第二十六話
ドラゴンから見るなら星を音階とする黒の五線譜。それは無数のロープだ。北側と西側から飛ぶ矢がロープを曳いて空を覆い、すり鉢状の穴を網のように覆う。
「やったにゃー」
「かじかんだにゃー」
「閉じ込めただにゃ、ぜんぜん違うにゃ」
ぎしい、と打ち上がる影。
一息で飛び上がったドラゴンが網にぶつかり、全体が山なりに盛り上がらんとする。
だが全体がトランポリンのような反発力を示して巨体を押し返し、ドラゴンは轟音を立てて落ちる。
「無駄だ。このロープは工房の特別製。多くの蔓を編み込んで膠で煮固めたもの、針金や砂絨毯の皮を編み込んだもの、貴重な鎧象の触手を使ったものもある。それを縦横150本ずつだ、簡単には切れない」
弓だけではない。特に頑丈なロープは投石機を利用して打ち出している。投擲された大岩に結ばれたロープは大人の手首ほどもあるのだ。
しかも穴の向こうでは猫たちが素早く動き回り、突き刺さった矢に別のロープを結わえ付ける。それは地中深くに埋められた木材や岩に連結されたロープだ。猫たちの怪力によってロープが手繰り寄せられ、穴を渡してぎしりと軋む。
ドラゴンは穴の底で体勢を立て直し、僕を見たかに思えた。その凶悪な面相には角がいくつも生え、殺意しか感じない眼が僕を射抜く。
(大きい)
記憶にあるドラゴンよりも二回りは大きい。体高はおよそ30メートル。翼の先端に鉤爪がついており、全体が皮ではなく砂色の岩盤のような質感。
鎧象のように岩で体を覆っているのか、それとも皮膚の構造からして生物の常識を超えるのか。
ドラゴンが口腔を光らせる。網膜を焼くような光がほとばしり。内部でエネルギーを高めるような甲高い音がして、そして火球が打ち出される。
おん、と網の一部を消し飛ばすような業火。網をすり抜けつつ拡散して、空中で回転しながら空に広がる。
「縦6、横3を補修! シェルターに隠れろ!」
遥か上空で運動エネルギーを使いきり、燃え尽きた人工衛星のように地に引き戻される火球は十数個。それが地面に突き刺さって散乱し、炎が液体のように振る舞って砂地に広がる。
そこにあるのは無数のドーム状の物体だ。猫たちの出入口が側面に空いており、射撃用の長方形の穴もある岩石のドーム。それが大穴の周辺に八つ、入りきれない猫は後方に下がっている。
ガウディによる特製、射撃用トーチカだ。わずか数日で八つもの数を、しかもコンクリートも使わず石組みだけでこの強度を出すとは天才としか言いようがない。その中で炎をやり過ごし、僕は射撃用の窓から観察する。
「あの炎は……どうやら油脂のようだな。体内で可燃性の油脂を分泌し、それに着火して打ち出すわけか」
ドラゴンの火は地上で燃え盛っていたが、別動隊がそれに砂をかけて回る。そして僕はトーチカを出て、炭化した網の一部を補修するための指示を飛ばし――。
ざぎいっ、と突き刺さるのは尾だ。長大な尾の先端。それはガザミの鋏のようなものが生えており、先端で獲物を掴んだり切断できるようになっている。まるで十徳ナイフのようなグロテスクな先端が見えた。
何本ものロープがまとめて鋏に捕らえられ、きしむ音を立てなから切断される。
「……尾が再生している」
あのドラゴンは以前と同じ個体、それは直感として分かる。だが千切れたはずの尾が再生している。尾を構成する体節の一つ一つが大きく頑健になっており、それでいて鞭のようなしなやかさも失っていない。伸び上がる百足か鳥を捕らえる蛇か、瞬時に網に食らいつき、草をむしり取るように切断する。
あれは宇宙服の高密度繊維すら切り裂く凶器、あの尾だけはどうしようもない、ならば。
猫たちが走る。網を構成するロープを渡り、あるいは隙間から潜って斜面を滑り降りる。
その手には長剣が、ハンマーが、あるいは短い槍が。レベル70を超える屈強な猫人たちが上空から大槌を降り下ろし、皮膚の隙間に槍を突き立てる。
特筆すべきは槌だ。それもまた工房の特製であり、打撃面が円錐型になっている局所破壊用のハンマー。それを担いだ部隊の中にドラムもいる。飛び降りつつ放つ一撃は頭部をかすめたものの、背面にぶち当たって見事に亀裂を走らせる。ドラゴンの驚愕の叫びとおぼしきものが轟く。
「かかれにゃー!」
「男は鈍器にゃー!」
「それ言うなら度胸にゃー!」
狭い場所に閉じ込めたとはいえ巨獣と小人。勇敢に立ち向かっていく猫たちは驚嘆に値する。
ドラゴンの表皮、あるいは体殻が剥がれていく。やはりダメージを通せるのはハンマーのようだ。その一撃で岩のような殻が砕け、破片となって散らばる。ドラゴンの尾をかいくぐり、あるいは数十人がかりで弾き返しながら武器を振るう。
不幸にも尾に貫かれたり捕食される猫もいる。だが屈強な戦士たちは足を止めない。さながら虎に群がる蜂のように体に取り付き、ハンマーの一撃を打ち込む。
ドラゴンが喉を光らせる。航空機のエンジンのような高音。肌を焼くような熱の気配。その一撃で足元のすべてを灼き滅ぼさんとする構え。
だが猫たちはそれを見逃さない。集団で網の上から飛び降り、頭を一撃してそのままドラゴンの背中を転がっていく。
上を見れば足元で、足元を焼かんとすれば真上からの攻撃。ドラゴンは翼と鉤爪、そして尾を暴れさせる。特に誰をとも定めない暴れるだけの攻撃。猫たちなら回避は可能だ。
「このまま押し込むですにゃ! 武器を失ったものは上へ、次、第5、第6部隊かかるにゃー、とのことですにゃっ!」
伝令係が走り回り、さらに完全武装の猫たちが出てくる。その体を包むのは鉄の鎧。砂絨毯のゴムのような皮膜で赤鋼牛の鉄板を繋ぎ合わせた全身鎧だ。
僕も破れた網の補修のための指示を続ける。都合のいいことにドラゴンが切断したロープは斜面に垂れ下がり、猫たちが上に上るための助けとなっている。入れ替わりに別の戦士たちが穴を駆け下りていく。
「あいつを絶対に出すな! もし逃がせばあいつは二度と降りてこない! 空から炎を打ち続けられれば僕たちに勝ち目はないんだ!」
「まかせるのにゃー!」
「歌を忘れたカナリアにゃー」
「おまえさっきからぜんぜん違うにゃー」
きいい、という高音。
また火を吐こうとするのか、と僕が身を屈めるが、ドラゴンの頭部に光はない。猫たちをはたき落とそうと首を振り、尾で地面を打ち鳴らすだけだ。
「! あれは!」
それはドラゴンの足元。その大地を踏みしめる二本の足の付け根で光が見える。
体殻の隙間から漏れる閃光。それは一瞬で強さを増し、そして黒煙を放つ。とてつもない勢いの排気が斜面の一角を駆け上がり、猫たちの何人かを穴の上まで吹き飛ばす。
ドラゴンの体は下半身が大きい。その体重を支える脚はもはや排気と光で見えない。巻き上げられた砂が雨のように降り注ぎ、体内から響く甲高い音は伝令の声をかき消すほど。
僕はそれが意味することを察し、肩越しに後ろにものを放り投げるような仕草をする。それを見た分隊長たちが動きを真似し、そして全体が一気に下がる。
全軍後退。の合図だ。
ドラゴンは排気が最大に強まった瞬間。ふいに体殻から漏れる光量が数倍になり、翼膜を一気に打ち下ろすと同時に体重が消滅。いや、ドラゴンの体重の倍ほどもありそうな推力が真上に働き、その砂色の巨躯が飛翔する。
瞬間、僕のまえに誰かが立ち、それが前方に駆けて。
足元が爆発する。
意識が吹き飛ばされる衝撃。足元の砂地が広範囲に吹き飛び莫大な量の砂が打ち上がって穴が押し広げられ、ロープを固定していた無数の岩塊や棒杭が引き抜かれて宙を舞う。猫たちもやぐらも鉄の武器すら衝撃波に吹っ飛んで広範囲に散る。
莫大な重量を封じ込められるはずの網がちぎれ、あるいは炭化し、地下深くの基礎ごと持ち上げてそれは高空でばら撒かれる。
「ジェット噴射――そんな馬鹿な! あれは本当に生物なのか!?」
生物になぜジェットで飛行するものがいないのか。それはもちろん、エネルギーの消費が激しすぎるからだ。飛行性能を上げたいならば体重を軽くしたり、翼を進化させるほうがよほど効率がいい。さらに言うならジェット推進によって得られる超音速の世界に、有機生物の肉体ではとても耐えられないということもあるが――。
「なぜジェット推進まで身につけている。大気圏内を飛ぶだけなら翼膜で十分な性能のはず――」
――そして月には破壊の王。流転を妨げる死の支配者。
「月……月だって!? まさか、あいつは本当に月から」
「誰か飛びつきましたにゃ!」
猫の一人が叫ぶ。それは弓手タイプの猫。僕よりも遥かに優れた視力を持っているが。
「何だって!? あの高さで振り落とされたらいくら君たちでも――」
視線を振り上げる。
ジェットの光に照らされ、ドラゴンの姿が黒いシルエットとなっている。ごく狭い範囲を旋回しながら飛ぶその背に、影が。
時間がゆっくり流れるような感覚。ほとんど芥子粒ほどにしか見えないはずなのに、それが誰なのか分かる。それは不思議な脳内のひらめき。
「――トム!!」




