【外伝】The First Song in the Moon 第四話
ぴぴ、とアラームが鳴る。ティル技長の白衣の中からの音のようだ。
「おっと、そろそろ戻らねばなりませんにゃ」
立ち上がり、何やら携帯端末を取り出して操作を行う。目を動かして文章を読む様子が伺えたからメールチェックであろうか。
「お忙しい時に申し訳ありません」
「なに、問題ありませんにゃ。留守を任せてるのは選りすぐりの科学猫たち、みんなきわめて優秀で勤勉な者ばかりですにゃ」
そして端末からどこかを呼び出す。
「これから帰るですにゃ、出迎えはいりませんにゃ」
『え……も……戻られます……にゃ?』
「そうですにゃ、ひと仕事片付けるから建設機械を暖気しておくですにゃ」
『……も、もう遅いし……と、泊まってくると……いいです……にゃ』
「……なぜそんな小声で喋るですにゃ? 蚊が鳴くようですにゃ」
『ちょ……ちょっと風邪ぎみ……で』
「……」
ティルは少しのけぞりつつ息を吸い、
そして叫ぶ。
「わっ!!!」
『うにゃー!?(じゃらららららら)あああああ誰か止めてにゃあああああ(じゃらららららら)』
「ドミノ倒しやってんじゃないですにゃ!!」
ふうと息を吐いて頭を抱える。どうやら猫に勤勉さを求めるのも限界があるようだ。
「本当にすいませんにゃ……なんか色々と」
「別にファミー伍長が謝らなくて良いですにゃ。……ま、ようやく発掘も一段落ついたところだし、彼らも羽目を外したいのですにゃ」
「発掘?」
「そうですにゃ、月の造兵施設、休眠状態の万能工作機がざっと200台ほど見つかって、今日まで発掘を続けてたのですにゃ。正式な発表ももうじき行いますにゃ」
「万能工作機……核融合エンジンの根本にあるやつですにゃ」
「そう、たった数台でもあれだけのエンジンを作り出せる機械。かつて最果ての四王の時代、大地をさまざまに造成した機械群なのですにゃ。月には大量に眠っていて、先日ようやく、休眠状態のものを起動させることに成功しましたにゃ」
ティーカップから戦車まで、自分自身以外なら何でも作れる機械である。そんなものが200台というのはすごい話だが、それだけの工作機で何を作るのだろうか?
その疑問は当然のことと言わんばかりに、問われる前にティルの答えが返る。
「あれはそれ自体で自己完結している完全無欠の機械。昔話ふうに言うなら願いを叶える精霊、世界を見守る大地の霊のように、存在しているだけで世界を住みよくしてくれるのですにゃ」
「うにゃあ……難しいですにゃあ」
「かつての最果ての四王の時代、あの機械はどこにでもあり、家が欲しければ家を作り、ケーキが食べたければケーキを作り、風や雨すらも作ったのですにゃ。どう活用していくかはこれから見いだして行くことになるけれど、きっと月を豊かな大地に変えてくれますにゃ」
「なんだかすごいですにゃあ」
ティル技長は誰よりも遠くを見ていると、そのように思う。ファミーには想像も及ばない話であったが、彼女にだけは見えている、新たなる時代へ導いてくれる、そんな気がする。
また菱形のエイに乗り、ティル技長と別れて宿舎に戻ったとき、すでに就寝時間も間近になっていた。
月では24時間制が採用されており、消灯は夜の21時、自由気ままな猫たちの割にはこの規則だけはよく守られていた。
軍隊においては体内時計の統一が重要という理由がまずあり、猫たちにとって眠りが至高の娯楽という理由がそれに追随する。
しかし、22時を回っても妙に目が冴えている。
先刻のこと、夢の王の御座にて見た幻覚が気になっていた。
「あれ……前世の記憶ってやつにゃ?」
それにしては覚えがない、あの場所は月ではない気がする。では古王国時代か、建国神話の頃の情景だろうか。しかしティルも言っていたように、何度も転生を重ねれば記憶はほとんど残らないはずだ。
まんじりと暗がりの中で耐えることは苦痛だった。とりとめのない思考が肥大し、山のように大きくなって押し潰されそうになる。少し汗をかけば眠れるかと思い、寝床を這い出してトレーニングルームへと向かう。
「にゃー、そういえば三日後には試合なのにゃあ。ティル技長は夢と向き合えって言ってたけど、よく分かんないにゃあ……」
つと、足が止まる。
「……?」
廊下の奥から光が見える。
ここで、軍人としては警戒を抱くべきであっただろうか。しかし月だけの社会で10年あまり、そのような常在戦場の精神など形成されるわけもなく、またそれ以前に、この声。
春の風のようにゆるゆると流れる歌声。それが誰の声で、何と歌っているのか理解する前に警戒心が氷解するような、そんな力がある。
(この声)
ふらふらと磁力に引き付けられるように歩き、そして中には予想通りの人物がいた。
「シュガー伍長」
声をかければ、そこではパイプで組まれた箱型の構造物。それは取りも直さずジャングルジムそのものだったが、その上に腰かけたシュガー伍長が聞いたことのない歌、言語化されない鼻唄のようなものを歌い、そしてこちらを振り向く。
「にゃっ、ファミー伍長、どしたにゃあ?」
「眠れなかっただけにゃ、そっちも同じにゃ?」
「うにゃあ、そういうわけじゃないにゃあ、時々こうしてるのにゃあ」
聞けば、夜中にふいに歌いたくなる時があり、こうしてトレーニングルームへと出てくるのだという。
二人は何とはなしに長椅子の方へと移動し、並んで腰かける。
「さっきの歌は?」
「よく分かんないにゃあ、適当な節回しで歌ってるだけにゃ。眠たくてウトウトしてくる時間に、新しい節回しが思い付くのにゃあ」
「……」
それは、夢の王の意識と触れ合っているからだろうか。シュガーの意識が眠りに近づこうとするとき、夢の王の影響が色濃く現れるのでは。そんな事を考える。
「ファミー伍長、何か悩んでるにゃ?」
問いかけはシュガー伍長の方が先だった。小首をかしげてそんなことを言われる。
ファミーはというと、そちらから言われるとは思わなかった、という風情で当惑してしまう。悩みがあるとすれば三日後の試合が真っ先に浮かぶはずであるし、目の前のシュガー伍長もその当事者ではないか。
「……シュガー伍長、夢の王と触れあうってどんな感じなのにゃ?」
ややあって、そのように尋ねてみる。
「夢の王にゃ? 私もよく分からないにゃあ。霊薬を飲んだときには何か大きなものに触れた気はしたけど、それだけにゃ」
「変な幻覚とか、声とか聞こえないのにゃ?」
「そこまではないにゃ、夢の王の影響は心の奥底でのことで、具体的な影響は現れないってティル技長の研究でも分かってるにゃ」
「……? でも、私は幻覚が」
それは泡を吹くように自然とこぼれた言葉、思わず出てしまった言葉にファミーはぐっと息を呑みこむ。
もし心身に不安ありとなれば、兵長の座を争う立場として不利なことに――。
そのような迷いは一瞬のことだった。不安を抱えたまま兵長を勤めるなど、それこそ職責を軽んじている。軍人としての誇りがあるなら、すべて告白すべきなのだ。
「シュガー伍長、実は少し前から、妙な幻覚が見えるのにゃ」
折に触れて現れる奇妙な情景、誰かの言葉、顔がよくイメージできない人物。見たことのない場所。そのようなことを説明する。シュガー伍長は黙って聞いていて、話の後にううんと腕を組んで難しい顔をした。
「うにゃあ? その話だと結構はっきり見えてるにゃ。夢の王はそんなふうに感じられるものじゃないにゃあ」
「ちょっと気持ちがまいってるのかも知れないにゃ、三日後の試合のこともあるし」
「うにゃあ……」
シュガーはどのような答えを返したものか悩んでいるふうだったが、しばらくして、つとファミーの手を両手で包む。
「ファミー伍長、見えるということに不安を覚えることはないにゃ。誰もが個性を持った特別な猫。もしファミー伍長の幻覚に原因があって、それに夢の王が関係していると思うなら、それは夢の王との特別なつながりがあるってことにゃ。誇っていいことだと思うにゃ」
はっと目を開く、そのように考えたことはなかった。
自分は先祖代々のスイカ村の猫、どこにでもいる平凡な猫だと思っていたから。
「ファミー伍長、今日は一緒に眠るにゃ」
「……え?」
「心が不安定だから幻覚が見えるってこともあるにゃ。一人より二人の方がよく眠れるにゃ」
「そ、そうかにゃ?」
「楽しみだにゃ。軍属の猫には家族がないから、誰かと一緒に眠ったことなかったにゃ。さあさあ、じゃあファミー伍長の部屋からマクラ取ってくるにゃ、それとも私がファミー伍長の部屋行くにゃ?」
「ちょ、ちょっと落ち着くにゃ」
そしてしばしの後。
本当に二人は一緒のベッドに入っていた。シュガー伍長の部屋は簡素な中にも花などが生けてあり、うっすらと甘い臭いがして、ブランケットは雪のように軽い。そしてそばにいるシュガー伍長の熱気のようなものが、背中越しに伝わってきてなぜか顔が赤くなる。
「うにゃ、ファミー伍長、もう寝たにゃ?」
「も、もう少しにゃ」
雌性体同士なのだから意識するのはおかしなこと、と分かっているが、それでもシュガーの肢体のしなやかさ、俗っぽく言うなら肉感は特筆すべきであった。体の一部が溶けて彼女と混ざり合うような柔らかさ。内部で火を焚いてるのかと思うほどの熱気。そしてミルクのような吐息が背中から忍び寄り、ファミーの鼻をかすめてゆっくりと寝所を満たす。
「……」
だがいっときの熱っぽさをやりすごせば、それは安らぎを感じる暖かさだった。自分の些細な悩みが遠く思えて、意識がだんだんと深みに沈んで行くように思える。
そして羽根が擦れるような、か細い、あるかなしかの声が生まれる。
「……にゃ、ファミー伍長、私も同じにゃ。悩みごとだってあるにゃ……」
「……悩み?」
「……本当は、ファミーが兵長になるべきなのにゃ」
「……」
「みんな分かってるにゃ。昨日の試合だって本当にただのマグレにゃ。私は歌っている方が幸せだし、軍をやめてレストランの専属になろうかと思ってたのにゃ。ドラム軍司令の気まぐれなのにゃ……」
「……それは違うにゃ」
暗がりの底で、やや明確な発音でそう言う。背後のシュガーがわずかに身を固くし、己の体を手足でぎゅっと掴むように思えた。頭のどこかが眠気によって熱を持ち、そこに不思議な落ち着きがあった。混乱と迷いの雨の中で、ふと晴れ間がさすようなレム睡眠のいたずらであろうか。
「私には足りないものがある……分かっているのにゃ。それは、死を恐れる心にゃ」
「……」
「あの時、私は身をかわしながら攻撃した。それは死を恐れる心があったからにゃ。今までの模擬戦でも、今一つ攻めきれなかった。心の奥底に染み付いた恐れがあるのにゃ……」
「にゃあ……? それは違うにゃ、ファミーは前世持ちのはずにゃ、死ぬことはないはず……」
そう、本当なら、死を恐れる心は野良猫のほうが強いはず。
だが模擬戦においてシュガーにそのような迷いはない。それは体験として死を知らないためか、それとも死を客観的に受け止められるほどの深い落ち着きを持っているからか。ファミーがそのようなあてどもない想念に落ちんとする時。
――君たちには、死がないんだね
「……!」
――怖がらないで、ファミー
――大丈夫だよ、僕たちも同じなんだ。誰もみな限りある命を生きる旅人、いつか滅ぶとしても……
まただ、とファミーは思う。
しかしそれは怖いものではない、そう思えるぐらいには落ち着いていた。
この幻覚にも、己の不安定な心にも、あるいは生まれ持った気質にも、意味があるのだろうか。
「大丈夫にゃ、きっと試合までに乗り越えて見せる、この幻覚も、戦士にあるまじき恐れも……」
背後の気配が静まる、聞こえるのは規則正しい呼吸の音だけだ。どうやらシュガーは眠りに落ちたらしい。
ファミーもまた目を閉じる、今度こそは静かに眠れそうだった。やがて意識が溶けていき、瞼の裏のまたたくような光も消え、何もかもが遠ざかって……。
そして。
きわめて奇妙な、悪夢を見た。




