第十四話
それは火だ。料理のために維持していた焚き火から、蔓のロープに火を移して持ってこさせたらしい。さっき、僕がロープを取りに行ってる間に指示していたのか。
「うにゃーーーっ!!」
気合いと共にティルが火種を投げる。被さっていたロープは乾燥しきっており、砂の雨を浴びながら一気に炎の網となる。そしてさらに二枚三枚と投網が。
声が。
それは何らかの発声器官か、あるいは怪物が生み出す大気の震えか、砂に半分埋まったクラゲは、出していた触手をすべて引っ込めて身震いをしている。その表面が油で濡れたようにてらてらと光る。穴の周囲で砂がぐらぐらと揺れるかに思える。
「もっと燃やすものだにゃー」
「よ、よし、砂かけは一時やめ、みんなでスイカの蔓を集めるんだ」
食料の一種として保存していたもの、投網を作るための備蓄、子供の遊び道具にしていたものまで、テリトリーにある燃え草をすべて投げ込んで、空を焦がす盛大なかがり火を作る。
そして燃え盛ることしばし。
後に残ったのは、溶け崩れた組織がぶよぶよと穴の壁に張り付き、底には汚れた繭のような塊が残る眺めだった。クラゲは半分以下にまで縮み、穴はたっぷりと水を吸って黒く湿っている。
「勝ったにゃーーーーっ!!」
「うにゃーーーっ!!」
「にゃおらーー!!」
あらゆる備蓄も、井戸掘りも振り出しに戻ったが、何のことはない。
猫たちはまた一つ、強敵を倒した。
この穴の底にあるのは、もはや彷徨することのない泉。
猫たちの進化を促す、かけがえのない生命の泉だった。
※
それからしばし、僕たちは料理に取りかかる
結局のところ、さまよう泉が生物としてどのようなカテゴリに属するのかは分からない。とりあえずはクラゲの化け物なのだと認識して、その体を解体する。
四角く切り出すとそれはゼラチン質というより、「手でつかめる泥水」のようなものだった。熱で縮んで透明度を減じているが、それは水を包んでいるのではなく、あくまで組織の保水力によると分かる。どのような分子構造ならば、透明に見えるほどの保水が可能なのだろう。
まあともかくも塩をまぶして食べてみる。ぐにぐにと歯を押し返す弾力の中に酸味が潜んでいる。クラゲを食べたことはないが、別に不味くはない。旨くもないけど。
「まずいですにゃ……」
「テンション下がるにゃー」
「お金払わんにゃー」
「もらってないからね?」
思わず突っ込んでしまう。しかしティルたちの感想はともかく、猫たちは身震いをして、また少し成長した。
「しかし、この質感……独特だなあ。こんな素材は地球にもあったかどうか」
「生臭いですにゃ。葉っぱを刻んで入れるといいかもですにゃ」
僕は頷く。素材は山ほどあるのだ、試行錯誤のし甲斐がある。
僕は小型車ほどもあるクラゲの死骸を眺めて。
「……待てよ、これは使えるかも知れない」
と、どこかの国のニュースを思い出す。クラゲを乾燥してチップ状にし、砂漠に撒くという実験だ。クラゲはその身体の97%が水分であり、親水性のコラーゲンやペプチドなどを多量に含んでいる。それは保水力を生かして雨を蓄えようという計画だったが、このクラゲならば畑に直接撒いてもいいだろう。
「いい考えですにゃー。さっそくやるですにゃー」
※
そして効果は劇的だった。
「これは……!?」
「すごいにゃー」
「スイカまみれにゃー」
それは野球場ほどの広さがあるスイカの園。広範囲に葉と蔦が生い茂り。中央付近にごろごろと大玉のスイカが転がっている。
猫たちがすでに食べ始めていたが、ざっと数えたところその数は150個。数日分の食料をまかなえる数だ。
僕は砂を掘り返してみる。
乾燥したクラゲの破片が見つかった。水分を絞り尽くされて、乾いた雑巾のようになっている。
「……あのクラゲの重量がおおよそ1トン。スイカが5キロだとして、見事に水を吸い上げている……。それに、どうも野生のスイカより大きいような……この土壌のせいかな?」
このテリトリーで猫たちがスイカを食べ散らかす、果汁と唾液と糞尿を流す、砂を踏み固め、スイカの葉と蔓を砂に練り込んでいく。
それによって、砂が段々と土に近づいている、そんな気がする。
「……あのクラゲは動きが遅い。足の早い猫なら、このテリトリーまで誘い込むこともできるはず……」
「倒すための穴を掘るですにゃ。砂山も横に用意して、砂を流しやすくするですにゃー」
ティルは骨のペンで砂地に絵を書く。何らかの構想を抱いたようだ。
「よし、ティルはあいつを安定して倒すための穴を考案してくれ。小人を20人預けるから、チームでどんな行動をするかを考えて、訓練するんだ」
「はいですにゃー」
「あいつを安定して倒せるようになれば、食糧事情もだいぶ……」
僕はふと思う。あのクラゲも、死ねば猫たちのように復活するのだろうか。
残像狼の狩りは数日おきに行われている。僕はこれに関して、数日おきに見つかっているのではなく、数日おきに復活しているのでは、と思うことがあった。倒しているのはすべて同じ個体であり、砂の奥から生まれているのではないか、と。
では、さまよう泉が何度も何度も復活したならどうなるのか?
その死骸はこの星に残る。やがて蒸発して拡散するとしても、それは水蒸気となって地上に残り続けるのか、あの獣の骨のように。
それは、この星にとっては何を意味するのか。
このスイカの星にとって、僕たちは、猫は、そして怪物たちの意味とは――。
足元に何かが動く。
僕ははっと目を見開き、その影を追ってスイカの蔓に手を突っ込む。
ぷるぷると揺れるのは赤黒い皮膚、蛇腹状の模様のついた長い身体。
僕の記憶にあるよりやや透明がかったもの。
それはミミズだった。
※
ドラムは寡黙な猫だった。
猫たちは戦いになれば誰もが勇敢で、けして逃げたり怖気づいたりしなかったけれど、それ以外の場面ではかなり個体差が出てきたように思う。歌が好きな者、黒猫の世話が好きな者。ひたすらロープを編み続ける者。でんぐり返りを無限に繰り返す者。
そしてドラムはというと、どこか一途で実直な猫だったように思う。朝から晩まで砂漠を歩き回り、たくさんのスイカを持ち帰った。
トム、ティル、ドラムはいずれもレベル25を越えていた。その中でドラムだけは目に見えて身体が太く、背も伸びずに重心が低くなっていた。短い足でのしのしと歩き、走ることはあまりない。
ドラムの武器は巨大な大腿骨。僕でも振り回せないほど重く大きな骨だった。ドラムは夜中にこれを振っていることが多かった。
「ドラム、もう寝ないとダメだよ」
テリトリーを見回ってた僕は、汗だくになっているドラムを見つけて言う。
「んなー、大丈夫なー」
他の猫より低い声で、ドラムは言った。いつも眠たげな目をして、頬はでっぷりと下ぶくれに見える。
「……ドラム、実は仕事を頼みたいんだ」
「仕事なー?」
「ああ、そろそろ本格的に畑を作ってみたいんだ。それを任せたい」
「畑なー?」
僕の語った数百もの童話によって、畑仕事だとか農夫だとかの概念は猫たちにも共有されている。ドラムは骨を下ろし、まるっこい顔で僕を見て言う。
「でもスイカ拾いにいかないとなー?」
「いや、畑がうまく行けばスイカを作らなくてもよくなるんだ。クラゲを集めて水場も作れたし……」
水場というのはつまり、さまよう泉そのものだ。炎で仕留めたその巨体にスイカの葉をかけ、蒸発を抑える。必要に応じてクラゲを切り出し、料理に使ったり砂に埋めてスイカの糧とする。小さなものでも500キロはあるクラゲだ。運搬にせよ切り出しにせよ重労働になるのは想像に難くない。
最初にクラゲを仕留めてから数ヶ月。今では倒すための手順も効率化され、ほぼ犠牲なく、安定した数が得られるようになった。おおよそ10日に1匹というペースがスイカの供給を安定させ、群れの小人の数は80匹ほどに増えている。僕たちのテリトリーには何度も広大なスイカの園が生まれ、そのたびに土壌が土に近づくように思えた。どこから湧いたかミミズが出るようになったのも、土地が肥えてきた証拠だろう。
「でも、スイカ探しに行きたいのなー」
「どうしてだい? ドラム、君は誰よりも力が強いけど、歩くのはそんなに得意じゃないだろう? 一度に持ち帰れるスイカも5個が限度だし、それなら他の子に任せてもいいんじゃないか?」
ドラムの力は人間の大人よりも強い。昆虫のように、自分の体重の何倍もの荷物を持ち上げることができるのだ。
しかしスイカは彼らの体に対して大きすぎる。大量に運ぶのは……。
「ダイス様。スイカ運びたいのなー。お役に立ちたいのなー」
ドラムはまた同じ言葉を繰り返す。
僕は彼の目を見る。そこには何かしら切実なものがある。彼なりに理由があるのだろうか。だが口下手なドラムには説明が難しいようだった。手を空中で動かし、何か感情を表現しようとするが、うまくいかない。
「……分かったよ。じゃあ背負子を作ってみよう。もっとたくさんのスイカを持ち帰れるように」
「ありがとうなのなー」
そして翌日。
ドラムは、帰ってこなかった。