第四十一話
「地の底に……?」
「何言ってるにゃー、とっとと逃げるにゃー」
コジーが即座に反対を示すが、それにはホームジー先生が異を示す。
「いや、この城の地下に何があるのか知っておく必要があるぞにゃ。ここまで潜入するチャンスが二度もあるか分からんぞにゃ」
シオンはというと胸に手を当て、己の記憶を思い出すように目を閉じる。
「私は、この城に囚われてからずっと感じていたことがありますにゃ。城の地下で、私を呼ぶ声がするのですにゃ」
「それは前世の記憶ってやつにゃ? でもシオンは野良猫のはずにゃ」
コジーが問うが、シオンは小さくかぶりを振る。
「私は、あの霊薬を飲んだときに、意識を失ったのですにゃ」
そのように言う。
「猫たちはみんなお酒が強いけれど、私はそのような耐性を持たない、極端な下戸だったらしいのですにゃ。そのために数時間の昏睡に陥ったけれど、その奥で、私は不思議な記憶に触れたのですにゃ。それは、すべてが消えるような夢」
「消える……」
そうですにゃ、とシオンは置いてから続ける、
「世界から壁も、屋根も、床も大地も全て消え去って、自分自身しかいない大きな空間に放り出されるような夢でしたにゃ。その中で、私は暖かな綿に包まれるような、眠くなるような、ぐるぐる回るような感覚に襲われましたにゃ。そして感じたことは、下の方に何かがあると。例えるならお城のように大きな光の塊があって、それに私の一部がそっと乗っかるような感覚でしたにゃ」
それは、どこかで聞いたことがある。
たしか、潜砂により繁殖する猫たちの感覚。
「私はそのとき、私自身の一部がそれと混ざりあったように思いますにゃ。それは暖かくて、慈しみに満ちて、この身を委ねることに深い安堵があったのですにゃ。そして、その感情が私に流れてきたのですにゃ。他の猫には、その頃から私の考え方や性格も少し変わった、と言われますにゃ」
シオンは床を、石畳を透かして大地の奥を見通すような眼になって言う。
「この城の真下ですにゃ。ほんとうにすぐ近くに、その光の塊があるような気がするのですにゃ」
「……」
僕たちとしては、地下の調査は「科学猫たちが地下に潜っていた」という目撃情報によるものだ。城の深みに向かう動機としては少し弱い。
だが、今のシオンの話。
すぐ近くにある。
星の真央に至るほどの大地下ではなく、すぐ近くに。
「行こう」
僕は言う。その言葉に背後の剣士たちが手を上げる。
「にゃー、どこまでもお供しますにゃー」
「全員ぶったぎるにゃー」
牢の外を伺う。まだ騒ぎになっている様子はない。道は緩やかに傾斜しており、まだ深みに降りられそうな気配がする。
「ここでシオンだけ連れ帰っても岩の王との戦は止められない。この城の地下にある秘密が、重大な意味を持つはずだ」
「もちろんわしも行くぞにゃ」
「……仕方ないにゃ。シオンとホームジーたちは先に逃がすことも考えてたけど、こうなったら付き合うにゃ」
僕の言葉に、今度はコジーを含めて全員が頷いた。
※
緩やかな傾斜が螺旋を描いて降りている。その途中に見張りらしき歩哨が立っていて、獣脂ランプの暗がりの中で大きくあくびをする刹那。
「もにゃっ」
いきなり三匹の影が躍りかかり、手槍を奪い、頭に布をかぶせ、両足を縛って動きを封じる。そして手際よくぐるぐる巻きに。
「終わったにゃー」
「ふっ、口ほどにもないにゃー」
「何も言ってなかったにゃ」
護衛役の三人の剣士はかなりの活躍であった。長い長いスロープを降りる間に何人もの見張りを縛り上げ、あるいは大怪我をさせぬ程度に瞬時に打ち倒していく。
三人ともすでにレベル180を越える剣士タイプであり、この半年、互いに鍛えてきた成果だ。今ならば遠征隊の精鋭たちにも劣りはしないだろう。
「かなり深いな……スロープ構造とはいえ、もう2キロは走ってる」
「ここはおそらく避難用通路か、物資の搬入のための坂道ぞにゃ。地下空間の中央部には階段があるはずぞにゃ」
中央には猫たちも多いだろう。こうして外縁部を下っていくべきか。
「ダイス、そういえば今のうちに薬を飲んでおくぞにゃ」
先生が思い出したように言う。
確かに。前世の記憶を取り戻すなら早いほうがいいかも知れない。
「……そういえば、僕は最初、薬の匂いを嗅いだだけで一部の記憶が戻ったような気がしたんですが」
「うにゃ。言葉や映像が断片的に浮かぶのは前世持ちとして普通のことぞにゃ。アルコールの匂いが気付け薬として作用したのか、あるいは普段は意識してなかった前世の記憶を意識できるようになったのか、ともかく薬を飲めば記憶はもっと戻ると思うぞにゃ」
あるいは、偽薬効果というやつかもしれない。相変わらず言葉だけ浮かんでそれが何なのか思い出せないが。
いつまでもこんな不安定な状態ではいられない。僕は通路を降りながら。薬を一口、口に含む。アルコールが喉をひりつかせ、香気が鼻から抜ける。そのまま少し歩けば、脳にぐるぐると血がめぐるような感覚。
「うぐ……」
少し気分が悪い。度数が82度もある高精製アルコールのためか。あるいは薬の効果によって体内で出血しているのか。例えるなら透明な湖の底で巨大な魚が暴れまわり、泥を跳ね上げて湖を灰色に染め上げるような――。
「……」
「ダイスさん、もし私のように、アルコールをまったく受け付けない体質だったら……」
「いや、大丈夫……弱いけど飲めないほどじゃないんだ。味があまり馴染まないのと、罪悪感を感じて進んで飲まないだけ。何しろ僕は肉体の年齢が10歳だから……」
「? それはもう壮年では……?」
シオンが不思議そうな顔をしている、僕は自然に流れ出る己の言葉と、己の思考領域での活動のすり合わせを行う。段々と、焦点が合ってくる。
そう、別に法に触れるわけでもない。遺伝子処理が当たり前になった時代。子供であろうとアルコール分解能は最大にまで高められており、飲酒に年齢制限などないのだ。そもそもほとんど酔わないので、酒を嗜む人間すら稀になったほどだ。
今の肉体がどうかは知らないが、どちらにせよ一口程度でぶっ倒れはしないだろう。そうだ、ようやく鮮明になってきた、僕は――。
「おかしいぞにゃ」
ホームジー先生の声に、僕たちは立ち止まる。
「どうしました、先生」
「だんだんスロープの直径が大きくなっとるぞにゃ。大雑把な感覚では、もう地下200メートル以上。カラバマルクでもここまで地下深くまで通じたトンネルはないはずぞにゃ。なのに、まだまだ底があるどころか、地下空間が拡大してるぞにゃ」
確かに。もう1時間近く進んでいる。
だが変化はそのとき訪れた。通路の先から膨大な明るさが流れ込んでいる。目が明順応を起こす。
腕で目を覆いながら進めば、通路の質感が石から漆喰のようなものに切り替わり、通路の左側、腰から上がガラス張りになっていた。空間の内側に透明なチューブを張り付けたような構造であり。外から丸見えなことを意識して僕たちは右の壁に張り付く。
先頭を走っていた剣士たちが叫ぶ。
「うにゃー、明るいにゃー」
「めっちゃ広いにゃー、外みたいだにゃー」
僕は慎重に身をかがめ、ガラス張りになっている部分から頭を半分出して覗く。
天井から吊り下げられた、巨大な球体状の光源が10以上。
全体の広さは地上の王城ヨルムンガルドがまるごと入るほどもある。砂時計の下側のような分銅型の地下空間である。下の方では様々な機材や荷車などがあり、木造のクレーンや移動できる櫓などが見え、その隙間に白衣を着た科学猫たちが見える。
――その、中央。
複数の櫓に囲まれ、歩道橋のような作業用の高台が渡され、造船ドッグに係留されたように見える巨大な物体。
それは砂色の外皮。
巨大な翼膜はワイヤーと鉄杭によって固定され、胴はいくつかの部分に離断されている。頭も切り離され、複数の猫たちが群がり何かを話し合ったり、溶接の火花なども見える。
たとえ何度生まれ変わろうとも忘れられぬ、その姿。
変わり果ててしまったが、かつてこの星の最大の脅威であった者。空を翔け、爆炎の息を吐いた神さびた獣。それが、なぜここにある。
僕はわななく唇で、おおよそ100年ぶりに、その名を呼んだ。
「――ドラゴン」




