第五十九話
疑問に思っていたことがある。
かの最果ての四王は、この星で神様になろうとした。
ではそもそも、神様になるとはどういうことか?
この星において、猫たちの思考は常にバックアップが取られている。深層心理で星の中枢システムと同期し、その中枢システムに人間が居ると、猫がその影響を受ける。あるいは猫たちの思考が星のシステムを介して連結され、深い思索や新しい発想の根源となる。彼らの言語習得能力や、知性タイプの猫たちの驚異的な学習能力はこのあたりで説明できるのかも知れない。
それはつまり、猫たちにおける無意識の世界。
この星において、集合的無意識とかイド、超自我、アカシックレコードというものは物理現象として実在するのだ。この星を創造したロシア人たちは神様には向いていなかったが、猫たちを制御するシステムは実に複雑に練られている。きっと高邁な理想を抱えていたのだろう。
僕がそのような話をすると、トムはぽかんと口を開けて、クーメルは理解しようと努力しながらも頭から白煙を上げる。
「ええと、つまり……その無意識がなくなるとどうなりますにゅう?」
「推測だが、猫たちから「公共」という概念が薄れると思う」
かつてドゥルーズ&ガタリは「無意識は機械である」と言った。
この場合の機械とは自動的に動き続けるもの、勝手に発動して仕事を行う仕組み、のような意味だが、無意識の世界をバックボーンとして抱えることがすなわち創造力の源泉であり、活動力の根幹であり、社会を構築する自律の力であると言えるわけだ。
「おそらくは今の状態、この街の猫たちの姿が種族としての本来の形なんだ。本能のままただひたすらに消費を重ねる、あらゆる快楽をむさぼる刹那的な生き方。それはそれでエネルギッシュではあるけれど、公の概念を持たなければ大きなことは成し遂げられない。少なくとも僕はそう思う」
だから猫たちの全ての能力が衰えている。トムはとても勘のいい猫だったはずだが、今は少しだけ凡庸に見える。
なぜ芯果の猫たちをそんな状態に置くのか、いろいろ想像はできるが……。
「……とにかく、治療しなければならないな」
「んにゃあ、治療ってどうするのにゃ?」
「毎日の食べ物に何かが混ぜられてるということは、逆を言えば毎日食べ続けなければ効果がないのかも知れない。しばらくは街で手に入る以外のものを食べよう。水も蒸留水を作って飲むんだ」
「にゅ、でも食べ物なんてありませんにゅう」
そう、スイカ村のスイカも勝手に収穫はできないらしい。土の段階から何か撒かれてないとも限らない。
だから虎の子を出すしかあるまい。僕は旅のあいだ使っていたザックを持ってきて、そこから銀色の筒を取り出し、ひざ掛けの上に中身をあける。それは灰緑色のクッキーである。
トムとクーメルが三歩後退する。
「緑土のクッキーだ。非常食として持ってきたまま忘れてたが、君たち二人ならなんとか二日分ぐらいの食料になる」
「そ、それ地獄のようにまずいにゃ」
「ダメだ、食べるんだ」
「にゅ、にゅう、今日は仙猫デパートのスイーツバイキングに誘われてて」
「ダメだ」
天人五衰。厳しい環境の緑土ならこんなクッキーでもありがたい食料だったが、いちど栄耀栄華を知ってしまうと舌が甘ったれてしまうようだ。
僕はあえて厳しく。彼らを見張りながら一日を過ごした。
そして36時間ほど経過した頃。
「にゃ、不思議にゃ、なんだか頭がスッキリしてるにゃ」
「にゅう。ほんとですにゅう。なんだか遠出したい気分ですにゅう」
二人は目に見えて回復していた。とろんと落ちていた眼瞼はぱっちりと開き、受け答えもハキハキと歯切れがよくなる。どうやら推測通りだったようだ。
となれば行動せねばならない。カギは食品加工センターだ。
僕は車椅子を降りて黒い服に着替え、トムとクーメルも耐衝撃ジェルを充填させたスーツを着込み、夜の街へと飛び出す。
明かりはわずかに胸元に忍ばせたペンライトのみ。真の闇の中ではクーメルに手を引いてもらうしかないが、なんとか転ばずにセンターまでたどり着く。
それは広大な敷地の中に立つ体育館のような建物であり、正面からはスイカを満載した無人トラックがひっきりなしに出入りし、中からは地面に染み透るような重低音を響かせている。
周囲にはライトもあり、監視カメラもある。僕たちは外壁の外からカメラの死角を縫って進み、敷地の右の角からよじ登り、塀の上から敷地内を見張るカメラの背中に立つ。
「昼間のうちに周囲は探ってある。あれがおそらくトイレの窓だ、あそこから入ろう」
「うにゃ、まかせるにゃ、緑土での遺跡探索と似たようなものにゃ」
ようやくエンジンがかかってきたのか、トムとクーメルの動きもだいぶ良くなってきたように思う。恐るべきは芯果の消費社会か。気づくのがあと三日も遅ければ回復しきれなかったかも知れない。
「まずカメラを何とかしないとな、気づかれませんように」
監視カメラは可動性の無いガンカメラだ。
僕は芯果で購入したデジカメを取り出す。監視カメラの真上で撮影し、背面モニターを永続表示にして、曲げた針金でガンカメラに固定、一二の三でレンズの前へ差し出す。古いスパイ映画で見た手法だが、こんな手でごまかせるのは一時間が限度だろう。もし猫たちが常にモニターを見張ってたら三分で見破られる。
つまりスピードが勝負だ。トムは二メートルほどの塀をひらりと飛び降り、窓に張り付くと、チタン刀を突き立てて錠前部分のガラスを切る。
「トム、ガラスにセンサーがあるかも知れない、気をつけて」
「うにゃ、開閉センサーだけあるにゃ、だから窓枠に沿ってガラス全体を切り離すにゃ」
「ダイス、飛び降りられるにゅ? クーメルが下で受け止めますにゅ」
「大丈夫、ザイルもあるから」
そしてトイレの中へ。誰か来るのを待って服を奪おうかとも思ったが、僕に合う服があるわけないし、そもそも三人もトイレに来るのを待つ時間が惜しい。僕たちはカメラに注意しつつ廊下に出る。
そこは工場というより研究所のような印象だった。廊下は真っ白でチリひとつ落ちていない。飾り気はなく、空調と機械の駆動音が響くのみだ。
「うにゃ、なんだか気配が少ないにゃー」
「無人化されてるのかな。でも五万個のスイカを加工してる工場だ。それだけの規模で無人ってのも考えにくいけど」
だがその数少ない気配は要警戒だった。僅かな足音が響き、廊下の奥から警備兵が現れる。銃を腰に吊るした兵士は、ふああとあくびをしながら角を曲がり。
「にゃ」
そして僕たちに気づいた一瞬。トムが右方を通り過ぎて銃器を吊るした紐を切断し、クーメルは左方からランニングネックブリーカードロップを仕掛けて後頭部を床に打ち付ける。
「にゅぎゅっ」
そしてあっさりと昏倒。血は出てない、クーメルならうまく手加減しただろう。
「にゃー、これ三点バーストの銃だにゃー、軍用だにゃー」
「単なる食品センターの警備にしては重武装だな……。やはりか」
兵士をトイレの個室に隠し、廊下を進むとやがて生産ラインとおぼしきものが現れる。それはリノリウムの張られた広い部屋。通路に沿って加工機械が並び、まるで工場見学のように生産ラインを眺めることができた。
まず大量のスイカがドラム型ミキサーに投入され、砕かれてパイプで送り出され、いくつかのルートに分岐する。ある分岐の先では水分を絞られてパウダー状になったり、またはペースト状になったり、樹脂のようなものに浸潤されたりしている。もう何だか初手からよく分からない加工だが、ともかくスイカを別の食品に変えているのだろう。
「加工ルートに沿って部屋が分かれてるみたいですにゅう、手分けして探しますにゅ?」
「いや、工場に用はない。働いている科学猫を探そう。直接、この工場の主の居場所を聞き出す」
部屋を進むと、何十本ものベルトコンベアの上に様々なものが流れていた。黒い立方体。青いゼリー状のもの。黄色い台所用スポンジにしか見えないもの。つまりはこれがスイカから抽出された成分で、ここからさらに組み合わされて食材になるのだろうか?
白衣を着た猫人が二人いて、流れてくるブロックを棒で突きながら話している。
「ビーフブロックが固すぎるにゃー」
「にゃ、柔らかくしすぎると歯ごたえをそこなうにゃー」
「そんなことないにゃ、豆腐みたいにやわくないと食えんにゃ」
「違うにゃ、鉄筋みたいに硬いほうがうまいにゃー」
それはそれで興味深い議論だが、今はそれどころではない。
トムとクーメルがラインの下から回り込み、一瞬で二人の背後から首根っこを押さえる。
「ほにゃっ!?」
「にゃぎゃっ!?」
「この工場のトップはどこにいるにゃ」
「し、知らないにゃ。ほんとにゃ」
僕はラインをまたぎつつ近づいて、黒剣を突きつけられた猫に問いかける。
「僕が想像してる通りなら、この工場には地下施設があるんじゃないのか。心当たりはないか」
「……し、知らないにゃ」
「……君、柔らかい肉が好きらしいけど、もしかして虫歯だったりする?」
「そ、そうだけどそれがどうしたにゃ」
ああ、哀れな猫よ。この芯果で平和に浴してきた愛すべき庶民よ。警戒を知らない怠惰と消費社会の申し子よ。
僕は腰のポーチから緑土のクッキーを取り出し、それを包んでいたアルミホイルを少しちぎって、猫の前でひらひらと振る。
「これ、歯で噛んだらどうなるか知ってるよね?」
虫歯の猫はクーメルに押さえられたまま思い切り首をすくめて顔面蒼白に。手足をバタバタと動かして泣きそうな顔になる。
「あああああ、ほ、ほんとに知らないにゃー」
「君たちが立ち入りを許されてない場所があるだろ?」
「あるにゃ、向こうの第七ブロックから先は立入禁止なのにゃー」
そして白衣の猫たちを縛り上げ、第七ブロック方面へ。鍵のたぐいはトムが切断し、あるいはクーメルが蹴り開けて進む。
辿り着いたのは螺旋の階段。芯果からさらに地の底へと降りていく。
そして。暗がりだった世界がまた明るくなる。
「ざっと200メートルは降りたな……となると、ここはもう芯果ではない。さらに下の階層か」
空間が広がっている。
透明な筒の中を螺旋階段が降りており、周囲には緑の光が広がる。
そこは草原。
空間の広さは野球場ほどか。柔らかな朝日に似た明るさで満たされ、そこには枝葉を広げるスイカの木が何本か。家畜化された牛がいて。草を食みつつ遠鳴きを交わす。一瞬、外に出たのかと錯覚を起こすが、遠景のコンクリートでやはり人口の空間だと分かる。
「……これは」
そして地面まで降りた時、足元に群がっているのは黒猫である。
「なー」
「うにゃー」
ごく一般的な姿の猫が足元に集まってくる。何十匹もいて、さらに遠方にアリのように黒猫たちがいる。
「うにゅー、黒猫ですにゅう。すごい数ですにゅう」
クーメルが屈み込んで手を伸ばそうとする時、頭上からとどろくブザーの音。
赤い警戒ライトと思しきものが降り注ぎ、黒猫たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「まずいにゃ! 見つかったにゃ!!」
トムが黒剣を引き抜いて警戒を示す。
だが僕は、まだ逃げずに足元にいた猫を撫でつつ、安堵の息を漏らした。
「――良かった」




