第六十三話
そこは、当たり前のことではあるが何かしら神秘的な眺め、というわけでもなかった。
だだっ広い円筒形の空間である。照明は十分にあるが、部屋全体が黒くコーティングされていて薄暗く思える。
正面にあるのは黒い石版のようなもの。高さは4メートルあまり。足元には無数のコードが這い、メンテナンスロボットがうろうろと動いている。かの高名な「黒い板」と似ているのは技術的な帰結か、そうではあるまい、おそらく最果ての四王たちの戯れだ。
首を振り上げるトムの声が、空間いっぱいにいんいんと広がる。
「にゃー、ずいぶん広いにゃー」
「これがシステムの根幹か」
「そうですみー。ここで10万匹の猫のID、他に怪物たちや、小動物や虫なんかも管理してますみー。同じような施設は他にもありますが、今は休止状態ですみー」
ガウディは石板に近づき、そこに接続された小型端末を操作する。
「これが無限の魂を司る機械。それと、これが創造を司る培養機械ですみー」
空中に浮かぶ立体映像は木材で作られた方舟。骸の王の乗っていたものと似ている。
「この機械が砂の中を自由に動き回って地下水を集め、猫たちや怪物を生み出してますみー。これは惑星全体に20基ほどあるようですが、半分は沈黙していますみー」
なるほど、だから方舟だったわけか。苦々しいほどシャレが効いている。
「沈黙してるということは壊れたのかな、でもメンテナンス機構は生きてるようだけど」
「生きてますみー。でも沈黙した方舟は自分から動きを止めたようですみー。おそらくスイカ発生システムが1割しか生きていない現状、活動することに意味がないと判断したのかもしれませんみー」
ドベネックの桶というやつか。スイカがこの星の生命の根幹である以上、スイカが十分に供給されなければ、他のシステムも沈黙する、そういう仕組みなのかもしれない。
「その肝心のスイカシステムは復旧できそうなのかな」
「難しいですみー。あれに使われてたシステムを森の王、雨の王が造兵機構に作り変えたんですみー。新しく作るには時間がかかりますみー。それに、生命発生とか他のシステムと同時に復旧させないと不具合が出ますみー」
そこで僕ははたと思う。あのシステムを復旧させることなど考えてどうする。緑土を開拓するのではなかったのか。
「それにエネルギー源が地熱なんですみー。核からエネルギーを取り出してますから、出力を上げすぎると核が冷えすぎるおそれがありますみー」
「地核発電……コア奪電炉か。確かにナノ波の供給で生物を急成長させようってシステムだからな。無茶なことを」
僕はガウディの頭をぽんと叩き、静かに首を振る。
「分かった。システム全体の復旧は考えなくていい。星に与える負担が大きすぎるからね。それより、ティルが持ち出したものについて聞きたい」
「はいですみー」
ガウディは手早く操作して、空中にいくつかの映像を投影する。
「ティル様はこのシステムの一部、それと方舟を一つ持っていきましたみー」
画面の中で視点が惑星から月へとスライドし、その内部に石板と方舟が組み込まれたことが示される。
「にゃー、さっぱり分からんにゃー」
トムは少し退屈そうで、メンテナンスロボットがゆっくり動いて掃除するのについて回っていた。
「ティルは無限の魂を持ち出すことに成功したんだね」
「そうですみー、ティル様が連れていった猫人は800人ほど。月面に都市を作っていますみー」
その月は僕のよく知るようなクレーターに覆われた姿をしていたが、一つ違うのは冗談のように巨大なエンジンノズルが装着されていたことだ。大きさにして月の10分の一はある。この月は直径2500キロほどあったはずだから、ノズルの高さはかるく200キロということになる。デフォルメ図かと思ったほどの巨大さだ。トムが映像を見上げて目を丸くする。
「うにゃー、もしかしてこのロケットめっちゃでかいにゃー」
「そうですみー! 発進時はもう少し小さかったけど、最後に観測できた時はこのぐらいの大きさでしたみー。増設を続けてるんですみー」
「月はいまどこに?」
「まだらスイカ星雲と舞姫座の間、距離は400光日ほど離れてますみー、現在光速の92%のまま数週間経過、加速を止めてますみー」
「止めている……」
光速の92%では十分なウラシマ効果を得られないはずだ。
僕は骸の王の言葉を思い出す。この星に届いたという月からのSOS、やはり月で何か起こったのだろうか。
「ガウディ。僕にこれを見せるということは、君も感知したんだね、月からのSOSを」
「はいですみー、でもダイス様は居所が分からなかったし、僕が行くわけにもいかなくて、どうにもできなかったんですみー」
「にゃー、400光日ってどんぐらい離れてるにゃ?」
「一光日が2500億キロメートル、400光日なら10兆キロですみー」
「うにゃー、遠すぎてピンとこないにゃー」
「……比較的小型の船で、光速の99.99%以上に高めればいい、十分なウラシマ効果が得られれば、主観的に短い時間で追い付ける」
「にゃー、でも体感時間が短くなっても惑星では時間が経つにゃー」
「……そうだね、仕方のないことなんだ。月に追い付くためには」
「でも向こうも移動してるなら800日近くかかるにゃー! 到着する頃にどうなってるか分からんにゃー」
「……」
「いいえ! 方法はございますみー!」
ガウディが激しく腕を動かして端末を操作する。興奮しすぎてタイプミスが出まくっており、deleteキーらしきもので何度も修正しているのが見えたが指摘はしなかった。
「こちらですみ!」
空間に浮かぶのは黒い柱。どこかの独立記念碑のような整然たる角柱である、
見覚えがある。それはかつて、僕自身が僕の乗ってきた船から切り離したものだ。
「弦転跳躍システムか」
「そうですみー! ダイスさまの船に装着されていたものを掘り出したんですみー! ほとんど解析できていないけど、どうにか起動の仕組みは分かりましたみー。これは外部にとてつもない大電位差が発生すると、その電力を内部に取り込んで起動するんですみー」
「ガウディ、でもこれを動かすには重水消滅炉を使った膨大な電力が必要なんだよ。それは確保できるのかい」
「できませんみ!」
トムが後ろでこける。
「じゃー意味ないにゃー!」
「このシステムが要求する電力はとんでもない量ですみー! 核融合炉でもとても足りないし、消滅炉と、その燃料の反物質を作るのはまだ十年はかかりますみー! でもでも、僕はこの機械を励起させる方法を見つけたんですみー」
「それは……?」
「これですみ!」
ガウディがばしゃばしゃと端末を叩く。するとにわかに上の方が明るくなる。
空間いっぱいに出現するのは玉。仄白い砂漠に覆われた星の模式図だ。それがスライドして断面図が表示される。なんとなくスイカを連想してしまうのはこの星に住むものの業だろうか。
「この星の根幹にある核熱炉の仕組みを応用しますみー!」
また別の場所に模式図が展開される。
弦転跳躍システムの角柱を卵の殻のようなものが包み、細部が造形されて小型の宇宙艇となる。そのさらに外側を一回り大きな卵の殻で包む。玄武岩のような質感をしている。それが惑星の断面図に突き刺さり、内部を突き進むように動く。
「原理として、「圧力に耐えて、熱は通さないけど電位差は通す」物質を想定しますみー。真空のチューブを惑星の核の直前まで通し、最後は宇宙艇自らで核を貫通しますみー。加速しながら核の中を通り過ぎる時、膨大な電力を核から奪うことができるんですみー」
そう、それがコア奪電炉。電位差の浸透圧により閉じられた空間に電力だけを取り込むマクスウェルの悪魔だ。巨大な質量それ自体が持つ潜在熱を電力として奪うシステムと聞いている。
そのような説明はあくまで概念的なものであり、実際にはエネルギー第2法則すら歪める複雑なシステムらしい。大学の講義でその概要に触れたことはあるが、それは入り口から数えて、道のりの九割ほどまで狂気で埋め尽くされていた。この理論を歩みきった人間はどのような思想を持ち、どのような人生を送ったのか、想像するだに恐ろしい。
「しかしそれには理想物体に近いほどの剛体が必要なんだよ。作れるのかい?」
「これがありますみー!」
部屋の床が開き、地下からせり上がってくるものがある。それは大型ダンプを二台重ねたようなシステム。あの第八造兵廠で見たものだ。
「万能工作機か」
「そうですみー! 戦争のさなかに無事なものを一つ確保できたんですみ、これで何でも作れますみー! 物体を原子レベルで制御するから、時間をかければ物理的に構築不可能な剛体も作れますみー! 穴は造山猫たちが掘って、深さ1500キロからは剛体製のシールドマシンで掘りましたみー」
工作機械の生み出すドラゴンにそのような剛体を備えたものはいなかった。おそらく猫たちに奪われるのを恐れたか、もしくは絶対に分解されない剛体で星が覆われることを恐れでもしたのか、あるいは兵器として運用するには必ずしも適していなかったのか。
ともかく、それほどの剛体なら工作機械や宇宙艇の外殻として十分に役立ってくれるはずだ。
トムが僕のそばに歩み寄ってくる。ふとその顔を見れば、これ以上ないほどの渋面をしていた。
「うにゃ……なんだかとんでもない話だにゃー、具体的にどうするのにゃー」
「はいですみー、小型艇で一度大気圏外に出て、核を通るルートで再突入しますみー。およそ秒速4000キロ以上で地殻貫通パイプに突入。理想近似物体に覆われた小型艇は核の中心を貫通しますみ、そのときに浸透圧差にも似た電位差でシステムが膨大な電力を受け取り、弦転跳躍現象が起きるんですみー」
「パイプに反った筋道で次元の坂道が構築されるわけだね? それで月に追いつけるかな」
「だいぶ誤差が出ますが、跳躍の後は自動で誘導しますみー」
トムが両手を振り上げ、ぴょんぴょん跳んで抗議する。
「うにゃー、こんなの危険すぎるにゃー! マトモな理論とは思えないにゃー!」
そう、およそマトモじゃない。これはアインシュタイン的物理世界を打ち破る理論。つまり人類が21世紀まで観測不可能だったエネルギー挙動の世界に踏み込む御業、事象の地平線の彼方へ行く道程なのだ。
「おっしゃるとおり、危険はありますみ……。この端末の計算でも、内部の搭乗者の安全を100%担保できませんみー」
ガウディは悲しげに項垂れる。僕はまたその頭に手を置く。
「大丈夫さ。僕はこの星の猫たちの力を信じてる。ガウディのことも、そしてティルのこともね」
ティルは、なぜ僕の船の弦転跳躍システムを持っていかなかったのか。解析できないと考えた? それとも月の基地で再現できると考えた?
だがあるいは、それは後に続く者のために残したのではないか、そんな気がする。
ティルは僕を追い求めていた。戦乱のさなかに僕の冷凍睡眠カプセルが失われたために別れてしまったが、いつかは僕が目覚め、ティルたちの後を追うと考えていたのではないだろうか。
ならば僕は行こう。どちらかが望むからというだけでなく、僕と猫たちの間に結ばれた絆のために。
「うにゃっ! じゃあトムも行くにゃ!」
「トム……この旅はそもそもは僕のわがままなんだ。僕が娘のSOSを受け取ったがゆえの旅だ。だからきみまで命を賭けなくてもいいんだよ」
「にゃー! 息くさいにゃ! 月で何か起こってるならトムも放っておけないにゃー」
「ありがとう、あと水臭いだよ」
「ダイス様。不安なら、通常の核融合エンジンで光速付近まで加速する宇宙艇も作れますみー」
「それだと加速に数年かかる。それに宇宙艇の建造だって日数がかかるだろう?」
「ですが……」
ガウディの心配そうな眼差しに、僕は笑みを返す。
「僕は行くよ」
何ほどのことでもない。
僕には使命があるから。妻と娘を迎えに行くと、猫たちを星の頂点に押し上げると約束したから。だからこんなところで死ぬはずがないんだ。
だから行こう。星海の果てに。
僕たち旅人ふたりと、スイカの星と、猫たちの運命の行き着く場所に。
「妻と娘が、そして猫たちが待っている」
ここまでが第七章となります、次が最終章の予定です(たぶん)
予定より遅れていて申し訳ないです、なんとか早めに完結できるようにがんばります




