とうちゃん
「あたし、お父さんもお母さんもいないの。 育みの家でシスターが育ててくれてて。お父さんとお母さんに出会いたいってずっとずっと夢に描いてた……藤兵衛さんみたいなお父さんがいたら素敵。 だから、そうなったらマジで最高」
思っている事を素直に話しただけなのに、藤兵衛の鼻をすする音が聞こえてきて、背中が更に萎れて丸くなってしまった印象を受けたたくみは閉じていた目をゆっくり開いた。
短く刈られた髪は白髪が混じり、しっかりした耳、がっしりした顎の線が見える。太めの首を取り巻くように数本の皺が刻まれ、そこに薄っすら汗が溜っている。
―お父さんに負んぶされるのはこんな感じなのかな
萎れた藤兵衛の背中も心地よい。至福な心持ちで負ぶさっていたたくみの小さな耳に藤兵衛の盛大なため息が聞こえれば、疲れてしまったのだろうかと心配になり顔を覗き込むように首を伸ばした。
すると、下を向いていたはずの藤兵衛は顔をすっくと前を向き、その横顔をたくみはじっと見つめる。彫りが深く、一本筋の通った鼻筋、その眼差しも意志のはっきりした力強さが伝わってくる。
じっと見るのは初めてだな、そんな風に思っているといつの間にか藤兵衛の萎れていた背中は元の通りにしゃんと伸びていて。これなら大丈夫とたくみの杞憂は晴れて、口角は自然と上向きになる。
「私の娘になってくれるかい、たくみ」
耳心地の良い低い声を背中越しに聞くたくみは、
「うん、なる」
のどやかに快諾するとまた目を閉じて、大きくて安定感があって汗で湿っていてちょっと熱い背中へ、甘えるように顔を埋めた。
姉川は夕日を浮かべ茜色に輝いて、鴉は声高に鳴いて巣へ帰っていく。
鍛治町の通りには魚を焼く香りと薪の燃える香り、出汁をひいた汁物の匂い、ご飯を炊く匂いもする。それから槌打ちの音も何処からか響いてくる。
夕日が沈んで暗くなってくる日没時、通りすがった鍛冶小屋の木戸は開いたまま。真っ赤な火の粉が舞っているのが木戸越しにちらりと見え、それはまるで夜空に咲く花火に見えた。
食欲をそそる香りが充満した通りを、背中に揺られて眺めていたたくみは、鍛冶小屋を通りすぎたところで美味しそうな香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「美味しそうな匂いする」
「そうだね、たくみもお腹がすいただろう」
「底なし沼かって言われるくらい食べられそう」
「ははっ、そりゃずいぶんだね」
「でもわかってる、お替りは一回までって」
たくみはさも当たり前の様に話した。だが、それが自分への戒めを込めているように聞えた藤兵衛は、なぜ回数が決まっているのか問うた。
するとどうだろう、
「シスターが……」
そう言ったきり口を閉じてしまう。今まで歯切れ良く言葉を返してきたたくみがもご付いた事で、藤兵衛は “しすたあ” という人物について抱く印象を良しとしなかった。たくみに何かしたとすれば相当な悪人ではなかろうかと偏った心を持ちながら言葉を返す。
「言いたくないのなら無理に言わなくて良い、だが、飯を制限するのはいい事と思えない」
「とうちゃんは制限しない?」
“とうちゃん” これは鍛治町まで歩いてくる途中に互いの呼び名を決めようという話になった際、たくみが真っ先に呼んだ名だ。 藤兵衛の “とう” と父さんの “とう” を足して二で割った合理的なもので、藤兵衛も快諾して決まった。





