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オトノハ  作者: 弥生秋良
9/13


 その日を境に僕と蓮はすれ違いの日々が続いていた。それでもお互いに切磋琢磨し合っていると実感出来ていたから何の不安や迷いを抱く事無く、歌詞創りやソロでの歌入れ、そしてアルバム発売に向けたテレビの収録にも意欲的に取り組んでいた。

そんなある日の事。

「はいオッケーでーすっ‼ 皆さんお疲れ様でしたーっ‼」

 別段アクシデントもなく無事に収録を終えマネージャーを探すも見当たらない。仕方なく一人で控え室に入る廊下を歩いていると何故だか僕の横を通り過ぎる人の波がいつも以上に忙しないように思えて僕は疑問符を浮かべた。

 機材トラブルでも起こったのかな。

 疑問を抱えたまま控え室へと入ると其処にもマネージャーの姿は無く。

「あれ?」

 もう一度扉を開け廊下を左右確認してみる。が、やはり彼の姿は何処にも見当たらなかった。

「……待ってていいのかな……」

 置きっぱなしになっていた携帯を見るも特にメッセージは来ていない。携帯をテーブルへ置き席に着くと偶々近くに用意されていた雑誌が目に入ったので何気無く手に取りパラパラと捲る。

 すると、

「真琴っ‼」

 扉が大きな音を立てて開かれ、同時に切羽詰まった声が響き渡る。それはまさに探していた人物のもので。

「わっ‼ ……えっと、どうか、したんですか……?」

 僕は驚きで騒ぐ心臓に手を当てつつ彼に問い掛ける。

「蓮君が……」

 顔面蒼白にし二の句を続けられずにただ茫然自失な様子で僕を見つめてくる彼。その眼差しは心なしか潤んでいるように映る。嫌な胸騒ぎがして僕の胸の鼓動が一度だけ大きく鳴った。

「蓮君が……亡くなった、って」

「……え?」

 彼が言った言葉の意味を上手く咀嚼出来ずただ頭が真っ白になる。知らず手の内にあった雑誌が音を立てて床に落ちた。

「とにかく今すぐ此処を出よう。幸い収録も全部終わったしすぐ車回してくるから」

 僕の動揺を受けてか彼は先程までの困惑を打ち消して的確に段取りを熟していこうとしている。だが僕はそれについていけずただただ硬直したまま動けなかった。

「……真琴‼」

 その声でビクッと身体が恐縮する。それに構う事無く彼は僕の肩を力強く掴んだ。

「蓮が今会いたいのは間違いなく君なんだ。だから……酷な事を言うけど、蓮の元へ行こう」

 真摯な瞳が僕を捉える。ユラユラと揺れる視界を拭って僕は彼と共に立ち上がった。



 とはいえ、蓮の元へと向かう車中での僕は震えが止まらなかった。それを目にしたマネージャーが堪らず車に積んでいた掛け毛布を取り出したぐらいだ。











 信じたくなかった。

 蓮が、死んだなんて。












「……真琴君、来てくれたんやね……」

 着いた先は、冠婚葬祭で使われる部屋の一室。扉の前で立ち竦んでいると、中から目を真っ赤に腫らした蓮のお母さんがやつれた様相で僕を迎えた。

「……蓮、真琴君来てくれたで」

 そう言って中に通される。恐る恐る歩みを進めれば、厭に白く見える敷布団の上に、蓮がいた。

「……蓮……?」

 目を閉じたままの蓮からは当然の如く返事はない。整った綺麗な顔立ち。その口から特徴的な関西弁が繰り出される事はない。他愛無い会話をして笑い合う事も、本気でぶつかって言い合う事も……そして、あの澄んだ歌声が紡がれる事は、もう、二度と。

「……っ、蓮……っ」

 僕は思うよりも先に縋り付くように蓮の元へと近付き膝を折った。壊れ物を扱うかのように慎重にその頬に触れる。もしかしたら、と期待していた温もりは無情にも存在しなかった。自覚した途端意図せずとも視界がぼやけてくる。そのまま抗う事も出来ず哀しみの海に溺れ呼吸が乱れる。

「……アルバムのレコーディング中、堰が止まらなくなり呼吸困難に陥りました」

「……え……?」

 説明したのは蓮のマネージャーである木津さんだ。涙でぐちゃぐちゃになった顔を晒しつつ唖然として彼女を見た。揺らぐ視界に映ったのは、泣きたい筈なのに僕の為に我慢して歪になる表情。そんな彼女の隣で蓮のお母さんが込み上げる涙を何度も何度も拭いながら口を開いた。

「あほやねんこの子。喘息治ってへんかったのに……無理して……っ」

「彼は……未だに闘ってたんですね」

 そう呟いたのは藤木さんだ。苦痛を耐えるような表情。まるで全てを知っていたみたいに吐き出されたその言い回しに耳を疑う。

 そう、その言葉で察してしまった。

 あぁ、そうか。僕があんな約束をしてしまったから。






 ならば、蓮を死に追い遣ったのは――――僕だ。







 そう結論付けた瞬間、騒がしい足音が近付き、次に喧ましく扉が開かれた。

「蓮っ‼」

 現れたのは【シューティング・スターズ】の面々だった。

「蓮……っ」

 目を真っ赤にした麻井さんが蓮に駆け寄り僕の時同様蓮に縋り付く。そんな彼の後ろで支えるように両肩に手を置いた有城さんが心痛な表情を浮かべている。

「……嘘、だろ……」

 顔面蒼白な様相でよろめいた環さんを僕は咄嗟に支えようと立ち上がり手を取ろうとした。が、その手を勢いよく弾かれて逆に胸倉を掴まれる。

「お前の所為で蓮は……っ‼」

 今にも殴り掛かってきそうな形相に身体が硬直し何も言えなくなる。それを目にした有城さんとマネージャーが慌てて僕達を引き剥がした。

「湊‼ それは違う‼」

「違わないだろ‼ こいつが軽い気持ちで交わした約束の所為で蓮はっ」

「それはただ責任転嫁してるだけだ‼ ちょっと冷静になれ‼」

 言い聞かすように環さんの両肩に手を置き押し留める有城さん。だが環さんの怒りは収まらないようで、その証拠に常より鋭い目は更に吊り上がり両手はきつく握り締められていた。

「……蓮は自らの意志で決めたんだ。そんな風に真琴君を責めるのは蓮の意志を否定するのと同じ事になる」

「…………!」

 そう諭された直後、環さんの瞳が大きく見開かれ、揺らいだ。顔を背け、何かを堪えるように俯く。

 けれど僕は、環さんの言う事だって一理あると思ってしまった。

「……あんな約束……しなければ……っ」

 自身の右手の平を見つめ、それを強く握り締める。脳裏に焼き付いた彼との約束が何度も頭の中で再生される。それが更に僕の胸を締め付け息を詰めた。

「僕、が……」

「……真琴……?」

「僕が……約束なんて……したから……っ」

 息が上がる。思わず逆の手で胸の辺りを強く掴んだ。止め処無く溢れ出す涙は留まる事を知らず床を濡らしていく。だがそれは哀しみからだけではなく……

「……っ‼ 真琴っ⁈」

「真琴君っ⁉」

「……っ、ぁ……っ」

 苦しい、と思った時にはもう駄目だった。全身が痺れて動けずそのまま音を立てて地面に身体を投げ出した。すぐさま僕を抱き起こすマネージャーの気配がして、先程までは感じる事の出来なかった人特有の体温に僅かばかり緊張が和らぐ。

「どうしたっ⁈ 大丈夫かっ」

「誰か呼んできますっ」

 バタバタと忙しない足音と共に扉が閉まる音を耳にする。この場に残ったであろうマネージャーは酷く狼狽した声で僕の頬に手を寄せてくる。そんな彼の不安を払拭させようと口を開くが呼吸をするのに精一杯で言葉が出て来ず、代わりに隙間風のような音が口から洩れてきてそれがやけに耳に衝いた。

「真琴……っ」

 悲痛に響く呼び声が次第に遠退いていく。

 駄目だ。僕がいなくなれば彼はまた悔やむだろう。先刻のように苦悶の表情を浮かべて。二度もあんな悲痛な思いをさせるのか。どうか、それだけは……

 ぼんやりする意識の中でそんな事を思い巡らせたのが、僕の記憶するところの最後だった。





















 唄が、聴こえた。



『輝く星に 心の夢を 祈ればいつか叶うでしょう』



 肩を並べ、一緒に音を奏でたあの日の唄。



「……っ、蓮っ‼」

 名前を呼んで辺りを見回すが周りは真っ白な空間が広がるばかりで右も左も判らない。途方に暮れて俯いた瞬間、遠くの方で足音が鳴る。

「……蓮っ‼」

 先刻までは無かった蓮の後ろ姿が映り咄嗟に駆け出す。だけど足が縺れてしまってなかなか追い付けない。代わりに必死になって蓮の名を叫ぶ。

「蓮‼ 蓮待って‼」

 置いていかないでっ‼

 強く言い放ったその時、蓮の足が止まった。

「……‼ 蓮っ‼」

 蓮が此方を振り返る。やっと見れた表情は何故か泣き出しそうなのに微笑っていて。何も言わず僕へと差し出される拳。僕はそれに応えようと拳を突き出し……



「…………っ」

 天井に掲げられた自身の腕が一番最初に視界に映る。

この手は、届いていたのだろうか。

 そう思った途端に頬を伝っていく雫。どんどん膨れ上がって抑え切れなくなった感情が処理し切れずに涙となって零れ落ちる。そうしている内にそっとカーテンが引かれた。

「……! 真琴っ、目が覚めたのかっ?」

 見知った顔が血相を変えて僕の傍へと駆け寄る。相当心配を掛けてしまったのだろう。彼の眼の下には隠し切れない程の濃い隈が出来ていた。一体どれだけの時間を費やしてしまったのか……そうだ、蓮はっ

「…………っ」

「……真琴……?」

『蓮は?』と発した筈の声が、空気を震わす事はなかった。

「…………っ!」

 喉に手を当て再度言葉を紡ぐ。が、結果は同じ。何の音も成さない。

「――――っ‼」

 周りを気にせず大声を上げようと試みたが、やはり駄目だった。足元から這い上がってくる恐怖で目の前が真っ暗になる。思わず震え始めた両手で自身の身体を掻き抱いた。

「真琴っ、大丈夫! 大丈夫だからっ」

 背中を擦ってくれる暖かい体温に甘えその身を預ける。

 藁をも縋る思いで彼の腕を強く掴んだ。



 後にやってきた医師の問診と検査を受けた結果、失声症と診断された。だが身体的には特に異常は見られず、恐らくは精神的なものだろうというのが見解だった。その為具体的な治療方法が告げられる事はなく……

「これを機にゆっくり静養してみてはどうですか?」

 医師は穏やかな表情でそう提案してくる。僕が歌い手と知っての事だろう。心からの気遣いがありありと浮かんでいたからそれ以上の他意はないと知れて、殊更何の反応も返せなかった。

「とりあえず今日は言われた通りゆっくり休んで、これからの事はまた追々話そう、な?」

 一緒に立ち会ってくれたマネージャーが僕の肩にそっと触れる。何だか無性に情けない気持ちになって、込み上げる涙を強引に手で拭った。



 それからの僕の生活は、まるで色の無い世界にいるのと同じだった。

 声は相変わらず音を乗せる様子を微塵も感じさせない。だが幸か不幸か相手の声は聞こえるので携帯に文字を起こす事で意思疎通を図る事が出来た。それでも誰かと何かやり取りしたいとは思えず、向こうから話し掛けて来ない限り自分から話題を出す事はしなかった。

 そうして次第に、一人の時間が増えていった……

「…………」

 誰も居なくなった病室で、僕は意味も無くカーテンと共に窓を開けた。

 目に映ったのは、ポツポツと所々に燈された家の明かりと、満天の星空。

 それを目にした途端、耳の奥で、歌声が聴こえた。

「…………っ」

 懐かしい声。その肉声がこの耳に届く事は決してないのに。

 どうすれば、この絶望から抜け出せるのだろう。

大切なモノを失った今、僕は何を糧に生きていけばいい?

 誰にともなく問い掛けた瞬間に流れたあの星は、果たして現実だったのだろうか。



 それからも無情に月日は流れ、マネージャーから一旦芸能活動を休止しようという話が持ち出された。

 けれど僕は首を縦には振らなかった。



「なぁ真琴。頼むから聞き入れてくれよ」

 溜息と共に吐き出される言葉。僕はそれが癇に障り、つい睨み付けてしまう。

「お前が歌いたい気持ちは痛い程解るけど、声が出ないんじゃどうしようもないだろ?」

 そう返され、声で伝えられない僕は代わりに携帯を取り出しそこに文字を打ち込む。

「『声が出ない間は、雑誌のインタビューとか曲創りとか何でも出来る事はやるから』って真琴、お前曲創れないだろ……というかそれ以前にお前は病人なんだよ。そんな事させられるわけないだろ」

「…………っ!」

『ただ声が出ないだけで病人扱いするな!』

 そう怒鳴ってしまいたかったが、案の定それは音にならなかった。

 それに『ただ声が出ないだけ』と思ったものの、歌手である自分からすれば最大の致命傷としか言いようがない。堪らず大きく息を吐いた。

「……真琴……」

 沈痛な声が耳に届く。何だか申し訳無い気持ちになって再度携帯に文字を起こして彼にそっと見せた。

「……謝るのは俺の方だよ。ごめんな真琴。何の力にもなれなくて」

 そう溢した彼の言葉に息が詰まる。潤んだ瞳を誤魔化すように俯き、強く携帯を握り締めるしか出来なかった。



 次第に自分の声がどんなものだったのか解らなくなってきて、募るばかりの不安と焦燥に駆られ無理矢理声を上げようと足掻くようになった。何の意味もないのに喉を掻き毟り、引っ掻き傷を残してしまった日は両親に至極心配をされ、マネージャーにはこっ酷く叱られ、医師には淡々と諫められた。

 それでも僕の行き場の無い気持ちは吐き出される事無く今も猶燻ったまま、色の無い世界でただ息をするだけの毎日が続き、いよいよ限界が来てしまった。



 それまで長く降り続いていた雨が止み、僕は何気無く屋上へ出た。雲の切れ間からぼんやりと顔を出した夕陽の光が朱と蒼を混ぜながら街を照らす様子を見つめ、無意識に目の前のフェンスに手を掛ける。

『……綺麗な夕陽……』

 あんな夕陽を背に二人で川沿いを歩きながら唄を歌っていた……あの日も。そんな風に戻らない日々を思い出す。

『……もっと話していれば良かった』

 声にならずに空気に融けたのは、もう幾度となく頭の中で繰り返していた後悔の言葉。

『もっと一緒に歌いたかった……』

 グッと掴んだフェンスに力が篭る。

『もっと……一緒に……っ』

 一度決壊してしまえば、止められる術は無く。

 溢れて止まない未練と涙は後を絶たず、その雫は頬を伝い手の甲に落ち、やがては地面へと吸い込まれてゆく。

『……どうしてっ』

 気付いてあげられなかったんだろう。あんなに近くにいたのに。手放したのは自分。もしもあの時約束をえなければ。今更戻せない時間を悔いたところで何かが変わる筈も無いのに。

『……蓮……っ』

 聞こえていた声はもう、聞こえない。

『……蓮……っ!』

 この声はもう、届かない。

「…………っ‼」

 僕は無我夢中でフェンスを乗り越えた。幸いにも其処には僕一人しか居なかったから騒ぎ出す声も無い。

「……っ、…………」

 生きていても、しょうがない。

 だって、誰かを笑顔にする為の歌声を失くしてしまった。

 同時に、大切な親友も。

 もう僕には、生きる糧が無い。

「…………」

 気が付けば陽は落ち、眼前には暗い空が拡がるだけ。

 目を閉じる。零れ落ちた一滴。それが地面へ落ちる前にと、足を一歩何もない場所へと踏み出す――――その時。











『――――輝く星に 心の夢を 祈ればいつか叶うでしょう』











 あの時と同じ、唄が、聴こえた。

「…………っ?」

 ふっと意識を現実に戻し後ろを振り返った瞬間力一杯腕を引かれた。バランスを崩した身体は地面に強く叩き付けられる。

「…………っ」

「……っ、何やってんのよっ‼ 死んだら何も残らないじゃないっ‼」

 耳元で盛大に喚かれ思わず両耳を塞ぎ両眼を強く閉じる。けれどその腕を強い力で掴み取られて耳を塞ぐ手段を失ってしまう。仕方なく目は瞑ったまま必死に抵抗したがその相手は僕の腕を離そうとはしなかった。

「何があったか知らないけど自分から死ぬなんて一番やっちゃいけない事だからっ‼ どれだけ辛くても苦しくても人は生きていかなきゃいけないのっ‼ 生きたくても生きられなかった人の分まで人生全うする事が遺された人の使命なのっ‼ キミには生きる権利があるんだよっ‼」

 まるで言い聞かせるように叫ばれる言葉は今の僕には重た過ぎて持ち切れなかった。先程まで止まっていた筈の涙腺が再び緩み始める。

「……辛いんだよね。苦しいんだよね。でも駄目だよ。ちゃんと踏み止まって。キミに生きていて欲しい人が絶対にいるから」

 口調が和らぐ。ともすれば暖かい掌が僕の背中を擦ってくれた。

「大丈夫。今は絶望しか感じられなくても、いつかきっと希望が見える日が来る。その日を信じて、もう少し生きてみよう?」

 僕は顔さえ上げられなかったが小さく頷いた。それに相手が気付いてくれたかどうかは定かではなかったが、背中に当てられた掌から伝わる体温が酷く心地良かった事だけは確かだった。



「……真琴?」

 ふと目を醒ませば其処は既に馴染んでしまったベットの上で。

「目、醒めたか? 大丈夫か? どこか痛い所とかはないか?」

 そのどれもに当て嵌まる回答を首を縦に振る事で示すと、それまで強張っていた彼の顔が途端に緩む。

「良かったぁ。あんまり心配させるなよ」

 ポンポンッと布団を叩かれ、僕は事情が呑み込めず首を傾げる。するとそれを察したマネージャーは経緯を説明し始めた。



 どうやらお見舞いに来てくれたマネージャーが僕の不在に胸騒ぎを覚えナースステーションに訊きに行ったらしい。その後僕が行きそうな場所を探し回ったが結局見つからず、その内マネージャーだけでなく他の看護婦さんやまでもが只事では無いと判断し院内を駆けずり回った結果、屋上のフェンスに凭れ掛かるようにして倒れていた僕が発見されたそうだ。



「全く肝が冷えたよ。……もうすぐ御両親も来るから存分に叱られるんだね」

「…………っ⁈」

 ブンブンと首を大きく振るが時既に遅し。会話し終えたタイミングで母と父まで病室へと飛び込んできた。

「まこちゃんっ‼」

「真琴っ‼」

「っ⁈」

 突如として現れた二人に驚き身を固くする。それも束の間母に思い切り抱き締められた。

「もう何してたのっ⁈ 心配したのよっ‼」

 首に回された腕の力が思いの外強く窒息しそうになる。酸素が薄くなってきたなと思い始めた時漸く父が助けてくれた。

「おいおいその辺にしなさい‼ 真琴の首が締まってるからっ‼」

「嘘っ⁈ ごめんねまこちゃんっ‼」

「……っ、けほっ」

 咽る僕を気遣い母が背中を擦ってくれる。その瞬間、頭の隅に追い遣られていた記憶が微かに蘇る。

「ところで真琴。何で屋上なんかに行ったんだ?」

 僕の心を読んだみたいに父が問い掛けてくる。表面上怒ってはいないものの、真摯な眼差しが僕を責め立てているように思えてしまいどこか忍びない気持ちになる。けれど視線を逸らす事は叶わなくて。

「…………」

 ゆっくりと唇を動かす。

『夕陽が綺麗だったから』。

 果たして唇から読み取れたのだろうか。父と母は顔を見合わせた。

「……そうか」

 父はそれ以上何も言わなかった。



 その一件があってから、僕の動向を窺っているのか以前よりも頻繁にやら看護師さんやらが病室を出入りするようになった。それも相俟って僕は外に出る度逐一誰かに報告しないといけない状況に嫌気が差してしまい、仕方なく一日の大半を病室で過ごす日々が続いた。偶に調子が良い時はマネージャーが庭へと連れ出してくれたり、バスケ部の仲間が練習終わりに訪ねてきてくれて他愛も無い会話をしたりして、それが幾分か気分転換になったりもした。

 けれど声が出ない事によって自分の気持ちや感情が上手く伝わらないというもどかしさはどれだけ月日を重ねても消える事は無く、その事実がどんどん僕を蝕んでいった。

 その上、声が出なくなる前と後で決定的に変わってしまった事がある。

 僕は蓮が亡くなってから外の情報の一切を取り入れなくなった。……いや、『入れなくなった』のではなく、『入れられなくなった』と言った方が正しいだろう。

テレビを観ようと思ってもリモコンを手に取るまでは出来るものの、ボタンを押そうと思うと手が震えてくるのだ。携帯やパソコンもそう。ただ文字を打ったり写真を見たりは滞りなく操作出来るのに、いざネットを開こうとすれば手が震えて動かなくなる。酷い時には気持ち悪くなって嘔吐した事もあった。

「無理して情報を入れる必要はないですよ。大丈夫です。一つずつゆっくりやっていきましょう」

 医師にそう励まして貰えば僅かに気が軽くなったりもしたが、依然として歯痒さと焦りは消えてはくれない。



 これは僕の弱さだ。

 蓮が居なくなってしまった現実を受け入れられない自分の弱さ。

 蓮の死を目の当たりにしたくなくて必死に足掻いている。

 そんな事をしても、蓮は還ってこないのに。



 結局それ以来僕は何の情報も取り入れる事の無いままただ平凡に過ぎていく日常を送っていた。そうして暫く心身共に落ち着いた日々を送り続けた結果、ようやっと退院の許可が出た。

「これからは家で静養して頂いて構いません。ですが定期的に病院には通って頂くようにお願いしますね」

 医師は朗らかな口調でそう告げると微笑を落とした。

「穏やかな時間を過ごしていけば、きっと声も元に戻ります。希望は意外とすぐ傍にあるものだったりしますから」

「……はい。ありがとうございました」

 僕の言葉を代弁するかのように母が深々と頭を下げてそう返した。それに倣い僕も頭を下げる。

「いいえ。結局僕は何もしてあげられませんでした。精神的な病気の前では医者は無力です。最終的には患者さんの心次第になってしまうので……不甲斐無い医者で、申し訳ありません」

 逆に頭を上げられてしまい母も僕も狼狽える。僕はさっと携帯を取り出すと文字を打ち込んだ。

『センセイは無力なんかじゃないです! 僕の話を聞いてくれました。僕の心の痛みを解ろうとしてくれました。それだけで救われたのは紛れもない事実です。センセイが主治医で良かった。ありがとうございます。これからもお願いします』

 必死に紡いだ言葉に医師の瞳が潤み出す。

「逆に励まされてしまいましたね。そんな風に言って貰えるなんて、医者冥利に尽きます……『ありがとう』と言うべきは僕の方かもしれません。これからも井川君の声を取り戻すお手伝いを惜しみなくさせて頂きますので、何でも仰って下さい」

 ズッと僅かに鼻を啜ると変わらない優しい笑みが浮かぶ。それを目にして更なる願望が生まれる。ほんの少しだけ、前向きな思いが湧いた。

 お世話になった彼にもまた、僕の唄を届けたい、と。










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