【外伝】The First Song in the Moon エピローグ
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槌音が響く。
「にゃー、今度はアスレチック作るにゃー」
「うにゃー、もう二つも作ったにゃー、それより倉庫の拡張やるにゃー」
月面の奥底、およそ数キロもの地下において、今日も猫たちはハンマーとツルハシを振るい、土砂を一輪車に積んで運ぶ。
資源は乏しかったが、幸いにエネルギーは核融合炉によって潤沢であった。地下を掘り進め、炸薬を錬成し、希少元素すら超科学によって産み出していく。
「うにゃあ、新しいレシピ試してみたにゃあ、食べてほしいにゃあ」
そこは地下の大食堂。倉庫に蓄えられていたスイカを加工し、料理に勤しむのはシュガーと、ほか数名の猫たち。それを次から次へと平らげていくのは肉体労働をこなしてきた猫たちである。
ファミーは皿の上のものを口に運び、感嘆するような声で言う。
「にゃー、これがスイカのサラダにゃ、初めて食べたけど悪くないにゃあ」
ドラゴンの襲撃から十五日。
地下に逃れた猫たちに急務とされたのは生活圏の確保と、可能な限りのレベルアップであった。月には純然たる造山猫は少なかったが、猫たちはみな得物を持ち、おそるべき早さで地下を拡張している。
シュガーは炊き出しに参加しており、割烹着のような白い大きめなエプロンを付けてシチューを振る舞っていた。
「うにゃあ、古い資料にあったレシピだけど、おいしくできてよかったにゃあ」
実物のスイカを食べることもたまにはあるが、葉や蔓を料理したものを食べたのは初めてだった。確かに葉と蔓のサラダは青臭く、舌でざらつくような食感で、清々しいとはとても言えなかったが、ホロ・スイカのサラダとはまるで違う野趣があった。
「草っぽいけどうまいにゃ、筋ばった食べごたえが……いや、にじみ出てくるエグみ、毒じゃなかったって安心感……じゃなくて、んん……」
「もう、ファミーってばお世辞が下手だにゃ」
食堂は今日も騒がしい、汚れた作業着姿の猫が数十人、壁にはツルハシやヘルメットが並び、入れ替わり立ち替わりで常に何人もが食事している。
「にゃー、回り道を発破で掘ってから掘削残土を熱処理するにゃー」
「だめにゃー、舗装機械を解体洗浄するから掘削残土は掘削予定路に一時置きするにゃー」
なぜか隠語の増えるペースが凄まじいらしい。
「ファミー伍長、ここにいたですにゃ」
「あ、ティル技長」
ティルもまた白衣から灰緑の上下に変わり、ヘルメットをかぶって地下の拡張工事を指揮していた。厚手の服だが、スタイルが抜群なだけに体の凹凸がはっきりと分かる。
「んにゃー、騒々しいですにゃあ、やはりホロ・スイカを真っ先に復旧させて全員が使えるようにするべきですかにゃ」
「いいえ! 炊き出しは必要ですにゃ!」
と、なぜか力強く主張するのは割烹着姿のシュガー。
「地下でゼロからやり直すんですにゃ! そのためには開拓時代の心意気を忘れてはいけないのですにゃ! 備蓄のスイカがあるうちはみんなで食べるんですにゃ!」
「そ、そうですかにゃ」
「んなー、いいこと言うのなー」
ティルの背後から現れるのはドラムである。彼は他の猫の三倍の勢いで地下を掘り進めており、船のイカリのようなツルハシは壁に立てかけられて、他の猫がそこを通るたびにビックリしていた。
「なんでも食べてこそ猫なのなー、月のすべてを食べ尽くすのなー」
「んにゃあ……私は葉っぱは苦手ですにゃ」
「ティル技長、葉っぱが苦手なら皮を使ったメニューもありますにゃ。芯果と糖赤は酒造りのために酒造所に回してますけど、良水を使ったスイーツもありますにゃ」
「いやシュガー伍長、食事はいいですにゃ。ちょっとファミー伍長に話をしにきただけですにゃ」
「私にですかにゃ?」
ファミーが椅子を引いて立ち上がろうとしたが、その背にティルが手を置き、ティルとドラムが彼女の左右に座る。
「ファミー伍長、あなたを兵長に任命しますにゃ。正式な辞令はもう少し後になるけれど、当面は兵員の訓練を担当してほしいですにゃ」
「んなー、しっかりやるのなー、今後は銃器の使い方も教えるのなー」
「にゃ、私が」
ティルはにこやかに笑って言葉を続ける。
「そうですにゃ、あの困難なミッションをやり遂げたことを評価いたしますにゃ。地下に落ちてから数十時間もよく耐えましたにゃ」
「あれホント大変でしたにゃ……」
あの作戦。
レストランの外殻は宇宙塵にも耐える超硬度物質であり、崩落したとしても圧潰することはない。崩落後に冷蔵庫からは脱出したものの、完全に瓦礫の海に沈んだ状態である。猫たちが地下を掘り進み、ガレキをかきわけて救出に至るのにさらに数十時間を要することとなった。
「あれも無茶な作戦でしたが、今後ドラゴンと戦っていく中ではもっと無茶な作戦があるかも知れませんにゃ。ファミー兵長なら指揮していけると信じてますにゃ。それとシュガー伍長、あなたは申し出にあった通り、ここで炊事班に入っていただきますにゃ。ホロ・スイカが復旧して食料が安定した後は、生命の方舟から生まれてくる黒猫への教育を担当してもらいますにゃ」
「にゃ、シュガー、いつのまにそんなこと申し出てたにゃ」
「んにゃあ、前にも言ったにゃ、私は軍を辞めてレストランの専属になろうと思ってたって。私はやっぱり料理したり歌を歌ったり、黒猫と小人たちのお母さん役をやるほうが向いてるにゃあ。月の人口が回復したら地下にレストランも作るにゃ、ドラゴンとの戦いもあるけど、娯楽だって必要なはずにゃ」
「うにゃ……シュガーすごいにゃ、もうそんなに色々考えてるにゃ」
二人のやりとりを聞きつつ、ティルが何度か頷いてから話に割って入る。
「そうですにゃ、やがて地下は黒猫と小人で溢れかえるですにゃ。必要なのは計画的なレベルアップと教育、時々は地上に出て偵察と物資の回収、やるべきことは山ほどありますにゃ」
「……分かりましたにゃ、心してお受けしますにゃ」
ファミーは座ったままでびしりと敬礼、そのつぶらな瞳がきらりと光るかに思えた。
これから、全てが始まる。
そんな予感がする。
それは自分というものの定義による情熱の黎明。ただのスイカ村の猫であった自分はもういない。カラバの建国に関わった賢者、そして夢の王との絆、それが心のどこかで燃える蝋燭の火のように思える。夢のようだった子猫の時代は過ぎ、一人前の軍人として皆を指揮せねばならないという責務が己の力になるように思える。
それは猫たちのモチベーションを高めるという星のシステムのためか。あるいは純然にファミーの中でのみ完結する心の変化か。それはどちらでも構わない。どちらでも受け入れられるし、どちらにとっても猫として幸福なことなのだから。
ティルはそんなファミーの様子を見て、ふいに天井を見上げる。食堂の騒々しさから少しだけ乖離し、どこか遠くを想うように見えた。
「んにゃあ、それにしてもあの打電信号、もしあの方に届いたなら、月に来てしまうかも知れませんにゃあ」
「にゃ? 来たら何かあるのですにゃ?」
ティルのつぶやきに、小首をかしげるのはファミーである。
「にゃ、昔いろいろあったもので、お叱りを受けるかも知れないのですにゃあ」
「なー、ダイス様はきっとトムと一緒にいるのな、トムも来るはずなのなー」
サラダを四皿ほど平らげつつ、蒸したスイカの皮で作ったマッシュポテト風グラタンに取り掛かりながらドラムが言う。
「ドラム、まだトムと戦いたいなんて考えてますにゃ」
「んなー、負けたままじゃいられないのなー。心配しなくても、今度はちゃんと紳士的に試合を申し込むのなー」
「それならまあ……」
「……あのお方、賢者ダイス」
ファミーもまたカラバを思う。
その顔だけはまだ思い出せない。夢の王に関する記憶も、一度思い出されてしまえばもはや他の様々な記憶と混ざりあい、徐々に輪郭を失いつつある。もう突如として浮かび上がって混乱することもないだろう。
何とはなしの疑問を投げかけてみる。
「……でも、核融合エンジンが止まったとはいえ、月は光速の92%に達してますにゃあ、追いつくのは大変ですにゃあ」
「なに、意外に早く来るかも知れませんにゃ。解析の途中で残しておいた物があったもので。あれは複製もできず、月を動かすにはシステムの規模が小さいようでしたので置いてきたですにゃ、もしそれを使えたなら……」
「?」
「にゃー、お二人とも、食事しないなら食堂を出てほしいですにゃあ」
シュガーが言う。彼女は話の間も食堂を動き回り、皿を回収してテーブルを拭いていた。
「んなー、ドラムはおかわりが欲しいのなー」
「ドラム軍司令は食べすぎですにゃ! 早く仕事に戻るですにゃ!」
そのようなわけで三人とも並んで食堂を追い出される。シュガーは昇進や今後のことなどどうでも良いかのように、猫たちから注文を取って厨房に入っていった。
「にゃー、やっぱりシュガーはすごいにゃあ、もう何年もああやってるみたいな貫禄だにゃあ」
「んなー、もっと食べたかったのなー、あの皮料理すごいのなー」
言いつつも、それぞれ己の道具を手にして廊下を歩き出す、ティルも懐から紙束を取り出して、ペンで書き込みをはじめた。工事予定表のようだ。
「んにゃ、早いとこ工業設備を作りたいですにゃ、もうしばらく掘れば物資も……」
廊下を進んでいた三人が、ふいに振り向く。
三人だけではない。食堂に入ろうとしていた猫、出てきたばかりの猫、近くで作業していた猫や、追いかけっこで遊んでいた小人までもが足を止め、ぼうっとした表情で食堂の入口を見やる。
そこから流れ出てくる空気には色がついていた。旋律の色彩。音階の輝き。そして律動の暖かさ。
猫たちはあるいはその場で弛緩して、あるいはツルハシを振り上げつつ現場に向けて走り出す。
「にゃー、やっぱりシュガーの歌すごいにゃあ」
「本当ですにゃ、私も仕事がなければずっと聞いていたいですにゃ」
「なー」
何も言えなくなって水のように弛緩するドラムを見て、ファミーは思う。
多彩さこそ、猫の強さであると。
ここはカラバを遠く離れた星の海。
今日も猫たちは考え、作り、歌い、そして遊ぶ。
その日々のすべて、猫らしく自由であらんことを。
(完)
これにて今回の外伝は終了です。
この世界観は気に入っているので、時々でもまた外伝が書けたらいいなあと思ってます。
新連載もそのうち始めたいと思ってますので、また読んでいただければ幸いです。
最後になりますが、評価、感想などいただければとても励みになります、どうかよろしくお願いします。
では、またいつか。




