第三十九話
とかく王都は混迷を深めつつあった。
選挙戦の開始から半年、ある団体は淘汰され、ある団体は力をつけていく。
忙しい毎日の中で、ふと現状を整理せねばと思うこともある。
「古き夢」は事実上の脱落、「音楽と美麗」は都であまり知られていないので目立ちはしない。ただ、捕り物の噂だけがいくらか届く。
岩の王や雨の王らを超越者として崇める「四王教会」や、平穏と堕落を追求する「ごろごろ床の会」、武器と道具を否定する「手と爪の彼岸」などは様々な理由で摘発されたという。
これらはいずれも岩の王との和解、あるいは戦争の終結を目指す団体であり、カラバマルクの猫たちはさほど気にしてはいなかったが、コジーたち反戦団体にとっては戦々恐々となるニュースだった。
毎日いろいろとやることがあって、時として自分の目的を忘れかけることもある。
主目的としてコジーたち反戦団体は「戦争の終結」、その次に「シオンの奪還」
僕は「シオンの奪還」、それとは別に「前世の記憶を呼び戻す」ことを目指す。
ルートーンが選挙で勝つならすべての問題は解決できる気もするが、そう甘くはないだろう。ルートーンの選挙活動は同時進行せねばならないが、手段としてはあくまで保険だ。主たる作戦はやはり、王城に忍び込んでのシオンの奪還。そして真円の凋落に繋がるような情報の入手となる。
全ての謀略、すべての答えは王城ヨルムンガルドにあり、城に突入することで全てを知ることができる……という予感はあるが、どうもまだ作戦に具体性が乏しい。
そしてマグヌス・ティルの率いる真円は、この選挙戦においてますます力をつけているように思う。公開討論が賭けの対象となり、宗教に興味のなかった猫たちの耳目をも集めることで、熱心な信徒がどんどんと増えているらしい。
真円の教えは実際、良くできている。スイカを信仰するという教えは、生物をスイカに属するものと属さないものに分けるというものだ。猫はスイカに属し、岩の王は属さない。
それが全て、それが根本、と考える。
スイカに属すものとそれ以外の生物は交わらず、共に住むことはない。岩の王となぜ戦うのかと問われれば、「スイカを食べないから」で話を完結させてしまう。
街の至るところにスイカを模した彫刻があり、スイカを模した服なども好まれた。猫たちはスイカに食べ物以上の意味を見いだそうとしていた。信仰の対象。集団の象徴。自らを律する制約……。
何かしら象徴的なものに集団を属させる、これだけで移り気な猫たちを纏めているのだ、大した手腕だと思う。トーテミズムという言葉が浮かぶが、これは前世の知識だろうか。
ともかく僕は反戦団体の会合に出たり、飲食店で噂を集めたり、三人の剣士の訓練に付き合ったり、レベルアップのために珍しいスイカ料理を入手してアジトに届けたり……という日々を過ごした。
それとは別に学問所での授業もあってこれも大変……いや、これは別に大変じゃないけど。今日受けた授業は「元気の出る歌」と「スイカのゼリー」だったし。
「薬の分析終わったぞにゃ」
そう言ってアジトを訪ねるのはホームジー先生だ。この頃では僕は下宿先から団体のアジトに居を移し、ホームジー先生も僕たちの活動に顔を出すようになった。
「にゃにゃ、本当にゃ? これで反戦の猫を増やせるにゃ」
例の薬の効果とは、前世持ちならば前世の記憶を思い出し、野良猫ならば目が覚めるような神秘的な体験ができること。そしてそのどちらでも、飲んだ猫は岩の王と戦えなくなる。岩の王がこの世界の支配者だと思い出すから、とのことだが……。
「どんな成分が入ってたんですか?」
「成分というより、スイカの蔓ぞにゃ。それと青カビ。スイカの蔓を湿った場所に置いといて、青カビを繁殖させたものをアルコールに溶かしてるだけぞにゃ」
「青カビ……それがどうして薬になるのですにゃ?」
このときルートーンも都に戻っていた。他にコジーと、団体メンバーの猫たちがわらわらと会議室に集まってくる。会議室と言っても民家の食堂だけど。
「薬ではないぞにゃ、これはただの毒ぞにゃ。家畜化された赤鋼牛についての文献をあたったけど、牛に青カビの生えた蔓を与えると、全身に内出血を起こして体調不良を起こすことがある、という報告があるぞにゃ」
スイートクローバー中毒。
という記憶が浮かぶ。青カビの生えた飼料には血液の凝固を妨げる成分が含まれることがあり、それが牛の筋肉内で内出血を引き起こし、筋肉の剛直や腹腔内出血などの症状が出る。
スイカにそんな成分が含まれてるのか知らないが、目まぐるしく進化し、様々な変種が生まれているスイカだ。妙な成分が含まれることもあるだろう。
「本来は異常が出るような量じゃないぞにゃ。でも強い酒と一緒に飲むと危険ぞにゃ。血行が良くなりすぎて体のあちこちで内出血を起こすぞにゃ。脳内でもにゃ」
「死ぬほどの量なんですか?」
「このぐらいの量ならネズミでも死なんぞにゃ、実験済みだから心配いらんぞにゃ」
ぽろろん、ぽろん
「ルートーン、音楽はいいよ」
「何か緊迫した曲が必要かと」
そこでコジーが割って入る。
「死ぬほどじゃないなら都のみんなに与えるべきにゃあ。その薬を飲んだ猫は岩の王と戦えなくなるにゃにゃ」
「いや、再現は無理ぞにゃ。スイカの種類と青カビの種類を合わせないとダメぞにゃ。城で作られてる薬なら、きっと城のどこかに栽培所があるぞにゃ」
そこでホームジー先生は言葉を切り、やや声の調子を落とす。
「それについて疑問があるぞにゃが……なぜ城でこんなものが作られてるぞにゃ?」
確かに。
岩の王と戦えなくなる、最果ての四王が世界の支配者だと思い出す……それが実際にどんな感覚かは分からないが、戦争を進めている真円と、ドラム四世の指針とはそぐわない。
「そうだね……意味があるとすれば、戦えなくなることを上回るメリットがある場合……とかだろうか」
「そうにゃにゃ、前世の知識を思い出すと経験を受け継げるからにゃ。知識タイプの猫なら学んだことを思い出せるにゃ」
「薬がもう完成してるなら……ダイスに聞いた、城の地下に潜っていた科学猫は何を作ってるぞにゃ?」
「にゃにゃ、きっと岩の王と戦うための新兵器にゃ。凶悪な武器とかにゃ」
それには僕も疑問を挟む。
「岩の王と戦えなくなるのに、武器は作れるのかな……?」
「にゃにゃー。命令されてたら作るかも知れんにゃ」
「……」
どうもスッキリしない。何だか起こっていることの中枢が見えておらず、遠くから部分だけを眺めているかのような。
「ダイス、何を考えるべきかを考えるぞにゃ」
ホームジー先生の言葉が耳に忍び入り、僕は顔を向ける。
「先生?」
「まず考えるべきは城のことでも、遠征のことでもない。この薬のことと、我々自身のことぞにゃ。なぜ、この薬を飲むと前世の記憶が蘇るぞにゃ」
「それは、脳内出血を起こして、それが脳に刺激を」
「それは薬理作用とは言えんぞにゃ。わしが思うにそれは破壊。脳に対する破壊行為ぞにゃ」
破壊……?
ではこの薬は、脳の何らかの機構を破壊して記憶を取り戻す薬なのか?
機構? なぜそんな機構がある?
そうだ、それは妙な話だ。薬の力があれば記憶を取り戻せるということは、記憶は最初からすべて脳内にあるのだ。
ではなぜ、黒猫たちは名前ぐらいしか覚えていないのか? まるで生まれた後に、前世の記憶を抑制する機構が働くかのような。
いや、それ以前の根本的な話として、なぜ記憶を維持できるのだ?
死んだ猫と生まれてくる黒猫は別の個体だ。誰もが当たり前のように魂だとか前世だとか言っているが、脳の記憶とは生理学的なもののはず。どうやってそれを維持……。
ぽんぴろんぽろん
「にゃにゃっにゃーにゃーにゃあー」
「にゃにゃにゃー」
「音楽はいいって、歌もいいから」
「うにゃー、話が難しいのにゃー」
団体の猫たちはだらけ気味である。
ぶっちゃけて言えばコジーとルートーンも少しついていけなくなっていた。
「わしは、王城の地下に忍び込むべきだと思うぞにゃ」
ホームジー先生の提案に皆が目を向け、僕は少し驚く。
「地下に潜っていったとかいう科学猫たちがどうしても気になるぞにゃ。そもそも工房というのは地上にあるに越したことはないぞにゃ。武器なんか堂々と作ればいいのに、地下で何をこそこそやってるぞにゃ」
「にゃー、きっと恥ずかしい形の武器にゃー」
「めちゃくちゃ臭いとかにゃー」
「そこ、無理矢理話に入らなくていいにゃにゃ」
現在では団体のリーダーのような立場のコジーが、机の上で体毛の生えた腕を組む。
「王城の地下と、地下牢についての情報も少しずつ集まってるにゃ。その工房も気になるし、やはり忍び込むしかないにゃにゃ。丁度、いい機会も作れたにゃ」
コジーは懐から紙を取り出し、全員に示す。
「公開討論会。「真円」のマグヌス・ティルと、「音楽と美麗」のネオン・ルートーンのカードが組まれたにゃ。場所は王城前広場。この時に忍び込むにゃ」
「公開討論……そうか、ついにマグヌス・ティルとの対決が……」
「誠心誠意、頑張らせていただきますにゃ」
「にゃー、恥ずかしい形ってどんなのにゃー」
「にゃー、きっと○○○とか○○○の形した武器にゃー、えろさ極まるにゃー」
その猫たちはコジーが普通に殴った。




