第十一話
それから何度試行錯誤しても、蔓のパスタで猫たちは進化しなかった。塩加減を変えたり、叩いてみたり、塩水につけてみたりでなんとか食べられる水準のものはできたが、さっぱり進化しない。ちなみにおいしいとも言わない。
ではパスタがパスタと見なされる要素は何だろう?
「……というより、それは僕の認識の問題な気がする」
茹で上がった白い紐状のものを見て思う。これはどこまで行ってもスイカの蔓だ、違うカテゴリーの食べ物とは言えない。
記憶の中にあるパスタにどれだけ近づけたとしても、今のままではそれはサラダの延長でしかない。猫たちは新しい料理とは認識しないのだろう。
細長いもの、という連想で根っこに思い至る。どこかの国では蓮の根とか、あるいは薪のような固い根を食べるらしい。世界でもほとんど唯一、その国にしかない食習慣だとか。
思いついたら実行あるのみ、スイカの根を多めに掘り起こして根を集める。根の先の方は地の奥へ奥へと延びており、どこまで掘っても先端に行き着かない。
まず根をかじってみたが、固くて渋くてとても食べ物とは思えない。
スイカの果汁と灰汁、そして塩をすりこんでアク抜きして茹でてみる。結果、まったく食材としての価値は上がらない。食べさせるまでもなく猫の進化には繋がらないと分かる。これを食べる民族の味覚はまったくの謎だ。
「……根なら多少はデンプンが含まれてるはず、取り出せば麺を打てる……」
と、そこで閃いた。
「ティル、スイカの種をたくさん集めてくれ、それと今日の食事、なるべく種を取り除いてから食べること」
「うにゃ? わかったにゃー」
そして一日で集まったのは、両手に一杯ほどのスイカの種。
試しに割ってみると、中には白い石灰質のような、もろいチョークのようなものが詰まっていた。小麦粉をぎゅっと握ったときにできるダマに近いかもしれない。
僕は種を鉄板の上で潰し、水、つまり果汁を加えて溶かし、着ていた麻の服で濾す。そして沈殿物ができるまで待ち、上澄みの果汁を捨てて、指で練ってみる。少しだが粘りけがある、デンプンが抽出されているのだ。
スイカの種でそんなに上質なデンプンが取れるとは思ってなかったが、考えてみればこの星のスイカは特別だった。種だけを見ても食材として優れている可能性は大いにあるのだ。
取れた量はごく僅かだし、塩を加えて練ってもほとんどまとまらずにべしゃべしゃした感触のままだったが、物は試しと熱した鉄板で焼いてみる。端がすぐに焦げてきて全体が泡立ち、焼くというより煮る感じになったが、ともかく最後には糊化した部分が残った。生煮えのホットケーキのようなそれを三人に与えると、見事に進化を遂げたのだ。
小麦の発見、そして小麦粉の精製は人類史において特筆すべきイベントだろう。いま、この星にもそれが起きた。ここから無限の可能性に枝分かれしていく、大いなるスイカ粉の夜明けが。
※
猫たちはすでに10段階以上の進化を遂げていた。しかし何というか、順調なのだがどうもファミーの時と違う。ファミーは線が細くてすらりと背筋の伸びた印象があったが、トム、ティル、ドラムたちは身長はあまり高くならず、110から120センチほどで伸びが緩やかになった。
個人差も出てきた。トムは活動的で足が速く、誰よりも遠くまでスイカを探しに行く。
ティルは手先が器用で、鍋やナイフを改良したり、スイカの蔓をほぐして編み直し、頑丈なロープを作った。シオウがいれば裁縫を教えていただろうか。
ドラムは力が強かった。他の二人が二個までしかスイカを運べないのに、ドラムは肩を使ってスイカを支え、五つまで運べるのだ。
固体差ということもあるだろうが、育つ環境によるのかも知れない。ずっと採集を任せていたトムとドラムはそれに合わせて成長し、ティルは僕の手伝いをしていたから手先が器用になったのだろうか。
スイカの採集も日々進歩している。僕たちのテリトリーとする場所の周囲、一キロおきに骨で組んだ三脚のようなものを設置する。トムたちはまずそれを目指して走り、上に昇って周囲を探すのだ。この三脚はその組み方によって、本拠地の方向を示す目印にもなっている。
そして口笛だ。数の多いスイカの園を見つけた時は口笛で仲間を呼ぶ。彼らは指笛をよく使いこなした。
また、これにより外敵から身を隠せる可能性が増えたことも重要だった。スイカの採集とは別に、テリトリーの周囲を何人かの小人に警戒させ、敵が迫れば指笛で合図を送らせる。不幸にして警戒中に食われたとおぼしき猫たちもいたが、かつての遊牧民生活と比べれば、養える猫の数はかなり増えた。
繁殖も進んでいるが、野生の猫がいつのまにかやって来て食事に加わっていることもあった。僕は炒ったスイカの種や、皮の塩漬けを保存しておき、手っ取り早く何段階か進化させられる準備もした。
この頃になって気づいたことがある。小人たちが何段階の進化を遂げているか知る方法だ。
それは爪だ。彼らの爪は最初は真珠のように滑らかだが、進化すると付け根からわずかに伸びる、それが白い曲線となって爪に残るのだ。トムたちの爪はアサリの貝殻のように線で埋まっていた。おおよそだが、これで20段階ほどまでの進化を知ることができる。僕はゲームになぞらえてレベルと呼ぶことにした。
これも発見だが、彼らの爪は普段は根本が格納されていて指のシルエットに収まっている。だが喧嘩したり何かを引っ掻くときなどは伸びるようだ。猫らしい部分だと思う。
しかし猫なので、固い骨などでよく爪砥ぎをしている。そのため手の爪はやがて線が無くなってくるので、測定は主に足の爪で行っていた。
トム、ティル、ドラムはレベル17、他の猫たちは平均してレベル8から9、なるべく速く全員を進化させたいところだ。
※
そして時は来た。
砂丘の影から小人たちが襲いかかり、複数枚の投網が投げられる。
残像狼に網がかぶさり、抵抗を見せる瞬間、長く太い骨が網に打ち込まれてそれに三人ずつの小人が掴まって重しとなる。今では一人あたり25キロはある、狼の八本の足でも網を動かせない。
そして鋭利な鉄のナイフを持った部隊が砂丘を駆け降りる。先頭を切るのはトムとドラム。ドラムはひときわ大きい、彼らの背丈ほどもある大型の骨を背負っており、背中まで思いきり振りかぶって跳躍。狼に一撃を与える。
残像狼は甲高く呻いたが、踏みとどまって顎を思いきり開き、網に牙を食い込ませて噛み切ろうとする。だがそれは乾燥させた蔓を三重に編み込んだロープだ。容易には切れない。
網の中でもがく狼も必死だった。ナイフを振りかぶる小人たちを払いのけ、吠え声で威嚇してロープに何度も食らいつく。そして八本の足がめいめいに動いて砂をかく。いかに網が頑丈でも下は砂地だ。砂を掻き出していけば抜けられる可能性もある。
そこに影が立ちはだかる。ひときわよく研がれたナイフ、いや短剣とでもいうべき完成度の武器を持つのはトムだ。狼に真っ向から対峙し、その顔面めがけて短剣を振るう。
狼が身をよじって網を揺らす。他の猫たちは足をとられて転んだが、トムは踏ん張って見せた。足の指でロープを掴んでいる。しかも恐るべき体幹の安定、トムの斬り払う一撃が狼の顔に朱を走らせる。
残像狼が吠える。肺に溜め込んだ空気を一気に吐き出しての威嚇。だがトムは動じない。狼は一度思いきり身を屈め、八本の足を一気に伸ばして首を天に突き上げる。頑丈な網がサーカスのテントのように盛り上がり、何本かの骨柱が抜け、小人たちが悲鳴と共に吹き飛ばされる。
残像狼が再び正面を見たとき、トムの姿が消えていた。狼が獰猛に笑むかに見えた瞬間。どか、と低く重い音。
狼の延髄に短剣が突き立っている。それはトムだ。かろうじてスイカを切れる程度の刃だが、狼が網を跳ね上げた勢いを利用しての跳躍、そして全体重を乗せた一撃が見事に狼の肉を貫いていた。鮮血が噴き出してトムを朱に染める。
実際には英雄譚のように一撃必殺とは行かなかった。残像狼はトムの一撃でかなりの傷を負ったが、倒すにはそこからさらに30分ほどもかかったのだ。
ともあれ最後には八本足の狼も力尽き、網の下でその身を大地に横たえた。狼の暴れたあとは大きなスリバチ状の地形になり、さらさらと砂が流れ込んで来るその中に、トムがすたりと降り立って短剣を突き上げる。
「うにゃああああああーーーーーっっ!!」
「にゃあああーー!」
「勝ったにゃーーー!!」
投入した兵力は37人、戦闘時間はおよそ45分、犠牲はゼロ。これ以上ないほど輝かしい戦果だ。
それはこの星の長い長い歴史の中で、ややもすれば最初のイベント。
猫たちの大いなる下克上、反逆の始まりをしろしめす勝鬨であった。