第四十五話
「トムだって? 先生が……?」
「そ、そんなはずはありませんにゃ!」
ティルが離れた場所から声を上げる。
「生まれ変わりでも生殖でも、生まれた猫は親と同じタイプになるはずですにゃ! 剣士タイプが重装兵として働く程度のことはあっても、そもそもの戦士タイプが知力タイプに生まれ変わるはずがありませんにゃ!」
そう、それがこの星のルールのはず、僕の見てきた中でも例外は一つもない……。
「うにゃ、どのタイプに生まれたかなど、大した問題ではないぞにゃ。どの猫も本を読めるし、剣を持つこともできるぞにゃ。わしは本の価値に気づき、ずっと本を読んできただけぞにゃ。最初は字を追うのが面倒だったけど、何十年もかければ慣れるものぞにゃ」
では、トムは生まれ持ったタイプの壁を越えたというのか。剣士タイプでありながら、学者猫として生きていたと。
ぎん、とドラムの長柄をすり抜けて黒剣が迫り、ドラムは大きな動きでそれを弾き飛ばす。
いや、学問だけではない。トムは剣技すらも。
「んなー!」
空中に踊る鉄球が急加速し、激甚なる勢いを帯びて地面に叩きつけられる。大地が爆散するような衝撃、トムは後方にするりと身を引く。ドラムが気迫を込めて叫ぶ。
「たとえそうだとしても! レベル100も行ってない猫人がドラムに勝てるわけないのなー!」
ドラムが動く。石の床に埋まった鋼鉄球を引っこ抜き、前方に飛ぶと同時に長柄をしならせて振りかぶり、そして再度の殴撃。
だがトムは前に出ている。鉄球が地面を打つ瞬間にはすでにドラムと交差して背後に、そして白銀の鎧から赤い飛沫が散る。
「ぬぐっ、な、なぜなー、その老体で素早く動けるはずないのなー!」
「甘いぞにゃ。レベルがどうの、トシがどうのなど、剣士の力はそんなものでは決まらんぞにゃ」
おそらくドラムの主観ではトムの動きが追えないのだろう。カギは動作を起こすタイミングだ。
トムはドラムが鉄球を引っこ抜く瞬間にはもう走り出していた。ドラムが振りかぶり、地を打つ一連の動作のその先端で全ての駆け引きを終えている。
だがトムの黒剣でもドラムの鎧は斬り裂けない、鎧の隙間からわずかに刃を入れるだけだ。
「んなああっ!」
ドラムが咆哮し、鉄球をぶおんと横凪ぎにする。周辺に散っていた紙束が吹雪のように舞い上がる。
トムの姿は狙っていた場所にはない。ハンマーが振り抜かれる時にはすでに狙いとかけ離れた場所にいて、ドラムの鎧に火花を散らす。
「ドラム様、相変わらず力任せの攻撃ぞにゃ、それではトムには勝てないと言ったはずぞにゃ」
「んなー! 霊薬を飲んでるのなー!?」
あの薬を分析していたのはホームジー先生ことトムだが、あの口ぶりからするとトムも霊薬を飲んでいたのだろうか。
だがトムはかぶりを振る。
「霊薬なんぞ必要ないぞにゃ。それに前世の記憶なんて不気味ぞにゃ。トムはトムであり、前世のトムとは違う猫ぞにゃ」
「なー! でも過去のトムが言った言葉を知ってるのなー!」
「日記を読んだぞにゃ。わしはカラバ王国が興った時のトムから数えて三代目。先代と先々代のトムがどのように生きて、何を見てきたかは日記に書いてあったぞにゃ。ドラム様、あなたのことも」
「うなっ……」
トムの剣撃がドラムに迫る。けして凄まじい速さとは言えない、速度だけなら護衛の三剣士の方が上だろう。だがドラムは防戦一方であり、大きな動きでトムを体ごと遠ざけながらハンマーを振るう。
ドラムが引けば追い、向かってくれば利き手側に回り込んでハンマーの出だしを回避する。ドラムのハンマーが最高速に達する場所には決して立たない。ドラムが足を組み替えた瞬間には有利な位置に滑り込んでいる。そして振るう剣はドラムの防ぎにくい角度で迫る。
その剣技はまさに老練と言うべきか。トムはあらゆる意味で猫の常識を越えていた。タイプも、年齢も、装備の壁すら越えている。己の得手不得手にすら縛られぬ生き方をしてきたのか。
ならばある意味では、もっとも自由に生きてきた猫なのか――。
「んにゃっ……」
再度の交錯。そしてドラムが膝をつく。
傷の数に比して出血は少なく見える。ふらついたのは、トムに攻撃が当たらない動揺によるものか。
「はっ……はあっ……あ、当たらないのなー……」
「ドラム様、お命まで奪いたくはないですにゃ。我々はこのドラゴンを処分したいだけ。退いてくだされば戦わなくて済みますにゃ」
「にゃー! もう駄目にゃー!」
「ドラム王がやられたにゃー!」
「お爺ちゃん怖いにゃー!」
様々な理由で不安定になっていた兵士たちが、堰を切ったように走り出す。背後の大扉へと逃げていく。
全ての兵士も科学猫も居なくなって、だだっ広い地下空間は急に閑散とする。響くのはアセチレンガスのボンベがぴいと鳴る音だけ。
「さあドラム様、もう兵士たちも逃げ出したぞにゃ、戦いなど終わりですにゃ」
僕もひそかに動く。ドラムとトムの戦いを遠まきに回り込み、地上へ向かう大扉を右手に見て、何かの機材が山と積まれている一角へ。
「ティル、妙な真似をしないでくれ」
そこにはティルが逃げ込んでいた。白衣を着た女性型の猫人、体ががっしりと成長したドラムに対して、ティルはあまり変わらないように見える。その頭脳に蓄積されている情報は、過去のティルの比ではないだろうが。
そこにあったのは工作台のようなものか、スチール製の机の上に様々な道具が乗っていた。定規やドライバー、釘打ち機に電動型の丸鋸もある。そういった工具も地上よりずいぶんレベルが高く見える。
「ダイス様……」
その手には小型のピストルのようなものが見える。口径が非常に大きい。照明弾のようなものか。
ここが停電になったときに非常用の照明として使うのだろうか。
「ダイス様、お下がりくださいにゃ。地下空間の上部にアセチレンガスが溜まっている。この照明銃を撃てばただでは済みませんにゃ」
「僕はそれでも構わない」
つとめて冷静に、何事でもないように言う。
「僕たちには無限の魂があるんだろう? 仲良く生き埋めになって生まれ変わるのも悪くはない。僕たちの最終的な目的は岩の王との戦争を終わらせることだが、あとは地上に逃げた仲間たちが継いでくれるだろう。ここにいる全員が生まれ変われば、戦争もとりあえずストップしそうだしな」
僕はそう言いながらも計算する。この地下空間は広大だ。あのボンベも大した圧力ではなさそうだし、小規模な爆発を起こすだけで崩落には至らないだろう。ティルもおそらくそれは分かっている。
「ダイス様……どうしても我らに協力してはくれませんかにゃ?」
「彼女は君たちの王じゃない。ただ臨死の眠りにあって、その夢だけがこの星のシステムとリンクしているだけだ」
「……それでも、良いではないですかにゃ?」
「……?」
ティルは立ち上がったまま、照明弾を真上に構える。
そこへ、どうにか回復した護衛の剣士たちが来て、僕の左右に並ぶ。
「にゃー、ダイスさま、ひっとらえるにゃ?」
「これが本当のティルにゃ? 美人さんだにゃー」
「トランジスタグラマーだにゃー」
その単語はどこで覚えたんだろう? 僕からかな。
とはいえティルが追い詰められてるのは間違いない。三剣士はゆっくりと移動し、ティルが逃げそうな方向を一つずつ塞ぐ。
ティルは頬に汗を浮かべつつ、強がりなのか、唇を歪めて笑ってみせる。
「ダイス様、覚えていますかにゃ。かの破壊の王との戦いの前に、あなたと話をしたこと」
「……確か、この星を改造すること、森と雨を取り戻すことが、猫たちに許されるのか、という話」
「そうですにゃ。この星は森を取り戻した。雨を、都市を、様々な小動物や虫すらもいつの間にか戻っていましたにゃ。猫たちはやがて、星を渡るほどの力を手に入れるでしょう」
「それがどうしたと言うんだ」
「おかしいと思いませんかにゃ。我らにそれほどの力がありながら、なぜ我々は砂漠で黒猫と小人を行き来していたのか。なぜ永続的な被捕食者として砂漠を彷徨っていたのか」
「……」
「それは君臨者がいなかったからですにゃ。かの最果ての四王は我らを作り、この星で我らの紡ぐ英雄譚を、栄枯盛衰を超越者の視座で眺めていた。だが王たちの精神は摩滅し、やがて我らを眺めるのにも飽きると、肉体を変異させて無機物と生物の中間のような怪物になったのですにゃ。我らは導きを失い、ただの捕食対象になってしまった」
「……何が言いたいんだ」
「我らの強さは、導くものの強さなのですにゃ。君臨者が許してくれるから我々は進化できる。君臨者が欲することの大きさが、我々が成し遂げることの大きさになる。導き手を失えば、我らは穴の空いた風船のようにしぼんでしまう。また星は砂漠となり、我々は捕食されるだけの子猫になってしまいますにゃ」
膨張こそは天命(Manifest Destiny)
――なぜだ。
なぜこんなときに、かの白人たちの西漸運動を、開拓者たちという名の怪物のことを思い出す?
同じだと言うのか。
文明を手に入れ、大地を改造し、星の海まで侵食し尽くした怪物。それを支えた動機は、それが神の定めたもうた宿命であると信じたから。
この力は自分の意志ではなく、神の意志なのだと。それこそが無限の力の源なのだと――。
「ティル、それは違う」
僕は慎重に、言葉を一つ一つ吟味するように言う。
「それは君たちの発明に過ぎない。君たちは自由なんだ。誰にも縛られず、誰かが君たちの行いを許したりしない。誰も君たちの上に君臨などしない、君臨者がいなくても、君たちは文明を維持していける……」
「違いませんにゃ。それはあなた達も同じだったはず。ある意味では夢の王はもっとも君臨者にふさわしい。理性や節制が押し殺され、純粋な願いだけがむき出しになっていますにゃ。それはもはや生物としての枠を超えた、純粋なる意思だけの存在。猫たちは初めてその概念を手に入れた。あなた方の言葉で言うなら」
「――やめろ。君たちに、そんなものは」
「我々の、神を――」
背後で轟音。
「!」
凄まじい音だった。ドラムの鋼鉄のハンマーが地面に突き刺さり、先端がまるごと石の床に埋もれている。
トムは数歩下がって回避したのか、離れた場所で剣を構えている。
「ドラム様、おやめくださいにゃ。当たりはしませんにゃ」
「ドラムを――」
ドラムの体が震えている。その白銀の鎧がみしみしと鳴り、肩口から、胴回りから露出する肉がパンパンに膨れ上がって、とうとう肩口の一部で鎧が弾けた。
これは――身震いと、肉体の成長。
まさか、何も食べていないのに、そんなことが。
「ドラムのことを! ドラム様なんて呼ぶんじゃないなあああああ!!」
トム、ティル、ドラム。この三人は、それぞれが既存の猫を越えつつあった。
あるいは特性の壁を、あるいは自意識と信仰の間にある壁を。
そしてあるいは、生物としての壁を――。




