第二十五話
西の彼方に陽が落ちる。
子午線と同じ大きさの怪物が夕映えを引き連れて走り抜け、追いかけるように闇色の怪物が駆け抜けていく。
夜の中でも作業は続いている。木組みの台座で燃えているのは押し固めた蔓で作った固形炭だ。スイカのランプも多数置かれている。
工事村では夜を徹してやぐらが組まれ、塹壕が掘られ、投石機の試行錯誤が繰り返される。
ティルが全体を見渡して指示を出す。
「うにゃあ。第一小隊から第三小隊まで、休憩に入るよう伝えるですにゃあ」
「にゃっ、お任せにゃー!」
伝令係の猫が夜闇の中を走っていく。転ばないか心配だが、考えてみれば猫は夜目が利くのだった。ドラムもわずかな明かりだけを頼りに蜘蛛と戦っていたし。
「ティル、兵力はどうなってる?」
「はいですにゃ。現在ここに詰めているのが1200人。他に周辺に衛星キャンプをいくつか作っていますにゃ。それが全部で2500あまり。残りはスイカ村の維持に費やされていますにゃ」
「そうか……ドラム、兵士の育成の方は?」
「なー、順調なのなー」
横にいたドラムにも尋ねる。彼はここ最近、昼は育成村で訓練。夜は工事村で警戒の指揮を執るという生活だった。あまり寝ていないだろうに、その体には緊張感がみなぎり、気だるさのかけらもない。
「一人一人も強くなってるし、複雑な作戦もこなせるようになってるのなー。装備も急ピッチで作ってるのなー」
「ダイス様、それより休んでほしいですにゃ。工作とか訓練の手伝いでお疲れのはずですにゃ」
「僕は大丈夫だよ、それよりティルやドラムのほうが……」
と、そこで僕はふとした想念に捕らわれる。
ふいに自分を背中から見つめるような。己のことを客観視するかのような幽体離脱の視点だ。思いついた言葉がするりと出てくる。
「そういえば、そろそろティルかドラムが王様になるべきかもな」
「うにゃっ!? 王様ですかにゃ!?」
「んなー!?」
二人は、最近の彼女と彼には珍しいほど大仰に驚いてみせる。
「もっての他ですにゃ。ダイス様がいるのにそんなことできませんにゃ」
「とんでもないのなー、ドラムはただの戦士なー」
「……そうかな? 君たちはもう人間に負けないほどの力と知恵がある。僕の持っている知識もほとんど吸収した。優秀な部下たちもたくさんいるし、もう僕がいなくても文明は発展していくだろう。猫ではない僕が君たちを率いるのは不自然だよ」
「なぜですにゃ!? ダイス様が王様になるべきですにゃ!」
「んなー! 一番上なんて嫌なのなー!」
「……?」
僕は少し怪訝な顔になったと思う。
ティルとドラムはリーダーを務めてきた猫だ。責任感もあるし、大勢を指揮する胆力もある。
それが一番上は嫌だって? なぜそうなるんだ?
それは僕に対する畏敬や遠慮だろうか、もちろんそれが悪いというわけではないけど、二人のその反応はどこか気になる。
自分たちが一番上に立つことを嫌がっている、考えてもいない、常に誰かに上にいてほしいとでも言うような……。
「んー、そうですにゃあ。ダイス様、このティルは恐ろしいと思うことがありますにゃあ、だから王様なんかになりたくないのですにゃあ」
「どういうこと?」
「あの穴ですにゃ」
ティルは闇夜を指し示す。そこには暗がりではあるが、その中でさらにくっきりと見える穴。井戸のために掘られたすり鉢状の穴が見える。それはどこか異なる宇宙へと通じる穴のように、何も見通せない漆黒の穴だ。深さは立派な城が一つ入るほどもある。
「あれはわずか四日で掘られましたにゃ」
「うん……すごい作業量だった。家畜化した砂漠の獣を使ったこともあるけど、一人一人の力も大したもので……」
「もっと猫の数が増えれば、一人一人が進化すれば、作業量はさらに跳ね上がりますにゃ。もう予想を遥かに超えて、ダイス様の物語に出てくるような天を突く山や、底の見えない峡谷も作れそうな気がしてきますにゃ」
「そうだね、君たちの力は確かに驚異的……」
「そしていつか、水が地上で循環するようになれば、雨も戻ってくるですにゃ」
「うん、雨は一度見せてあげたいと思ってた。昔、砂漠を旅したことがあるけど、砂漠に雨が降った翌日には一面に緑が芽吹くんだ。この砂漠ならばきっと、地平線の果てまでスイカの絨毯が……」
ティルは僕の言葉を聞いているのかいないのか、虚空を見つめて、夢見るように言葉をこぼす。
「おかしいと思いませんかにゃ?」
「……何がだい?」
「我々の小さな体でこの大地に山を作り、谷を作り、海とやらも作れるかも知れませんにゃ。そんなことが、われわれ猫たちに許されていいのか、ということですにゃ」
「……?」
「ゴツゴツした岩同士をぶつけると、やがて凸凹が削れて丸石になりますにゃ、そんな変化が大地に起きたとして、それを元に戻すなどということができるなら、それは自然なことではないような――」
「んなー! ティルはいつも回りくどく言うのなー! つまりダイス様に、猫たちがやりすぎないように見張ってて欲しいのなー! 思うがままに食べまくったら、どんなにたくさんあるスイカもすぐに無くなってしまうのなー!」
ドラムが腕を振り上げて言う。その発言に、つまり資源の枯渇や、生態系のバランスを壊すことを危惧していたのか、と理解する。
「うーん……そうだね。確かに君たちの進化はとても早いし、文明が自然のバランスを崩さないように見張らなくてはいけないけど……」
でもティル、ドラム。君たち猫はこれから何百、何千年と発展していくかも知れない。
でも僕はそうじゃないんだ。僕はもう、つがいのいない最後の一人。そしてどんな生命であろうと最後には死ぬ。僕だっていつかはこの世から消えるんだ。それが摂理というもの――。
重低音。
船の霧笛のような、長く太くたなびく音。ティルとドラムの猫耳がぴくりと動く。
「特別警報なー!」
ドラムが見張りのやぐらから飛び降りる。そして下方に設置していた金属板。つまり銅鑼を思い切り殴る。
けたたましい音が工事村の夜を突っ走り、うとうとと船を漕いでた猫たちを叩き起こす。
「ティル、現れたか!」
「はいですにゃ、あれはここから3キロ先の見張り台が敵を捕捉した合図。事実上この瞬間が開戦ですにゃ!」
それは指笛ではない、ふいごの力で鳴らす強力な警笛だ。あれを使うということは、鳴らした猫は敵に見つかることを覚悟して、あるいは既に見つかっているということだ。うまく地面の奥に隠れたならいいが……。
そして闇夜に輝点が浮かぶ。
「! あれは!」
夜の果てに浮かぶ赤い光。そして数秒遅れての遠雷のような音。
「衛星キャンプの一つですにゃ、攻撃を受けてますにゃ」
ティルはやぐらの下に向けて叫ぶ。
「かがり火を焚くですにゃー!!」
それは一瞬で燃え上がる。高さ5メートルの台座の上に乾燥させた大量の葉と蔓、そして獣脂を混ぜた特大のかがり火だ。さらに反射板の代わりに白い獣の皮を、旗指物のように掲げて視認性を高める。
猫たちの生存を考えた場合、大量のスイカがあるスイカ村と本拠地を落とされるわけにはいかない。これで向こうがこっちを見つければいいが。
「ティル! 僕も持ち場に行く! あとの指揮たのむ!」
「はいですにゃー、どうか生き延びてくださいにゃー」
僕がやぐらを降りて駆け出す瞬間、それは来た。
闇の中に朱色の点が浮かび、それはきいいと空気を切り裂く音とともに一瞬で拡大。巨大な火球となって高速でかがり火と旗指物を飲み込み。一瞬で何もかも炭化させて彼方に消える。遥か遠くで着弾音、地響きが足元を駆け抜ける。
「なっ……」
なんという威力、そして速度。燃焼剤が何なのか分からないが、あれに飲み込まれたら戦車だろうと無事では済まないだろう。
「それに何という狂暴さだ……この距離で、ただ光っただけの物を狙撃するとは」
そして上空に風切り音が響く。
星の少ないこの土地の夜空、だがそこを行き過ぎる影は見える。ごおうと唸る風が砂を巻き上げ、やぐらをぎしぎしと揺らす。
「あのシルエット……やはりあいつか」
おそらくドラゴンは探しているのだろう。地を這う矮小な生き物を。ドラゴンに怯えて逃げ惑う姿を。だが大小無数のかがり火、あるいはスイカのランプはあるものの、動く姿はないはずだ。
そしてドラゴンの目がそれを見つける。ぽっかりと空いた穴の底。肩を寄せあって隠れている多数の小人たちを。
ドラゴンは翼をすぼめ、真っ直ぐに穴の底めがけて降下してくる。頭を下にしていたが着地の直前で旋回。砂を巻き上げつつ着地する。
着地というより落下のような速度だが、その体に何らの痛痒もないのか。やはり鳥などとは比較できない存在なのか。
ドラゴンは姿勢を低くし、頸部を伸ばして猫たちを食らおうとして。
そして不意に動きを止める。この丸っこい、毛のはえた人型のものは。
「人形だよ。狼の皮と猫たちの髪の毛で作った。良くできてるだろ」
僕は穴の淵に立ち、ドラゴンが振り向くのと同時にさっと手を上げる。
瞬間、あらゆる場所から弓手の猫人たちが現れ、無数の弦鳴りの音が夜を埋め尽くす――。




