【外伝】The First Song in the Moon 第二話
「皆さん、今日は月のレストランにようこそお越しいただきましたにゃ」
スポットライトが歌姫に集まり、その口許にフグのようなフロートマイクが近づく。各自の席には端末もあり、簡単な操作で様々な角度からステージを眺めることも可能である。
「当船はただいま光速の90%あまりで航行中。といってもぜんぜん実感ありませんにゃ。暗い空は代わり映えがないけれど、歌を聞くには良い日々だと思ってますにゃ」
「この船ではホロ・スイカのおかげで何も食べる必要はない。進化もある程度は自由にできる。音楽もボードゲームもたくさんある。そんな月で、こうして生の歌を聞きに来て、本物の肉や魚を味わおうという衝動、これだけはどうしても忘れがたいものですにゃ」
「それはもちろん私も同じ。長い旅の途中。軍属の傍らこうして歌い手を務めることになりましたにゃ。できればもう少しだけ耳を傾けてほしいですにゃ」
「にゃー! いくらでも聞くにゃー」
「店のドルミー全部もってこいにゃー!」
「さあ、参りましょう。次は浮かれ騒ぐ恋人たちの歌。絨毯のバスで愛をささやき、身を寄せ合い都へ向かった二人の歌。かの古王国時代、カラバマルクの煉瓦の町並み、スイカを積んだ荷車の行き交う騒々しい町、思い浮かべてお聞きくださいにゃ。「ストレイ・キャット・ストリート」」
「にゃー! 待ってましたにゃー!」
「この曲大好きだにゃー」
「おまたせしました、ドルミー14トンですにゃ」
「ほんとに持ってきたにゃ!?」
歌は深まり、もはや永遠となった夜の底で。
かつて月と呼ばれた星で、猫たちは変わることなく享楽を愛する。先程とはうって変わって明るいメロディ、酒とスイカを薪として、猫たちの宴が月を焦がす。
「……」
そしてファミーは圧倒される。シュガーの歌に。己と同じ伍長でありながら、あまりにも異なるその姿に――。
※
「うにゃあ、昨日ファミー来てたの見えたにゃ、恥ずかしかったにゃあ」
エアロバイクを漕ぎながらシュガーが言う。玉のような汗が散り、彼女の名のような甘い匂いが届く。同じ機械で汗を流しながら、ファミーが問いかける。
「歌い手をやってたなんて知らなかったにゃ、いつ始めたのにゃ?」
「3日前からにゃ、ずっと声はかけてもらっていたにゃあ」
月における猫人の社会において、軍属の猫であってもプライベートな仕事を持つことは許されている。
光速に近い月で外敵など警戒する意味もなく、またウラシマ効果を得てからも数百年はかかろうかという旅である。緊張感を保ち続けることは無理があるし、それは猫の生き方とは違う。軍属であることは、一部の職業軍人気質の猫を除けばあまり強く意識されることではなかった。予備役のような認識であろうか。
「でもほんとに凄い歌だったにゃ、綺麗だったし……」
「衣装でごまかしてるだけにゃあ、ドレスの下は筋肉がついちゃってるのにゃあ」
確かに、ファミーよりは豊かな体つきではあるが、腹筋はうっすらと割れ、二の腕もしっかり筋肉の輪郭が分かる。ファミーほどではないが兵士の体である。
彼女は軍人なのか歌姫なのか、そんなことを思い浮かべると、ふと、シュガーがどの分類の猫なのかを知らないことに気づいた。
「シュガーは何の猫なのにゃ? 軍属だから剣士タイプ、それとも詩吟猫なのにゃ?」
言葉に出してみれば、なぜ今までそれを聞かなかったのかと思えるほど素朴な疑問だった。しかしシュガーは穏やかに笑い、わずかに首を振る。
「分からないのにゃ、私は野良猫だから」
「え……」
そんなはずはない、という言葉がまず浮かぶ。
月がカラバを離れてもう10年近く経っている。ティル技長が積み込んだ無限の魂の機械、それと生命の方舟によって、月の猫は永遠の命を持っている。搭乗している猫はすべて前世持ちのはずだ。
それなら、なぜ自分は今さらシュガーのことを聞いているのか?
彼女は数年前まで見かけなかった。少なくとも軍属ではなかった。いや、彼女のような美しく人目を引く猫、この月で一度でも見かければ覚えていそうなものだが、その記憶がない。
彼女は月にいなかったのではないか? そんなことに今さら気づく。
シュガーはペースを変えずにバイクをこぎながら、訥々と話し出す。
「月でもごくわずかに潜砂繁殖が行われたことがあったにゃ、知ってたにゃ?」
「いや……聞いたことないにゃ」
「カラバから乗り込んだ猫は800人ほど、でも月の施設が充実してきて、もっと多くの猫を養えるようになってるにゃ。だから希望すれば繁殖も認められてるのにゃ」
「そうだったのにゃ」
「私の両親は剣士タイプの雄と、詩吟猫の雌だったにゃ。私はどちらかの形質を受け継いでるはずにゃ。遺伝子を調べれば分かるらしいけど、私は調べてないのにゃ」
「どうしてにゃ?」
「だって、何になるか分からない方が面白いにゃ」
「……」
なるほど、だからシュガーのことを知らなかったわけかと理解する。猫は近くにいる仲間とすぐに打ち解けるが、組織全体というものは意識されない。新入りが入ったかどうか、組織がいま何名で動いているか、それをあまり考えない傾向があった。
「分からないほうが……面白い」
ファミーにとっては考えたこともない概念である。
月がカラバの衛星軌道を外れたころ、野良猫の数は極端に少なくなっており、特に芯果の社会においてはほぼゼロであった。そのため月の乗員となることもなく、ファミーも生まれて初めて見る存在である。
だから、前世の記憶を持たない猫というものが分からない。
ファミーは月で生まれ、生まれた瞬間から剣士タイプとして軍属になることが決まっていた。そしてさほど広くはない月面の街で生きてきたのだ。
その概念を、言い表す語彙が記憶の底にある。
「シュガーは、その……」
「うにゃ?」
確かに知っている言葉なのだが、あまりにも深みにある。それを掘り出すには記憶の井戸に潜り、底の砂をすくいとるような感覚が。
――とても楽しい日々だったわ。
――何もかもが輝いて、自由で、無限の未来が広がっていて。
「……?」
今の言葉は誰だろう?
顔がぼやけていて分からない。月の小人育成センターの職員だろうか。月で生まれた黒猫はすぐさま進化を与えられ、専用の施設において短い期間で圧縮された教育を受ける。その中には童話を聞かせるなどの情操教育もあったが、その時の記憶だろうか。
「自由……、そう、自由だにゃ」
「ふふ、ありがとうですにゃ」
シュガーの柔らかな微笑みに、ファミーはまた見惚れるような感覚に襲われる。今考えていた事が霧消して、光速に置き去りにされてどこかへと消えた。
※
「ファミー伍長、待つのなー」
トレーニングで上気したまま廊下を歩いていると、背後から声がかかる。
一声だけで分かる。低く落ち着きのある声、ドラム軍司令である。素早く反転して略礼をする。
「はっ、何でしょうか」
「三日後、シュガー伍長と再戦するのなー」
「再戦……分かりましたにゃ」
それはファミーにとっても願ってもないことだったので、踵をぴしりと打ちならして承諾する。
「そろそろ兵長を選びたいと思っているのなー、次の勝負で勝った方を兵長とするのなー」
「兵長……ですか、機会を与えられたこと、光栄に思いますにゃ」
ドラム軍司令は一個の武人という意識が強く、あまり組織全体を指揮することはない。そのため兵長が事実上の司令官に当たる。軍組織の人数が少ないとはいえ、伍長の一つ上が司令官というのも驚嘆すべき話であろうか。
前任の兵長は半年ほど前に身を引き、いまは空席となっていたはずだ。がっついた出世欲があるわけではないが、ファミーとしても背骨を熱が昇ってくるような、我知らずの高揚が感じられた。
「シュガー伍長には後で伝えておくのなー、それで、どうなのなー?」
「どう……」
意気込みを聞いているのかと解釈し、背筋をそらして天井にぶつけるような角度で声を放つ。
「はっ! もちろん精一杯戦う所存ですにゃ!」
「そうじゃないのなー」
ドラムは腕を振り上げて言う。
「……?」
昔からだが、軍司令にはひどく言葉足らずなところがあり、また一般的な猫とは隔絶した感性を持っていた。彼は重戦士タイプだが、世が世ならば造山猫として生きていたような気もする。
よく言えば一途とか一徹とも言える一種の武骨さ、それが骨まで染み込んでおり、時として言葉がすれ違うのだろう。
ファミーは声を張る。
「も、もちろん、勝負までに己を磨きあげ、これまでの模擬戦の映像記録も何度も復習いたしますにゃ!」
「違うのなー」
そのばっさりとした物言いに、さすがのファミーも困惑の色を浮かべる。ドラムの性格を考慮してもあまりに不親切な場面であった。
ドラムもどうやら言葉が今一つ浸透していかないことに気付いたのか、うなだれて頭を抱える。
「済まないのな……ドラムはいつも言葉が足りないってティルに怒られるのな……」
「い、いえそんな、顔を上げて下さいにゃ」
「こないだも会議で「あれじゃなくてお水取ってって言うですにゃ!」って怒られたのな」
「そ、そうですか」
ドラムは何度か頭を振ったあと、言葉を自分の中でまとめるような呼吸の後に口を開く。
「シュガー伍長と兵長の座を競わされて怒らないのなー? あれが兵長に向いているかどうか分かるはずなー」
「! そ、それは……」
軍司令ともなれば、シュガーの歌い手としての仕事のことも知っているだろう。そうでなくてもあのおっとりとした性格である。戦闘力でも一対一の模擬戦ならともかく、肉体的な総合力でファミーに及ばないことは明白だ。
それにも関わらずファミーと競わせる。このカード自体がファミーに対する問いかけという理屈か。
「……ま、まったく考えないわけではありませんにゃ。ですが、ドラム軍司令はもっと総合的な、様々な長所を勘案して判断されたものと思っていますにゃ」
「それなのなー」
「……?」
「シュガー伍長にあって、ファミー伍長にないものは何か、それを求めないと駄目なのなー」
「そ、それは、しかし……」
言わんとすることは見えてきた。ファミーに自らの力を高めたり、模擬戦だけを検討するのではなく、シュガーという猫をもっと知らねばならぬ、彼女の強さを我が物としなければならぬ、そう言いたいのだろう。
しかし、それはファミーにとってあまりにも困難な話である。遠く霧にけぶる高い壁。壁が見えていたからあえて進まなかった方向に進めということだろうか。自分がシュガーのようにドレスで着飾り、観衆を前にして伸びやかに歌う、それは想像するだに顔から火が出るような場面である。
詩吟猫もかくやと思われる美貌、気品、そして歌声。あれもまた人の上に立つための武器と言えなくもない。ファミーとはまるで方向性の異なる強さだ。ファミーにシュガーのようになれと言うなら、それはあまりに無体というものだろう。
「ティルに会うのなー」
ふいに、そんなことを言う。
「ティル技長……ですにゃ?」
「そうなのなー、シュガー伍長はティルによって力を得たのなー。ドラムの信じる強さと全然違うけれど、ファミー伍長にも役立つはずなのなー」
「……?」
ドラムはきびすを返し、もときた方へと歩み去っていく。
まだ問いたいことはあったが、それは断念するしかなさそうだ。
今のわずかな会合、たったあれだけの会話ですら、ドラム軍司令にとっては数週間ぶりの長口舌だったのだから。




