第五十八話
「にゅ、街の周辺はみんなスイカ村ですにゅ。でも収穫は自動化されてて、無人コンバインが実も蔓も一気に収穫してますにゅう」
クーメルはIDに記された住所まで行き、そこで村をそれとなく観察してきたという。
「人の出入りは見張られてる感じだった?」
「それはないですにゅ。住居は大きな四角いマンションで、中にはセンサーもカメラもなかったですにゅ。隣近所の猫とは接触しなかったけど、クーメルがよそ者と気づく猫はいなかったですにゅう。猫たちは都市から帰ってきたらお風呂に入って眠って、朝早くまた街まで出ていきますにゅう。休日もみんな街で過ごしますにゅう」
「そうなのか……でも僕は車椅子で目立つからな、いちおう、このサーカス団に身を置いておくか」
それを受けてトムが発言する。
「街中にもセンサーもカメラもなくて、ときどきパトロールカーが走り回ってるぐらいにゃ。明かりが付いてるのは中央のコントロールタワーだけにゃ。夜の街はびっくりするぐらい誰もいないにゃ」
「……」
なんだろう、この違和感は。
何かしら裏で動いているような気はする。しかし何のために? この街は十分に豊かだし、敵対する存在など誰もいない。
例えば街に悪徳の栄えがあるとして、それはどこの誰で、どんな暴利をむさぼっているというのだ?
この街に秘密があるとして、それは何のための秘密なのだろう?
「……街が四色に塗り分けられてるよね。その理由は何だろう?」
「にゅ。スイカ村の猫に聞いてみましたにゅ。混雑防止と、特定の店に人気が集まりすぎないようにする配慮と説明されてるそうですにゅ」
社会主義的発想だ。しかしこの街の狂瀾きわまる消費社会。それと何か相容れない気がする。
あるいは猫たちの競争心を煽る試みだろうか。どこかの国では城壁を建設する際、人足たちをいくつかのグループに分け、最も早く立派な城壁を作った組に褒賞金を出したとかいう話もある。
もしくはかつてのストリートギャングのように、何らかの理由で分けられた人々が異なるカラーに自らを従属させるようになった話とか……。
しかし、猫たちは他の色の猫などまったく気にしていない。街中で肩がぶつかって喧嘩になったりもしてないようだ。猫たちは近くにいる猫とすぐに打ち解けるが、その反面、縁遠い猫をまったく気にかけない傾向があって……。
「さあさあ、みんな朝メシだにゃー、食堂のテントに来るにゃー」
ダンピート団長がテントの内外を歩き回り、鈴を鳴らしながら猫を集める。
僕も猫の流れに従うことにした。まず何より腹を満たさねば。
食事は極めて豪華だった。何層にも重なったハニートースト。七色に輝く宝石のようなフルーツの盛り合わせ。カラメルソースをまぶしたベーコンエッグ。目の醒めるような濃厚なコーヒー。そしてガラスの器に盛られた芯果。
「……豪華だなあ。まかないでこんな物が食べられるなんて」
そういえば芯果に自然発生するスイカは日に5万個のはず。猫の数も5万人。それなのにみんな朝昼晩と食べている。スイカ一個が命を繋ぐのに必要な量のはずだが、加工品まで考えると日に3個も4個も食べているような。
「こういうのって誰が作ってるのかな」
「にゃー、食品加工センターで生産されてるにゃー、スイカから何でも作れるにゃー」
口の周りを蜂蜜でベタベタにしながら語るのは団員の猫。ローン地獄だったはずだが、ここで栄養が取れるなら生きていくには問題ないわけか。
スイカ以外の食料が開発されているのだろうか? 確かに水は地下水があるし、蜂蜜やらはスイカの花から生産できる。そうなると昆虫やらミミズやらも加工されてるのか、そう思うと少しだけパンをまじまじと見つめてしまうが、まあ僕だってこの星での開拓者生活は長かった。虫もミミズも食べたことないとか、今さらそんな事は言わないけど。
「トム、思ったより食生活は豊かみたいじゃないか」
「うにゃー、トムが出ていく時はみんな配給のスイカを奪い合ってたのに、変わるもんだにゃあ」
トムも山盛りのサラダをもりもりと食べている。スイカの葉と蔓を加工したもののはずだが、僕の主観ではみずみずしいレタスにカリカリと小気味のいいキュウリ、水分に満ちたパプリカに、鮮烈な刺激を忍ばせるエシャロット。そんな多種多様な野菜が含まれてるように感じる。
朝からウイスキーを煽っていた団長が、僕たちを示して言う。
「さあトムにクーメル、それにダイス、食べ終わったら衣装合わせするにゃあ」
「衣装合わせ……」
そしてトムにあてがわれた服を見て、僕は鼻の頭に拳をあてて笑いをこらえる。
それはつばが思い切り広がった黒の帽子に、前を紐で止める皮のチョッキ、麻の半ズボンに編み上げのブーツ、腰には彫金で飾られた剣という。中世小説から抜け出してきたようなデザインだったからだ。
「うにゃー、これじゃ童話の猫だにゃー」
猫たちの童話や民話については僕が語って聞かせたものが連綿と受け継がれている。習俗や文化に多少は影響も与えているようだ。もちろん今のトムはシャルル・ペローの伝える猫を連想させずにおかない。
「うにゅ……ちょっと恥ずかしいですにゅう」
クーメルはというと小股の着れ上がった黒のレオタード、足は目の大きい網タイツに手首を飾る綿状のポンポン。それにピンクの筒帽子という、ラスベガスで踊ってそうなファッションだった。すらりと足が長いために、いわゆる水商売の格好ではなく軽業師の衣装だと察せられるが、なかなか際どい。
というか別の個体とはいえ、クーメルが僕の母親だったという認識がまだうっすらと残っているので、ぶっちゃけ僕もかなり恥ずかしい。それを言うとクーメルが余計に赤面しそうなので黙っていたが、なるべくなら逃げたかった。
そして僕はというと顔全体を真っ白に塗ってピエロのメイク。シャンプーハットのような巨大な襟飾りをつけ、膝掛けにカラフルなテーブルクロスを被せられると、滑るように動く太っちょのピエロという風情になる。舞台の端のほうで賑やかす係だ。
そしてどこかから軽快な音楽が流れ出す。団員の猫たちがそれぞれ楽器を持って演奏の練習を始めたのだ。楽器については僕が何らの知識も伝えていなかったので、逆に猫たち独自の文化が栄えていったように思う。足を使って上下に伸ばすアコーディオン風の楽器、振り回しながら手元で音階を操る風切り笛。弦楽器に管楽器、大小さまざまの打楽器が取り囲まれるような音圧をもたらす。
すると団長がやってきて、僕に紙束を手渡した。
「うにゃ、ダイス、テントのまわりにビラ撒いてくるにゃ。手渡しするのは青の猫だけにゃ」
「分かりました」
テントの外に出てみれば、街外れの広場には昼間っから様々な猫がいる。語り合う雌雄の猫、スーツ姿で仕事をさぼっている猫。ベンチで昼寝している猫。都市には暖かな空気が満ち、直上からの光は明るいが眩しくはなく、空の上は白い霞がかかったように見える。
「平和な光景だな……」
「ダイス、ビラ撒きが済んだら立ち回りの打ち合わせにゃ」
「あ、はい」
そして公演はつつがなく成功する。
来客はざっと500人ほど。さほど大きなテントでもないためそれで満員となり、団員たちの曲芸、残像狼による火の輪くぐり、トランポリンの芸。そして僕とクーメルと、他の団員らが入り乱れるジャグリングとパレードのような芸。ほとんどの客はクーメルを見てた気がする。
トムはなんとソロパートがあった。団員が次々と放り投げる小玉スイカを短剣で撃ち抜いていく。観客は拍手喝采であり、売り子から揚げ物だのビールだのを買って盛大に飲み食いしている。
なんという理想的なサーカスの眺めだろう。
思い出すのは遠い遠い薔薇色の少年時代。くたびれた顔の大人は一人もおらず。誰もが目を輝かせて他愛もない芸に歓声を送る。
惜しむらくは、僕にそれを楽しむような余裕はなかった。一日も早く科学猫たちを見つけねばならない、そのことを五分と忘れたことはないのだ。
※
サーカスの日々を送りながらも調査は続く。
「にゃー、コントロールタワーに忍び込むルートが見つからんにゃー、保守業者に化けて入り込むにゃ?」
「そうだな……業者を突き止めて、変装してIDを奪って……調べることが多くなるけど」
※
「にゅっ、電機屋さんとか色々聞き込みしてきましたにゅう。科学猫はメーカーにいるけど、家電とかゲーム作りが専門みたいですにゅう」
「そうか……芯果には大学もないし、高度な科学力はどこにあるんだろう……」
※
「にゃー、ダイス、今日はコンビ技にチャレンジするにゃー。トムの投げた剣を受け取ってジャグリングするにゃー」
「いいけど、ちゃんと刃の無いやつを頼むよ、昨日の練習でちょっと膝掛け切れたし」
※
「にゅう、今日は友達にショッピングに誘われてますにゅう。マルヒメダのプルーフペディキュアをゾルゾマートにプリチェックリザーブしてますにゅう」
「何語?」
※
そして四日目。
「かなり時間がかかってしまったが、ようやくこの階層の秘密が分かったよ」
「うにゃっ?」
「にゅ?」
トムとクーメルはきょとんとした顔をしている。それも仕方ない。僕が気づくのが遅すぎたのだ。
夜の刻限。僕は人気の無いテントの外で語る。
「君たちは何を食べても進化しなくなっている。おそらくは食べ物に何か入っているんだ」
僕の言葉に、しかしトムたちはよく分からないという困り顔だけを返す。思考が鈍化しているのだ。
しかし直接脳に働きかけてダウナー状態にするような、そんな危険な薬ではあるまい。ならば推測はできる。
「君たちの脳内にあるはずのナノ波受容体が抑制されている。君たちは今、星の意思から切り離された状態にある」
それが何を意味するのか。猫たちとの付き合いも長いことだ、さすがにそろそろ分かってきた。
そして考えてみればあのコントロールタワー、あまりに露骨すぎるとは思っていた。この都市の支配はあくまでも暗に隠れるように行われている。それを企図した人物が、あんな仰々しい場所に住むようでは人物像に齟齬がある。
「食品加工センターだ、そこに何かの秘密がある」