第五十五話
「――消え」
恐ろしい速度。というレベルではない。これほどにだだっ広い空間で目視が効かない。
「にゅっ!」
クーメルだけが反応した。体を斜めにして投影面積を減らし、足裁きでかわすと同時に元いた空間を蹴る。ブーツがドラゴンの外殻と接触する瞬間に火花が散り、互いに大きく離れる。
「部屋の隅に行くにゃ!」
トムに後ろ襟を捕まれ引きずられる。トムは僕を隅に放り投げると、その前に陣取ってチタン刀を前に、上下左右からの突進に気の糸を張りめぐらす。
「あいつ、新型か。形状はプレーンのドラゴンに近いが、あの小ささは」
だが、考えてみれば理にかなっているのか。
ドラゴンは当初は単騎での大規模破壊を目的としていた。戦争の中でその体は大きく頑健に、武装も火炎弾から多連装ロケットへ、そして銃装竜のように大量の携行砲を持ち歩く怪物のような姿になっていった。
これに対する猫たちの戦い方はゲリラ戦である。チャフやデコイを駆使して敵の目をくらまし、対装甲ライフルや近距離からの大口径砲の一撃必殺で仕留めていく。猫人たちの小柄ですばしっこい特性はゲリラ戦において最大に発揮され、人間の行うそれよりも数段優れていた。
戦争が終結して40年、しかしそれは猫と最果ての王たちの視点での話。この造兵厰ではいまだに臨戦体勢が続いており、頭脳はずっと研究していたのだろうか。最も効率的に猫を狩る怪物。猫を上回るほどの速度で動く高機動型のドラゴンを。
名付けるならば、鉄鼠竜。
ばしゅ、と音がする。
いつのまにか部屋の中央にいたドラゴンが、その脚部からジェットの火を噴き出している音だ。それはやがて空気が赤熱する高周波音となる。
飛ぶつもりか? しかしこの空間が広いとはいえ、ジェットで飛べば壁にぶち当たるのが落ちのはず。
ぎしり、と音を立ててドラゴンの翼膜が変化する。翼膜が前に突き出され先端がすぼまり、体を包むような三角錐の姿となる。その長大な尾と合わせてますますネズミじみた姿になるが、それが瞬間、バックファイアを炸裂させ疾走る。
「にゅっ!?」
クーメルの影を突き抜けるような突進。スネの部分のアーマーが弾けて緑色のジェルが散る。壁に至ったドラゴンは鋭角に反転して別の方向へ。跳弾のような動きで西方、南方の壁を反射して再度加速。地面の鉄板との摩擦で火花を散らせつつ、雷撃となって迫る。
「危ない!」
僕は携行していた12ミリ徹甲銃を抜き放つ。しかし狙いをつける間もなくクーメルが宙に飛ばされている。
クーメルは体を浮かすことで衝撃を逃しているが、そこに尾が迫る。尾が耐衝撃スーツの表面で弾けてジェルを散らす。
「あぐっ!」
ジェルだけではない、赤い飛沫も。
「く、あの突進から尾で切り裂くのか、なんて禍々しい進化を……」
あれはまさに疾走する槍。どうすれば止められるんだ。僕の持っている12ミリ徹甲弾、対ドラゴン用の電磁地雷。あるいは爆薬を即席の地雷にすれば。
「ダイス、見るにゃ」
「――?」
トムのその声に、僕は奇妙な感覚を覚える。
それは緊張や警戒ともまた違う、どこか目もくらむような高揚、喜に満たされた驚愕、そのようなものが含まれている。
そして変化は起きている。
クーメルが速度を増しているのだ。耐衝撃ジェルを散らしながら鉄鼠竜の突進をかわし、大きく飛び退ってバク宙をきる。そして鋭角的な回避。鉄板に溶けた靴底が張り付いて強烈なグリップが生まれている。
その目が赤く燃えている。全身の筋肉が躍動し、頬が紅潮して見える。そして肉体が急速に膨らむかに見える。
「――あれは」
「ダイス、トムはずっと考えてたにゃ。どうすれば進化できるのか。その条件は何なのか」
「条件……? それは新しい味覚を」
「違うにゃ、それはルールであって原理ではないにゃ」
それは確かに。では原理とは何だ。
僕は躯の王の言葉を思い出す。この星のスイカはナノ波受容体を持っており、地中からのナノ波干渉を受けて育つと。
では、猫たちも同じではないのか。
そうだ、猫は黒猫から小人に育つとき、見かけ上は質量保存則を無視しているように見える。大気中から水分を取り込むとしても、成長の全ては説明できない。それにも地中からの干渉があるのだとしたらどうか。
味覚はただのトリガーに過ぎない。あの時のドラムのように、何らかの理屈でトリガーを作動させられるなら。
「そうか、怒りをトリガーにして覚醒するわけだな、コミックスのヒーローのように」
「ぜんぜん違うにゃ」
バッサリ言われてしまう。
「カギは視床下部だにゃ」
視床下部?
たしか、味覚の一時通過地点であり、多種多様なホルモンを分泌する。その機能はとても一言では語れないが。
「生き物は新しい味覚に出会うと、それが何かと警戒して分析し、過去の記憶との比較を行うにゃ。それで肉体にとって害がないと判断すると体内に取り込むのにゃ。
その分析がストレスを、味の受容が開放感となって脳内物質を分泌するにゃ。その時に視床下部で何らかの感覚器が開放され、ごく一瞬だけ大地の力を受け取れるのにゃ。これが猫たちの進化にゃ」
トムは、骸の王が語ったスイカの話は聞いていないはず。独力だけでそこまで辿り着いたというのか、何世代もかけて。
「そして視床下部は性本能、睡眠欲、攻撃衝動などと結びついてるにゃ。つまりはストレスと攻撃性。強い痛みを受けて、それでもなお強烈な攻撃衝動を持てる時に進化のチャンネルが開くのにゃ。クーメルにはそれを伝えて、常に意識しながら戦うように言ったのにゃ」
あるいは、そのような進化は猫たちの戦いの中でも起こっていたのかも知れない。しかしそれは本来のルートではない。側道を無理矢理に広げて本来のルートに割り込むような道だ。
「痛みの受容、強い攻撃性。そして大地の力を受け止める高揚感。この相反する三つが必要なのにゃ」
思い出すことがある。王と呼ばれていた頃のドラム。
あの時、ドラムは苦痛を受け、かつ攻撃性を示し、それでいながら何らかの喜に近い感情、ハイになれる状況によって脳内物質の分泌があったというのか。
それはあったかも知れない。根っからの戦士であるドラムは、ずっとトムとの戦いを望んでいたのだから。
クーメルの腿がびきびきと音を立てている。腿がハムのように膨れ上がって血管が浮き上がり、耐衝撃ジェルを充満したスーツがびきびきと裂けて弾け飛ぶ。性分化が急速に進んで胸と腰が張り出し、髪の毛が無数の蛇のように動いてうなじを覆い隠すほどに長くなる。頭部の耳がピンと立って天を示す。
「にゅっ――」
そして、大地が爆裂する。
推測だが走り抜けながらのローキック。視認が困難なほどのスピードに達していた鉄鼠竜と接触して火花を散らせ、硬化セラミックとおぼしき殻が砕けて舞い上がり、それが降りるまでの一秒で戦いは決着に向かわんとする。
鋭角に反射するドラゴンの影をもう一つの影が追う。影から逃れられる者のいない道理か。その尻尾を掴んで吊り上げ、むき出しになった下部に黄色い靴先が叩き込まれる。
それは収束する電光の槍、炸裂する白煙が蹴り足の軌道を残して飛行機雲のごとく。
「あれは、あの進化は」
「味覚によって開かれるチャンネルは一瞬にゃ。でも精神によって開かれるそれはおそらく数秒。きっと数十レベルの進化になるにゃー!」
ぎゃりっ、と鉄板を削るような甲高い音。
ドラゴンが起き上がり、破砕された体殻、粉々に割れた翼膜を脱ぎ捨ててさらに加速する。それは一瞬のこと、まさに弾丸の如き速度を得た竜が迫り。クーメルは僅かに呆けたような目でそれを見て。
接触する瞬間。僕の目にもそれが見えた。
それは速度ではなくタイミング。ゆっくりと身をかがめるクーメルがドラゴンの体を両手ですくい上げ、靴底を削りながら反転してその体を放り投げる。白き竜はなすすべもなく宙を舞い、己を生み出した万能成形機へと投げ込まれ、僕が慌てて機械を操作する一瞬後。
かちり、とクーメルが手元のボタンを押し、成形機の蓋が閉まり。
ドラゴンの脚部に貼り付けられた白い粘土が、TNT換算で80万ジュールほどの威力を万能形成機の内側で炸裂させた。
※
「約束通り、市民IDだにゃ。でも三人分しか手に入らなかったにゃ」
それはクレジットカードのような磁気カードで、本当にこれで糖赤まで行けるか不安になる。
しかし商人の持ってきた山のような食料、武器や装備、土壌改良のための薬品類などを見れば、商売に対する誠実さだけは信用していいかと思えた。
「にゃー、ほんとにゃ、ちょっと進化したにゃー」
「にゃー、お尻を蹴られるのが一番効くにゃー」
「痛みに耐えつつ憎しみと愛情を持つのにゃー」
猫たちが変な遊びに凝ってるけど、まあ進化できてるし別にいいか。
「IDは三人ぶんか。じゃあ僕は行くとして……トムとクーメル、一緒に来てくれるかな」
「はいだにゃ」
「お供するにゅう」
ク―メルは爪を見た限りではレベル85。あの戦いの中で40も上昇している。
味覚での進化と同じく、似たような刺激は何度も使えないようだが、猫たちにとっては画期的なことに違いない。レベルだけではなく、あの炸薬を仕込んだような瞬発力も大きな武器。あれはクーメルだけの技術だろう。
「トム、そういえば君も少し大きくなったかな」
「うにゃ。いろいろ試してちょっとだけ進化したにゃ、いまはレベル60ぐらい。戦いの中で進化するほうが成長が大きくなるのにゃ」
それは、彼らにとっては至上の命題なのだろう。
いかに進化し、いかに大きなことを成し遂げるか。
僕が何となく感慨深い気持ちを抱く時、ふと商人が口を開く。
「はっきり言っておくにゃ。わしは芯果から緑土まで全てを見てきたにゃ。大まかに言って地上に近づくほど猫たちは生き生きとしてたにゃ。つまり逆を言えば」
「芯果に近づくほど社会は暗澹としてるにゃ。知ってるにゃ」
トムがそう応える。彼もまた芯果にいた猫だ。
それはキャンプの面々も同じ。犯罪を犯して追放されたものもいるが、自ら外に出ることを選んだ猫もいるのだ。ドラゴンが徘徊し、卒倒するほど不味い食べ物しかなく、水も寝床も満足ではないこの緑土の砂漠ですら、彼らにとっては最後にたどり着いた楽園だったのだろう。IDのことを抜きにしても、自ら戻りたいと言い出す猫は一人もいなかったのだから。
「大丈夫だよ。中には無限の魂を持つ猫の知り合いもいるだろう。きっと協力してくれる」
「にゃ、じゃあそろそろ行くにゃ」
猫たちの別れはいつもあっさりしたものだ。僕はまだキャンプの仲間がわいわいと騒ぐのを尻目に、砂漠の大地を歩き出す。何人かの猫がそれに気付いて手をふる。
「うにゃー! 頑張ってくるにゃー」
「美人の娼婦猫とにゃんにゃんするにゃー!」
それどこかでも言われたなあ。と思いつつ歩を進め。
そして一ヶ月後。
「――ダイス様、お待ち申しておりましたにゃ、お会いしとうございましたにゃ」
帽子を脱いで胸に当て、うやうやしく礼をするのは白い夜会服の詩吟猫、ルートーン。
「ああ、僕も会いたかったよ。本当に久しぶりだ」
僕と、トムと、クーメル。
三人を取り囲むのは50人に達する兵士たち。手に手に短銃を構えて僕たちを狙っている。
無数の銃口が脳漿をぶちまけんと息をひそめる空間で。
僕はとりあえず、心からの懐かしさに微笑んだ。
ここまでが第六章となります。
いつも読んでいただきありがとうございます。どうも10月中の完結は無理そうに思えてきましたが、よければもうしばらくお付き合いください。




