第二十三話
「ティル!」
狼を飛ばして数時間。僕は騎乗の疲れを振り払うように声を張る。
「んにゃっ、どうしましたにゃ?」
「残念だが工事は中止だ。人員を別のことに振り分けたい」
「うにゃ? 急にどうしたのですにゃ?」
「ドラゴンが来る」
そして数分後。
僕はティルを含めた技術屋の猫たちを集め、かつての経験を語った。それはこの星の最初の神話。砂漠に現れたドラゴンと、その驚異の能力についての話だ。
「僕の出会ったドラゴンは体高およそ20メートル。岩のように頑丈な外殻を持っていた。長さ50メートルほどの節足状の尾を操って猫たちを打ち上げ、捕食し、さらに巨大な炎を吐く。他にも翼があって空を飛んだり、咆哮によって猫たちを金縛りにかけたりする。これ以外にも能力を持っている可能性があるし、僕の出会ったドラゴンとは別の個体がいるかもしれないが……」
「にゃー、でっかい生き物にゃー、食われちゃうにゃー」
「どってことないにゃー、仲間はたくさんいるにゃ―」
「うにゃー、腕がにゃるにゃー」
「とっちめちゃるにゃー」
にゃあにゃあと、猫たちは勇敢に鳴き交わす。彼らはどんな怪物を相手にしてもひるむことなく立ち向かうが、それは彼らと人間との死生観の違いだろうか? それとも僕たちが長い長い文明の歴史の中で蛮勇を忘れてしまったのだろうか。
いや、獣であっても敵わないと悟った相手からは逃げるものだ。これは猫たちに備わった戦士としての本能か。ハチやアリの社会のような、兵隊として群れに尽くし、死の恐怖すら忘れるほどの強烈なアドレナリンを分泌できるのだろうか。
それともドラムのように、生まれながらに戦士としての誇りを持つのか――。
「ティル、武器を作りたい。例のスイカの木はどのぐらい育ってる? 今の大きさは?」
「うにゃあ、試験的な量産体制に入ったばかりですにゃ。スイカ村に70本。ここの研究畑に10本。樹高は2から2.5メートル。太さは20センチぐらいですにゃ」
「まだ小さいな……。一本育てるのに何日かかる?」
「15日ですにゃ。いまから全力で生産すれば、一ヶ月で500本は用意できますにゃ」
「わかった、生産を始めてくれ」
「はいですにゃ。手紙を書きますにゃ」
ティルは例の帽子状のスイカにさらさらと文字を書き付け、猫の一匹に持たせる。
「それと武器を開発したい。機械式の強力な弓、できれば弩弓のようなもの。あるいは投石機、逆茂木、猫たちの身につける防具も……」
「落ち着いてくださいにゃ。まず、そのドラゴンが何日後に来るかを考えねばなりませんにゃ」
僕はティルとその側近を引き連れ、会議室に移る。
この星では最大級に貴重品な家具。作られたばかりの木製テーブルの上に手漉きの紙が置かれる。わら半紙のように粗悪だが、漉き紙には大量の蒸留水が必要となるため、A3サイズの紙もたいへんな貴重品だ。
僕はまず大陸の地図を記し、ドラムから伝え聞いた話をもとに目印となる骨を置いていく。
「僕たちの領地はこのあたり、大陸の北端にある」
骨のかけらを四つ置く。本拠地から三本の足が伸びるように、スイカ村、育成村、工事村だ。この縮尺では四つの小骨はほとんど隣接している。
「ドラムが鎧象を倒した時、その身にまとう岩盤の中に焼け焦げた跡を持つものがあったらしい。ドラムがその鎧象を倒したのがこのあたりだ」
大陸の中央付近に骨のかけらを置く。
「直線距離でおよそ240キロ、ドラムたちの脚なら10日あまり。ドラムはこの鎧象のことが気になって、大陸中を歩き回っていたらしい、するとこの地点で2つ目の痕跡を見つけた」
そこから少し西に骨を置く。
「ここで赤鋼牛が食い荒らされていたらしい。あれは他の獣に捕食されることもあるが、鉄板で構成された外皮を食いちぎって食う獣はいない。これはドラゴンの仕業と思われる」
「ふむふむ、二箇所で痕跡。そうにゃると西へ動いたわけですにゃ。あるいはその逆か」
「ゆっくりではあるが移動していると思われる。この分だといつかこの村を見つけるだろう」
それはいつのことか。明日か、あるいは今すぐに見つかったとしても不思議は――。
「大陸は広いですにゃ。我々の集落が広いとは言え、大陸北端にあればそうそう見つからにゃいでしょう。とはいえ急がねばなりませんにゃ。我々のすべきは新しい武器の開発、そして量産ですにゃ」
「頑張ってくれ。ドラムには育成村で猫人たちの教育にあたってもらうよう言った。僕はスイカ村で若い小人たちをレベルアップさせるよ」
そして計画は始まった。
僕はまず、スイカ村にて杜氏のコジーという猫と合流する。雌性体だが職人気質の猫で、樽の中の果汁を猛烈な勢いでかき回している。
「にゃにゃー! ダイス様、この木の樽ってのはすごいのにゃー。大量の酒を一気に造れるのにゃにゃー」
「今までは皮の容器だったからね……陶器やモルタルはまだ容器にするには不完全だし」
それは樽というより箱に近いものだった。側面にギザギザの切れ目を入れた木材同士を組み合わせ、胴回りを八枚の板で構成した組木細工の容器である。全体をスイカの蔓で縛り上げてあるので樽のようにも見える。
円形の樽の製造はまだ猫たちには不可能だが、この容器もかなりの精度である。驚嘆すべきはティルの工房ということか。最初の3つは水漏れがあったらしいが、わずか4つ目で水漏れのない容器を作り上げるとは。
「ともかく酒は手軽に猫たちをレベルアップさせられる。材料や配合、度数の違いで何種類もの酒が造れるからね。よろしく頼むよ」
「ふっふっふ。腕が鳴るにゃ。山ほど仕込んでおくにゃにゃー」
酒造りの工房というのは一大施設になっていた。
収穫されたばかりのスイカが次々と運び込まれ、若い小人たちが器用に皮を剥いていく。あるいは二つに割って果肉を取り出していく。
「コジー、酒造りについては詳しくないんだけど、どんな種類があるの?」
「うにゃっ、使うスイカの部位がどの程度中心に近いかでグレードが決まりますにゃ。芯果しか使わないのが最高級品。普通は果肉の白に近い部分、良水まで使いますにゃ。圧搾した残り滓を加えるか加えないか、種を潰したものを入れるかどうかなどで味が変わりますにゃにゃー」
「どのぐらいで出来る?」
「若い酒なら10日ですにゃにゃ。でもそこから熟成させると深いお酒になりますにゃ。これは1ヶ月かかりますにゃにゃー」
なにかハイになっている様子で、樽の上でぴょんぴょん飛び跳ねながら騒いでいる。後で聞いたことだが、酒造りの職人にとって大きな容器というのは夢にまで見た品だったらしい。歯科医にとっての麻酔のようなものだろうか。
でも、とコジーは工房の中を見渡して言う。作りかけの大樽がいくつか並んでいた。
「なぜかお酒にならないときもありますにゃ。同じ作り方をしたのに味がバラバラになったりして安定しませんにゃにゃー」
「ああ、自然酵母を使ってるからだね……。ワインの世界でも自然酵母で発酵させてるワイナリーはほとんど存在しなかったはず……。コジー、できのいいお酒ができたら、それを少し移すといいんじゃないかな」
「うにゃにゃっ!? そんな裏技がっ!?」
目を丸くして、そして僕の手を取って言う。
「じゃあじゃあ! 泡が出たり濁ったりするのも防げますにゃ??」
「僕はワインの知識が少しあるだけだからな……。うーん、それはたぶん微生物のいたずらなんだよね。殺菌なら減菌濾過する方法……。亜硫酸塩を加える方法とかあったと思うけど、やっぱり加熱殺菌しかないかも。澱を除きたいなら卵白……はないのか。活性炭とかかなあ。どこかの国では、鍋のアクをすくうのに目の細かい紙を浮かせるって方法もあったはず、応用できるかも……」
「紙とスイカの炭ならあるにゃ! さっそく加えてみるにゃにゃー」
コジーの工房には、スイカの山とともにあらゆる食材が並んでいた。狼の肉。クラゲの皮。牛の内臓、塩漬けされたスイカなどなど。コジーはこれらを使って新たな酒を生み出している。
あと数年あれば無数の酒を生み出しただろう。発泡酒や蒸留酒も見出したかもしれない。
惜しむらくは、あまりにも時間がないことだ。
※
ドラゴンに見つからぬよう、狩りの範囲を大幅に狭めることになった。これまでは大陸の北半分ぐらいが狩りの範囲であったが、今は北側五分の一ぐらいに絞られている。砂絨毯などは討伐数が下がったが、これは再発生に関するルールのせいだろう。おおよそだが、砂絨毯は大陸全土に10匹ほどいるようだ。再発生に60日程かかるとすれば、数匹狩っただけでも遭遇する確率はかなり減ることになる。
資源はいくらあっても足りなかった。郵便屋のクーメルが走り回り、各地の見張り台に、あるいは討伐隊に追いついて手紙を渡していく。
倒した獲物は猫たちが持ち帰ることもあれば、指笛で連絡して別の猫が回収に出ることもあった。
ティルの提案で伝令係が10人に増やされ、狩りの指示を出すとともに獲物を回収する役目を負うようになった。
そして事態は緩やかに進行しつつあった。
「南の7-1にある見張り台が破壊されましたにゃ」
ティルが言い、地図の上に無数に並んだ小骨の一つが取り払われる。
「この周辺にある見張り台の撤収を命じましたにゃ。ドラゴンが北上している可能性がありますにゃ」




