第八話
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スイカを二つ持ってはいけない(イランのことわざ)
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皮膚を煮えたたせ、魂を焦がす日射し。
魂までも凍りつかせる砂漠の夜風。
僕と三人の小人たちは、とりあえずそういう危機とは無縁だった。
気候は極めて安定している。昼は摂氏30度ほど、やや多めに汗をかくが、激しく動かなければずっと活動を続けられる。日が沈むと二時間ほどかけて10度ほどまで下がり、明け方までそのままだ。一日の温度差は20度ほど、とても砂漠性気候とは思えない。
僕たちは延々と砂地を歩き、ときに小高い砂丘を乗り越えながら進む。この星の北極星を頼りに、北へ北へと。
僕は通気性のいい麻の上下に、背中には厚手の布をマントとして羽織っていた。夜半には膝を抱えて座る形になり、マントにくるまって眠る。
小人たちはというと素肌の上にぐるぐるとスイカの蔓と葉を巻きつけた姿。手足の先には猫の体毛が残っている。昼間はそれなりに砂が熱くなるので、体毛を残しておくのが合理的なのだろう。
彼らを育成するにあたって、まず必要なのは観察だった。彼らについて十分に調べねばならない。
「まず種族名からか、やっぱり猫かな。猫と名付けるけど、いいかな」
「あおー」
「にゃうー」
僕の方を向いて、同意を示すようにはきはきと手を挙げる。彼らの知能は幼児並みのはずだが、なぜか問いかけに対しては明確にイエス・ノーを示す気がする。あらためて見ると手足が短く、頭と尻が大きい、体毛と猫耳を除いてもやはり人間とは違う種だと分かる。
猫の生態についてだが、猫はまず砂から這い出すように生まれてくる。そしてスイカを見つけると、その前歯で皮をかじり取って食べ進み、果肉をいくらか食べると小人に成長する。
ややこしいので、彼らの種族名を「猫」、砂から出てすぐの黒猫の姿を「黒猫」、幼児のような形態を「小人」と呼ぶことにした。マンチカンとはオズの魔法使いに登場する小人であり、「むさぼり食べる者」という意味だ。ファミーのように成長した個体を何と呼ぶかは、それが出現してから考えよう。
正直、ここまででも論文がいくつか書けそうなほど特異な生態だが、その一つ一つの仕組みを掘り下げるのは遠い未来の課題にしておこう。僕に必要なのはルールを知ることだ。そして、彼らを育成するために知るべきことが何かを知ることなのだ。
旅の間に、いろいろなことが分かってきた。
まず彼らは実に大食漢だ。水分が多いスイカだから量を食べないといけない、ということかもしれないが、一度の食事で大玉を一個ぺろりと平らげる。しかも白い部分にも貪欲にかぶりつき、宴が終わった後のスイカは紙のように薄い皮しか残らない。
葉や蔓を食べることはないし、スイカ以外に虫などを食べることもない。というよりこの星では小動物も虫もまだ見つかっていない。
入念に調べたが、スイカの蔓にアブラムシの一匹もついていない。花をつけているから受粉するはずだが、虫がいなくてどうやって……と考えていると、足下で猫たちがスイカをもさもさ食べていた。猫たちを受粉役にしてるのだろうか、とりあえずそう仮定する。
僕たちは砂漠を歩き、スイカを見つけては食べて命をつなぎ、歩いては眠り、食べては歩く。月の歩みにも似た日々が続く。
その中で大きな疑問の一つが判明した。彼らの繁殖についてだ。
僕は当初、彼らの性的衝動はファミーのように大きくなってからの話だと思っていた。しかしスイカしか食べていない猫たちには成長も、もちろん性徴も訪れない。ではどうするのかと思っていると、急に三人の小人のうち、二人が妙に接近するようになった。
いわゆる香箱座りのように小さく座り、身を寄せ合って頬をすり合わせる。にゃあにゃあと低く長く鳴いて、そして二匹ともが砂に潜っていく。
何事かと観察していると、ほんの30分ほど経ってまた這い出してきた。
3匹の黒猫と一緒に、である。
このルールについてはおおよそ理解できた。スイカを12個ほど食べた個体が二匹いると、急に親密な様子になって繁殖行動を行うのだ。
12個食べた個体が一匹だけの場合、別に発情期になったりはしない、二匹いることが条件のようだ。
しかし、そもそも彼らにオスとかメスがあるのだろうか?
「トム、ちょっと体を見せてくれ」
「うにゃあ」
トムはちょっと嫌そうだったが、喉元をくすぐってやると身をよじりながら僕に体を預ける。手足の先に体毛が残っており、頭から飛び出た三角の耳も獣毛のようだが、むき出しの部分の質感は人間の子供に近いと思える。ついでに言えばヘソもある。
「……ええと、これが排泄腔だよな。でも膣らしきものがない、生殖器も……トム、おまえオスなのか? それともメスか?」
「にゃ?」
確かに排泄腔らしきものはあるが、生殖器がどこにも見えない。ヘビのように体内に格納されているのだろうか、それとも彼らには性別など無いのだろうか。
考えてみればファミーもそうだった。シオウがいつもワンピースを着せていたから女の子かと思っていたが、明確な性徴を見たわけではない。
それに、どうもおかしな点がある。
僕の連れている猫は三匹。それぞれトム、ティル、ドラムと名付けていた、旅路の数ヶ月の間、三匹は何度か繁殖した。
あるときはトムとティルが、そしてある時はトムとドラムが。
そしてあろうことか、ティルとドラムの間でも繁殖するのだ。僕は訳がわからなくなった。
仮説だけならいくらでも考えられる。ある種のカエルのように、必要に応じて身体がオスかメスに変化する。あるいは基本的には単体生殖であり、生殖を促すための何らかの機構として自分以外の個体を必要とする。はたまた砂の中に別の猫がおり、その猫と交わって子供を連れて上がってくる……。
しかし砂に潜る前に交尾している様子はないし、体に妊娠を示す様子は何もない。そもそも潜ってから数十分で出てくるのは早すぎるし、連れて出てくる黒猫は、普通の猫ならもう成体の大きさだし……。
まあ答えのない想像をいくら繰り返しても仕方ない。
とにかくスイカを12個、二人で24個、である。
それだけ食べれば繁殖するのだ。猫たちは命を繋ぐだけなら一日一個、十分にスイカがあるなら朝昼晩と食べるから、順調に見つかればすぐに満たせる条件だった。
そして、もう一つ重要な発見もあった。
繁殖によって生まれてきた猫たちは、死んでも黒猫に戻らない。
旅の間。あのドラゴンほどではないが、奇妙な生物たちに何度も襲われた。あるいは巨大な牛のような四足獣。あるいはタカアシガニのような甲殻類、あるいは陸を這うクラゲのような異形の生物たちだ。それらは最低でも体高3メートルはあり、あっという間に猫たちを食らってしまった。
僕も抵抗したが、殻をそなえた腕でぶん殴られたり、触手で刺されて高熱にうなされたりと散々な目にあった。僕たちの時代は自己免疫系に大改良を施しているが、そうでない時代の人類なら即死だったかも知れない。
だが、どうも僕は食物と認識されていないのか、生物たちは僕を適当に排除すると、それっきり無視しておもに小人と黒猫だけを食らう。満腹になるか食べ尽くすかするとどこかへ去ってしまうが、トム、ティル、ドラムについては黒猫となって砂から這い出してくるものの、他の個体は戻ってこない。ちなみに言うなら小人の方が圧倒的に狙われやすい。
考えてみれば、猫たちが死んでも蘇る不滅の存在だった場合、繁殖してしまえばその数がずっと保存されることになる。捕食者に食われるとは言え、少しずつ増えていけばいずれ砂漠が猫で埋まってしまうだろう。そういう世界の終わり方もなかなか捨てがたいが。
「つまり……この星には、猫たちの「定められた数」のようなものがあって、どれほど食われても最低限その数だけは担保される、ってことなのかな」
「にゃおー」
黒猫に戻っていたティルは僕の膝に背中を擦り付ける。これだけ異様な生態系だというのに、その様子は記憶にある猫そのままだ。わずかな混乱を覚える。
もちろん小人たちが食われるのは悲しい。だが数ヶ月の間に何度も何度も襲撃を受け、僕は段々と心が順応していくのを感じていた。
今は雌伏の時代だ。いずれ猫たちが成長すれば、捕食者を退け、好きなだけ繁殖できる時代も来るだろう。
それはひとえに、僕の成長にもかかっている。僕がどれほど彼らを理解し、導けるかにかかっているのだから。
風景はそれなりに変化している。それは主に骨だった。砂に半分埋もれた獣の骨。アーチのトンネルのように見える巨大なあばら骨。何か群れをなす生物の骨が散乱する眺め。そして見たこともないような異形の骨。
その他に地形の変化はない。岩山だとか、わずかな草地だとか、オアシスなどはいっさい見つからなかった。ただひたすらに砂とスイカと、黒猫と異形の生物たちの繰り返し。この大地を創造した神がいるなら、よほど創造力に乏しい神だったに違いないと思った。
そしてある時、初めて新しい地形が見えた。
それは真っ白な眺めだった。
生命を完全に拒む、地平線の果てまで続く塩の大地だった。