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スイカの星の進化論  作者: MUMU
第四章 螺旋の城と猫の街
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第二十八話






シェル・クーメルという人物は、控えめに言って聖人だったと思う。


この時代、小人マンチカンたちは生まれてすぐに様々な食べ物を与えられ、すぐにレベル15ほどまで成長する。その後は生まれた村にて言葉を学んだり、一般常識を学んだりする時期を半年ほどおき、一年もすれば都市の学問所へ行くことになる。かつてはすぐに職を持つものもいたらしいが、今はすべての小人マンチカンに学問が義務付けられていた。


だが僕はとにかく常識を外れていた。何を食べてもその体は小さいままで、手足は弱々しく、腕の先に体毛もない。スイカをまともに食べることができず、食べればお腹を下した。そして日に何度も火がついたように泣きわめき、あらゆる場所で粗相をした。


クーメルは村の技術屋に相談し、粗相をしてもベッドを汚さないように厚手の布を仕込んだ下履きを。寝返りを打って落ちないように柵つきのベッドを。そしてシェル・クーメルが僕を背負ったまま仕事ができるような背負い紐などを開発した。


食べ物は大変な苦労があったらしい。村の料理人たちが話し合ってメニューを開発したが、僕は何度も何度も容赦なく吐き戻した。そもそも僕には生後半年ほどまで歯も生えていなかった。

行き着いたのはスイカの未成熟な黄色い種。それをすり鉢ですりおろし、ミルクで煮て粥に仕立てたものだった。これは栄養価が非常に高く、味も穏やかだった。

それとは別にシェル・クーメルは母乳が出るようにもなった。猫人リカントは生殖によって子供を生む場合に母乳が出るが、先述のように小人マンチカンはすぐに大きくなるため、母乳を与える機会はほとんどない。僕はあまり記憶にないが、シェル・クーメルは3時間おきに泣き出す僕に母乳を与え、あるいは黄色い種の粥を作ったという。


僕が全く成長しないことを危惧する声は多かった。当然のことだろう。

大きくならない猫を育てるのは荷が重い、野生に帰すべきだと忠告する猫もいた。だがシェル・クーメルはきっぱりとこう言った。

この子はちゃんと大きくなっている。他の猫より少し遅いだけだ、と。


シェル・クーメルの仕事は地図屋である。

といっても新たに地図を作るわけではない。7つの山を歩き回り、そこに自然発生しているスイカを記録し、地図に書き込んでいく。麓の村にその地図を売ることで対価を得るのだ。山スイカは畑のスイカに比べて味がよく、滋養に満ちている。村人が食べるより都市との交易に用いられるほうが多かった、つまりは贅沢品のような扱いである。

巨大なカゴを背負ったスイカ採りたちが、シェル・クーメルの地図を買って山に入る。そしてカゴにスイカを山盛りにして降りてくる。


「あれは昔、夫がいたのにゃあ」


一度、村の男が話してくれたことがある。彼はスイカ酒ドルミーをしこたま飲んで良い気分になっており、友人と思い出話をかわすようにそれを語った。


「夫は音に聞こえた健脚の地図屋だったけど、いつも遠くへ行きたい、でっかいことをやりたい、そんなことばかり言ってる男だったにゃあ。都市で大金持ちになりたいと、塩海を越えて大陸へ渡りたいと、岩の王から宝をもらう、金山で金を掘る、そんな夢みたいなことばかり言ってたにゃあ。誰よりも長く歩き、誰よりも広い範囲でスイカを探していたけれど、ある日、狼に食われてしまったのにゃ。それ以来、クーメルが仕事を継いでるのにゃあ」

「父さんは前世持ちハイランダーだったの?」

「んーにゃ。ただの野良猫バーマンだったにゃ」

「じゃあ、母さんは?」

「シェルは前世持ちハイランダーだにゃ。先祖は戦場を駆け回る伝令猫シンガプーラだったらしいにゃあ」


猫には大きく分けて二種類ある。前世持ちハイランダー野良猫バーマンだ。

前世持ちハイランダーとは無限の魂を持つ猫であり、死してもその体はどこかに復活し、わずかだが生前の記憶と能力を受け継ぐ。シェル・クーメルの場合は祖先の健脚を受け継いだわけだ。総じて前世持ちハイランダーのほうが重要な役職を務めることが多い。


「本当は都市で遠征隊に加わっても良い血統なのにゃあ。たしかに変わり者だけど、なんでこの村に留まってるのかにゃあ」


その猫の語り口は寝言のように濁りだしたので、僕はそっと毛布をかけた。


僕は6歳ごろから母の世話になることも少なくなり、村の周辺にある丘や森を歩き回ってスイカを食べたり、木の実やきれいな石などを集めて標本を作ったりした。特に興味を引いたのは村の集会所にある本だ。本はとても高価なものであり、安いものでも労働者の7日分の賃金に匹敵する。


「にゅー。ダイスは本が好きなのにゅう」


そう言って、シェル・クーメルは僕の隣りに座って一つの本を読むこともあった。地方の村などでは字が読めない猫のほうが多いが、シェル・クーメルは学者のような幅広い教養を持っていた。かつては都市の高等学問所、いわゆる大学で学んでいたという。


クーメルは都市に手紙を書き。わずかな硬貨を封に入れて郵便に出した。

数日もすると村に本が届き、クーメルは僕に読んで聞かせた。昔の知り合いから安く譲ってもらっているとの事だった。


そして。僕が拾われてから10年。


「ダイス、都市に行くにゅう」


ある日、シェル・クーメルはそのように言った。

この頃では僕も地図屋の仕事を手伝うようになっていたが、その仕事のさなか、ある山の山頂でのことだった。


「もう立派に大きくなったにゅう。レベルでいうと30はあるにゅ。カラバマルクの都へ行って学校へ行くにゅう」

「母さん、僕は学問なんか興味ないよ。ここで母さんの仕事を手伝うよ」


僕がそう言うと、シェル・クーメル。つまり僕の母は激しく首を振る。


「ダメだにゅ。猫は広い世界を見ないといけないにゅ。多くのことを学んで、いろんなものを食べるにゅー」

「……母さん、じゃあ、母さんはなぜこの村にいるの?」

「にゅ?」


シェル・クーメルは、意味がわからないというように首を傾げる。


「良い血統の前世持ちハイランダーなんでしょう? 都市へ行って、レベルを上げて伝令猫シンガプーラになるとか、遠征隊に加わるとかもできたはずなんじゃ」

「それは違うにゅ」


シェル・クーメルは僕を抱き寄せ、頭を撫でて言う。背の高い血統らしく。僕よりも頭一つ分ほども高い。


「母さんは若い頃、あちこちを旅したにゅう。西の果ての岩の国も、北の果ての雨の国も見たにゅう。百の景色を見た猫は、一つのものから百の思い出を見出すにゅ。この村を囲む7つの山も、母さんにとっては色々なことを思い出せる宝箱みたいな山にゅう」

「……でも、母さんを一人にしていくわけには」

「猫は一人ぼっちになんかならないにゅ。いつでも仲間が近くにいるにゅ。村のみんなが大切な仲間だにゅう」


分かっている。

猫はとてもさばさばとしている。離合集散を当然のことと受け入れて、出会いと別れの挨拶も、にゃあと鳴けばそれで十分。この小さな村に愛着を覚えて、離れがたい気持ちになっている僕のほうがおかしいのだ。


「分かったよ。母さん。カラバマルクの街へ行くよ」

「にゅっ、それがいいにゅ」

「母さん、僕はいつか、きっと――」


シェル・クーメルが、僕の口をそっと押さえる。


「明日のことは言ってもいいけど、いつかの話は言わなくていいにゅ」


いつか、戻ってくる。

その言葉を言えば、僕はこの村に捕らわれる。言葉は予言となり、運命となるだろう。自由に生きる猫にとって予言は不要なものだ。それもまた猫の常識。家族や場所にとらわれない猫の自由さ。


だが、その一瞬。

僕を抱きしめるシェル・クーメルの腕が、わずかに力を増し、身体が熱を持つように思えた。


「……」


何もかも他の猫とは違う僕であり、世にも珍しい10年もの共同生活を経験した僕たち。

その中で、シェル・クーメルにも何らかの猫らしからぬ感情が芽生えていないと誰に言えよう。

この村を離れられないのは夫の思い出があるから。僕と一緒に過ごした土地だから。

僕を送り出すのはそれが猫の世界の常識だからだ、しかし強く抱きしめようとする気配に、別れがたい感情が籠もっていないと誰に言えるだろうか。

それは推測に過ぎない。猫の中に小人マンチカンを10年も育てた者は一人もいないのだ。シェル・クーメルの心の中は、彼女自身ですら説明できないほど深遠で、複雑で、そしてある種の純粋さを持っていたように思う。


旅立ちはその日の夕方である。猫たちの世界は何もかも早い。

出かける時、駆けつける猫は何匹かいた。うち一人が僕の手を持ってぶんぶんと振る。


「あの小さな子がでっかくなったにゃー、それにしても不思議にゃ。何を食べても進化しなかったのに、ただ長い時間を過ごすだけで大きくなるなんてにゃ」

「そうでもないよ、毎日たくさん食べてよく眠ったからだよ」

「にゃー、気をつけるのにゃー」

「うにゃー、兵隊になったらモテモテなのにゃー」

「にゃー、美人の娼婦猫ヒマラヤンとにゃんにゃんするのにゃー」

「そこらへんあんまり興味ないけど……」


僕は集まった群衆を見渡す。


シェル・クーメルはいない。仕事があるから、と行って今日も山に入っているのだ。視線を遠くの山々に向け、そこを健脚で駆け回る彼女を思う。猫には家族の情が薄いからか。それとも会えば別れが辛いからか。


僕はすうと息を吸い込み、肺を一杯にして、さらに口をぱくぱくと動かして空気をためてから。

それを音に変えて叫ぶ。


「にゃああああああああああああっ!!!」


集まった猫たちはびっくり仰天、後方にひっくり返る者もいたが、僕に合わせて大声て鳴き声を返す。にわかにその場は大宴会のごとく。猫たちが伸びやかな声を天に放ち、遠くの山々でこだまとなって跳ね返る。


さらば、故郷よ。

愛しきシェル・クーメルよ。唯一無二の母よ。




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