身になり威勢のいい眉を落とす吽形だ。
「だがどうだ、痛みが治まるのは人が腹に入っているときだけ。 食らい続けているうち、人の怨念に体は膨らみ、腹の虫は絶え間なく騒ぎ続けるようになった。 阿形は心配してくれていたが同じ病にかかり、食らった者の怨念に飲み込まれ我らは心を失った……阿形の元へ逝かれなかったのは残念だが、これからは阿形を弔って暮らそう、礼の代わりに名を聞こう、小さきものよ」
この問いかけに、童女は弾むような声音で元気よく答えた。
「あたしたくみ。よろしくね」
「たくみか、いい名だ」
吽形が話し終わると突風が吹きつけて童女は反射的に目を瞑る。
一瞬の嵐は髪を乱して過ぎ去り、恐る恐る目を開けばそこにいたはずの吽形は消え去っていた。