友情
その子の名は〈松原 蓮〉。その子も僕と同じで大阪から京都に越してきたらしく、お互い似た境遇だったのがきっかけで意気投合しすぐ仲良くなった。蓮は僕がまだ日本語に不慣れな所為で会話が続かないのにも関わらず自分の事を根気強く話す事で距離を縮めようとしてくれて、尚且つ僕に日本語を教えてくれた。学校の帰り道ではよく二人して唄を歌った。僕は英語で、蓮は日本語で。言葉は違えどメロディーが一緒だと何故か綺麗にハーモニーが奏でられる事を知り、歌う事が凄く楽しく思えた。偶に公園に寄り道したり河原沿いを散策したりしながらも、そこには当たり前のように唄があった。気が付けば一日の殆どを蓮と過ごしていた。蓮が一緒に居てくれたおかげで次第に日本語も喋れるようになっていった。
そして漸く学校にも通い慣れてきた小学六年の冬。いつものように蓮と歌いながら河原沿いを下校している時に、それは起こった。
「……寒いねー」
学校からの帰り道、身を震わせながら両腕を擦るとそれに呼応するように蓮も首を竦める。
「そうやなぁ……っ」
けほっ、と小さく空咳を発した蓮が心配になり顔を覗き込んだ。
「風邪引いたの? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、何でもあらへんよ。ちょっと乾燥しとるからちゃうかな。喉弱いねん」
『でも身体は元気やで!』と付け足して両腕をブンブンと振り回す。確かに元気そうだ。その様子にホッと胸を撫で下ろす。
「真琴こそ風邪引いたらあかんよ? 最近急に寒なったからなぁ」
言葉と共に吐き出された息は白く、グルグル巻きにされたマフラーから申し訳程度に見え隠れする鼻は赤く染まっていた。
「……そういえば真琴と出会ってもうすぐ四年やなぁ……」
しみじみと月日を邂逅し空を見上げる蓮。その視線の先に何が見えているのだろう。そう思って僕も同じように天を仰いでみる。すると蓮が大きく息を吸い込んだ。
「……きーらーきーらーひーかーるー……」
急に歌い出した蓮に続けて僕は英語で唄を繋いだ。何も不思議な事ではない。今までだってどちらからともなく突然歌い出すのが常だったから。けれど何故だろう。毎日一緒に歌い続けているのに、今の蓮の唄はどこか違って聴こえた。
「……蓮?」
空に向けていた視線を蓮に移す。だが蓮の目線は未だ空にあった。
何だか無性に距離を感じて蓮の気を引こうと息を吸い込んだその時、僕よりも先に見知らぬ声が突然降ってきた。
「ねぇ君達、何処の学校の子?」
「…………⁈」
あまりに突拍子もない問い掛けと不意打ちに僕は大袈裟過ぎる程肩が跳ねた。
「はぁ? 急に何なん、おじさん」
そんな僕とは打って変わり、蓮は動揺する様子を微塵も感じさせず空にあった視線をその人物へと向けると臆する事無く言葉を返した。
「あ、ごめん。そりゃ警戒するか。そうだな……うーん……なら君達の御両親にお会いしたいんだけど案内して貰えないかな?」
サングラスの下にはどんな瞳が隠れているのだろうか。そんな事を考えながら僅かに恐くなって蓮の服の袖をぎゅっと掴む。それに応えるかの如く蓮は僕の前に立ち相手を睨んだ。
「……親に会ってどないすんねん」
「えっと……実は数日前から君達の事気になってたんだよね。あ、これ渡したらちょっとは信用してくれる?」
そう言って胸ポケットから一枚の名刺を取り出し僕達に差し出して見せた。
「『ブルー・スプリング・ミュージックプロダクション?』」
「おぉっ‼ 君英語の発音バッチリだね‼」
その感嘆の声が思いの外大きくて驚き恐縮する。蓮は相変わらず怪訝な顔をして彼をまじまじと凝視していた。
「そんな人が何で声掛けてきたん?」
「いやぁ、君達毎日歌いながら帰ってたでしょ? その声を気に入っちゃって。しかも二人共凄く良い表情して歌うんだからこれはもう決まりだろって僕の勘が働いてね」
心底楽し気に告げる彼。目元は知り得ないが口角と頬筋は上がりっぱなしだった。
「とりあえず近々小中学生対抗の歌番組やるんだよ。それで君達に出て貰えないかなぁと思ってさ」
そう言って両手を合わせて僕達に懇願してくる。
「お願いっ‼ これで親御さんに反対されたら素直に引き下がるからっ‼」
頼むよ~、と僕達に目線を合わせ両手を擦って頭を下げるものだから僕も蓮も困ってしまい二人して顔を見合わせた。
「……はぁー。まぁ無理やと思うけどそれでもええんやったらおかんに会わせたるわ」
彼の誠意に根負けしたのか盛大に溜息を吐くと蓮は彼にそう返す。僕は目を丸くして蓮に問い掛けた。
「いいの? ダイジョウブ?」
「大丈夫やろ。名刺もあるし、ついていくんやなくて連れて行く立場やし」
声を潜めた会話を終わらすと彼に向き直る蓮。
「ほな行こか」
そう合図して蓮は歩き出す。置いていかれないように僕も足早に蓮の隣に並んだ。
結果は、意外にも賛成の意見で通された。
まぁ相手が巧みな話術を持っていたというのもあるが、僕の母親は元々ミュージカルが大好きだったし、僕が唄でテレビに出演する事はある意味棚からぼた餅だったそうだ。
蓮のお母さんも、
「……まぁテレビ出演なんてこの先望んでも無理かもしれへんし、一回ぐらいええんちゃう?」
と軽い口調で賛同してくれたらしい。
僕の母が出した答えには何となく想像がついていたが、蓮のお母さんの回答は僕にとっては意外だった。賛成はするだろうと思っていたのだが、予想では僕の母よりも強く乗り気になってテレビ出演を希望すると思ったのに蓋を開ければ存外そうでも無かったようなのだ。蓮も前に「オカンは目立ちたがり屋」と豪語していた程だったのに。
ともあれ結局テレビに出る羽目になった事は僕達からすればまさかの展開で、その時僕達二人は揃って唖然とした。
かくして僕と蓮は今、二人揃ってカメラの前に立っていた。
「……緊張しとるか?」
「……少し」
司会者がカメラに向かって出場者の紹介をしている間、僕と蓮はコソコソと言葉を交わした。いつもより早く鳴る心臓の鼓動に知らないフリをして、平然を装いながら。
「実は一緒や。……けど正直、ワクワクの方が勝ってるわ」
「……! 僕もだよっ」
一緒の感覚なのが嬉しくてつい声が大きくなってしまった。その瞬間司会者の人に一瞥された気がして恐々としながら俯く。そんな僕を見た蓮が声を押し殺して笑っているのが解り、ムッとして細目で視線を送った。
練習なんてものはしなかった。しなくても何の支障も無いと思ったし、今更息を合わせる必要性も感じていなかったから。
「……次やで」
「うん……」
心臓が今までにないぐらい早鐘を告げる。手が、足が、震えてしまいそうになる。そんな僕の様子を察したのか、蓮がふと僕の方に視線を向けた。
「大丈夫やって。だってお互い誰よりも唄が好きで、唄で繋がったんやからな」
そう言って蓮は満面の笑みを浮かべて拳を差し出した。
「……うんっ‼」
それに応える為に僕も蓮に倣って拳を作り蓮のそれに当てる。
気が付くと、手足の震えは既に消えていた。
「では歌って頂きましょう! 曲目は……」
曲目は『星に願いを』。
出逢いの曲も【星】に纏わるものだったから、二人で相談してその曲に決めた。
僕は英語で、蓮は日本語で。
合わないだろうと思われがちなそれはピッタリ嵌まって、凄く心地良かった。
それが功を奏したのか、なんと僕達はその歌番組で優勝した。
「まこちゃん! 蓮ちゃん! おめでとーっ‼」
パァンッと盛大なクラッカーが部屋中に響き渡り、僕は吃驚して思わず耳を塞いだ。
「蓮っ! あんたよぅやったなぁ‼ これも一緒に歌ってくれた真琴君のおかげと、あんたをそんな美声に産んだ私のおかげやな‼」
そっと耳から手を離し、蓮のお母さんが蓮の背中を叩き頭を豪快に撫でつけるのを横目に苦笑する。蓮は居た堪れなくなったのか彼女の手を大きく振り払って言葉を返した。
「ちょお待って。真琴のおかげってのはまぁ解るけど、オカンのおかげって何やねん‼」
流石は関西人と言うべきか、すかさずツッコミを入れる蓮。それを目にした僕の母はクスクスと肩を揺らして笑っている。
「まぁたそんな言い方して‼ 当たり前やないの‼ 私があんたをその声に産んでなかったら優勝なんか出来んかったんやし‼」
「いやいやちゃうやんっ⁈ そもそも俺が歌うの好きになったんオトンの影響やし‼ オカンは全然関係ないやん‼」
「産んでくれた母親に対してその口の利き方はなんやのっ‼」
テンポ良く会話が弾む中、それは次第に口喧嘩に発展していき僕は内心冷や冷やした。だが僕の母は暢気に料理をテーブルへと運んでいる。
「さぁそろそろご飯にしましょう? たーくさん作ったからまこちゃんも蓮ちゃんも張り切って食べてねー」
お母さんもどうぞ、と母が促すと漸く蓮と蓮のお母さんの攻防に終止符が打たれた。
「やったぁ! めっちゃ美味しそう‼」
先程までの表情とは一変し、蓮は顔を綻ばせる。つられて僕まで笑顔になり、瞳を煌かせながら二人でソファに座った。
「なんや申し訳ないわぁ、うちの子もお祝いして貰って……挙句私までお邪魔させて頂いて……」
「いいんですよ‼ 大勢の方が楽しいですし……それに蓮ちゃんには感謝してるんです。真琴は日本に初めて来て、色々危惧していたところもあったと思うんですけど……蓮ちゃんがいてくれたから学校にもすぐ馴染めたみたいで。毎日凄く楽しそうなんですよ。それもこれも蓮ちゃんのおかげです」
そう言って母は僕と蓮に優しい眼差しを向けた。僕達はお互い顔を見合わせ、照れ臭さを感じつつも笑い合った。
「なんや……照れるわ」
「ははぁ~……あんたなかなかええ仕事するやないの~」
「うっさいわ」
つっけんどんな言い方は照れ隠しのつもりだろう。その証拠に蓮の頬はほんのり朱色に染まっている。
「さっ、冷めちゃう前に食べましょう」
その声を合図に僕達は箸を手にした。
「「いただきまーすっ‼」」
その時はちゃんと伝えられなかったけど、母の言った通り僕は蓮に救われていた。
日本に来た時は正直もの凄く心細くて、全てに耳を塞ぎたくなった。
だからあの時……初めて学校に行ったあの日、あの教室で聴こえてきた蓮の声は僕にとって救いの唄のように思えたんだ。
蓮の唄がなければ、僕の世界はきっと閉ざされていただろう。
塞いだ耳に唄が聴こえてくる事も、ましてや自ら歌う事などなかった。
だから蓮には本当に感謝してる。
君の唄があったから、僕は今此処でこうして笑っていられるんだよ。
「……わ、もうこんな時間やん! 蓮、そろそろ帰ろかー」
その声で僕は時計に目を遣る。短針は既に六を過ぎていた。
「はーい。ほんなら真琴、また明日学校でな!」
そう口にして立ち上がるとヒラヒラと手を振る蓮。僕は急に名残惜しくなって蓮の服の裾を引っ張った。
「うぉっ」
「蓮っ‼」
「お、おぅっ⁈」
僕の突然の行動と言動に蓮は吃驚した様子で体制を立て直しつつ目を見開く。
「あのさっ‼ 僕、また蓮と二人でステージに立ちたいっ‼ そして……もっともーっと沢山の人達を笑顔にするんだっ‼」
掴んでいた服から手を離し、代わりに両手を広げて高らかに告げる。何だかとても気分が高揚して自然と笑みが溢れた。
「だから、大人になっても一緒に歌おうっ‼」
「……そうやな! それやったら今度はもーっと大きいステージで歌わんとなっ‼」
「うんっ‼」
僕の迷いない返事を聞いて蓮の口角が上がる。
「よし‼ いつか二人で大きいステージに立ってまた一緒に歌おう‼ そんでそこに集まった大勢の人らを幸せいっぱいの笑顔にするんや‼」
そう宣言すると、蓮は拳を勢いよく突き出した。
「約束やでっ‼」
「うん! 約束‼」
言い合って、僕は差し出された拳に自身のそれをぶつけた。同時に蓮の顔に溌剌とした笑みが浮かぶ。母達も視線を交わし合い僕達に攣られるように微笑を溢している。その光景に僕は泣きそうな程の幸福を噛み締めて歓喜した。
この約束が、僕達の運命を揺るがす事になるとも知らずに。