第二十七話
その猫はドラゴンの脊柱の上にいる。ひび割れた竜の外殻に指をねじ込み、肩がもぎとられそうなGに耐えている。
そしてもう片方の腕は剣を掴み、翼の付け根を一撃。
瞬間、万雷轟くような咆哮。ドラゴンが空中で旋回し、小さな影がそこから離脱。
ドラゴンはバランスを失い、それでも再び穴に落ちることは嫌ってか、空中で制動を取りつつ広場の一角に落下する。
「! 足だ!! 足の赤熱している部分を壊して!」
「うにゃー!」
僕の指示を得て猫たちが群がる。
背中を強打したせいか、まだ体勢を立て直せないドラゴンの脚部に無数の打音が突き刺さり、その外殻と内部の機構を破壊せんとする。
小さな影の方は、どうやらまとめてあったロープの上に落ちたらしい。そこを目掛けて飛んだのか、幸運だったのかはわからないが、ともかく腰をさすりながら出てくる。
「あたたた、全身痛いのにゃ」
「トム!!」
僕は駆け寄る。猫人たちの中でも古株のものはトムを覚えていたらしく、何人かがふいに戦闘すら忘れて歓声を上げる。
「にゃー! トムだにゃー」
「生きてたのにゃー」
とぐろを巻いているロープがクッションになったとはいえ、かなりの衝撃だったことは間違いない。僕は救護班を呼ぼうとしたが、トムはその申し出を拒んで言う。
「にゃっ、大丈夫にゃあ。それより戦闘なのにゃ、でっかい生き物だにゃー」
そこで気付く、トムが持っているのは工房で作った鉄の剣ではない。そもそもあれは剣の形をした鉄板にすぎず、当時としては工房の最高傑作だったのは間違いないが、何年も使っていれば錆びてボロボロになるのは目に見えていた。とてもあの翼膜を斬り裂ける鋭利さはない。
彼が持っているのは全体が炭のように黒い、濡れた石のような剣だ。黒曜石かとも思ったが表面に光沢はなく、ざらついた質感がある。
「トム、その剣は?」
「んにゃっ、岩の王からもらったにゃー」
トムはそれを僕に手渡す。どうやら自慢したいようだ。猫の習性だろうか。
受け取ってみると驚くほど軽い。プラスチックの模造刀かと思うほどだ。
「これは……まさかチタン? そんな馬鹿な、チタンを剣にするには微細加工が必要になるはず」
靭性と硬度において鋼鉄を上回るチタン。だがそれで刃物を作ってもあまり切れ味が良くならない、刃が滑らかに過ぎるためだ。かの日本刀は素材的な原因により、顕微鏡で見れば刃の部分はギザギザになっている。その極小のノコギリのような構造が切れ味を生むという。
だがこのチタン刀には刃がついている。これを作るには超砥粒を高速で吹き付けるなどの微細加工技術が必要だ。トムはもちろん、猫の世界でもまだ何十段階も先の技術のはず――。
「それに岩の王から貰ったって、それは確か、あの地下施設で見た名前……」
どん、という破砕音のようなものが響き、目の端に朱色の光が見える。
それはドラゴンが炎を吹き、自分の右側面の猫たちを吹き飛ばした音だ。ドラゴンはその巨体をぐるりと回転させて起き上がる。
「んにゃっ、行ってくるにゃー」
トムは僕の手から剣をもぎ取り、駆け出していく。
「……くっ、ドラゴンめ、まださほど弱っていない、なんてタフなやつ……」
がくん、と、右膝が沈む。
「……?」
急に足の踏ん張りが効かなくなり、重力の手が体を引く。右の後頭部から血の気が失せて右半分の視界が霞む。気づけば体全体が熱を持っている。
腹部に違和感がある。そこに触れれば、ぬるりと手が滑る感触。
「…………」
どうやら数ミリほどの流れ弾に当たったようだ。先刻、ドラゴンがジェットをふかした時か。あれは大人でも飛ばされるほどの衝撃波だった、岩の破片が弾丸と化して飛んできても不思議ではない。
僕は奥歯を強く噛み、なんとか立ち上がると、マントを落として手近なロープを腹に三重に巻きつける。腹部が圧迫される感覚が腹筋の働きを助け、ぎりぎりと皮膚に食い込む縄が、意識され始める痛みを遠ざける。
周辺を見れば武器が散乱している。ハンマーは僕にも使い切れない重さだった。仕方なく短剣を一本拾う。そして息を肺で固めて声を出す。
「みんな! 頑張るんだ!! 衛星キャンプからもそろそろ援軍が駆けつけるはず! ひたすら攻撃を続けるんだ!」
「うにゃー!」
「やっちゃるにゃー!」
おそらく傷は内臓にまで達している。外科手術の発達してない猫たちの世界では助かるまい。
だが、これでいい。
僕の死は劇的でなくていい。一人の戦士として野辺に散るのだ。
かすむ目でよく見れば、周辺には惨劇が広がっている。猫たちは気炎を上げて武器を振るう。悲しむ暇など無いかのように。
猫たちはいつも本能のままに、がむしゃらに食らい、戦い、好奇の眼で世界を見ている。その無限の活力があれば、きっとこの星を切り開いていけるだろう。
僕はそろそろ役目を終えるべきだ。この星の担い手を彼らに委ね、永き眠りに入ってもいい頃だ。
この戦いは勝つだろう。こちらの被害は千は下らないが、もはや奴の翼もジェット機構も破壊した。援軍も向かっているはずだ。力押しを続ければいずれは勝てる。
「――どうか」
僕は砂地を駆け、武器を振るう。
荒れ狂うドラゴンの尾は白波のうねるごとく。僕は多くの猫とともにそれを受け止める。腕の骨に響く衝撃。周辺の猫たちは興奮しきっており、僕がいることに気づいているのかどうか。
「――どうか猫たちが、望むままに生きて」
ドラゴンの鉤爪が振り下ろされ、すんでのところでかわすと同時に翼膜を打つ。やはりなまくらの鉄剣ではわずかに表面を欠けさせる程度か。前方を薙ぐような翼膜が風を生み、僕と数匹の猫人をまとめて吹っ飛ばす。
「――山と海を作り、森を、雨を、街を、文化を」
そして頭上で紅炎。周辺の猫たちは退避するか、あるいは背後から脊柱を駆け上っていく。
僕の足は、もはや素早くは動かない。
「あらゆるものを、手に入れられますように――」
炎が、網膜を焼き――。
※
※
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――
――
――肌に
――肌に当たる風は涼しく
――鳴き交わす鳥の声が、優しく降り注ぐ
喉が乾いていた。
四つ足で這って進む、足元の土は黒く湿っており、手足が少しずつ冷えてくる。
水音を頼りに進み、やがて沢に至る。
緩やかな流れ、顔を突っ込んで飲めば、喉の奥に一気に入った水に激しくむせる。
「誰かいるにゅうー?」
声がして、僕はとっさに逃げようとしたが、体が思うように動かず、転がるように横向きに倒れる。
「うにゅー、小人ですにゅう、でもずいぶん小さいにゅうー」
それは女性のようだった。僕を抱き抱え、そっと手足の泥を落とす。
後ろから別の人物がやってきて、珍しげに言う。
「誰かがここで増えたのにゃ? でも村なんか近くにないにゃ」
「前世持ちかも知れないにゅうー」
「だとしたら大変にゃ、でも葬儀が出たなんて聞いてないにゃ」
「きみ、名前を覚えてるにゅ? 前世持ちなら前世の名前が言えるはずにゅ」
その二人の言葉はほとんど理解できなかった。その胸に抱かれながら、物凄い速さで何かを忘れていくような感覚がある。頭の中が漂白されていくような、まったく別の脳に入れ替わっていくような、その中でかろうじて、名前という言葉を意識する。
「……だ、ダイ、ス」
その舌足らずな、濁音がうまく言えない呟きを聞いて、二人は肩をすくめる。
「ダイスなんかよくある名前にゃ。きっと誰かがここで増えて、名前だけあげて帰っちゃったにゃー、けしからんにゃー」
「おかしいにゅう。この子、よく見たら頭の耳がないにゅう、頬の耳はあるけど……」
「外見が変わってるから捨てられたにゃ。シェル・クーメル、放っておくにゃ、野生に戻るだけにゃ」
「……私が引き取るにゅう」
「んにゃっ!?」
もう一人の方は飛び上がらんばかりに驚く。そして僕の頭は、ほとんど思考が不可能なほどに真っ白になりつつあった。
「なんだか放っておけないにゅう。それにこの子、普通の小人よりずっと小さいにゅう、ここに置いてたら死んじゃうにゅう」
「……もー知らんにゃ、勝手にするにゃあ」
そして僕は、最後に真上を振りあおぎ、眼に入ってくる光を意識する。
それは森だった。天まで届くような巨木が立ち並ぶ極相の森。足元から沢の流れる音が聞こえ、数多くの命が息づく気配がする森。
眼の奥から涙がこみ上げ、そして横隔膜が震えて、僕は力のかぎり泣いた。
それは僕に最後に残っていた記憶のかけらのようなものを消し飛ばす、盛大で派手派手しい、世界の隅々にまで届くほどの、大泣きだったそうだ。
ここまでが第三章になります
次の章からはまた雰囲気を変えていきたいと思ってます。もし気に入っていただけたなら、もうしばらくお付き合いのほどお願いいたします。




