【外伝】The First Song in the Moon 第六話
――45分後
「にゃー、酸素循環器どこにゃー」
「医薬品どこだにゃー」
その場所には不安と混乱と、猫たちの鳴き声が満ちている。
怪我人はさほど多くはなかった。襲撃から最初の5分での生死を分けたのは偶然のいたずら、コインの裏表のみであり、もし怪我をしたり、一瞬でも意識を失ったものは、真空世界の中で肉体の滅びを迎えただろう。
ここは地下260メートル。月の地下空間に建造された避難施設である。本来は大規模な小惑星群などに備えたシェルターであり、複数のエアロックによって空気漏れを抑えながら猫たちを収容することができる。
その入口は8箇所。襲撃が始まってから五分以内にたどり着くことのできた猫はほぼ全て助かった。
しかし現在。新たにその入口に到達できた猫は現れていない。
避難を行えた猫は220人あまり。月の人口は一瞬で四分の一にまで減少していた。
「現状を整理しますにゃ」
月に張り巡らされた地下施設、その最奥の会議室にて声を張るのは白衣の猫人、ティルである。
「起動を完了していた200あまりの万能工作機、これが一斉に命令系統を自切、独自にドラゴンの建造を始めましたにゃ。ドラゴンは地上へと出ていき無差別に施設を爆撃。その炎は油脂火炎だけではなく炭酸ガスレーザー、プラズマ火砲。重金属溶解弾など高威力のものですにゃ。現状、月面施設の3割が損壊。空気漏れが発生していますにゃ。各部のゲートも壊されているため、生存可能な密閉区画はほぼゼロですにゃ」
「にゃ、でも宇宙塵の直撃に耐えられる施設のはずですにゃー」
「耐衝撃の複層構造と、高分子ジェルの充填で空気漏れを防ぐ設計ですにゃ。熱的攻撃には弱いのですにゃ」
「にゃー、怪我人が出てますにゃー」
「落ち着いて、医薬品は第四倉庫にまだありますにゃ。低酸素脳症の猫は集中治療機に入れるですにゃ」
背後には月面のマップが浮かんでいる。多数発生している空気漏れはほぼ全施設に及んでいた。生存不可区域を示す赤の領域はマップのほぼ全域。エネルギー経路の断絶によりエアハッチが閉じていないのだという。
「んにゃ、大変なことになってるにゃあ……」
ファミー伍長も地下へと辿り着いていた。この会議室は作られたのが古いためか机があり、何人かの猫が長テーブルを囲んでいる。部屋の周囲には地上の映像が浮かぶ、数百ものドラゴンによる攻撃が続いているようだ。カメラも次々と潰されていた。
地下まで同行してきた猫は医療機械に運び込まれていた。低圧環境に一分近くも晒されたためである。ファミーはどうにか頭痛ぐらいで済んでおり、今はティル技長らとともに緊急の会議に臨んでいる。
別の猫が手を上げて発言した。
「にゃー、原因は何なのですにゃー?」
「まったく不明ですにゃ。あの万能工作機を起動させる際、不穏なプログラムがないかどうか徹底的に調べたはずですにゃ。それなのにこの暴走、皆目検討も付きませんにゃ」
ティルの声には悔しさが滲んでいる。休眠状態にあった万能工作機を起動させたのは紛れもなくティルの仕事である。己が招いた惨事と言われても否定できない。
「んなー、反省は後にするなー、ドラゴンなんか駆逐すればいいだけなのなー」
ドラム軍司令もなんとか地下へ逃げ込めていたが、その半身は包帯でぐるぐる巻きになっていた。ドラゴンの第一波により崩壊した施設から逃げ出したらしいが、全身くまなく第二度火傷、骨折は少なくとも七箇所、ほか内蔵にも関節にもダメージがあるはずだが、彼は猫たちを四人も抱えてエアハッチに辿り着いたという。
机をどんと拳で叩いて銅鑼声を飛ばす。
「かつての森の王、雨の王との戦いで見た以上のドラゴンはいないのなー、倒せるはずなー」
「無理ですにゃ。月では対人用のショックガンが最大の武器、隕石破砕用のレーザーはありますが、砲門がむき出しなので第一波の攻撃で破損するか、埋まってしまいましたにゃ」
「んなー、ハンマーがあればドラムがぜんっ」
ぜん、まで言ってばたりと机に倒れ伏す。
場の猫たちが硬直していると、五秒後にがばりと起き上がる。
「ドラムがぜんぶ倒すのなー」
「そんな細かく気絶しながら言われても」
そんなやり取りとは別に。
「……」
ファミーは色濃い緊張を浮かべていた。
ファミーは他の伍長たちとともに会議に出ていた。軍の実動隊が100人にも満たない月の社会においては伍長にも発言権があるが、猫たちはまだ動揺から脱せていない。隅の方であれこれと騒いでいる。
「にゃー、船で逃げるのはどうだにゃー? 大型の脱出艇があるはずにゃー」
「にゃー、だめにゃー、あれは離陸に滑走路が必要にゃー、地上を押さえられてたら離陸できないにゃー」
「それに夢の王を置いていけないにゃー」
(夢の王……)
今朝の夢のことを思い出す。
それをドラムに報告しようとした瞬間にあの攻撃が始まった。あの夢とドラゴンたちの攻撃に何か関連があるのだろうか。今からでも報告すべきかと迷っている間に、議題はどんどんと推移する。
「幸運と言うべきか、ドラゴンはこの地下施設を狙っているわけではないようですにゃ。ここでしばらく籠城することは可能ですにゃ」
「籠城、でも食料とかありますにゃ?」
科学猫が問うとティルは静かに頷き、背後の壁に木造の方舟と、黒い板状の機械が浮かぶ。
「無限の魂を司る機械、生命の方舟、これらはまだコントロール下にありますにゃ。生命の方舟のある場所までは地下を通って移動可能。我々はナノ波受容体から直接エネルギーを取り入れることができますが。この避難施設を維持するための小型核融合炉を利用できますにゃ。とりあえず命を繋ぐことは可能ですにゃ」
「んなー、武器を作れないのなー?」
「時間がかかりますにゃ……。資源は地下を掘っていけば何とかなるとして、工作機械を作り、希少資源を精錬し、ドラゴンに抗する装備を手に入れるまで半年か、一年以上は……」
それは驚愕すべきスピードであることは間違いない。あらゆる技術体系を獲得し、霊薬によって世代を超えた記憶として刻んでいる科学猫たちの力は恐るべきものがあったが、それでもやはり数日で、とはいかない。
「ファミー伍長、それに他の伍長たちも、しばらくは避難者の指揮をして、この地下で生活基盤を作ることを目指してほしいですにゃ」
「はっ、分かりましたにゃ」
軍属の猫たちが立ち上がってそう言うと、周囲にいた科学猫たちも声を上げる。
「にゃー、倉庫にガラクタが色々あったにゃー、水のろ過装置作るにゃー」
「酸素循環器も何個か作るにゃー」
「んなー、まず掘削機を作るのなー、ドラムが地下を拡っ」
ばたり、と仰向けに倒れて。
そして即座に起き上がる。
「ドラムがぜんぶ倒すのなー」
「落ち着くですにゃドラム、記憶が巻き戻ってますにゃ」
「……」
ファミーはお腹の当たりに拳を当て、ぎゅっと握る。
部屋の内外に大勢の猫が入り乱れているが、彼女の姿がまだ見えない。
背後のマップにもはや緑の場所はほとんど無い。仮にそのどこかに彼女がいたとしても、もはやこの地下にたどり着ける可能性は。
「ティル技長! 生存者から通信ですにゃー!」
そこへ声が飛ぶ。黒い箱のようなものを背負った科学猫が入ってきて、ファミーは思わず腰を浮かす。
「にゃっ! まだ残ってる猫がいたですにゃ?」
「はいですにゃー、かろうじて電波が拾えましたにゃー」
見れば、科学猫の背負う黒い箱からは何本ものアンテナが突き出している。この地下で携帯端末からの電波を拾ったのならかなりの感度であろう。
その箱に据え付けられた受話器をもぎ取り、ティルが問いかける。
「もしもし、誰ですにゃ、どこで生き残ってますにゃ」
『――認識番号C-17 シュガー伍長ですにゃ』
「!!」
ファミーの目が見開かれる。生きていた。彼女が。
しかし電波の状態が悪いのか、音声が飛び飛びに聞こえる。ティルは僅かな振動も逃すまいとするように、受話器を肌に密着させて問いかける。
「今どこにいますにゃ?」
『中央タワー、展 ストラン。非 用、 宙服を着ています』
電波が途切れがちである。携帯端末の電源が切れかけているのか、あるいは地上で起きている攻撃の影響か。
「そこに何人いますにゃ」
『まだ私だ です、スタ フのみ なが来るは ったの 、なぜ誰 来な か』
「脱出可能ですにゃ? 地下の避難施設まで来るですにゃ」
『負傷し ます、無理 す。外で、何 起きて すか?』
負傷、という言葉が強く意識される。
「にゃー? 外の様子がわからないのにゃ? どういうことにゃー?」
「うにゃー、レストランの窓は液晶が組み込まれてるにゃー、電圧がかかってないと曇りガラスになるのにゃー」
それはつまり、レストランにエネルギーが供給されていないということ。おそらく明かりもなく、空気循環もエアコンも動いていない。おそろしく寒い真空の世界に変じている、ということだ。
『そち の声が遠 て、何も聞 えま 。エレ ターも止 って、いった 、何 起き 』
ぶつり、と。慈悲もなく通話は終わる。
「にゃー、助けに行くにゃー」
「シュガー伍長はレストランだにゃー」
確かに、マップ上では真っ赤になっているが、ファミーと同じようにどこかに非常用の宇宙服があったのだろう、それを着ることができたわけだ。
ティルが科学猫の一人に声を飛ばす。
「タワーは攻撃を受けてませんにゃ?」
「にゃー、受けてますけど健在ですにゃー」
そして映像が映し出される。それは建設機械を遠隔操作するためのカメラ映像のようだったが、画面端、皿回しのように円盤を乗せたタワーはまだ健在である。その各部から白煙が噴霧され、目に見えた破損箇所もある。
ファミーが勢い込んで言う。
「助けに行きますにゃ! タワーなら地下への出入り口から100メートルもないはず!」
「無理ですにゃ」
「なぜ!!」
ティルの言葉に反射的に噛みつき、そしてしまったと後悔の感情を抱くものの、もはや自分の心を制動することは不可能に近かった。
ティルはファミーの目を受け止め、しっかりとした口調で言う。
「タワーの下部に溶解金属の攻撃を受けていますにゃ。おそらく3000度に達する融溶タングステン弾。タワーの内部通路は熱気と金属蒸気と有毒ガス、とても通行できる状態ではありませんにゃ」
ティルが映像の一部を指差す。点のように小さいがタワーの根元部分、そこだけ漂白されたように白い。強烈な可視光線を放つ溶解金属があるのだという。
「……消火、いえ、冷却措置を」
「非常用の宇宙服の活動時間はせいぜい90分。襲撃の直後に身に付けたとしておそらく酸素循環機構の残り時間は45分。しかも周辺にはドラゴンが徘徊している。とても間に合いませんにゃ」
「ですが、このままではシュガー伍長が」
「大丈夫ですにゃ」
ティルが少し穏やかな声音――それはファミーを宥めるという目的もあっただろう――でそう告げたため、ファミーは少し虚を突かれた格好になる。
「大丈夫……とは?」
「シュガー伍長のパーソナルデータは、無限の魂の機械に組み込んでいますにゃ」
「!」
「すでにあの機械の構造は把握してますにゃ。新たに生まれた野良猫であっても、あの機械に取り込むことで無限の魂を得られるのですにゃ。今は余裕がないけれど、地下での生活が安定すれば新たに黒猫として生まれ変わることができますにゃ」
「――それは」
違う。
その言葉が意識される。
それは違う。
何が違う?
自問自答、自縄自縛。
心に嵐が吹き荒れている。
それで良しとするのか。
生まれ変わればそれでいいのか。
何をもって死とするのか。
無限とか永遠とか見たこともないものを。
――死ぬことが恐ろしいの
――肉体は滅び、魂だけになってどこかに去る、それが死だよ
女性の声と男性の声、それは誰の言葉だったろうか。
心は乱れて、幻覚とも過去の記憶ともつかない言葉が入り乱れる。
そして。
一昼夜のごとく長く、瞬きのように短い逡巡の果てに。
言葉が。
「――私は」




