第六十一話
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芯果において猫たちは個別の交通手段というものをあまり持たず、移動はもっぱら電動バスである。排気ガスを出さないものが求められたのだろう。
路線はおもにスイカ村と都市を結ぶ往復バス。そして市内に張り巡らされた巡回バスに二分される。
コントロールタワーの周囲に広がる環状広場。スイカの樹が等間隔に立ち並ぶその場所には今日は電動バスもおらず、すべての市民がぞくぞくと徒歩で集まってきている。
「んにゃー、とつぜん集合って何があるにゃー」
「なんでもいいにゃー、あとでジュース出るらしいにゃー」
「チーズが配られるって聞いたにゃー」
「自分はホースでしばかれるって聞いたにゃー」
「じゃあなんで来たにゃ」
そして集まった市民はおよそ一万人。少年のように小柄な猫人たちとはいえ、雲海のように広場を埋めている。
そして広場のあちこちからミストシャワーが放出され、ぶうんと振動音を鳴らして浮かび上がるのは十六面のモニターである。24m×13mの巨大画面。それがタワーを取り囲むようにずらりと並ぶ。街に存在する大型プロジェクターをかき集めて投影しているものだが、その中に浮かぶのはこの僕、ダイスだ。隣にはルートーンもいるが、映像を確認すると脇に引っ込む。
「うにゃー、でっかい猫だにゃー、5メートルぐらいあるにゃー」
「そんなにあるわけないにゃー」
「ルートーン様もいるにゃー、何者にゃー」
僕のことを覚えている猫は見当たらない。霊薬を飲んでいないのか、飲んでいたとしても猫たちのことだ、古王国成立以前のことなど覚えているかどうか。
「お前たちに言うことがある!!」
突如としてそれは始まる。どうせ猫たちの集中力は30分も持続しないのだ、自己紹介などしても意味はない。畳み掛けるように言葉を投げる。
「お前たちはもう本当にどん詰まりだ!! この街で毎日毎日食べて飲んで遊ぶ! その繰り返しに疑問を持たないのか! センターから送られてくる食べ物! 決まりきった風景! 大して面白くもないサーカス! それに未来があると思っているのか! この生活を永遠に続けられると思っているのか!」
突然の怒号と共に鳴り響くのは細密な音楽。危機感を煽るような駆け足の旋律。
「にゃー!? 突然なんのことにゃー!」
「うにゃー!? でもこの声なんかアタマに響くにゃー!」
「君たちは理解しなければならない! この星の成り立ちを!」
十六面の投影型モニターに図解が並ぶ。猫たちの知る限りのこの星の仕組み、最果ての王たちが作り上げたシステムのすべて。
「君たちの食べているスイカはこの星のシステムにより供給されている。本来スイカはもっと日数をかけて育てるものなのに、システムにより無理矢理にエネルギーを供給されて産み出されるんだ。しかし最果ての四王との戦争により、星はすっかり荒れ果ててしまった。今や供給されるスイカは一日に五万個あまり、だがなまじスイカが供給されるために、他の食料を求めてこなかった。このスイカはいつ途切れるとも限らないのに。スイカを供給するシステムも、無限の魂を担保するシステムも永遠に続く保証はないのに!」
「うにゃー、でもスイカしか食べるものないにゃー」
「にゃー、大昔からずっとスイカはあったにゃー」
「そうじゃない!」
騒ぎかける猫たちの声はマイクで拾っている。僕は群衆に覆いをかけるように声を飛ばす。
「君たちに必要なのは探求心だ! 過去の経験など捨ててしまえ! 食べ物は必ずある! スイカだってシステムを超えた数を自分達で作り出せるんだ! 土を耕し、水を汲み上げ、緑土を畑に変えることができるはずなんだ!」
「うにゃー!? そんなことできるにゃー!?」
「でも昔は砂から土を作ってたって聞いたことあるにゃー」
猫たちは周囲の猫と声高に話し始めている。だがじっくり検討してもらうより、次々と言葉をぶつける方が効果的だろう。
「君たちはかつて心の奥で星のシステムと繋がっていた。それは最果ての四王であったり、夢の王であったりした。だが君たちに導き手など必要ないんだ。この星では物理現象としての神が実在したが、神など想像上の存在で十分なんだ。君たちは自分自身で生み出した神を好き勝手に崇めればいい! それが真に自由であるということ! 信仰という発明で! 自分自身を導くということだ!!」
それは実践できていたことだ。僕はこの目で信仰のきざはしを見たのだから。
僕が手で合図すると音楽の調子が変わり、十六面の映像の半分はかの古王国時代のものになる。うずくまる猫の城ヨルムンガルドが、希少な大宗教選挙の写真が、懐かしき石と煉瓦の町並みが投影される。
「かの古王国時代! 君たちは確かに信仰を見いだそうとした、何をもって従うべき基準とするかを自分達で見つけることができたんだ! 君たちは、自分自身で君たち自身の神を見いだせるんだ! だから己の本能を制御しろ! 自分達で生み出したものだけを信じるんだ!」
猫たちは静まってきている。僕の言葉がどこまで浸透しているのか、どこまで理解できているのかは未知数だが、名状しがたい感情が伝播していくのを感じる。これまでの世界が塗り替えられるような。当然のことと従っていた概念から解き放たれるような。
僕はマイクを握り、腹の底からの声で言う。
「誰もみな、いつかは死ぬ」
例外はない。この星では擬似的な輪廻転生がそれを忘れさせた。
だからドラムのような戦士は死を恐れず、猫たちは無限と永遠を信じていた。
だがそんなことはありえない。彼らも死を理解できるはず、そして乗り越えられるはずなんだ。僕は、死を信じた猫も見てきたのだから。
「この星のシステムも永遠ではない。絶対に例外はないんだ。おそらくは遠からぬ未来。骸の王の消滅によって失われる。君たちの体を思え、細胞の一つ一つは代謝によって死に、君たちという個体もいつかは滅び、そしてどれほど繁栄を極めた国家も、種族も、星すらもいつかは死ぬ。死を思え。いつか滅びることの尊さを。公平さを思え。それが君たちに力を与える、死がすべての根源であることを思え」
知恵ある獣は死を理解し、それに抗って神と無限を想像する。そして死という追跡者を打ち倒さんとして無限に挑む。
音楽は徐々に早さを増している。猫たちの鼓動を早めるかのような劇場型の演説。このぐらいの補助は許してもらいたい。僕は為政者ではないのだから。
「すべてを食べろ」
猫たちの目が潤むように光る。
「この星のすべてを食べ尽くせ。貪欲に徹底的に、知らないことを追い求めろ。行っていない場所を踏みつけろ。それが知恵ある獣の必然。与えられたものなど食べるんじゃない。スイカなど土と水と陽光さえあればいくらでも作れる。みな緑土に出て畑を作れ、芯果の何倍も大きな街を作れ、科学の力で星の海へも漕ぎ出せ! そして進化と繁栄の彼方で前のめりに倒れればいい! 君たちを超える種が現れることを信じて!」
全身から汗が吹き出している。およそ演説というには脈絡がなく、猫たちが映像にあった図解や説明をどこまで理解できたか分からない。
だが、彼らは獣ではなく、赤子でもないと信じている。
彼らの間にも眠っているはずなんだ。この檻のような芯果に感じていた疑問が、与えられるものでは満たされない欲望が、知らないことを知りたいと願う探求心が。
「外へ出るんだ! 外へ出て! 自分達の街を自分達で作るんだ!!」
そして、
猫たちが熱湯のように沸き立つ。
「にゃー! そうだにゃ、外へ行くにゃー!」
「にゃあああ! よく分かんないけど燃えるにゃー!」
「んにゃっ!! 緑土へ出て土地を開拓するにゃー!」
「ぶっちゃけゲームも映画もつまんなかったにゃー!」
僕は合図を送って映像を終わらせ、マイクの前にがくりと膝をつく。慣れない演説を打ったせいもあるが、これほど消耗するとは思わなかった。まるで自分の体を削りながら語るような感覚。足りない言葉を気迫でごまかしていた反動か。足に力が入らないのは緊張のためか。そこへトムが駆け寄ってくる。
「うにゃー! ダイス大丈夫にゃー!」
「大丈夫だ……それよりルートーン」
「は、はいですにゃ」
「これからが大変だ。まず有志を募って緑土の開拓を始めよう。そして知性タイプの猫を集めて大学を作るんだ。ティルたちが残した技術があるはず。一から研究を始めれば何十年かかるか分からないが、必ず僕たちも後を追う、ティルたちの後を……」
「いえ、ダイス様、実は演説のさなか、連絡が入りましたにゃ」
「連絡……?」
ルートーンは神妙な顔になっている。その顔はこの地下都市の主ではなく、まるで一人の従者であるかのようだった。何かを畏れるかのように声を潜めて言う。
「私はこの階層都市の行政長官でしたが、それはあくまで管理者ですにゃ。この階層都市には、真なる王がおられるのですにゃ」
「真なる王だって……? まさか、この地下世界で君たちに匹敵するほどの存在と言えば」
ルートーンは静かに頷き、およそ百数十年、猫たちの歴史の表に出ず、猫たちの栄枯盛衰に関わってこなかった者たちの名を呼んだ。
「この地下世界を作り上げた猫たち。造山猫たちの王ですにゃ」




