第五十六話
輪廻の輪、ということを考える。
誰もが皆いつかは死に、魂となって輪廻の輪に組み込まれ、来世での復活を果たす。
それは死という現実に抗うための発明か。あるいは世界の仕組みを解き明かしたる偉人の御業か。
あらゆるものが輪となって連なる。
破壊と再生、興隆と滅亡。
我々の無限のごとき生の歩みは、では永遠の輪に組み込まれたがゆえの宿業か。
だが、あるいは。
こうして日々を生きている、そのことが永遠を認めさせようとする挑戦なのか。
神となりて神の子を生んだならば、
己もまた神により生まれたことの証明になるのか。
永遠に生まれ変わり続ける種がいるなら、
自分たちもそうであると思えたのか。
遠き星の海を渡って訪れたならば、
いつかは自分たちの前にも訪れてくれると言いたいのか。
赤子の泣きわめくような、無体な所業。
そのためにどれだけのものを犠牲にしたのか。
多くの星々を、生まれ故郷を、そして種の栄光すらも――
※
色彩に包まれた道を進む。
通路の左右からせり出すのはネオンランプ。猫の社会では商品そのものを模した看板が主流だったが、ネオン灯でそれは誇張され、より極彩色に描かれている。火のように赤いステーキ、宝石のように真っ青な魚。そして七色に輝くスイカ。
空は暗い。光量が十分に確保できないわけではなく、今が夜の刻限というだけだ。夜の底で猫の街は活気づき、それに混じってやや猥雑な雰囲気もある。肌を露出させたドレス姿の娼婦猫たちが立ち並び、道行く猫たちに声をかける。物売りの声が大通りの向こう側にまで届く。
「にゃー、スイカの酒の新酒が入荷ですにゃー」
「さあさあ見てってくれにゃ、ご家庭で美味しいシャーベットが作れるこの機械、今なら同じのがもう一つついてくるにゃ」
「そこの坊や、4000ウォルメで一緒にジュース飲まないかにゃ」
どの階層でもそうだったが、街に潜入するにあたってまず問題になるのが僕自身である。身長が130センチほどにしかならない猫の社会で、僕の存在は目立ちすぎる。
荷車に乗ったり牛に乗ったりしてごまかしてきたが、この芯果の世界では車椅子を利用することにした。電動車椅子を仕入れてそれで大通りを進む。膝の上にブランケットをかけて下半身をごまかし、腕の毛がないことを隠すために手袋をする。頭は例によってハンチング帽である。
「うにゅう。やっぱり目立ちますにゅう」
「そうかな……これでも膝を小さく畳んで、なるべく体を小さく見せてるんだけど」
「骨を切り詰めて脚を短くしますにゅう?」
「怖いこと言わないでくれ」
芯果とは石造りの高層建築が並ぶ都市だった。大きなものなら20階以上。大通りは左右にスイカの樹が並ぶ立派なもので、他に運動場や公園、劇場や博物館、映画館に遊園地まである。とてつもなく大きく広い大空洞の中に都市が潜み、街の中心にあるコントロールタワーがその営みを眺めている。仏像のような、という形容がなぜか浮かんだ。
「やっぱりというべきか、芯果は都会だね。ゴッサムシティのような、どこかの映画で見た20世紀末のトーキョーみたいな」
「こんなの見せかけだけにゃ」
車椅子をこぐ僕の前にはトムとクーメル、トムは芯果に降りてきてから緊張を高めていた。
「トム、この階層について知ってることがあれば教えてほしいんだけど」
「うにゃあ、トムがいたのは10年以上も前にゃ。その頃から変わってるかも知れないから言いたくないにゃ。町並みもだいぶ違うにゃ」
それは一理あるかも知れない。だがしかし、やはり語りたくない思い出なのだろうか、と邪推せずにはいられなかった。
トムは目立たぬ程度に周囲を観察していたが、僕から見ても今のところ普通の歓楽街である。場所によってはビジネス街に官公街、アパート街に高級住宅地などもあるようだ。
「ともかく科学猫たちを探さないと。これだけの都市だ、管理している猫たちがいるはず」
「やっぱり中央のタワーですにゅう。どうにかして入るですにゅう」
つい先刻、僕たちはまず大通りをまっすぐに進んでタワーに向かった。しかし周囲はバリケードと銃を背負った兵士たちに囲まれており、一般市民の出入りは禁じられているという。
ちなみに僕たちの所有しているのは糖赤で新たに手に入れたIDだ。無限の魂を持つ猫の一人、コジーの手引きにより入手したものである。正確には芯果の市民であり、酒作りの職人として糖赤に出入りしている猫たちのIDを借りたものだ。コジーとその職人たちは気にしなくていいと言ってくれたが、他の猫たちには迷惑が及ばぬようにせねばならない。
「にゃー、ちょっと一杯飲んでくにゃー」
「うにゃー、今日はボトル入れちゃうのにゃー」
何匹かの猫人たちが酒場に入っていく。
「よし、僕たちも入ろう、何か情報を入手したい」
「スイカも食べたいですにゅう」
僕たち三人が店に入ろうとすると、店の前で大柄の猫人が立ちはだかる。ずんぐりとしてて手足が太い、重戦士タイプの猫人だろう。
「お客さん、IDを見せてもらうにゃ」
「これだにゃ」
トムが差し出したカードを、猫人が突っ返す。
「うちは赤の店にゃ。お前たちは青に行けにゃ」
「うにゃ? 何の話――」
と言いかけて、トムは急に明るく笑う。
「ああごめんにゃ、間違えちゃったにゃあ」
回れ右をして、僕の車椅子を掴んで動かす。
三人ともさり気なくその場から遠ざかり、それぞれのIDカードを確認する。
「ほんとですにゅう、隅っこにBLUEって書いてますにゅう、三人とも同じですにゅう」
「これは何だろう? 階級分け? それとも混雑防止のために入れる店を分けてるのかな、アウトバーンのような」
ともかく青の店はすぐに見つかった。よく見れば建物の外観や看板などが青を基調としていて分かりやすい。
飲食店だけではない、よく見れば服屋も、家具屋も、何やらいかがわしい店ですら色分けされている。赤、青、黄色、緑の四種類があるようだ。
「うにゃー、課長のやつ、明日はぶん殴ってやるにゃー」
「お姉ちゃん、連絡先教えてにゃー」
猫たちが騒ぐ様子はどの社会でも大差ない。お任せで注文すると、ほどなく料理がずらずらと並んだ。
思いのほかスイカは少なかった。肉料理に大皿のサラダ、魚介と貝の入ったパスタなどもある。そしてこの階層の名の通り、スイカの中央部分。芯の真っ赤な部分だけがくりぬかれて、ガラスの器に盛って出された。緑土ではスイカ自体が年に何度かの贅沢なのだが、ここでは毎日食べられるらしい。
魚介や貝類などは水が戻ってくるごとに少しづつ姿を現し、僕の知る66年前の世界でも食されていた。この地下都市では大大的に養殖されているのだろうか。
「うおおおお! やったにゃー! サザエがきれいにほじれたにゃー!」
「うわこの魚めっちゃ旨いにゃ、もう一皿くれにゃー」
そのような喧騒に紛れるように、クーメルが発言する。
「聞いていた通りに豊かな土地ですにゅう。野菜も肉もあるし、これなら食料をよそに回せますにゅう」
「そんなはずないにゃ。家畜も魚も育つはずがないにゃ」
トムの冷静な言葉に、クーメルは少し肩をすくめる。
かつて王国時代には、湖などで穫れる魚、牧場で育てられる肉などが市民に供給されていた。それなりに値段の張る贅沢品ではあったが、もっと水循環が広がり、牧場が整備されれば一般的な食材となったことだろう。その一歩手前でかの王たちとの戦争になったと聞いている。
この世界、特にこの地下世界で豊かな自然の恵みなどあるわけがない。スイカのみが地の底から供給されるだけだ。
僕は一口食べてみて、そして目を見張る。これは残像狼の肉ではない。赤鋼牛でも、砂絨毯でもない。
「まさか、これはスイカ」
「スイカの皮と根から取った植物性タンパク質を、食用のりで固めた肉だにゃ。イノシン酸も科学的に生成してるにゃ」
本物の肉ではないと分かるだけで、スイカだとまでは分からなかった。僕もスイカの葉でステーキと強弁するものを作ったことはあるが、技術水準が段違いである。
「でも、これはこれでちゃんと美味しいし、地下が豊かな証拠ですにゅう」
クーメルは少し食い下がってそう言った。
クーメルの先祖は芯果にいたこともあるらしいが、彼女自身は白花の生まれである。芯果には憧れがあったのかも知れない。
確かに、本物でないとは言えこの料理は称賛されるべきだろう。百花斉放という言葉のごとく、テーブルの上には花園のごとき眺めが広がっている。
トムは首をかしげる。
「それがどうもおかしいにゃ。生まれてくるスイカの量はカツカツなはずなのに、なんでこんなに店が多いにゃ。トムがいた頃は、スイカは完全配給制でみんなギスギスしてたにゃ」
「まあ可能性として……何かしら他に食料のあてが生まれて、多少は改善されたんじゃないのか? 現にみんな楽しそうだし」
それは率直な印象である。通りを歩く猫たちはみな笑顔であり、街は活気に満ちていた。
「うーん、でも気にな……うわこのパンケーキめっちゃ旨いにゃ」
「ほんとですにゅうー、バターの香りがたまらないにゅう」
トムもやはり猫である、物思いは食い気よりは優先しない。
僕もとりあえず栄養を取ることにした。腹がくちれば展望も開けるだろう。
「にゃー、外が騒がしいにゃー」
「サーカスのパレードだにゃー、あとで行くにゃー」
(サーカス……)
それは僕にとっても懐かしい響きだった。空中ブランコに、玉乗りに、猛獣の曲芸。郷愁が胸を震わせる。
ここは地の底の底。猫たちの町には、しかし、思いの外にあらゆるものが満ちている。料理も、音楽も、猥雑さや曲芸までも。
しかし何故だろう。この正体不明の不安は。
心の奥底で、この街を受け入れがたく感じる理由は……。
ここからが七章となります。
ダイスたちが階層都市を降りていくのに、実際は1ヶ月近くかかっています。それぞれの階層では何かしらの事件や冒険があったようですが、それはまたいつか、連載終了後に外伝としてでも語れればいいなあ、と思っています。