おとこのせなか
ついこの前までうだるように暑い夏だったのに。
よくよく空を見上げてみれば日が傾く時間が早くなって、蝉はどこかへ消えてトンボが空を飛び、秋の虫が鳴き始めている。
「秋だな」
うめはとうに帰り、一人きりで炊事場の格子戸越し、たくみはぼそっと呟いた。
電気の無い暮らしに夜が訪れようとしている。屋敷の中は途端に薄暗くなって、真っ暗になる前に行燈に火を入れないと何がどこにあるのかわからなくなってしまうだろう。けれどどうやって火をつけるのかわからないし、それに勝手に火を入れていいものだろうか。一つ間違えば火事を出してしまうとわかっているだけに、そこは慎重になって藤兵衛と利乃助を待とうと決心する。
うめに教えてもらった通りにお膳を支度して、薄暗い食卓は準備万端、あとは湯を沸かし、温かい手拭を二人に渡したいし、うめが作ってくれた汁物も温めたい。そして決心したたくみはおくどさんの灰をすくう平たいスコップのような道具を手に、鎚打ちの音が聞えてくる細工場を訪れた。
『夕方の細工場には勝手に入っちゃならんよぉ』
昼間うめが話していた事を覚えているたくみは、開いている木戸からゆっくり顔を出して覗いてみる。目だけ出してきょろきょろ動かしてみると、この薄暗がりにもかかわらず灯りもつけず作業をしている藤兵衛と利乃助の姿があった。
―わぁ、きれい
火床から上がる火花、そこから出てくるのはまばゆい宝石の様に輝く密柑色の長細い筒。
火床に当たっている面だけが明るく、それ以外は闇に沈もうとしている。浮かび上がる横顔は見た事も無いほどに真剣で、藤兵衛と利乃助の背中は影になり、その陰影が仕事の過酷さを語っているように感じて目を見張った。
無言だが息をぴったり合わせて筒を叩けばほろほろと鉄屑が零れて落ち、鎚を砥舟の水に浸けて叩くと鉄はシューシューと音を立て蒸気を昇らせた。
暗闇に落ちる寸前の細工場は鎚の音が止んで急に静かになった。藤兵衛は小鎚を置き、筒を火床とは別の灰の中へ突っ込むと、利乃助も大槌を片付け小袖の袖を通している。
「あぁ、とうちゃん待って」
藤兵衛が火床に水をかけようとしているのを見たたくみは思わず木戸越しに声をかけた。
「どうした、何かあったのか」
手を止めた藤兵衛は木戸へ首を向け。
「囲炉裏に熾きた炭を入れたいの、汁物を温めたいから」
「そうか、こっちへおいで」
優しく促され細工場に入ったたくみが火床の熾き炭を掬っていると、なぜ木戸から覗いていたのかと利乃助が問う。
「うめおばあちゃんが夕方に細工場に入っちゃいけないって」
理由を伝えると利乃助は「そうだったんですか」と微笑み、それを聞いていた藤兵衛も、
「そうだな、夕刻は焼入れをする時が多いから、そうしてもらえると有難いね」
解いた鉢巻で顔を拭きながら話していた。
掬った炭を持つたくみ、火床にかけられていた鉄瓶を持つ利乃助、肩と腰をトントン叩く藤兵衛は並んで屋敷へ戻り、たくみは慎重に炭を囲炉裏へ運んでいく。
炊事場に入った利乃助は鉄瓶の熱湯を桶に張り、水を加えて冷ましたところに藤兵衛と一緒に手拭を絞って頭のてっぺんからごしごし拭う。
囲炉裏から戻ってきたたくみは褌いっちょでいる二人の大きな背中を見て一瞬驚いたが、
「お背中拭いてあげる」
軽く提案するとそれは有難いと二人は台所に腰をかけ。背中を交互に拭いてやると二人から至福の唸り声が聞えてたくみは頬を緩めてしまう。
それが終わると足を洗う桶にお湯を移して並んで座り、足を洗うついでにしばしの足湯タイムで一日の疲れを癒す。こちらもたくみの肩叩き付きで、夕飯前のひと時は和やかに過ぎていった。





