第四十四話
「異なことを言われるのですにゃ。そもそもダイス様、あなたこそが百年前、三人の小人を育てて文明を授けた本人ではないですかにゃ?」
「君たちが知性を持っていたからだ。レベル1の小人であっても知性を持つその姿、守ってあげたかった。たしかに遠い未来に宇宙に出る可能性を考えなかったわけじゃない。だがそれに彼女を巻き込むのはやめろ! 現実的に、生身の人間が二度も行うべき旅ではないんだ!」
ティルは頭を振り、どこか達観したような様子で、虚空の一点を見つめて言う。
「いいえダイス様、本当はあなたも地球を夢見ていますにゃ。この星にかつて存在した人間たちもそうでしたにゃ。だから新しい生態系を作り上げて神にならんとする時、浅ましくも地球の思い出を元に我々を作ったことは分かっていますにゃ。誰も故郷の呪縛からは逃げられなかった。夢の王も同じ、最後の最後に求めたのは故郷の記憶だった。肉体に時の流れない夢の王には時間は関係ないですにゃ。我々は何十万年かかろうと王を地球に送り届けるべきなのですにゃ」
「どれほどの距離を隔てているか分かっているのか! 地球からの観測限界を遥かに越えるほどの距離だぞ! 主観時間にして数万年は過ぎている! それだけの時間をただ眠り続けることの怖ろしさが、無限に近づくことの畏怖が君たちに分かるというのか!」
「この星では生命は不死なのですにゃ。我々も無限を生きている。夢の王のお身柄もすでに無限の理に捕らわれている。ならば無限の船出に出ることに何の差し障りがありますにゃ?」
僕とティルの問答はおそらくは周囲の猫の理解は及ばず、僕とティルの間にも認識の大きな隔たりがあった。根本的なところで言葉が通じない。死生観、無限への恐怖。確実に滅び去っているだろう故郷への郷愁。
この星に無限がある?
馬鹿なことを。記憶をどこかにバックアップしておいて、肉体の再構築に合わせて植え付けてるだけだ。
死んだ猫は間違いなく死んだのだ。霊薬により記憶の一貫性があるから、だから何だというのだ。
ティル、お前が無限の何を知っていると言うんだ。無限について知っている者など、この世にいるはずがないのに――。
「ダイスさま、我々を導いていただきたいのですにゃ。我々は常に君臨者を欲していますにゃ。あなたが夢の王とともにあり、我々の王となっていただけるなら、それは何にも代えがたい安らぎなのですにゃ」
「断る」
きっぱりと言い、僕は周囲に目を走らせ探す。可燃性のもの。爆発物と思しきもの。高圧なもの、電荷のかかっていそうなもの。
ティルは、それはどこまで心情を反映したものか分からないが、悲しげに俯いて首を振る。
「致し方ありませんにゃ。我々は星の根幹たる夢の王を優先させるのみ。ダイス様、お身柄を確保させていただきますにゃ」
その声に反応し、兵士たちが槍を構えて一歩、進み出る。
「みんな、協力してくれ」
僕達の前には三人の剣士が身構えている。僕はその背中に小声で呼びかける。
「ドラゴンを破壊する。この地下も根こそぎ壊す。君たちは兵士を蹴散らして逃げ道を切り開いてくれ。スロープが押さえられていないなら脱出できるかも知れない」
「にゃーっ、わかったにゃ!」
「腕が鳴るにゃー」
「お任せにゃー」
「シオン」
僕は背後にも声を向ける。そこにいるであろう少女は緊張の気配を返し、短く「はい」と応じる。
「君とコジーでここから逃げられる? 兵士たちの上を飛んで、スロープから」
「何とか……やってみます」
「無理はしないで、捕まったって殺されるわけじゃない……それと」
僕は前方のティルを睨めつけながら、言葉を心の中で組み上げつつ言う。
「シオン、君が霊薬によって感じたものはただの幻だ。君たちは誰かに従うべきじゃない。猫の世界に託宣なんか必要ないんだ。何が自分の意志で、何がそうではないのかを考えるんだ」
「……?」
「今は分からなくてもいい。だがここから逃げられたなら、どうか本来の姿を思い出してくれ。黒猫だった頃の自由な心を、何者にも捉われない猫の生き方を」
「……はい、その言葉、心に留めておきますにゃ」
場の緊張が高まりつつある。兵士たちは槍を構えて隊列を固め、三剣士たちは飛びかかろうと足に力を溜める。
僕は息を限界まで吸い込み、へそで固めて――放つ。
「兵士たち! その場を動くな!!」
波動のように空間を満たす声。兵士たちが背骨に鉄骨を入れられたように固まる。
そして瞬時に皆が動く。コジーとシオンが跳躍し、木箱からやぐらの上に、そして場を囲む石塔へと跳び、踏みつけ飛び越えて外周へと逃げる。
「にゃっ!」
そして三剣士が駆け出し隊列に突っ込む。兵士たちは右往左往し、まだ金縛りの解けないままに槍を振るおうとして、槍が別の兵士たちに当たり混乱を起こす。
僕はティルの動きに注意を払っていたが、その猫の耳を持つ女性の顔立ちが、小さく呟く。
「やはり並の猫では、あなたの声に逆らえませんにゃ。相応の胆力がなければ」
瞬間。
どおん、と地の底から突き上げられるような衝撃。足元がびりびりと震えて周囲で何かが倒れる。
「どくのなー!」
宙を飛ぶ影。それは鎧をまとった兵士だ。軽々と宙を舞って木箱に突っ込む。
「んにゃっ!」
剣士の1号がその猫に飛びかかる。裂帛の勢いとともに振り下ろされる剣はその猫の突き出した掌底にぶち当たり、わずかに切り裂いて血潮を散らす。振り抜く寸前に捕まえたために切断に至らない。
直後、飛びかかった剣士の頭が掴まれ、黄金の兜がものすごい勢いで迫って衝突。とても頭突きとは思えないごおんと言う音が響いて、1号が悶絶しつつ転がる。
「みぎゃー! 痛っったいにゃーー!! 隕石落ちたかと思ったにゃー!」
その猫は、白銀の鎧と黄金の兜。
小手をしていない太い腕が傍らにあった何かの機械を掴み、その側面の鉄板をめきめきとひっぺがす。そして全身のバネを効かせて投擲。直径1メートルほどの鉄の手裏剣がでたらめな勢いで飛び、地下空間の外縁部に張り付いた通路に突き刺さる。
その場所にはすでにシオンとコジーがいる。鉄の手裏剣によって崩壊した部分をすんでのところですり抜け、坂の上へと逃げるのが見えた。
「逃げられたのなー、まあいいのなー」
「小物ですにゃ。ほうっておいて構いませんにゃ」
あの投擲、飛距離はざっと200メートルは出ている。しかも石造りの通路をストローのように潰すとは。
「んなー!」
その猫が武器を腰だめに構える。それは先端にビーチボールほどの鋼鉄球を備えたハンマー。およそ人類の膂力で扱える代物ではない。猫の世界ですら、これを扱える個体は。
「――ドラム」
間違いない。この気配。
切り株のようにどっしりとした胴体。太めの体を白銀の鎧と黄金の兜で包んでいる。あれは、伝承にある岩の王の装備か。
「ダイスさま。トムはどうしたのな」
ドラムの第一声に。僕は少しだけ虚を突かれる思いがした。
トムとドラムの奇妙な因縁。あの砂漠での決闘。それは百年を過ぎた今も息づいているのか。
「探したが、見つからなかった。そもそもカラバ王国にいるのかどうか」
「……そうなのな」
三剣士の2号と3号が動く。左右から挟み込んで、その得物を持つ手に斬りかからんとする。
「んなー」
三日月を描いてハンマーが振られる。地面にぶち当たり、その鋼鉄球が石の床に半身までめり込み。
ドラムはあろうことか、周囲のすべてを無視してその場で一回転する。
一瞬、場のすべてが凶器となる。
木組みのやぐらが、何かの機械が、陶片が、ガラス容器が、石の床の一部すらも薙ぎ散らされて全方位に広がる。それは一瞬のこと。まるでドラムを中心に空間が広がるように、あらゆるものを外側に押し、物資の津波のようなものが飛びかからんとした二人の剣士を吹き飛ばす。
「にゃー!?」
「みぎゃー!!」
胴や腿にしたたかに物を打ち込まれ、剣士たち三人は吹き飛び転がり、その場で痛みにもがく。
もちろん周辺の機材も無事では済まない。何らかの機械が白煙を揚げ、木組みの櫓は破壊され、陶器やガラスの器が根こそぎ砕けている。
「ば、馬鹿な……どんな力があれば、こんなことが」
僕はうめくように言葉を漏らし、後方に退避しているティルも、さすがに頬に汗を浮かべつつ言う。
「ドラム王、お手柔らかに願いますにゃ。そのドラゴンもまだ研究対象ですにゃ」
「どうせもうバラバラにしてるのなー、少しぐらい壊れても我慢するのなー」
ざり、と一歩進み出る。
その目でわかる。彼はドラム四世、つまりドラムから三度の生まれ変わりを経た存在ではあるけれど、僕を見つめる目はあのときと変わりない。彼もまた霊薬によってひと繋がりの記憶を得ているのか。
「ドラム……」
「ダイスさま、おとなしく捕まってほしいのなー、乱暴はしたくないのなー」
「断る。ドラム、君まで夢の王なんてものを信じるのか。地球がどこにあるか分かっているのか」
「難しいことはティルに任せているのなー。でもドラムも夢の王を感じるのなー。その願いに報いることが正しいと信じられるのなー」
「くっ……どう言えば分かってくれるんだ、地球なんてもう……」
「うむ、これぞにゃ」
ばしゅ、と音がする。そして甲高い笛のような音が地下空間に響く。
「ホームジー先生!」
僕は振り向く。その老齢の学者猫が、ドラゴンの足元に並んでいたボンベの一つをいじっている。鼻に届くのは硫化水素の混ざった悪臭。
「このガスは知っとるぞにゃ。炭化カルシウムに水をかけると生まれる気体。硫黄が含まれてるから不快な匂いがして、ランプや溶接に使われるぞにゃ。ボンベの静止弁を壊したから、もう漏出は止められんぞにゃ」
「アセチレンガス……そのボンベがそうなんですね」
僕はティルの方を見る。なるべく動揺を見せぬように振る舞っているが、その足が背後の壁面。地上へ向かう大扉の方にじりじりと動いている。そして周囲の兵士たちも。
ホームジー先生が老練の余裕を見せて言う。
「大型のボンベが三本。空気より軽いから上に溜まるぞにゃ。このボンベの量を全部出しきって、火のついた棒きれでも投げ上げたら何が起こるか想像するぞにゃ」
兵士たちはもはや逃げ腰になっている。僕たちの方を向いたまま、ティルを追い越す勢いで後じさる。
「む、無茶なことをするんじゃないですにゃ」
「んなー、どうでもいいのな」
誰もが身を引く中で、堂々と歩み出る影がある。言うまでもなくそれはドラム。今は猫たちの王であり、誰よりも逞しく豪然たる武人。猫の常識をはるかに超えた戦士。
「ここが崩れようとドラムは平気なのな。ダイス様。あなただけでも捕獲いたしますなー」
「くっ……」
だめか。先生は、爆発をちらつかせて皆を引かせる作戦を打ったはずだが……。
「おとなしくするのなー」
その足が地を蹴って、僕に駆け寄ろうとする刹那。
ぎん。と、音がする。
「にゃっ……」
ハンマーの柄を横に構え、驚愕の声を漏らすのはドラムだ。
僕の前に出るのはホームジー先生。ドラムが驚いたのは高齢の学者猫が前に出たから? それとも咄嗟に受け止めた剣筋が意外に鋭かったから?
どちらでもない。僕にもドラムの驚愕の理由がわかった。そして僕も瞠目してそれを見る。
ホームジー先生の振り下ろした、黒一色の剣を。
「ホームジー先生! その剣は!?」
「やれやれぞにゃ。三人の剣士もいい腕をしてたけれど、一気に飛びかかるとは経験が足りんぞにゃ。三人がタイミングをずらして攻撃すれば防ぎきれなかったはずぞにゃ」
「おまえ!! 何者なー! ホームジーという名前ではないのなー!?」
「ホームジー? それは学問所の生徒たちがそう呼んでるだけぞにゃ。何しろ猫は名前をちゃんと覚えない。特に短くてよくあるような名前は、適当に呼ぶうちに変化していくぞにゃ。数年前まではみんな、こう呼んでくれてたぞにゃ」
「――トム爺、と」




