第三十六話
その一撃。
打撃点を中心に亀裂が床から壁を突っ走り、足が沈み込む感覚と同時に首根っこが後方に引かれる。
コジーが僕を引いて後方に飛んでいた。騎士の足元に生まれているのは大穴。冗談のように岩盤と補強用の板材も砕け、下層の空間が見えている。
「にゃぎゃー、岩が降ってきたにゃー!」
「ケーキが潰れたにゃー!」
下層の住人が悲鳴を上げるが、潰れたのがケーキぐらいで済んで御の字と思ってもらわねばならない。あの一撃、もはや怪物じみている。
「っ! 誰です! このような狼藉、許されませんにゃ!」
酒蔵の奥でシオンが叫ぶ。
白銀の騎士は顎を動かし、その背後からやや軽装の衛兵たちが次々と出てくる。
「ひっとらえるにゃー」
「御用にゃー」
「シオン! ずらかるにゃ!」
そう叫ぶのはコジーだ。僕の首根っこを引きずったままで素早く走り、酒蔵の奥で別の扉を蹴り開ける。
「んにゃー! 主事様に手は出させんにゃー!」
座って説法を聞いていた信徒たちも長物を手に立ち上がる。酒蔵だけに大型の櫂棒だとか長柄の手桶だとかが多かったが、ともかく猫たちは勇敢に衛兵に殴りかかる。
衛兵たちは鎧は着ているが武装していない。金属の小手で棒を防ぎつつ、信徒の猫たちを取り押さえようとする。
「捕まえるだけにゃー、抵抗するんじゃないにゃー」
「うわ棒めっちゃ痛いにゃ、やめるにゃー、泣きそうなるにゃー」
「主事様は上に逃げるにゃー」
「しかし……」
シオンがためらいの色を見せる。僕もようやく引きずられる体勢から立ち直り、シオンに声を飛ばす。
「今は逃げるんだ。大丈夫、あの衛兵たちは武装してない。怪我をさせるつもりはないはずだ」
「……申し訳ありませんにゃ、皆さん」
「こっちだにゃ! 逃げるにゃにゃー!」
コジーの後を追い、シオンと僕、それにルートーンも駆け出す。そして階段を登ることしばし。
「この先って地上に通じてるの?」
「さー?」
コジーの返答に僕は転びそうになる。階段だったのであやうくスネを打ちかけた。
「さ、さあって」
「普段使ってる道を外れるともう分からんにゃにゃ。何しろ造山猫たちがあちこち掘ったり埋めたり繰り返してるもんで、迷路みたいになってるにゃにゃ。でもたぶん。風の流れにそって向かえば……」
そして開けた空間に出る。下から吹き上げる風がハンチング帽を撥ね飛ばしそうになる。
そこは地下の渓谷。
かなり深く、長く続く渓谷状の空間に、斜めに溝が穿たれて斜路となっている。高さはわずか130センチほど。僕はハンチング帽を押さえつつ、身をかがめて走る。
遙か上空からロープが降ろされ、土砂を満載した籠が上昇している。下方からは岩盤をハンマーで打ち付けるような音もする。この地下空間が未だ拡大を続けてると思わせる音だ。
「ここは?」
「工事用の縦穴らしいにゃ。ここから土砂を上にあげてて、通気口の役目もあるのにゃ」
空に通じているのか陽光の暖かさを感じる。どこに設けられた穴なのか知らないが、歩いててこの穴に落ちたらと思うとぞっとするな、と少しだけ思った。
「! うわ、もう来ましたにゃ!」
背後にいたルートーンの声に振り返れば、そこには白銀の鎧と黄金の兜の騎士。長柄を振り回し、先端の鉄塊が壁面に突き刺さる。
とてつもない衝撃が空間全体を走り、亀裂が壁面から地面に回って僕らの足元にまで届く。
「うわっ!?」
斜路のあちこちが爆散するように砕け、大量の瓦礫が谷間の奥に落下していく。こ、こいつ。この斜路ごと崩すつもりか。
「みぎゃー!? 突然壁が出っ張ったにゃー!」
「ケーキが潰れたにゃー!」
どうやら壁の内部にも居住空間があったらしく、どこからともなく哀れな猫たちの叫び。
騎士の猫はやはり猫というべきか、あれほどの重装備でありながら身が軽い。崩れかけた斜路を一足飛びに進みつつ、長柄が振りかぶられる。そしてまた一撃。轟音が縦穴を反射しながら拡散し、壁面の亀裂が一気に壁を駆け上り、足元までを崩していく。
「む、無茶苦茶だこいつ。それになんて力だ。戦士タイプでもここまでは……」
そいつは小手を付けておらず、僕は長柄を持つ指先を見る。
その爪は猫人のレベルが上がるごとに色合いを変え、横に入る成長線の密度が変化する。あの密度の具合は。
「レベル250以上……!? 馬鹿な、そこまで成長している猫人なんて聞いたことがない」
猫たちの成長には「まだ食べたことがないもの」を食べる必要がある。レベルが150を越えるとレシピの調達が難しくなり、レベルの増加難易度に対して成長が緩やかになるので、遠征隊であってもレベル150を越える個体はめったにいない。
いや、それ以前に、ものの本によれば今までに見つかっているレシピは260あまりのはずだ。
そこで僕は気づく。この猫の装備。
「白銀の鎧……黄金の兜。まさか、それは」
「やめなさい!!」
僕を横切る影。斜路を飛ぶように降りるその影は白いヴェールの猫。
シオンが僕たちをすり抜け斜路を降り、白銀の騎士の前に立ちはだかる。
「目的は私のはずにゃ。私だけ連行すればいいはず! 地下道の皆さんに迷惑をかけないでほしいにゃ!」
「だめだシオン! 逃げるべきだ!」
僕の声に、しかしシオンは振り返ることはない。白銀の騎士は指を突き出し、それを地面に向ける仕草をする。
「……薬を捨てろ、というにゃ」
長衣の内から抜き出すのは硝子の小瓶。シオンはそれを地面に叩きつける。
瞬間。空気に交じるアルコールのような匂い。
「――!」
鼻に刺さり脳天まで突き抜け、氷の風が脳幹を駆け下りるような感覚。
その感覚は刹那のことだった。目の前でシオンが歩みを進め、白銀の騎士を横切る瞬間に一瞬だけ、こちらを振り向く。
瞬間。ひときわ強い風が下方から吹き上がり、彼女のヴェールを包んで上空へと打ち上げる。レース編みのヴェールが蝶のようにひらめき、誰しもの目が一瞬だけ引きつけられるような感覚の中。
――耳が。
シオンの頭の耳、黒猫だった頃の名残である三角の耳が見える。
その耳を見た時、僕の内側に正体不明の感覚が湧き上がる。まるで、彼女に耳があることが意外だったというかのように。
だがそれは言語化されるほど明確な感情ではなかった。僕は何かを振り切るように叫ぶ。
「シオン! やめろ! 行ってはいけない!」
僕は斜路に這うように倒れ込み、膝立ちになって叫ぶ。騎士はシオンの体を下方へと送り出し、遅れて駆けつけた他の衛兵たちがその身柄を確保する。
「馬鹿! ここはズラかるにゃ! あたしらまで捕まるにゃ!!」
斜路はいよいよ崩れ始め、周囲を構成する岩盤が無数の礫片となって下方になだれ落ちていき。
僕はコジーに首根っこを掴まれ、身体が上に引き上げられる向こうで、白銀の騎士は悠然ときびすを返し――。
※
「とりあえずここなら安全にゃあ」
コジーが案内したのは町外れの空き家である。人ごみを縫って走ること十数分。とりあえず追手の気配はなかった。
「シオンはどうなるの」
「分からんにゃ。盗みぐらいならそんなに大した罪じゃないけど、王城から盗んでた薬がどのぐらい貴重品かによるにゃあ」
コジーは手を動かし続けている、手紙を書いているようだ。
「それより反戦団体の素性がバレてる可能性があるにゃ。とりあえず他のメンバーに手紙を出して身を隠すように指示するにゃあ」
「私も顔を見られてしまいましたにゃ。特に何の容疑がかかっているわけでもないですが、ほとぼりが冷めるまで街を出たほうが良いかも知れませんにゃあ」
ルートーンは服のホコリをはたきつつ言う。
「僕はシオンを助けたい」
僕の発言に、二人は一瞬硬直し、そして目を丸くする。
「どうしたらいいと思う? つまり自ら投獄されて内側から彼女を連れ出すか、外から忍び込んで救うかという意味で」
「い、いや、あんた何言ってるにゃあ?? シオンとどういう関係なのにゃにゃ?」
コジーは声を上ずらせる。無理もないだろう。彼女にとっては初めて会う人物。しかもまだ若い小人だ。
「コジー、君にはシオンの持ってた薬を再現して欲しいんだ。サンプルはここにある」
僕は手を開いてみせる。そこにはあの斜路にてシオンの投げ捨てた小瓶、その破片だ。成分が揮発しないように油紙で包んでいる。写本を急な雨で濡らさないように、いつも懐中に持っているものだ。
「さ、再現って、あたしはただの酒屋だにゃあ。酒しか作れないにゃあ」
「分析は僕の先生のツテを当たってみる。ただ純度の高いアルコールが使われてることは間違いない。おそらく蒸留によって純度を高めたもの。80度以上の酒が必要だ。どこかの酒蔵を借りて作ってくれ」
「だ、ダイスさん。急にどうされたのですにゃ? なぜ薬を?」
「何かが思い出せるような気がしたんだ。あの一瞬」
あの一瞬。シオンが瓶を割り、霊薬の匂いを嗅いだ瞬間。頭の中が真っ白になって、そこに何かの風景が浮かぶような気がした。遠い日の記憶。生まれる前の記憶。僕は多くの猫とともにいた。
世界は砂漠に覆われ、三匹の猫とともに長い旅を、そしてその前は――。
そこから先はまだ像を結ばない。だが思い出さねばならない事は分かる。その記憶こそが彼女を救う手がかりになるはず。
――彼女? それはシオンのことでいいのだろうか?
「……ともかく、ルートーン、君にも協力してほしい。資金が必要なんだ。腕の立つ猫人も何人か必要だし、王城ヨルムンガルドの内部の情報も欲しいし」
「分かりましたにゃ。ですが危険……あああ違う、なぜ分かりましたと言ってしまうにゃあ」
「ルートーン、コジー、僕は君たちに強制したくはない。僕の言葉にみんなが逆らえないことは何となく分かってきた。だが命令で従わせることはしたくないんだ。コジー、君もシオンを救いたいだろう?」
「そ、そりゃ、もちろんにゃ、昔からの友達にゃ」
「ルートーン、僕は君の「音楽と美麗」という考えに賛同する。君の教えがこの国の国教となり、猫たちが音楽を楽しみ、優美に酔いしれて争いと無縁でいられる。これは一つの理想だと思う。だから選挙戦は君が勝てばいい。僕に協力してくれるなら、必ず君を勝たせる」
「うにゃっ……そ、それは、もしそんなことができるなら……それは……」
頭の一部が冴えている。脳の一部が漂白されたかのような感覚。
最初に思い出すのは情報ではなく、体の動かし方のような感覚的なことである。
そう、僕は、かつて猫たちを導いていた。そしてこの世界では猫たちは僕に逆らえない。そのように造られていることを、苦々しくも認識する。
そしてまた導かねばならない。猫たちの街に、螺旋の城に落ちる混沌の影から、猫たちを救わねばならない。
そして心の隅に、一つの名前がひらめく。
「強い戦士が必要だ。あの白銀の騎士に打ち勝てるほどの」
心に浮かぶ名前は英雄のそれではなく、実感として知る名前。
「英雄、トムのような猫人が……」
猫たちのまとめ その2
シェル・クーメル
ダイスの育ての親。伝令猫の家系に生まれた。現在は片田舎で地図屋暮らし。
ネオン・ルートーン
歌や詩吟を専門とする詩吟猫、「音楽と美麗」という団体のトップ。
ホームジー
かなり高齢の猫であり、読書や学問を好む学者猫。学問所の教師であり、写本業も営む。
シオン
前世を持たない野良猫、宗教団体「古き夢」と反戦団体のメンバーの両方を務める。レベル100を越えており隠密行動に優れる。
ウィス・コジー
先祖代々の酒造りを務める猫。反戦団体のメンバーでもある。シオンとは昔馴染み。
※
ここでいったん章を区切ります、次からは第五章となります。
このところPVが増えていて、感謝すると同時に緊張もすごいです。どうかもうしばらくお付き合いください。




