第二十二話
そして工事は始まり。
それは僕の予想を遥かに超えるものになった。
ティルの手掛けた事は多岐にわたるが、影響の大きなものから言えば砂漠の獣たちの家畜化が上げられる。
残像狼は早くから家畜化されていたが、他に砂絨毯の家畜化も実現された。
「あの獣を詳しく調べたところ、砂に潜るために前ヒレの爪が重要なことが分かりましたにゃ。その爪を切っておき、口ハミ金具を噛ませれば従順な獣となりますにゃ」
それは体長20メートルを越えるエイの怪物であり、体の下にある繊毛のような脚を使って砂漠を走る。それが運搬できる重量は10トンあまり。何匹かの砂絨毯が捕獲され、工事に利用された。
今一つは村ごとの分業化である。僕たちが本拠地とする村の他に3つの衛星集落が作られ、それぞれ戦士や専門職の育成、スイカの栽培、そして井戸を掘る土木工事夫たちの村が作られた。それぞれ育成村、スイカ村、工事村と呼ばれた、ひねりがないのはご容赦いただきたい。
このことはテリトリーの拡大を意味する。テリトリーの内部には自然発生的にスイカが生まれるので、育成できる猫の数はすぐに増えた。彼らはスイカさえ確保できればあっという間に増える。村の総人口は一瞬で三倍の6000人あまりになった。
そして道路の建設。掘り下げられた溝をモルタルで固め、四つの村を結ぶ道路が築かれた。ここをスイカを満載した荷車が行き交う。道路の建造によって猫たちの行き来も加速し、道に迷った猫が野獣に襲われるという事態も激減した。
猫はおもにスイカ村で生まれ、まず育成村に送られる。
その村で料理を与えて進化させるとともに適正を検査され、適正に応じて高度な知識を与えられたり戦士としての訓練を受けるわけだ。戦士は戦闘要員であると同時に土木工事夫でもあり、交代制で工事と狩りを務めた。
その工事というのは、素人の目から見ても大雑把な作業であったことは間違いない。
まず鉄のスコップで砂地をどんどん掘っていき、屈強な猫人たちがカゴで砂を運んでいく。カゴには内側に皮が張られており砂は漏れない。
運搬場所は井戸から10キロほど離れた場所だ。地面に線が引かれ、猫たちが土砂をどんどんと捨てていく。
こんなことでいつか山ができるのだろうか? とは誰もが思うだろう。
しかし猫たちの作業量は人間の尺度を越えていた。
戦士として進化した猫たちの運搬量は最大で300キロ以上。しっかりと測ったことはないが、ドラムならば1トン以上の重量物を運搬できるという。もちろん砂絨毯の活躍も目覚ましい。
集められた土砂はモルタルを混ぜて踏み固められ、非常に広い範囲で小高い丘が作られていく。
工事を監督するやぐらの上から眺めれば、労働力というものの偉大さに神秘性を感じる眺めだった。
地面に城がすっぽり入るほどの大穴が空き、そこから土砂をカゴに山盛りにした猫たちが出てくる。猫たちはにゃあにゃあと鳴きながら歩き、遥か遠くで山を築く。
「しかしやはり、水が足りないですにゃあ」
工事を監督する事務所でティルがぼやく。僕も図面などの書類仕事を手伝っていたが、顔を上げて口を開いた。
「もっと広範囲からさまよう泉を集める必要があるかな」
「そうですにゃあ。狩り方は確立してますから、今はレベル50以上の猫人が三人いれば狩れますにゃ。スイカを栽培するための村をあと3つ建造して、狩りの範囲を伸ばしたいですにゃあ」
塩の大地に囲まれたこの土地がブリテン島ほどの広さとすれば、僕らの支配圏はウェールズ州の10分の1にも満たない。ほんの1800平方キロほどだ。
領土の広さはスイカの数であり、養える猫たちの数でもある。
「でも自然発生する獣もいるからなあ、大丈夫かな」
「それなのですが、領土内では獣の捕獲を全面禁止してもいいかも知れませんにゃあ」
確かに、今までも村の真ん中に赤鋼牛などが出現して大惨事になった事態もある。そのために村には屈強の戦士を駐留させておかねばならないが、それが無駄といえば無駄だ。
「獣が死ぬと、一定の期間をおいて再発生することが分かっていますにゃ。我々のような猫の野生種なら即時に。統計によると残像狼なら5日以内。さまよう泉なら10日以内。赤鋼牛なら24日以内。砂絨毯なら60日以内、というようにですにゃ」
「高度な怪物ほど再発生が遅いんだね」
「そうですにゃ。ですので、倒さずに捕獲しておけば再発生しませんにゃ」
この星の地下に眠っているシステムは想像しがたいものだが、僕たちが知るべきなのは仕組みではなくルールだ。ルールさえ分かれば利用はできる。
「発生する距離としては死んだ場所から3キロ以内と分かっていますにゃ。もし半径3キロの広大な牧場を作り、中にさまよう泉を集めることができれば狩りがぐっと効率化しますにゃ」
「なるほど……しかし、かなりの広範囲になるけど。それだけの範囲で柵を作れるかな」
「不可能ではないですにゃ。例の「スイカの木」も順調に品種改良できてますにゃ。今は樹高2メートルに達していて、同じ高さの木を固めて植えると、更に大きな木が育つのですにゃー」
「うにゃー。でもあのスイカ小さいにゃー」
「登るのめんどくさいにゃー」
「下で口開けて寝てたら喉にすぽっと入って死にそうなったにゃー」
「あっぶな」
猫たちがわいのわいのと騒ぎ出す、彼らは頭脳担当としてティルを手伝っている猫たちだが、どうも猫らしい騒がしさはなかなか抜けない。
「ともかくあの木は固くて丈夫ですにゃ。これで硬い素材を赤鋼牛に頼らずともよくなったですにゃ」
「すごい進化のスピードだな。わずか1年あまりでそんなに……」
「私ももう10歳ですにゃ。猫の寿命は短いから急がねばならんのですにゃ」
僕は苦笑する。
そういえば彼らの寿命はどのぐらいなのだろう。ティルはまだ若々しい少女のようにも見える。人間並に長く生きるのだろうか。
「そうか、10年、か」
この星の公転速度は地球とほぼ同じ、だから地球での10年ともほぼ等しい長さだ。
僕にとって時間の流れというものはさしたる意味を持たないが、それでも長い時間だと感じる。
ティルは夢見るように口を開く。
「ああ、花のような若い時代を仕事に費やす私はなんて健気なのですにゃ。そのうちお婆ちゃんになってから、もっとアバンチュールな恋愛しておけばよかったと後悔するのですにゃー」
「うにゃー、花の命は短いのにゃー」
「若木の下で笠を脱げにゃー」
「君たちそういう言葉どこで覚えるの……?」
まあ何でもいいけど。
「うにゃー、ダイス様もいつかお爺ちゃんになるのにゃー?」
「ならないよ。気持ちもまだ若いつもりだから」
「にゃー、でも髪が白いにゃ―、昔話に出てくるおじいちゃんみたいにゃー」
「……」
髪に触れる。かさかさと乾いた感触があり、一本を抜いてみれば、白く細い髪が。
ティルがまた首をかしげる。
「にゃ? ダイス様どうしたにゃー」
「いや、何でもない」
僕は手をはたき、話題を変える。
「そういえばドラムはどうしてるんだ? しばらく姿が見えないけど」
「ずっと側近を連れて大陸をうろうろしてますにゃ。たまに象鎧なんかの大物を仕留めるので助かってるけど、井戸掘りの方にも協力してほしいですにゃ」
「……何だか気になるな、一度会っておくか」
「うにゃ。昨日ふらっと戻ってきて、今朝また出かけていきましたにゃ。街道沿いに育成村に寄ると言ってましたから、急げば追いつけますにゃ」
その数時間後。
僕は騎乗用に飼いならされた残像狼を駆り、街道を進んでいた。
たまにスイカを載せた荷車とすれ違うぐらいで、あまり人の行き来はない。猫たちはまだ自由な旅行とか、友人を尋ねるといった感覚を持っていない。自由気ままではあるけれど、任された仕事は猫なりにちゃんと務める。このあたりが本来の猫と小人たちの違いだろうか。
そして育成村に至る直前、側近たちを引きつれたドラムに追いつく。
「んなー、ダイス様なのなー」
ドラムが手をあげて行進を止め、側近たちがにゃあにゃあと群がってくる。僕はその頭を撫でてやる。
「ドラム、最近どうしたんだ、あちこち歩き回ってるようだけど」
「……うなー、ダイス様、まだはっきり分からないから言えないのなー」
「……」
どうも様子がおかしい。
猫たちはなんでも率直に話す。隠し事や嘘とは無縁なはずだ。いつかはそういった技術も社交性の一環として身につけるとしても、実直なドラムがやるとは思えない。
「ドラム、言うんだ。はっきり分からなくてもいい。僕は聞いておく必要がある」
「うなー」
ドラムは少し迷った後。どこか悲しげな顔をして言った。
「……とんでもない怪物が、いるかも知れないのなー。南の果てで獣がいくつも食い荒らされてるのを見たのなー。そいつはどこにいるか分からないけど、すごい広い範囲で行動して、たぶん空を飛んで」
「……」
「火を操るかも知れないのなー」




