もし食べられるとして。
その夜は、雨が降っていた。
たくみは自室で雨音を聞きながら、溝を彫った朝星の柄に縄を巻き終わった。
「そろそろ寝るかぁ」
髪に挿してある琵琶湖真珠の簪と男の子の羽を抜いて、文机に置いた時だった。雨音に混じって、遠くから人々の叫び声と悲鳴が聞こえてきた。
―何があったんだろう
思った刹那、藤兵衛が部屋に飛びこんできた。
「家から出てはいけないよ」
たくみの返事も聞かず、利乃助と一緒に屋敷を飛び出していった。
―あたしも行く
朝星を手に、暴れ梅雨の往来へ出る。村の男衆は鍬や鎌を手に姉川へ向かって走って行く。確かに悲鳴は姉川のほうから聞こえていた。
姉川のほうからも人々が走ってきて、一人がたくみの目の前で倒れこんだ。
「大丈夫? 何があったの?」
倒れた体を起こしてやると、男は震える声で言った。
「墓の中から……出てきたらしい、小谷のほうで死人が暴れて、村人を食ってる、こっちへ来るぞ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、にげろ――」
がくがく震える男を、屋敷の門の軒下へ引っ張って。
「もし食べられるとして。何もしないで食べられるより、何かしてから食べられてやるよ、あたしは」
朝星をきつく握って、走り出した。
「橋を落とせ! 増水しているから渡ってこられないだろう!」
「逃げてくる衆らはどうなる!」
「知るかそんな事! 村を守るほうが大事だ!」
「見殺しには出来ないだろう!」
「じゃあどうするんだ!」
姉川に掛かる橋のたもとで、村の男衆はずぶ濡れで言い合っていた。対岸からは逃げてきた人々が橋を渡っている最中だ。
―橋を落としたらあの人たちは助からない、
赤ん坊を抱えて橋を渡る女の人を見て、たくみは、決心する。
―行かなくちゃ。墓から死人が出てくるなんて、きっと原因があるはず
たくみは混乱に紛れ、橋を渡りきった。





