第三十二話
王都カラバマルクの構造は放射形を基本としている。
中央にあるのが王城ヨルムンガルドであり、いくつかの大通りがまず敷設され、建物ができていくに従って路地が形成されてきたわけだ。
大通りはまっすぐ城を目指せるが人通りが多く、路地は多少入り組んでいるが人とぶつかる気づかいはない。進むごとに王城の三角形のシルエットが建物の影に見え隠れし、徐々に近づいていく実感があってなかなかにわくわくする。こみごみとした曲がり角を何度も曲がる。
路地の片隅には生ゴミの匂いがする木の桶、荷車に山と積まれたスイカなどがある。裏通りの方に入口がある飲み屋はすでに看板を出して営業を始めていた。
王城の南側には官庁街があり、僕の進んでいる北側には歓楽街が広がっている。時刻はまだ昼過ぎだが、飲む猫は時間など気にせず飲む。
ふと路地の谷間で曇天を見上げれば、少し高い位置には壁からせり出すように看板が突き出している。そういえば大通りでは道にはみ出す看板が規制されているため、その反動か、裏通りでは賑やかな眺めになっていると聞いていた。これがそうか。
どれもなかなか手が込んでおり、酒樽を模した大きな看板、指輪を模した看板、木彫りで作られたステーキの看板などなど目を引く楽しさがある。猫の街では商品をそのままアピールするのが主流のようだ。
雨が降っているせいか路地に人通りは少なく、普段は入り口を開け放っている店も戸を閉めている。木戸の奥からささやかな話し声が聞こえ、四方八方からスイカ酒の匂いもしてくる。
「どうか、夢の声に耳を傾けて下さい」
ふと、前方からそんな声が聞こえてくる。
裏通りではあるが、城にだいぶ近い位置のため道幅はそれなりに広い。その片隅に立ち、両手を胸の前で組み合わせて、通行人に何かを訴えかけている人物がいるようだ。
一瞬、いわゆる娼婦猫かと思ったが、ここはもう城に近すぎる。そのような猫は都市の外れ、しかも夜にしか見られないと聞いていた。
「我々は夢の囁きに従うべきです。私達は夢にてすべてを知り、すべてを思い出すのです」
足を止める人はいない。物珍しそうにちらりと見るものもいない。もともとさほど人通りのある場所ではないし、雨の日となれば尚更だった。
それは女性型の猫人のようだった。白いヴェールで頭を隠し、薄紫色の長衣で全身を包んでいる。
女性は猫らしい舌足らずな言い回しを抑え、きびきびと発音していた。体の動きは小さく声のみだが、通行人に止まってもらおうとする強い意思を感じる。
「夢こそは我らの心の言葉、従うべき真実の言葉なのです。我らの教義にはこの世の真実があり、素晴らしき託宣が伝えられているのです。この場にて吟じるこの言葉に、どうか耳を傾けてください」
どうやら宗教家のようだ。王都にて最近新しい団体も増えて、特に小さな団体などは信徒を増やすための活動に熱心らしい。僕は身を縮め、そそくさとその前を通りすぎようとする。
ちらりと目を送れば、それは白い肌を持つ美しい猫人だった。つぼみのような小さな口が、詩のような言葉を紡いでゆく。
西の果てに岩の王、万物を飲み込み峻厳たる。
南の果てに雨の王、空の七彩を喰らいて眠る。
東の果てに森の王、豊穣と悠久を噛み砕く神。
北の果てに骸の王、大地の奥にて万魂を貪る。
そして月には夢の王。世界を平らぐ夢を見る。
「――え?」
僕は足を止め、その女性を振り返る。
そして数瞬の内省。いま、僕はなぜ足を止めた? 何が意外だったのだろうか?
白いヴェールの女性は足を止めた僕に気づき、つと顔を上げてにこりと微笑む。
それは美しい顔立ちだった。敬虔な信徒だけが持つ、独特の余裕のような包容性をたたえた、故郷で見た深い森のような笑みだ。
「ご興味がおありですにゃあ?」
「あ、いえ、いまの詩みたいな言葉……」
「はい、これは私ども「古き夢」が教義としている託宣の一つですにゃあ。かつて建国の英雄トムは同じ言葉を古い遺跡で見つけ、遥か塩の海を渡って岩の王に会いに行ったと言われていますにゃあ」
それは建国神話として伝わっていることだ。そこで僕は違和感の正体に気づく。
「ええと、でも、英雄トムたちが見た碑文は内容が伝わっていなかったはず。岩の王、雨の王、森の王、骸の王に関する言及があった、と伝わっているだけで、正確な文面は知られていない……それに夢の王というのは?」
その女性はたおやかに微笑み、その大きな瞳で僕を覗きこむ。背の高さは同じぐらいだが、相手は高レベルの猫人ということもあり、大人びた空気に飲まれそうになる。
いつの間にか、路地に他の猫たちはいなくなっていた。僕の菅笠を打つ雨の音。頭上の看板に当たり、ちろちろと細長い糸となって流れ落ちる水音。そんな音が遠ざかって、目の前の女性に意識が引き付けられる。
「夢の王、それは我々にもたらされた託宣、夢の教えなのですにゃあ。よろしければ、これから私どもの会合にいらしてくれませんか? きっと素晴らしい体験になると思いますにゃあ」
「……う、うーん、でも……」
と、そこで路地の奥からがらがらと物音がする。
誰かが木の桶を倒した音だろうか。すると直後に何人ものバタバタとした足音、がちゃがちゃと金属の触れあうような音が。
「! こっちへ」
その女性が手を引き。僕を連れ去らんとする。
その路地に現れたのは四人の猫人だった。衛兵のそれとは違う、脛や首回りまでをガードする重装鎧を着ている。
「うにゃっ、また逃げられたにゃ」
「怒られるのにゃー」
「お前が桶を蹴飛ばすからにゃー」
「違うにゃ、桶の方がぶつかってきたにゃー、嘘じゃないにゃー」
やいのやいの、とやや緊張感のない様子でやりあっているが、あの鎧も、手に持った大振りの戦鎚も紛れもなく本物だ。彼らは何者なのだろうか?
路地の上方、看板の上に二人で座り、僕は息を殺して観察する。
あの一瞬。
ヴェールの女性は僕を抱えて跳躍、一度壁面を蹴って斜め上に伸びあがり、四メートル近い高さの看板の上に乗り上げていた。そこは酒樽を模した大きな看板であり、真下からは僕らは完全に隠れるはずだ。
華奢な印象だったが、さすがは猫人というところか。見た目以上に場数を踏んでるのかも知れない。
「向こう探すにゃ」
「んにゃー、向こうがいいにゃー」
「あっちからいい匂いするにゃー」
「それがどうしたにゃー」
戦士タイプの猫人たちは、やたら騒々しく騒ぎながら遠ざかっていく。
僕の口元を押さえていた袖が取り払われ、僕はまだ緊張を残したまま。ゆっくり静かに息を吸った。
「か……彼らは何者なの?」
「おそらくですが、王城つきの正規騎士ですにゃあ。なぜか小さな団体をああして取り締まっていますにゃあ」
「そうか、噂にあった襲撃というのは彼らのこと……」
「捕まったら、何のかのと理由をつけられて牢屋に入れられるそうですにゃあ。身を隠すのは不本意ですが、仕方ないのですにゃあ」
どうもきな臭い話になってきた。
あれが正規騎士だとすると、目的は何だろう。宗教家を隠れ蓑としている犯罪者を取り締まる? それとも宗教団体そのものを不穏分子と見ている?
大宗教選挙の影響で、カラバマルクへの人口流入は増大している。この選挙を大きな商機と見ている猫が多いらしい。そのため一部では治安が悪くなっていたり、選挙がらみの揉め事や犯罪も起きていると聞く、となれば衛兵が緊張しているというのは、襲撃事件のことではなく、このカラバマルクの現状に対してなのかも知れない。
どちらにせよこんな路地裏で、四人がかりで一人を襲うというのは騎士にあるまじき話だろう。逃げて正解だと思う。
「ええと……とにかく無事で良かった」
「はい、申し訳ありませんが今日はお互い別れましょう。また今度、私どもの会合にいらして下さいにゃあ」
「うん……あの、僕はダイス、あなたの名前は?」
女性は、名乗り忘れていたことを申し訳なく思ってか、いちと驚いたような顔をしたあと深々と頭を下げる。
「申し遅れましたにゃあ、私、シオンと申します。「古き夢」にて主事を勤めさせていただいてますにゃあ」
「シオン……。ええと主事……というと、代表ってこと?」
「そうですにゃあ、まだまだ信徒の皆様は多くはありませんが、日々、夢の深みに潜るための研究と、その教義を広めるための説法をしておりますにゃあ」
そこでシオンは、少し恥じらうように肩をすぼめて言う。
「説法のために若づくりの化粧をしているけれど、もう八歳ですにゃあ。おばちゃんで申し訳ないですにゃあ」
うん、ごめんなさい、年上です僕。




