第二話
「なっ……」
小人、である。
人間の子供とはどこか違う。全体に体つきがずんぐりと太く、重心が低く、背も低くて頭は大きい。手の先だけが体毛の名残を残して手袋のようになっており、頭には耳……冗談のような三角の猫耳が備わっている。
頭は体毛が伸びて髪の毛のように変質しており、おかっぱに近い髪型になっている。
「んにゃー」
その猫人間は僕たち二人の間に座り、まだ残っていたスイカを手にとって口を大きく開け、皮ごとばくんと噛み砕く。
「この子、口が大きいのね」
「そこ!?」
シオウはあまり物事に動じない性格だが、それにしてもこれは異常だ。何らかの生物的特性とも思えない。なぜなら質量が明らかに増えている。黒猫だった頃は2・3キロだったはずが、今はどう見ても7・8キロはある。念のため抱えあげようとしてみると、やはりずっしりと重い。
「みぎゃっ」
手を振り払われた。今はスイカに集中したいらしい。小人はまさに幼児のようにスイカにかぶり付き、口の周りと手がベトベトになっている。まあこれについては人のことは言えないが。
「にゃー」「んにゃー」
背後に気配を感じて振り向けば、さらに何匹か、夜のように真っ黒な黒猫たちが集まっている。
「どいて、って言ってるみたい、この子たちに譲ってあげましょう」
「……そ、そうだね」
黒猫はスイカに群がり、割れたものから食べていく。皮の部分も残さずに、しゃくしゃくと小気味のいい音をたててかじりとる。まだ割ってないスイカには多少手こずっていたが、何とか前歯を突き立てて皮を削り、やがて果肉にたどり着く。
そしてやはり、スイカを食べた個体は全身をぶるぶると震わせ、膨れ上がって小人になる。四つあった大玉のスイカがなくなる頃には、ずんぐりした小人が6人になっていた。
「んにゃっ」
すると彼ら(彼女ら?)はすっくと立ち上がり、残っていたスイカの葉と蔓を持って自分たちの腰に巻きはじめる。三重ほどに巻くと蔓を噛み切って、また次の小人が巻く。
「これは、衣服……? すごい、物を把持して紐を結べるなんて」
「行儀がいいのね」
シオウは少しずれた感想だったが、ともかく凄い発見だ。これは紛れもない知的生物。人類が宇宙へ出て以降に、ここまでの水準を持つ生物はほとんど見つかっていないはず。紐を結ぶだなんて、人類史の中でもかなり終盤の能力だ。
「ねえダイス、一人、連れて帰れないかしら」
「……ん」
シオウの提案は、しかし簡単に受け入れていいものか悩むものだった。
何しろ食料が残り少ない。この小人を飼う……いや、養う余裕があるだろうか。
「んなー」
「うふふ、にゃあ。あなた可愛いわね」
「にゃにゃ」
そのシオウは、小人の一人の手をとって微笑みかけている。その目は愛情に満ちていて、どこか眠たげな、夢と現実の境目にいるような不安定さがある。起きながら夢を見るような、あるいは夢の中で現実を再現するかのような。
「……」
ともかく、その個体はシオウになついたようだ。今から引き離すわけにもいかないだろう。
僕たちは猫を連れて船へ戻り、残っていた小人たちは、三々五々どこかへと散っていった。
※
「こいつは凄い……」
船の分析装置にかけていたのはあのスイカだ。果肉と皮と種、それに葉を何枚かサンプルとして持ち帰っていた。
「地球のスイカに比べて栄養価が高い。各種ミネラルにビタミン、アミノ酸に、種には脂質と炭水化物が豊富でまるで玄米のようだ。それでいて食感や味は地球のスイカと大差がない。おもに皮に栄養を集めている。まるで何十世代もかけて品種改良したかのような……」
ざらざら、と音が聞こえる。
見れば、シオウが平皿にフレークを盛って、ミルクを注いでるところだった。凍結乾燥処理していたものに加水して、適温に温めたもの。宇宙では黄金より稀少なミルク。小人がその前にうずくまって、ひくひくと臭いを嗅いでいる。
「シオウ、食べなれないもの与えない方が……」
「だって、お腹がすいてるって言うんですもの」
その小人はおもむろに平皿に顔を突っ込み、フレークを盛大にこぼしながらむしゃぶりついている。
「うふふ、おいしい? 喉につまらないように気を付けてね」
「……」
稀少な食料なことは確かだが、いまシオウを止めて何の意味があるだろうか。
どうせ、僕とシオウだけで食べても三ヶ月も持ちはしない。そして三ヶ月やそこら長らえたところで助けが来るわけもなく、地球に戻れる訳でもない。それよりは、目の前の子供の空腹を満たしてあげるほうが有意義かも知れない。
それに、食料なら優秀なスイカも見つかったことだし。
そんなことを考えていると、小人がまたぶるぶると震えだした。
「! シオウ、離れて!」
まさか、まだ大きくなるのか? 食べれば食べるほど?
しかし今度は黒猫が小人になるほど劇的ではなかった。一回りだけ大きくなって、人間なら4、5歳ほどの背丈になる。頭部の体毛が少し伸びて肩の後ろまで来ている。
小人はぺたんと尻をついて、ひっくと一度深いしゃっくりをする。そうして目をしばたたいて、言った。
「おい、しいにゃ」
「……!?」
目を丸くするとはこのことか、あまりのことに口がきけなかった。ほんの数時間前まで猫だったものが、言葉を使うとは。
「わあ凄い、あなた喋れるのね」
「んにゃ、しゃ、のね」
しかし唐突に会話ができるようになった、というほどでもなさそうだ。シオウの言葉を真似しているのだろう。さっきの「おいしい」はそれが偶然にはまったわけか。
シオウは少し考えてから、やはりというべきか、もっとも原始的で万国共通の手段を思い付く。
「シオウ、シオウ」
己の胸元を指差し、そう言う。小人はシオウの顔をまじまじと見つめ、ミルクで汚れた顔で呟く。
「し、シオウ」
「そう、よくできました。あなたの名前は?」
「……? たの、まえは、にゃっ」
シオウは柔和な顔で小人を見て、その頬を撫で、柔らかな胴を指でつつきながら言う。
「ファミー、ファミー」
「!」
僕は腰を浮かしかけるが、すんでのところで抑える。
それは僕たちの子の名だ。遺伝子処理を受ける前に、幼くして亡くなってしまった。僕たちの時代には非常に珍しい早期新生児死亡だった子。
「ふ、ファミー」
「そう、ファミー、あなたは、ファミー」
「ファミー、にゃっ、ファミー」
そのシオウの行為に、どこか危ういものを覚えなかった訳ではない。
しかし、神様の元へ旅立った名前を誰かに与える、それだって世間に例のない話ではない。
彼女が小人の存在によって、少しでも安らぎを得られるなら、それも歓迎すべきことかもしれない、そのように思う。
シオウは両手を大きく広げて、ファミーを包み込むように抱擁する。黄金の髪が二人にかぶさるように広がり、シオウの目に大粒の涙が浮かんでいた。
僕はその二人に割って入ることができなかった。
それは美しい抱擁ではあったけれど、何かしらの危うい意味をはらんでいた。シオウの黄金の髪が針金となって、抱き合う二人を何かしらの観念の中に封じ込めようとするような。
僕は分析装置へと視線を戻す。ともかくも、僕にはやるべきことがある。この星のことを知り、スイカと猫たちのことを知らなければ。
※
【四日目】
ファミーの知性の成長は驚くべきものだった。すでに五歳児程度の知能を持ち、簡単な会話をこなしている。語彙数はおよそ1500、言語習得能力は驚異的である。シオウはほとんど一日中話しかけており、会話が成立するようになってきて、シオウは実に幸せそうに見えた。
そして法則が分かってきた。ファミーは「まだ食べたことがないもの」を食べると一定の成長を示す。船に残っていたわずかな食料、鶏卵、野菜、魚、肉、果物などなど、それに複数種のカロリーブロック。食べたことのないものを食べると全身が蠕動し、体が少し大きくなるか、あるいは知性が少し向上する。その向上の度合いは僅かなもので、劇的な変化は最初のスイカの時だけ、と言っていいだろう。
まだ食べたことがないもの、なんとも不思議なルールだ。ともかくファミーが何を食べたかは詳細に記録しておこう。
シオウが自分の服を仕立て直してファミーの服を作った。可愛らしいワンピースである。いつまでもスイカの蔓を巻いてるわけにもいかない。
【七日目】
まだ食べさせていないものを中心にファミーに与える。とっておきのウイスキー、チーズ、保存庫の隅で忘れられてたイワシの酢漬け、大型魚類のヒレを干したもの。ファミーは雑食であり、人間が食べられるものなら何でも食べる。
では、猫に与えてはいけない食べ物はどうだろうか?
例えばネギ類、チョコレート、アボカドなどについて考えてみる。ファミーはもう10歳前後まで成長しており、猫の耳があって、多少ずんぐりしている以外は人間の子供と変わりない。おそらく食べても問題ないとは思うが、まだ試してはいない。与えるとしても血液との反応検査を経て、厳重な準備を整えた上でのことだろう。
シオウはずっとファミーに話しかけている。僕たち二人の話が多い。僕らの馴れ初めから始まり、地球を出る直前まで話すと、また馴れ初めに……。
【十二日目】
スイカの研究はあまり進んでいない。
およそ三平方キロに一ヶ所の割合でスイカが出現する、それは分かった。スイカは二つか三つ、多いときで十数個がまとまって存在し、個数に比例した広さで葉と蔓のコロニーが形成される。
この出現は本当に唐突で、砂漠を歩いていて、物音に振り返るとそこにスイカがあった、ということも一度あった。地下で育ったスイカが泡のように地上に出てくるのか、それとも生育の過程で砂に潜ったり浮かんだりを繰り返しているのか、それは不明だが、とにかくスイカの周りにはやがて猫と小人がやってきて、宴会のようにスイカを平らげて去っていく。最初に見たときは黒猫だけだったが、小人が混ざることもあるようだ。
ここで一つ、疑問が浮かぶ。
黒猫がスイカを食べると小人になる、しかしその逆の変化はない。
では、なぜこの砂漠には黒猫と小人がいるのか?
小人が黒猫を生むのだろうか? それとも僕の預かり知らぬところで、小人が黒猫に戻る変化もあるのだろうか?
ファミーに聞いてみてもよく分からないとの答えだった。猫だった頃のことはうまく思い出せないらしい。ファミーの扱える語彙は3500ほど、会話どころか、シオウの他愛のない冗談に鈴が転がるように笑っている。
シオウは今日も船から出なかった。体調を案ずる。