第五十一話
「……我々四人は、猫たちを眺めるのに飽き果てて地に潜っていた。互いの思考を無線接続していたが、岩の王がだんだんとクロック数を落とすのに合わせて途切れてしまった。だから推測でしかない。
岩の王は君たちの飛来に気づいていなかった。だから猫たちが破壊の王であるドラゴンを退け、何度も己の所にまで来ることに脅威を覚えたんだろう。猫たちが自分たちの想像を超えて進化したことにね」
「なぜそれに脅威を覚える……?」
「……」
それは骸の王としても言いたくないことだったのか、話がそこに踏み込んでしまったことに僅かな失策を覚えたような気配がある。姿も見えず、外套だけで存在を誇示している骸の王だが、その思考や態度はよく伝わるように思えた。
骸の王もまた永い時間の果てに、人間らしい腹芸や、言葉の機微を扱う術など失ってしまったのか。
「……私の数えているだけで、文明の興隆は今回を含めて17回起こった。マヤ暦によれば人類は四度の滅びを経験したらしいが、猫たちは16回の滅びを経験したわけだ」
「……」
「原因は二つある。「戦争と平和」だ。猫たちが猛獣どもを退けられるほどに進化すると、いくつかの国が興って互いに滅ぼし合う。あるいは平和な時代が長く続くこともあったが、そうすると猫たちは活力を失い、ゆるやかに衰亡していく。そこから先へはどうしても進めなかった。さまざまに大地や天候の条件を変え、遺伝子に手を加えても同じだった」
骸の王はどこか苦々しげな気配をはらんで言う。
「どうしてもエネルギーの第四革命に至れなかった。何度か神の使者を名乗って猫たちの前に出たこともある。だが結果は同じ、猫たちは神の言葉など信じなかった。それどころか、一度姿を表してしまうとその信仰心は急速に失われ、無神論者が台頭し、神への反抗まで起こすようになった。そして内乱により滅んでいった」
……それは。
それは、僕の見てきた猫たちとはかなり違う。
確かに猫たちは好戦的だったし、神など信じていなかった。というよりも神という概念を頭上に抱かず、祈りや、この世の根源といった古代哲学のような信仰を抱いていた。
だが、内乱で滅ぶほど愚昧ではなかった気がする。神に歯向かうほど高慢でもなかった。
それは、彼らの視点が外に向いていたからだろうか。宇宙に、そして地球に。
「やがて手がつけられなくなるほど荒廃すると、ドラゴンを用いてすべてを焼き払い、また最初からやり直したのさ。ドラゴンの基地は月にあって、猫たちがそこにたどり着くことが我々の当面の目標だった。だが猫たちにツィオルコフスキーは生まれなかった。ゴダートも、オーベルトもね。ドラゴンはまさに破壊の王であり、滅んでいった16の文明において、あのドラゴンを退けたものは一つもなかった」
「それがどう岩の王に結びつく?」
「だから言っただろう。本来、この星でのビオトープはとっくに終わっていたんだよ。スイカのシステムだけは維持していたが、大地は砂漠に覆われ、野良化したドラゴンと、他の猛獣たちが暴れまわるだけの星になっていた。この世代での猫たちの呼ぶ残像狼、赤鋼牛、あれは本来は何十回もレベルアップを重ねた後に戦うボス格の獣なのさ。レベル1の猫たちが勝てる相手じゃない。だから岩の王も驚いたんだろう。まさか塩海を渡り、己に会いに来る猫がいるとはね、だから喜んでチタン刀を作ってやったのさ」
「……」
「だが、何度も会いに来るとなると話が違ってくる。岩の王はまだ君の存在を察していなかったから、猫たちが自らの進化でドラゴンを屠ったことに驚いたと思われる。
皮肉なことだ。自分たちが手を離した後の猫が、自分たちの知るどの文明よりも進化しようとしていた」
骸の王は一度言葉を切り、すうと息を吸い込むような気配が流れる。
「分かるかね、彼の絶望が」
「……」
「そして岩の王が滅んだ頃、同じく思考のクロック数を落としていた森の王と雨の王が、ようやく夢の王という存在を察知したのだよ」
「それは僕の妻だ、そんな名で呼ぶな」
「失礼した。ともかく、あれはまったく慮外の存在だった。いいかね、猫たちの思考は常にバックアップされている。この星の中枢にあるシステムに同期され、死すればその肉体を再生し、記憶を与えて復活させる。これは記憶の保存というより形質の保存のためだ。学者タイプの猫が生まれ変わればまた学者タイプになるのはそう言う理屈だよ。そしてこの思考は、我々の意識とも無線接続されている。猫たちの意識は我々の意識でもあり、猫たちはすべて魂の糸で結ばれた我々の分身でもあるんだ」
「そのシステムを、彼女が乗っ取った」
「その通り、我々四人が思考のクロック数を落としていたためもあるが、原因はやはり彼女の特性ゆえだ。地球に帰りたい、という純粋にして本能がむき出しになった意識。それが統括システムに干渉し、猫たちのモチベーションを高めている。猫たちはかつての16の文明のどれとも比較にならぬ速度で進化し、新たな技術領域に踏み込み、ドラゴンすら解体して技術を取り込んだ。君たちの船すら掘り出して分析している」
「それは知っている……」
「雨の王と森の王は、絶望したのだろうね」
「神様にすら、才能の有無があったことに」
それは、骸の王にとっては長い年月の果てに、万感を放つような言葉だったに違いない。
しかしそれは、僕にとっては虚しく遠く、空々しく響く言葉だった。
「神様を名乗るほど、うまくやれていたつもりなのか? この星で……」
「やれたとも、少なくとも父よりも上手くやれただろうさ」
「あなたは」
やおら声が響く。
それはクーメルだった。しなやかな女性らしい姿をした彼女が、両手を組んで悲痛な顔をしている。
「あなたは神様なんかじゃないですにゅう。私たちは神様なんか信じたこともない。本当に神様なら、なぜずっと私たちのそばにいてくれなかったんですにゅう。なぜ私たちを導いて……」
そこまで言ってから大きく頭を振り、悲嘆に暮れるように顔を両手で押さえる。
「そばにいないものなんて……」
「クーメル、一緒に出るにゃ。ダイスには危険はなさそうにゃ」
その背中を支え、トムが彼女を連れ出さんとする。
クーメルには、いや、この星の猫たちには今の会話を聞く権利があった。彼らがどこまで理解できたのかは分からないが、おそらく良い気分にはならないだろう。
この星は神の作り上げた水槽であり、しかも失敗続きであり、とうの昔に廃棄されていた、などという話は。
トムたちが出ていくと、僕もまた深く息をついて頭を振る。
「最果ての四王は精神が摩滅していったようだが、あんたはまだ平気そうだな」
「まあね、だが個人差の範囲さ」
「あんたまで死んだら、この星のシステムはどうなる」
「しばらくはオートで動くだろうが、やがて生命の輪環は失われ、スイカは自然には生まれなくなる。品種改良を重ねたスイカだが、そのぶん生育条件は厳しくてね。あれは胚の中にナノ波受容体を持っている。地中からのナノ波干渉によって発芽と成長のエネルギーを得ているのだよ。自然にも育つが、その場合は通常のスイカと同じぐらいの手間がかかるだろう」
「分かった。もういい」
僕は席を立ち、トムの出ていった扉の方を見る。
「別にあんたを責める筋合いもない。人類なら誰でも挑んでいたことだ。僕は命を助けられたとも言える」
だが、それでも。
皮肉の一つぐらい言わせてくれ。
「やはり神様なんて、実際に会うもんじゃないな」
「同感だ」
骸の王は投げやりな声音を返す。この会話はいつか起こるべき必然ではあったが、それに何らかの感慨を見いだせるほど、僕たちの現状は豊かではない。
「船の中の物資を貰ってもいいかな」
「大したものはないよ。でも船体の木材だけは切らないでくれ。私の精神はこの船体の配線とリンクさせてるんだ。大気圏内遊覧用の船だが、今ではこの星に持ち込まれた数少ない人工物だからね」
「分かった」
出ていこうとする僕の背に。
「それと、一つだけ」
骸の王が声をかける。
こころなしか、その声に何かたくらむような響きが感じられた。
そういえば、骸の王は何かの用件があって会いに来たらしい、ということを思い出す。
「君に伝えておきたいことがある」
「……何か?」
「EXODUSを果たした猫たちのことだ。月面を改造し、核融合エンジンで宇宙に旅立っている。現存している観測施設が少ないので曖昧だが、おおよそ1Gの加速度で宇宙始原点へと移動中だ」
「……そうか、始原点の向こう側、天の川銀河の方角を突き止めたのかな」
「それは分からない。月から外部へ向けての電波が放出されることはほとんど無いからね。だが一度だけ、そう、今から7日前、地表に届いた電波があった。指向性の強い電波で、ほんの10バイトほどの内容を繰り返すものだ」
「――?」
「それはこのような内容だった。111 222 111 少し間をおいて 1121 12 22 22 2122。この二つの内容がそれぞれ7回ずつ繰り返された」
「……ん? それはモールス信号、かな。猫たちにも似たような遠距離信号はあるけど、その形式は、まるで……」
僕は頭の中で、骸の王が語る信号を平文化する。実に簡単な信号だったが、なにぶん久しぶりのことなので時間がかかり――。
「――何だと」
そして顔から血の気が引く。
行動は意識よりも先に起きた。僕は外套に掴みかかり、その一部を存在しない首に見立てて締め上げる。
「ふざけるな!! なぜそんな名前が出てくる! 貴様は何を企んでいる!」
「知らんよ。私は君のプライベートな情報など何も知らん。ただこの信号は猫たちの使うものとは違う。地球式のモールス信号だ。だから君に向けられたメッセージなのだと思った。それを伝えに来ただけさ」
「お前たちの乗ってきた船はあるのか!!」
「急に話が飛んだな。そんなものは無い。宇宙空間ならともかく、大気中に晒せば急速に劣化するのだよ。数十か、あるいは数百万年だ。とっくに修理不可能なほど劣化している」
「弦転跳躍システムは! あれは四次元的劣化と無縁なはず!」
「跳躍のあとに離断して破棄したよ。何しろ君たちの小型挺と違って、我々の船のそれはビルのように重かった。質量は少ないほうが加速と減速に効率的だ。当たり前だろう」
骸の王の声には愉悦が含まれている。
それは無理もなかろう。彼らの築き上げてきた星。もはや手放したも同然だったとはいえ、それを滅茶苦茶に踏み荒らしたのは僕たちの方だ。その意趣返しのつもりなのか。この神様もどきどもめ――。
だが全て分かっていても、なお僕の激情は抑えようがなかった。
そのモールス信号は、こう訳すことができたから。
SOS FAMMY




