【外伝】The First Song in the Moon 第七話
「私は、シュガー伍長を救出に向かうべきだと思いますにゃ」
周りが静まるような感覚がある。あるいは周囲から音や風景が遠ざかるような。言葉が一種の空間となり、己の意識が己の言葉に没入していく。
「少なくとも方法を検討するべきですにゃ。シュガー伍長はまだ45分は生存している可能性がある。避難路の出入口がタワーに近いのも事実、可能性はあるはずですにゃ。決死隊が必要というなら、私が救出に向かいますにゃ」
「ファミー伍長、分かっているとは思いますが、すでにシュガー伍長は助かっているとも言えますにゃ。彼女は生まれ変わることができる。霊薬によって記憶も受け継ぐことができる……」
「それは――それは正確にはシュガー伍長とは言えませんにゃ。記憶を受け継ぐとしても、何もかもそのままではない。彼女の肉体も完全に同一とはならない……」
「……」
――その瞬間、
ティルが、簡単には読み解けないような複雑な表情をする。
猫の中でも最も多くの知識を持ち、長い年月の中で記憶を蓄えてきたティルである。その思考は猫たちのなかでもかなり複雑なものであったはずだが、その眼を何と言うべきか。意外性、驚き、感嘆、当惑に疑問、不可思議さや何らかの諒解、それに混ざって何かの懐かしさや哀惜のようなものも含まれている。ファミーの脳裏にふいに浮かぶのは、さんざん道に迷って歩き回り、たどり着いた場所が自分が昔住んでいた家だったと分かった時の表情、そんな奇妙な形容の浮かぶ眼差しであった。
「……ファミー伍長、一つだけ問いますにゃ」
「はい」
「あなたにとって、命とは何ですにゃ? 無限の魂として機械の中にあるのか、それとも肉体に依存する一度きりのものなのか、あるいは、それ以外の何かなのか」
「……」
ファミーには分かる。これは一種のコイン占い。
この問いに正しい答えなどなく、ティルは正確に言えばファミーを試しているわけでもない。
ただ、ファミーという小箱を開けてみて、その中から飛び出してくるものを見ようとしている。それが何かしらの天啓を与えてくれると思っている、そんな問いである。
「命とは」
それはファミーも同じ。
定まった答えを持っていたわけではない。ただその一瞬、ファミーの頭に浮かぶのはシュガーのことだった。あの柔らかさと慈愛に満ちた猫。誰にでも優しかった彼女。その彼女によって残された手紙のこと。それがファミーという器を通して別の何かに変わるかのような。
――でも、ファミー伍長なら、いつかきっと、
――自分だけの答えを、見つけられるから。
「命とは、この一瞬のこと!」
「今この時、私は生きていますにゃ! そしてシュガー伍長も生きている!」
「今この瞬間、私は彼女を助けたいと思っている!」
「今この瞬間の、助けたいという心の声に従えないなら、今この瞬間、彼女のために動けないなら!」
「たとえ無限に生きたとしても、何の意味もないですにゃ!!」
声が、何かしらの実在となって拡散するような感覚。
口をついて出てくるまではファミーにすら意識されていなかった答え。世界に現れた瞬間、それは確かに一つの真実となって世界を塗り替える。
「んなー! 行くのなー!!」
最初に硬直を破り、両手を振り上げて立ち上がるのはドラムだった。
「ドラム軍司令、あなたも賛成ですかにゃ?」
「どうせしばらくは地下に潜ることになるのなー! ここでシュガー伍長を助けられれば部下の士気も上がるのなー!!」
「うむ……」
ティルは顎を押さえて考えに沈む、しかしそれは迷いではないと分かった。彼女はすでに救出の可能性を考えている。
「……?」
そのとき、ふいにファミーは首を振り上げて部屋を見渡した。
何か、肉体に違和感が。
「にゃー! 大変だにゃー!」
会議室へ科学猫が飛び込んでくる。部屋の外での喧騒もにわかに高まっている。
「分かってますにゃ、静かにするですにゃ」
「にゃー! 核融合エンジンが止まって……うにゃっ?」
核融合エンジンの停止。
そういえば体が軽い。おそらく加速度による見かけ上の重力が消滅し、この天体本来の引力だけが残っているのだ。直径2500キロメートルのこの天体は地球の月よりやや小さく、重力もさらに小さくなっている。
ティルは飛び込んできた猫の方を見ずに言う。
「トイレは十分な数ありますにゃ? し尿処理は?」
「はいにゃー、ティル技長の指示通りに急いで用意しておきましたにゃー」
「よろしい、数日は普段より尿量がずっと増えますにゃ、体調を崩したものには薬を」
「はいにゃー」
低重力下では上半身の体液が普段より多くなる。すると脳が体液が多すぎると判断し、余分と見なされた体液を尿として排出しようとする。宇宙飛行士などに見られるムーンフェイスという現象である。この忙しい中ですでに手を打っていたようだ。
「ファミー伍長」
「は、はい」
「核融合エンジンが止まったことはチャンスですにゃ。一つだけ、救出作戦らしきものがありますにゃ」
「それは……」
ティルが指を鳴らすと、背後にタワーの模式図が浮かぶ。
「タワーの高さは約80メートル。上部に平皿型の構造体があり、内部はレストランとなっていますにゃ。レストランのスペースは西側4分の3の範囲。タワーの根元には避難区画への出入り口がありますにゃ」
科学猫たちがにわかに騒ぎだす。
「タワーを登るにゃー?」
「それは無理ですにゃ。融解金属が熱的障害として機能している。窓から脱出させるのですにゃ」
「にゃー、なるほどだにゃー、重力が小さくなってるから飛び降りられるにゃー」
「いいや、今の重力でも80メートルの高さから落ちれば大怪我しますにゃ」
この月の重力加速度をカラバの8分の1程度、1.2m/s^2と低めに見積もった場合であっても、80メートル落下すれば着地時の速度は時速51キロ、秒速14メートルとなる。地球であれば4階から落ちる程度の速度であり、命の保証は難しい。
「それに関しては何とでもなりますにゃ、問題はどうやってタワーに入るかですにゃ」
「にゃー、でも階段は登れませんにゃー」
「個人用のジェットパックで登るにゃー? ドラゴンがいっぱいで危ないにゃー」
確かに。背後に次々と浮かぶ画像を見ても、都市部はまだドラゴンが跋扈している。その数は大小取り混ぜて200以上。うかつにタワーの周囲で飛べばどんなことになるか想像に難くない。
「……方法があるとすればタワーの上部からですにゃ。上部にはメンテナンス用のハッチがあり、無通電状態なら手で開けられるはずですにゃ」
「にゃー、でもどうやって上部まで行きますにゃー? ジェットキャリアーはドラゴンの的になりますにゃー」
「磁気トラムですにゃ」
会議室の中央に立体映像が浮かび上がる。それは菱形をした銀色のエイ。かつてカラバの砂漠を駆けたという砂絨毯に似せた騎乗用機械である。
「これは月面に引かれた超伝導レールに沿って、最高で時速2000キロに達するシステム。超伝導レールの給電は避難所の小型炉から可能ですにゃ。地下空間を加速しつつドラゴンのいない出口からこれを射出、一気に高度20キロ付近まで上昇し、電子撹乱片を撒きながらスラスターによりタワーまで移動。個人用ジェットパックでタワー屋上に着地しますにゃ」
「うにゃー!? かなりの速度になりますにゃー! 練習もしないで無理ですにゃー!」
「大丈夫、ジェットパックは遠隔操作が可能ですにゃ。こちらで観測しつつ誘導しますにゃ。宇宙服にも対衝撃措置を付加しますにゃ」
聞くからに常軌を逸した作戦である。確かに月の技術であれば猫を殺さない程度にその数十キロのヨーヨーは可能だろう。だがドラゴンが撹乱されてくれるかは全くの未知数。光学照準により金属箔めがけて火炎を乱打される可能性もある。
「にゃ、でも内部に入ってからどうしますにゃ。もしドラゴンが窓の外にいたら」
「考えてますにゃ、突入後は……」
ティルの提案に、周囲の猫が全員いっせいにのけぞる。
「にゃー! ティル技長メチャクチャなこと言ってますにゃー!」
「にゃっ、でも実現できるならやるべきにゃー」
「不確定要素が多すぎるにゃー、シミュレーションしてる暇もないにゃー」
「行きますにゃ」
だが、ファミーは拳を握って頷く。
ティルはわずかに微笑むような、何かしらの確信を伴う表情で彼女を見る。
「ファミー伍長、いいのですにゃ? はっきり言って命の保証はない。無限の魂があるからといって生命を軽んじてはいけない、そういう主旨でシュガー伍長を助けに行くのに、なんだか矛盾しているのでは?」
「無限の魂を持つことと、死を恐れることは矛盾しませんにゃ」
握った拳で、どんと左胸を叩く。
「永遠の命に甘んじることはただの堕落ですにゃ。確かに死は恐ろしい、私はずっとそう思ってましたにゃ。でも、それでも行く。死の恐怖を振り切って戦う。かけがえのない一瞬の命の灯を救いに行く。その思いにこそ強い力が宿ると、今なら信じられますにゃ」
「分かりましたにゃ。時間がない、みんな今すぐ準備するですにゃ! この作戦を、銀影堕天作戦と呼称いたしますにゃ!」
ティルが全員に向けて檄を飛ばし、科学猫たちが一斉に敬礼する。
「はいだにゃー」
「おまかせにゃー」
「んなー、ドラムはやめといたほうがいいと思うのなー」
「にゃっ!?」
※
科学猫たちが本気になった時、およそこの世で作れぬものはないと思える働きを見せる。わずかな時間、有り合わせの材料だけで宇宙服を補強し、磁気トラムにスラスターを増設し、超短波通信にてジェットパックの遠隔操作を完成させる。
「ファミー伍長、建国の三英雄という言葉を知っていますにゃ?」
銀のエイが表面を変形させたシート、そこにゴムバンドで体を固定したファミーに、ティル技長が問いかける。
「はい、トム・ティル・ドラムの三人の猫が、ダイスという賢者の導きにより知恵を得て、ドラゴンを打ち倒してカラバ王国を築いたという話……」
「そうですにゃ。古王国時代にはダイス様も猫の一人とされていましたが、彼は人間という種であり、我々を導いてくれた方なのですにゃ。夢の王とは、ダイス様の奥方にあたる人物ですにゃ」
「……はい、教育施設で習いましたにゃ、それが何か?」
「その神話より前に、一人の猫が見いだされていたのですにゃ。ダイス様はその猫の事や、夢の王について多くは語っておらず、わずかにその猫の名前を伝えていただけですにゃ。ファミー、と」
「ファミー……?」
「あなたがそうかどうかは分からんですにゃ。同じ名前を持つ猫もいる。そして私ですら建国神話の時代はあまり覚えてないですにゃ。ファミーという猫があなただったとしても、もうそれを証明する手段はないですにゃ」
すでに作戦開始は目前だった。科学猫たちが磁気トラムを起動させ、小型核融合炉からの電力でレールを励起。宙に浮かぶモニターには地下を数十キロ突っ走り、ドラゴンの破壊圏の外から射出されるルートが見える。
「ですが、もしあなたが世界で最初の猫なら……。きっと我々にはない夢の王との深い絆があると、そのように思うのですにゃ。ここでこうして月の危機に立ち向かうことも、運命の必然であると」
「……」
「にゃー! システムオールグリーンですにゃー!」
「最終安全装置解除にゃー!」
「そんなのつけてないにゃー! でもかっこいいから解除にゃー!」
そしてトラムが動く。
それは一瞬の加速、レールが稲妻を纏い、銀色のエイが弾丸のように打ち出されて。
そして扉が開く。
閉ざされていた、最後の記憶の扉が。




