表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国友鉄砲鍛冶衆の娘  作者: 米村ひお
岐阜ライフ⑵
381/381

水切り

 

 ⁂


 お日様は天辺に差し掛かっていた。


 今日も暑い。日差しに殺菌されてしまう。

 油照りで不快だ。弥一が死んだときと同じだ。


「なぁたくみ、」

 又左衛門が何回呼びかけても、茶屋の長椅子に座るたくみはどこかの宙を見つめるばかり。

 信長から「たくみに触るな」ときつく言われているが仕方がない、これは非常事態だから、許されるだろう。又左衛門は、たくみの大福のような頬を、軽くつついた。

 ぬっと振り向く頬に、指が食い込む。たくみの頬は大福で間違いない。

「なんですか」

 どよんとしているたくみに、又左衛門は団子の乗った皿を見せた。

「たべようぜ。約束だろ?」

「……そうでしたっけ」

 ぼんやりと団子を見ていたが。たまりかねたように、又左衛門越しに、隣の長椅子をじろりと睨みつけた。そこには六右衛門が、女子をはべらせて座っている。笑顔で、気さくに話をしていた。

 たくみには、それが腹立たしい。

 自分に岩塩対応、他の女子にはちみつ対応するその性根が、心の底から軽蔑を誘った。


「俺に女子が近づかないよう、鉄壁の防御の最中だ」

 一瞬だったが、たくみがあからさまに睨みつけたから、又左衛門は可愛い部下について補足をした。

「今日は二人きりで話をしたかったからな」

 湿度を感じさせない爽やかな笑顔を見上げて、たくみは、口をへの字に曲げた。

「席、変わってください」

 又左衛門と座る位置を交換すると、たくみは「視界から消えた」と言って、いたずらに笑った。


「あいつ、たくみの荷物を探して持ってきたんだぞ? もう少しお淑やかに対応してやってもいいと思うんだが……」

「お礼は言ったもん」

 豆狸の案内で備に合流したたくみに、ふいごなどの持ち物を渡しに来たのは六右衛門だった。礼儀上、目を見てお礼を伝えたが、六右衛門はといえば、相変わらずな岩塩対応で目も合わせないし、無言で立ち去ったのだ。

 戦の時くらいしか接点がないのに、いったい自分の何が、彼の対応を岩塩にさせるのか、教えてほしいくらいだ。

「そぅー……か。筋は通したんだな。それならいい、ぅん」

 苦笑いを見ていたら、ばかばかしくなった。

 今日誘われたのはなんでだっけ?

 ああ、互いの理解を深めるには一緒に過ごすのが一番で、その時には皿から溢れんばかりの団子と大福を用意して――

 そんな話だったような。

「行きましょう、二人だけになれるところ」

 たくみのまさかの発言が、又左衛門の耳の奥で繰り返しこだまする。ありとあやらゆるやましいことを想像した。自分でも記憶をとどめないくらいに瞬息に。

 ――様、――衛門様、

「又左衛門様ってば、」

「ふぁ?」

 肩を揺すられ、頓狂な返事が茶屋の軒先に響いた。


 ⁂


 川の流れを聞くだけで、涼しくなったような気がする。連れ立ってやって来た渓流で、水筒を煽る又左衛門は逆光に輝いて、喉が上下する様は、寒気を催すくらい爽やかだ。

「ん。」

 飲んでいた水筒を渡されて。

 間接キスだな――と思う。

 自分の水筒があるから、断ろうと思えば断れたのに。なぜか思いとどまってしまった。夏のせいで、道徳的な部分がおバカになっていて、しかも世間的に許されている……ような気になった。

「ありがとうございます」

 ちょっとドキドキしながら口を付けた水筒は、水がほとんど入っていなくて、笑えてくる。

「ほっとんど入ってない」

「入ってたろ? 俺の想いが」

 カラッと笑われて、怒る気も失せた。

「嗚呼、歩いたら腹減った」

 又左衛門の膝の上に広げられた包みには、茶屋の大福と団子がわんさか乗っかっていた。

「ですね」

 団子と大福を両手に持って、それぞれにかぶりついた。

 ずいぶん歩いてきたから、塩気の利いた黄な粉が汗だくの体にしみる。


 道中、特に会話はなかった。直射日光を浴びて、汗だくで、ただひたすら歩いただけ。

 昨日も行軍で同じように歩いてきたのに、今日は趣が違った。

 汗と一緒に、体にこびりついていたどろどろしたものが、流れたような気がする。

 一緒に歩く人が違うだけで、こうも違うものなのだろうかと感心する。散歩とは奥が深い。

 食欲はなし、団子と大福なんか消え去れと言いたくなるほどだったのに。今、右に団子、左に大福を持って、もぐもぐんぐんぐ食べながら、爽やかな心持で渓流を満喫して、川魚の影を探したりしている。

「これだけうねってると、水切りは難しそうだな」

 今いる場所は瀬で、目と鼻の先の上流には岩が多く、白泡が立っている。

「トロ場とか、溜まりがあれば良さそうですけどね」

 釣りの言葉で、深みがあって流れが緩い場所をトロ場、あまり流れがなくて池のようになっている場所を溜まりという。幼かったころ、神父が教えてくれた。

「食べたら探すか」

「はい。もう少し下流に行けばありそうですもんね」

「だな」


 ⁂


「流れがあって白泡が立ってるところも迫力があっていいが、こういう穏やかな場所も悪くないな」

 見つけたトロ場で、又左衛門は平たくて手のひらに乗っかるくらいの石を拾った。

 低い姿勢で投げられた石は、水面を五回跳ねて沈んでいった。

「五回」

 鼻を鳴らして得意げに見下ろされ。挑発に乗っかるたくみは負けじと平たい石を探して投げた。

「あーーー! 三回」

 空を仰いで残念がるも、すぐに石探しに取り掛かった。


 一投一投、一喜一憂して健闘をたたえ合った。

 合間に団子と大福を食べて腹を満たし、それからまた投げた。そんな水切りの合間だった。又左衛門は石を投げながら、ごく自然に、問いかけた。

「生きてるだけで、あらまし、世の成功者だよな」

 隣のたくみも石を投げながら、片手間に返事をした。

「なんですか、突然」

 たくみの放った石は四回跳ねて沈んだ。

「先の戦でさ、俺の所に客があったんだ。若い足軽で、聞きたいことがあります! って」

 石を拾い、川に投げる。

「へぇ、」

 互いに顔も見ないで、水切りは続く。

「信長様も驚いてたよ」

「本陣に乗り込んだんですか、命知らずな」

「言えた口か?」

「耳が痛いですね」

「そいつさ、俺に勝つって、宣言して」

「決闘ですか」

「いや。戦で首級を挙げるってこと。俺よりもたくさん」

「ふぅん。で、その人、死んだんですね」

「なぜわかる」

「話の出だしが、生きてるだけで大成功みたいなこと言ってたから」

「あらまし世の成功者って言ったんだ」

「あー、そうだった。あらまし世の成功者」

「そいつ、なんか躍起でさ。格好良かったよ。俺より首級を挙げて、地位名声が欲しかったんだろうな」

「へぇ」

「ほんっと、青い奴で」

「うん」

「それでも、正面から勝負を挑んでくる奴は初めてで。駆け出しの足軽にも気概のあるやつがいると知って、誇らしかったよ」

「ふぅん」

「あいつが勝負に勝ったら、名前を与えてもいいと思った。俺の諱から一文字取って弥一改め、利一なんて、いいだろ」

「…………」

「戦死したと聞いた時は、本当に残念だった。どんなに名声があったって、腕っぷしが強くたって、生きてなきゃ、意味がないんだ」

「………」

「負けませんから。って宣言したあいつの顔、男だった」

 隣で鼻をすする音がしたけれど、又左衛門は聞こえないふりをして石を投げる。

 たくみは涙と鼻水を滴らせて、日が暮れるまで石を投げ続けた。


 ⁂


 ――時は数日前――

 虎御前山に布陣した翌日のこと。


 後先考えず、弥一は、総大将の本陣に単身乗り込んでいた。

 いぶかしげに眉を寄せた信長には目もくれず、弥一は又左衛門の前に立った。

「弥一と言います、聞きたいことがあるんです」

 背筋を伸ばし、頬は上気させ、鼻の穴は広がり切って。この暑さとは別の汗が、顔に張り付いててらてらと光っている。

「弥一か。答えられることなら何でも答えるぞ」

 余裕の対応で、にこやかに告げた又左衛門へ、弥一は食い入るように顔を近づけた。

「前田さまは、たくみのこと、どう思っておられますかっ」

 又左衛門は虚を突かれた。

 血走る目、狂気じみた情熱で質問されて。動揺を隠す又左衛門だが、信長には手に取るように心の機敏が分かった。愉快そうに口元だけ笑い、陣幕の向こうに消える二人を、目だけで送った。


 ひと気のないところまでやってくると、又左衛門は足を止めた。

「まぁ座れ」

 床几を二つ置いて、弥一とひざを突き合わせた。

「さて……たくみをどう思っているか、という話だったな。俺はたくみを好いている。陣中で日に三回顔を見せるよう言いつけるくらいにはな」

 弥一には、衝撃の告白だった。昨晩たくみと前田の大将が仲睦まじい感じだったから、やきもちが焦げ付いて真っ黒になった勢いで敵情視察に来たら、返り討ちにあったような心持になった。

 さりとて、それが心地よくもあった。恋敵が一国一城の大名で敵うはずのない相手となれば、俄然、やる気が湧いてくる。

「弥一も好いているのか、たくみのことを」

「はい」

 はっきり答えると、又左衛門は口元だけ笑った。瞳は真剣だった。

「そうか。俺たちは恋敵というわけだな」

「そうなりますね」

「俺は、相手が天照大神だろうと、蟻んこだろうと、手加減しない。弥一とも正々堂々、戦うだけだ」

 清々しく笑う。一点の曇りもなかった。

「俺も、正々堂々戦います。たくさん首級あげて、世に弥一の名を轟かせて、たくみにふさわしい男なります」

 淀んでいた弥一の心に、清い水滴が落ちたような、ひんやりとした清々しい心地だった。

 心に垂れこめた暗雲が流れて、まばゆい光が差し込む。この男と勝負すると思うと武者震いを起こしそうだ。

「……負けませんから」

「おう。」

 又左衛門が差し出した手を、しっかり握った。

 ――――




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ