水切り
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お日様は天辺に差し掛かっていた。
今日も暑い。日差しに殺菌されてしまう。
油照りで不快だ。弥一が死んだときと同じだ。
「なぁたくみ、」
又左衛門が何回呼びかけても、茶屋の長椅子に座るたくみはどこかの宙を見つめるばかり。
信長から「たくみに触るな」ときつく言われているが仕方がない、これは非常事態だから、許されるだろう。又左衛門は、たくみの大福のような頬を、軽くつついた。
ぬっと振り向く頬に、指が食い込む。たくみの頬は大福で間違いない。
「なんですか」
どよんとしているたくみに、又左衛門は団子の乗った皿を見せた。
「たべようぜ。約束だろ?」
「……そうでしたっけ」
ぼんやりと団子を見ていたが。たまりかねたように、又左衛門越しに、隣の長椅子をじろりと睨みつけた。そこには六右衛門が、女子をはべらせて座っている。笑顔で、気さくに話をしていた。
たくみには、それが腹立たしい。
自分に岩塩対応、他の女子にはちみつ対応するその性根が、心の底から軽蔑を誘った。
「俺に女子が近づかないよう、鉄壁の防御の最中だ」
一瞬だったが、たくみがあからさまに睨みつけたから、又左衛門は可愛い部下について補足をした。
「今日は二人きりで話をしたかったからな」
湿度を感じさせない爽やかな笑顔を見上げて、たくみは、口をへの字に曲げた。
「席、変わってください」
又左衛門と座る位置を交換すると、たくみは「視界から消えた」と言って、いたずらに笑った。
「あいつ、たくみの荷物を探して持ってきたんだぞ? もう少しお淑やかに対応してやってもいいと思うんだが……」
「お礼は言ったもん」
豆狸の案内で備に合流したたくみに、ふいごなどの持ち物を渡しに来たのは六右衛門だった。礼儀上、目を見てお礼を伝えたが、六右衛門はといえば、相変わらずな岩塩対応で目も合わせないし、無言で立ち去ったのだ。
戦の時くらいしか接点がないのに、いったい自分の何が、彼の対応を岩塩にさせるのか、教えてほしいくらいだ。
「そぅー……か。筋は通したんだな。それならいい、ぅん」
苦笑いを見ていたら、ばかばかしくなった。
今日誘われたのはなんでだっけ?
ああ、互いの理解を深めるには一緒に過ごすのが一番で、その時には皿から溢れんばかりの団子と大福を用意して――
そんな話だったような。
「行きましょう、二人だけになれるところ」
たくみのまさかの発言が、又左衛門の耳の奥で繰り返しこだまする。ありとあやらゆるやましいことを想像した。自分でも記憶をとどめないくらいに瞬息に。
――様、――衛門様、
「又左衛門様ってば、」
「ふぁ?」
肩を揺すられ、頓狂な返事が茶屋の軒先に響いた。
⁂
川の流れを聞くだけで、涼しくなったような気がする。連れ立ってやって来た渓流で、水筒を煽る又左衛門は逆光に輝いて、喉が上下する様は、寒気を催すくらい爽やかだ。
「ん。」
飲んでいた水筒を渡されて。
間接キスだな――と思う。
自分の水筒があるから、断ろうと思えば断れたのに。なぜか思いとどまってしまった。夏のせいで、道徳的な部分がおバカになっていて、しかも世間的に許されている……ような気になった。
「ありがとうございます」
ちょっとドキドキしながら口を付けた水筒は、水がほとんど入っていなくて、笑えてくる。
「ほっとんど入ってない」
「入ってたろ? 俺の想いが」
カラッと笑われて、怒る気も失せた。
「嗚呼、歩いたら腹減った」
又左衛門の膝の上に広げられた包みには、茶屋の大福と団子がわんさか乗っかっていた。
「ですね」
団子と大福を両手に持って、それぞれにかぶりついた。
ずいぶん歩いてきたから、塩気の利いた黄な粉が汗だくの体にしみる。
道中、特に会話はなかった。直射日光を浴びて、汗だくで、ただひたすら歩いただけ。
昨日も行軍で同じように歩いてきたのに、今日は趣が違った。
汗と一緒に、体にこびりついていたどろどろしたものが、流れたような気がする。
一緒に歩く人が違うだけで、こうも違うものなのだろうかと感心する。散歩とは奥が深い。
食欲はなし、団子と大福なんか消え去れと言いたくなるほどだったのに。今、右に団子、左に大福を持って、もぐもぐんぐんぐ食べながら、爽やかな心持で渓流を満喫して、川魚の影を探したりしている。
「これだけうねってると、水切りは難しそうだな」
今いる場所は瀬で、目と鼻の先の上流には岩が多く、白泡が立っている。
「トロ場とか、溜まりがあれば良さそうですけどね」
釣りの言葉で、深みがあって流れが緩い場所をトロ場、あまり流れがなくて池のようになっている場所を溜まりという。幼かったころ、神父が教えてくれた。
「食べたら探すか」
「はい。もう少し下流に行けばありそうですもんね」
「だな」
⁂
「流れがあって白泡が立ってるところも迫力があっていいが、こういう穏やかな場所も悪くないな」
見つけたトロ場で、又左衛門は平たくて手のひらに乗っかるくらいの石を拾った。
低い姿勢で投げられた石は、水面を五回跳ねて沈んでいった。
「五回」
鼻を鳴らして得意げに見下ろされ。挑発に乗っかるたくみは負けじと平たい石を探して投げた。
「あーーー! 三回」
空を仰いで残念がるも、すぐに石探しに取り掛かった。
一投一投、一喜一憂して健闘をたたえ合った。
合間に団子と大福を食べて腹を満たし、それからまた投げた。そんな水切りの合間だった。又左衛門は石を投げながら、ごく自然に、問いかけた。
「生きてるだけで、あらまし、世の成功者だよな」
隣のたくみも石を投げながら、片手間に返事をした。
「なんですか、突然」
たくみの放った石は四回跳ねて沈んだ。
「先の戦でさ、俺の所に客があったんだ。若い足軽で、聞きたいことがあります! って」
石を拾い、川に投げる。
「へぇ、」
互いに顔も見ないで、水切りは続く。
「信長様も驚いてたよ」
「本陣に乗り込んだんですか、命知らずな」
「言えた口か?」
「耳が痛いですね」
「そいつさ、俺に勝つって、宣言して」
「決闘ですか」
「いや。戦で首級を挙げるってこと。俺よりもたくさん」
「ふぅん。で、その人、死んだんですね」
「なぜわかる」
「話の出だしが、生きてるだけで大成功みたいなこと言ってたから」
「あらまし世の成功者って言ったんだ」
「あー、そうだった。あらまし世の成功者」
「そいつ、なんか躍起でさ。格好良かったよ。俺より首級を挙げて、地位名声が欲しかったんだろうな」
「へぇ」
「ほんっと、青い奴で」
「うん」
「それでも、正面から勝負を挑んでくる奴は初めてで。駆け出しの足軽にも気概のあるやつがいると知って、誇らしかったよ」
「ふぅん」
「あいつが勝負に勝ったら、名前を与えてもいいと思った。俺の諱から一文字取って弥一改め、利一なんて、いいだろ」
「…………」
「戦死したと聞いた時は、本当に残念だった。どんなに名声があったって、腕っぷしが強くたって、生きてなきゃ、意味がないんだ」
「………」
「負けませんから。って宣言したあいつの顔、男だった」
隣で鼻をすする音がしたけれど、又左衛門は聞こえないふりをして石を投げる。
たくみは涙と鼻水を滴らせて、日が暮れるまで石を投げ続けた。
⁂
――時は数日前――
虎御前山に布陣した翌日のこと。
後先考えず、弥一は、総大将の本陣に単身乗り込んでいた。
いぶかしげに眉を寄せた信長には目もくれず、弥一は又左衛門の前に立った。
「弥一と言います、聞きたいことがあるんです」
背筋を伸ばし、頬は上気させ、鼻の穴は広がり切って。この暑さとは別の汗が、顔に張り付いててらてらと光っている。
「弥一か。答えられることなら何でも答えるぞ」
余裕の対応で、にこやかに告げた又左衛門へ、弥一は食い入るように顔を近づけた。
「前田さまは、たくみのこと、どう思っておられますかっ」
又左衛門は虚を突かれた。
血走る目、狂気じみた情熱で質問されて。動揺を隠す又左衛門だが、信長には手に取るように心の機敏が分かった。愉快そうに口元だけ笑い、陣幕の向こうに消える二人を、目だけで送った。
ひと気のないところまでやってくると、又左衛門は足を止めた。
「まぁ座れ」
床几を二つ置いて、弥一とひざを突き合わせた。
「さて……たくみをどう思っているか、という話だったな。俺はたくみを好いている。陣中で日に三回顔を見せるよう言いつけるくらいにはな」
弥一には、衝撃の告白だった。昨晩たくみと前田の大将が仲睦まじい感じだったから、やきもちが焦げ付いて真っ黒になった勢いで敵情視察に来たら、返り討ちにあったような心持になった。
さりとて、それが心地よくもあった。恋敵が一国一城の大名で敵うはずのない相手となれば、俄然、やる気が湧いてくる。
「弥一も好いているのか、たくみのことを」
「はい」
はっきり答えると、又左衛門は口元だけ笑った。瞳は真剣だった。
「そうか。俺たちは恋敵というわけだな」
「そうなりますね」
「俺は、相手が天照大神だろうと、蟻んこだろうと、手加減しない。弥一とも正々堂々、戦うだけだ」
清々しく笑う。一点の曇りもなかった。
「俺も、正々堂々戦います。たくさん首級あげて、世に弥一の名を轟かせて、たくみにふさわしい男なります」
淀んでいた弥一の心に、清い水滴が落ちたような、ひんやりとした清々しい心地だった。
心に垂れこめた暗雲が流れて、まばゆい光が差し込む。この男と勝負すると思うと武者震いを起こしそうだ。
「……負けませんから」
「おう。」
又左衛門が差し出した手を、しっかり握った。
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