第四十三話
若い頃、とあるテーマパークで恐竜を見た。
周囲には人工の大岩、人口の大木。見上げれば巨大な生物がそびえる。それは強大であり、いかめしく、滅び去って遙か遠くの過去にあっても星の支配者として君臨するかに見える。
しかし過去に見たそれは作り物だ。人を襲いはしない。誰しもそう遅くないうちにそれを理解する。
ならば、今この場所はどうか。
ドラゴンはその身体を鉄杭で固定され、ワイヤーが張り巡らされた空間は牢獄のよう。その体は輪切りにされ、分断され、工具とアーク光によって斬りさいなまれている。
この場所にはドラゴンへの畏怖と、征服欲が同時に存在している。そんな気がする。
ここは荒ぶる神を鎮める祭壇か。あるいは猫たちがこの世界の神すら屈服させた証か。
「でかいにゃー」
「これ何にゃー」
三剣士が騒ぐのにドキリとしたが、そのような見学者はけして少なくないのか、周りの科学猫たちは見向きもしない。
「……ドラゴンだよ。この星の、死と破壊を司る王だ」
ドラゴンの胴体は切断されており、よく見ればそこにパイプやコードのようなものが伸びている。液体の入った水槽に沈む爪。紫外線ランプを照射される翼膜の一部。
なによりも目を引くのは奥の施設。アクリルのような透明なパネルに囲まれた中で、ドラゴンの片足とおぼしき部分が固定されている。
そして察する。これは先程のロケット燃焼実験の設備と似ている。あのドラゴンが脚部に備えていたジェット機構。それを研究しているのか。
「にゃー、ここから空気を取り入れてるにゃー、超音速状態だと機構が変形するにゃー、空流が超音速を維持したまま燃焼機構にぶちこまれるにゃー」
「んにゃっ、効率すごいにゃー、例えるならスイカ畑でスイカと葉っぱの比率が逆転してる感じにゃ―」
「分かりやすいにゃー、おまえ天才だにゃー」
科学猫たちは研究に夢中のようだ。
僕は周囲を見回す。円筒状のボンベや、金属の缶らしきものがいくつか見える。その中に炎のマークにバツが描かれているものもあった。おそらくは万国共通の火気厳禁のマーク。あれを使ってこの地下施設を爆破できないか――。
「これは……なんと禍々しい」
シオンの呟きが聞こえて、僕ははっと我に返る。
「シオン、地下空間に感じていたという気配はどう? この怪物からは感じるかな」
僕が小声で問いかけると、彼女はそれは意図していない質問だったというように、少しの間を置いてから答える。
「いえ、この近くだとは思うのですが。この巨大な生物ではありませんにゃ」
そうか、ではいったい……
そのとき、空間に響き渡る音。
「!」
地下全体がびりびりと震えるようなベルの音がして、白衣を着た科学猫たちが慌てて逃げ出していく。
「にゃー! 警報だにゃー!」
「誰か毒ガスでも漏らしたにゃー!?」
じゃりっ、と鎖を巻き上げるような音。三剣士の一人が叫ぶ。
「んにゃっ!? 何か出てきたにゃー!」
それは駐車場の侵入防止ゲートのような眺め。
地面から高さ2メートルほどの石塔が打ち上がる。およそ数十本。地下空間の中央付近のみ円形に囲い、そして石塔の間には鎖が渡されている。機材や櫓を蹴倒しながらワイヤーが円形に。半径およそ40メートルほどの範囲で。
「これは――!」
おそらくドラゴンを警戒しての防衛装置か。
そして地下空間の一角にあった扉が開き、科学猫たちがそこへ逃げ込むのと入れ替わりに兵士たちが出てくる。長柄の槍を持ち、全身を重装鎧で包んだ猫人たちだ。
「にゃー、捕まえるにゃー!」
「御用だにゃー!」
鎖は一角だけが空いており、そこから十数人の兵士たちがなだれ込む。
僕たちの前に三つの影が立ちはだかる。
「んにゃっ!」
剣士の一人が前に出ると同時にばきいん、と金属の破断音。兵士の槍が切断される。
その左右から二つの影が兵士たちに突っ込み、膝の裏側を蹴って転倒させ、さらに槍をもぎ取って遠くに投げる。兵士たちは同じ鎧を着た相手に反応が遅れる。たちまち集団に混乱が。
だが、こんな地下空間で暴れても多勢に無勢だろう。猫たちが大怪我をするのも本意ではない。僕はハンチング帽を脱ぎ、耳のない頭を露出させ、大きく息を吸い込んでから声を張る。
「やめろ!! 全員武器を納めるんだ!!」
「にゃっ!?」
「ぬにゃ!?」
重装鎧の兵士たちも、護衛の剣士たちも電気を流したように硬直する。あるいはコジーたちも同様だろう。
「争うな! 僕たちは敵対するべきじゃない! このドラゴンは猫たちが扱うべきものじゃないんだ! 破壊するべきなんだ!!」
僕の言葉に誰も何も返せない。兵士たちは顔を見合わせることすらできず硬直し、武器を取り落としてその場に膝をつく。
「にゃ、にゃー……」
彼らは僕の言葉に逆らえないはず。それは見方によってはとても卑劣で、彼らに対して申し訳ないことではあるけれど、猫たちには遺伝子レベルで僕への忠誠が刻まれている。それは前世から薄々わかっていたことではある。その権限を、このように明確に行使したことがなかっただけだ。
だが。
「落ち着くのですにゃ」
鎖の円陣を、兵士たちの列を抜けて出てくる人物がある。
それは白衣を着た女性型の猫人。体つきに女性らしいメリハリがあり、少年のような猫たちの中では浮いて見える。
「落ち着いて私の声を聞くのですにゃ。兵士たちはただ職分にのみ従うべし。誰もお前たちを縛りはしない。我らが従うべきはただ心のうちに抱く温もりのみ。夢の王の声を聞くのですにゃ。我らは二君を抱かず、己の意思を持って本能の囁きに打ち克つのですにゃ」
その猫の言葉は念仏のように静かに流れ、兵士たちは次第に体の緊張を解いて立ち尽くす。護衛の剣士たちは素早く僕たちの前に戻り、三方に剣を構えて立つ。
そして僕は目に力を込める。忘れもしないその気配。猫たちの中で誰よりも賢く、あらゆる知識を極めんとした猫。
「ティル!」
叫ぶ。僕の声にまた兵士の何人かがびくりと固まるが、今度は先程ほどではない。槍を拾い上げる猫もいる。
「ダイスさま……」
ティルの目に奇妙な歪みが浮かぶ。それは百年ぶりに再会した僕への懐かしさか、あるいは滅びた国の幽鬼を見るような眼差しか。そこに僅かでも、僕への思慕の念があったと信じたい。
コジーが怪訝な目をして言う。
「ぬにゃ? ティルにゃ? でもマグヌス・ティルは地上で討論会やってるはずにゃ」
「あれは傀儡ですにゃ。ティルを名乗らせているだけのただの野良猫。それなりに見事に教祖を務めてくれましたにゃ。私は霊薬によって一連の記憶を持つティル、ただティルと呼べばいいですにゃ」
ティルは何でもないことのように言い、その間も視線が僕から外れることはない。やがてその小ぶりな唇が動く。
「ダイスさま、なぜ、我々を百年も放っておかれたのですにゃ」
「仕方なかった。この星で僕も生命の輪廻に組み込まれたが、僕がイレギュラーな存在だったためか、肉体の再生までに90年を要したんだ。しかも僕は猫たちのようにすぐには成長しない、この大きさになるだけでも10年かかってしまった」
「そうでしたか、最初の50年ほどの間、我々は国土の隅々まであなたを……」
ティルはそこで言葉を止め、感傷など不要とばかりに首を振る。
「我々には、もはや貴方の神通力は通じませんにゃ。映像で貴方のお姿を見たとき、それを確信できたのですにゃ」
そこで僕は自分の迂闊さに気付く。
そうだ、テレビがあるならカメラもある。この地下に至る間に、どこかでモニターされていたと言うわけか。
「なぜだ……」
僕は疑問に思う。それは前世の記憶とも混ざった思考。あえて今まで熟慮しなかったこと。この星をただ奇妙な場所と考えるだけでそれ以上は思考を進めなかった。それは人類の罪というものを直視することでもあるから。
だが、もう逃げることはできない。この星が何なのか。それを言葉に出して世界に焼き付ける。
「なぜだ! 人間への服従は君たちの一人一人に根付いてる絶対のルールのはず。この星は、あの忌まわしいロシア人どもが砂の一粒まで支配していたはず。なぜ逆らえるんだ!」
コジーやシオンたちは、僕が何の話をしているか分からず固まっている。ティルだけは微笑むように薄く笑い、当然のことのように言う。
「お忘れですかにゃ、我々は岩の王と戦っている。あれはもはや人としての形象を失った怪物ではあるけれど、わずかに人間の気配を残していますにゃ。その言葉は猫たちを竦ませるけれど、遠征隊は彼の産み出す岩の兵士を倒し、その装備と財産を少しずつ奪っているのですにゃ」
「なぜだ……進化か、あるいは思想により呪縛を破ったのか!」
ティルは首を振る。
「我らは人間の愛玩物であり、人間の従属である。それは別に屈辱ではないのですにゃ。人間の声に身を預けることは大いなる安らぎ。ただ一つ、あなた方に逆らうことができるとすれば、別の人間からの命令があるときのみ」
「命令……だと」
「左様ですにゃ。この星の偉大なる、あるいは悪魔じみたシステム。あらゆる生命の記憶と意識を保存し、肉体を再構築することで永遠の生命を模倣するシステム。猫たちが星を造ることも、人間に見守られながら進化と戦いを繰り返すことも、すなわち愛玩の一部。そのシステムに、別の意志が介入したのですにゃ。永すぎる年月の果てに思考が摩滅してしまった最果ての四王に代わり、この星の根幹と結び付いた、ただ一つの意志が」
「何の話だ! 何が君たちを動かすと言うんだ!」
ティルは、それは後で分かったことだが、彼女にとってもそれを僕に言うのは辛酸を舐める心地だったのだろう。苦哀に目を細めて、そしてためらいがちに、口を開く。
「地球に帰る」
「なっ……!」
「すでに、その御身柄は確保しましたにゃ。眠りの床にあって、その意思は大地のシステムと共鳴している。それはさしづめ月のように大きな丸い玉。夢の中で誰もがそれに触れる大きな光の玉なのですにゃ。普段は意識もしない夢のような思考。だが全てはそれに従って動いていますにゃ。四王との戦いも、ドラゴンから技術を得ることも、進化も、信仰も、生きる全てが」
「馬鹿な!!」
生まれてから今まで出したこともないほどの叫び。
「それが彼女の意思だと言うのか! 彼女は臨死の際で眠っているはず! その体に代謝などない! 思考など行っていないはずだ!!」
「眠りは無ではないのですにゃ。夢の王は短い言葉を繰り返している。それが星の根幹と結び付いているのですにゃ」
「やめろ! 彼女にあの旅をもう一度やれというのか!! 地球を離れて何万年かかったと思っている! それに地球など、もはや――」
僕は声を枯らさんばかりに叫ぶ。
もはや全てを思い出していた。この星に降り立った頃からの記憶。その遥か以前、数えきれぬほどの時間を、船の中で過ごしていた記憶も……。




