藤兵衛さん
―昔々、あった
頓狂な話に遭遇するといつもなら鼻で笑って軽くあしらう藤兵衛だが、たくみの言葉は漣を立たせる風の様に心に向かって吹いてくる。信じないとは言い切れない、言葉の端々が自信に満ちているからだ。
「……とするとお前は今よりもずっとずっと先の時から来たのかい」
「たぶんね」
“たぶん” という曖昧な返事さえ、藤兵衛には何か確信めいているような印象を与えた。
「そうかい、なら教えてくれないか、遠い先の時に暮らす民は、背中に翼が生えたりするのかい?」
たくみが手に持っていた羽、ススミの者と知っていて問うたが、たくみは首をひねって考え込んでしまった。
「しない……しないはずだよ……」
藤兵衛の背中で自問自答するように呟いた後。ぱっと明るい声音になった。
「あっ、お面の男の子は一瞬翼が生えたように見えたような気がする、赤黒い霧のせいだと思うんだけど、気持ち悪くなっちゃって良く覚えてないの。逆におじさんは背中に翼が生えるの?」
羽を落としたのはお面の男の子だろうと推測される。けれどたくみはススミ一族の髪と瞳を持っていた。昨晩、時とともにそれらが消えてしまった事が不思議でならなかったが、逆に質問を受けた事でそれを聞く好機を逃してしまう格好となった。
―なれど時間はたっぷりある、後で聞けばいいだろう
思考を切り替えた藤兵衛は、もしも自分に翼が生えたらと想像して面白おかしく答えた。
「まさか、生えるわけ無いじゃないか。だが国友鉄砲鍛冶衆国友藤兵衛の背中に翼が生えた、なんて噂になれば国友鉄砲の宣伝にはなるだろうねぇ。それから鍛冶仕事で大事な羽を燃やさないように気をつけなくちゃね。それと、銘に翼か羽を刻むのさ、粋じゃあないか」
楽しそうに話し声に耳を傾けていたたくみだったが、おもむろにむふっと笑う。
「やっぱそうか、藤兵衛さんておじさんのことなんだね」
藤兵衛からたくみの顔は見えないが、声音からたくみの嬉しさを汲み取る事が出来た。
「私を知って居るのかい」
「小川で話し込んでた女の人たちが教えてくれた」
「ああ、あれか。何を聞いたのかわからないが、真に受けちゃいけないよ」
「うん、信じない。だってあたしを攫ってきたんだろうって話してたから」
「私がお前を攫ってきたと?」
「そう思ってるみたいだった。私もどうなってるのかよくわからない、でもきっとね、藤兵衛さんが助けてくれたんだって信じてる。ついさっき、あたしを探して助けてくれて、叱ってくれたんだもの」
背中にいるたくみは楽しそうに話すが、藤兵衛の気持ちは一瞬で沈んでしまう。
自分の娘にと思って連れて帰ってきたし、そういう責任感や義務感をもって河童から助けようとした。だがこの子にとっての自分はおじさんであり藤兵衛さんなのだと現実を突きつけられたからだ。
「藤兵衛さん、か」
肩を落とした藤兵衛の様子をたくみはいち早く察知し、視線を向ければ哀愁漂う藤兵衛の耳の後ろあたりが見えた。
「どうしたの? 急に元気ないね」





