第六十話
警戒音とともに外縁部のコンクリート壁の一部が開き、銃を構えた兵士が次々と現れる。この空間の広さから考えて、複数の施設と繋がっていると考えるのが自然だろう。
「にゃっ、どうするにゃあ」
「心配ない。警戒は解かなくていいから、こちらから動かないでくれ」
そして直上の螺旋階段からも警備兵が降りてくる。警察のような制服姿の者、何やら儀礼的な衣装を着込んだもの。軍服に近いもの。タイプも様々のようだが、それぞれ手に拳銃、あるいは短機関銃を構えて僕たちを取り囲む。
「うにゃっ! 両手を後ろにしてうつ伏せになるにゃ!」
「うにゅう……」
「――必要ありませんにゃ」
と、人垣を割って現れるのはつばの広がった帽子に白い夜会服。猫たちの中でも特に目鼻立ちの整った優男であり、優雅な物腰を持つ猫人。
「ルートーン」
「はい、ハース・ルートーンと申しますにゃ。霊薬を飲んでおりますから記憶は維持しておりますにゃ。ダイス様、しばらく会わぬうちに大きくなられましたにゃ」
僕は猫たちより40センチほど背が高いので、頭どころか胸から上が飛び出した塩梅になる。僕たちを囲む銃身のうち、半分ぐらいは浮き上がって僕の顔に据えられる。あの角度なら同士討ちも起こさずに僕の頭部だけを吹き飛ばせるだろう。
ルートーンはうやうやしく言う。
「お久しぶりですにゃ、お会いしとうございましたにゃ」
「ああ、僕も会いたかったよ。本当に久しぶりだ」
僕は兵士たちの頭ごしに、周辺に散らばった黒猫を見る。猫たちは兵士たちの物々しさに怯えて壁際近くまで下がっており、くろぐろとした苔のように見える。足元にはまだ一匹、のんびり屋の猫が脛に頭をこすりつけていた。
「君がこの芯果の代表なのか?」
「そうですにゃ、かの古王国時代、我らの教義たる「音楽と美麗」は大宗教選挙に勝ち、多くの猫の信任を得たのですにゃ。その後、最果ての王たちとの戦争により王室は解体されましたが、ルートーンの一族は芯果の長を務める立場となったのてすにゃ」
勝っていたか。ただひたすらに音楽と華美に酔い、世を楽しく過ごすべしと説く教えだ。考えてみれば今の芯果の状態そのままだった。
「急な侵入者の報を受けて駆けつけてみれば……。ダイス様、ご理解いただけるか分かりませんが、この施設を見てしまった以上、あなた方を拘束しなければなりませんにゃ」
「なぜそう考える。芯果で猫たちに与えている薬、あれは様々な目的を同時に叶える優れた薬じゃないか。僕がその投与に同意しないとは限らないだろう」
ルートーンの眉がぴくりと動く。トムが兵士たちを牽制しつつ声を投げる。
「うにゃ? どういうことにゃ?」
「それがどんな成分かは知らないが、とにかく猫たちのナノ波受容体を抑制する薬だ。それを摂取すると猫は星のシステムから切り離され、ナノ波干渉によるレベルアップができなくなる。つまり黒猫から小人へのレベルアップも抑制されるはずだ。もっと言うならスイカを12個食べることにより起こる潜砂繁殖も抑えられるはずだ」
「うにゅう? 話が見えませんにゅう」
「つまり……」
ルートーンは僕の言葉に身構える気配を見せたが、僕は間を置かずに一気に言う。
「芯果の猫は五万人もいない……。数多くの猫が、この場所で黒猫の状態で留め置かれているんだ」
「にゃっ!?」
驚くのはトムである。わずかにこちらを見て言う。
「そんなはずないにゃ。街はトムがいたときより大きかったぐらいにゃ!」
「だが四色に塗り分けられていただろう? 青のIDを持つ猫は、青の店にしか入れなかった。商店だけならともかくサーカスまでもだ。さすがに不自然だと思ったが、無意識が抑制されている猫は気づきもしないだろうな」
「どういうことにゃ?」
「赤、緑、黄色の市民など最初からいないんだ。店だけを兵士か、あるいはロボットにでも見張らせて、架空の市民を存在させているんだ」
「その通りですにゃ」
ルートーンが言う。
「それぞれの店にいたのは簡単な受け答えのできるロボットだけ。ロボットのほうがずっと燃費がよろしいのですにゃ。そして黒猫もですにゃ。この施設と似たようなものが全部で七つ。家畜の牛からミルクを取り、3万7000匹の黒猫を養っておりますにゃ。それでいて消費するエネルギーや食料は猫人に換算してわずか2400人ぶん。芯果の猫たちの生活水準を損ねず、文明を維持するにはこれしかなかったのですにゃ」
「にゅー、でも街のみんなを騙してましたにゅう」
「そうですにゃ。しかし人口が実は四分の一だったことで誰が困ったというのですにゃ? そもそも猫たちは他の猫など誰も気にしない。薬で好奇心を抑えて消費だけに邁進させる。それの何が悪いというのですにゃ」
「悪くないよ」
僕は一歩、ルートーンへ歩み出る。
薬で猫の思考を抑制した上での人口統制、このやり方に眉をひそめる人間はさぞ多いだろう。
だが、それを僕に責められるだろうか。人間ならばもっと上手い方法があった? 誰もが自由に産み育てつつ生活水準も維持できた? それこそ傲慢というものだ。
僕はルートーンの目を見据えて口を開く。
「僕たち人間という種の最大の弱点。それは社会が発達するに連れ、徹底的な人口抑制策というものを選べなくなったことだ。慈悲深き人類の長所と言えるかも知れないし、どこかの大工の息子の御技かも知れないが、少なくとも人類はそれによって何度も追い詰められた。住む場所を求めて未開の地へ広がっていき、限られた資源を求めて戦いを繰り返した。だから僕はけっして君たちの選択を責めない。君もまた、戦っていたんだね。このどん詰まりの星で、僕たち人類の残した不完全極まりないシステムと戦っていたんだ」
「……ダイス様」
ルートーンはふと息を吐き出して、ひざまづいて頭を垂れる。周囲の兵士たちはどうしていいものか分からない様子だったが、まだ半数ほどは構えを維持している。
「そう言っていただき感謝の念に耐えませんにゃ。霊薬を飲むということは、星の意思と深く通じ合うこと。私もまた、月に乗って旅立つ前の夢の王の意思に触れたのですにゃ。だから人類が人口抑制に賛成しないことは分かっていた。もしダイスさまが反対されたのなら、あなたを幽閉してでもこの街を守らねばならないと思っていましたにゃ」
「それはお互い様だ。僕も君と戦わねばならないと思っていた。可能性は二つあったんだ。一つはこのように猫たちを黒猫の状態で留め置くこと。もう一つは星の中枢システムに干渉し、猫たちの無限の魂を部分的に解除する、つまり猫たちに本当の死を与えることだ。もし君がこちらを選んでいたなら、さすがに冷静でいられなかったかもしれない。今この場で、すべての兵士とともに君を斬っていたかもしれない」
「……そ、それは」
そのときのルートーンの目には、困惑しか無かった。
許さなかっただろうという言葉、しかしこの場の五十人あまりの兵士を前にして言う言葉だろうか、という顔である。
「――できないと思っているのか」
僕は袖口からカプセルをこぼす。赤、青、黄色の小玉スイカに偽装したそれは爆薬。
「閃光手榴弾、催涙弾、持続型音響弾。どれ一つとっても君たち全員を無力化できる。目を瞑ろうと鼻を押さえようと無駄だ。僕たちは三人とも対策しているけどね」
「うにゃっ!?」
「にゃー!?」
兵士たちの輪が一気に広がる。
「そしてトムもクーメルも並の戦士じゃないぞ。君たちが同士討ちを恐れて動けない間にいくらでも立ち回れる。三分あれば全員を戦闘不能にできる。だからこれだけは言っておくぞ、ルートーン」
「……は、はい」
僕は彼の両肩に手を置き。鼻から息を吹き込めるほどの距離で言う。
「社会とは変化し続けてこそ健全だ。維持を目的とするやり方は永遠には続かず、やがて瓦解する日が来るのが必然。何よりこのやり方は気に入らない。猫たちに妙なものを飲ませるのはやめろ」
「わ、わかり……ましたにゃ」
彼は顔からどっと汗を噴き出し、膝を折って座り込む。
それは猫たちの遺伝子に刻まれた人間への畏怖だろうか。あるいはこんな僕にも少しは凄みのようなものが備わっていたのだろうか。まあ前者だと思っておこう。
ルートーンは懇願するように言う。
「し、しかし……薬を飲んでいないと、猫たちの繁殖衝動が出てしまいますにゃ」
「問題ない。そもそも人口過多というのは僕たち人類も何度も経験した試練だ、僕たちはそれをどうやって乗り越えてきたと思う」
「……?」
それは知恵ある者の必然か。定命の獣の道理か。死ぬ寸前まで変化と進化を続け、そしていつか滅ぶべきなのか、何かを残して。
「進化だ」
猿たちの歴史。
二足歩行を初めて、鳳仙花のように宇宙に飛び出すまでわずか400万年、その歴史を想いつつ言う。
「結局のところ、困難な状況は科学の進歩によって解決してきた。そして科学の産み出した害毒すらも科学で何とかしてきたんだ。馬鹿げているようだがそれが進化。君たちにも同じことができるはず。僕が君たちに火をつけてやる。もう一度、あの古王国時代のような科学万能、学徒花開く世界を作るんだ」
「し、しかし、芯果の猫たちはもう学問から遠ざかって……」
「簡単さ、猫たちとの付き合いは長い。それに、君だって66年前にやっていたことだろ」
「?」
「音楽と演説、だよ」




