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オトノハ  作者: 弥生秋良
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プロローグ


















 ――――ボクはキミに、何を残せただろう。





















 僕〈井川(いがわ) 真琴(まこと)〉はアメリカのニューヨークで生まれた。と言っても親のどちらかが外国籍であるという理由ではなく、両親共に日本人だ。父の海外赴任の兼ね合いで、まだお腹の大きかった母を一人日本に残したくなかった父は母を一緒にアメリカに連れて行ったそうだ。母には両親がいなかった。だから父が傍にいなければ本当に一人になってしまっていたのだ。父は心底母を愛していた。それは今でも変わらない。

 その影響もあり、僕は幼少期には英語しか話せなかった。日本語は喋る事は疎か聞き取りすら一部の単語しか解らない程度。周りは勿論アメリカ人ばかりで父も母も家の中以外ではずっと英語を喋っていたから。けれどやっぱり自分が日本人である事の違和感が拭えなくて、公園や学校でも一人で居る事が多かった。

 小さい頃は母に連れられてよくミュージカルを観に行った。母はミュージカルが大好きで、父が休みの時は家族揃って鑑賞したし、母と二人の時も時々観に行った。初めてそれを目にした時の感動は幼いなりにも鮮明に瞼の裏に焼き付いている。ステージが煌々と輝いていたのだ。それは照明の所為だけではない。人が、輝いて見えた。ダイナミックな声量、キレのあるダンス、そして舞台に立つ役者達の真っ直ぐな眼差し。でも一番惹かれたのは、その歌声だった。

 ある一人の女性が歌ったその唄。ストーリーまでは流石に記憶にない――そもそも年端も行かない子供だったから物語の内容など理解出来ていない――が、ただ誰かを想って歌った唄というのだけは解った。ステージ上の彼女は泣きながら澄んだ声でその唄を歌い上げた。観客達による盛大な拍手が送られる。そんな中、母が僕の顔を見て急に驚嘆の声を上げた。

「……まこちゃん⁈ どうしたのっ⁈」

 まだ上演中にも拘らず動揺の混じった日本語が耳に届く。逆にビックリした僕は目を丸くして母に視線を向けた。その時の僕はまさか自分が涙に暮れていたなどと思いもしなかったのだ。咄嗟にハンカチで僕の顔を拭った母の形相は形容し難いもので、それも未だ僕の記憶の中に色濃く残っている。



 僕が小学校に上がって一年が過ぎた頃、父の海外での仕事が一段落し家族揃って日本に帰国する事が決まった。両親は久方ぶりの帰国に心躍らせていたようだったが、一度も日本に行った事のない僕は深憂に絶えなかった。漸く馴染んできたアメリカの学校や友達と離れてしまう事にも抵抗があったし、当然ながら其処には友達も居らず、日本語も殆ど話せないという事実が僕を苛んだ。それでも父の仕事が最優先であるが故に日本に戻る事は決定事項で、僕がどれだけ望んでもアメリカに残る事は叶わなかった。

「……大丈夫よ、まこちゃん。日本という国も此処に負けないくらい素敵な国だから。きっとまこちゃんも気に入ると思うわ」

 母は朗らかな笑みを浮かべて僕にそう言い聞かせるように告げた。けれどその頃の僕にはただの慰めにしか聞こえなかった。



 日本に渡り、最初に居住地となったのは京都だった。非常に長閑な街で、ちょうど父方の祖夫母が暮らしている家の近く。それもあり日本語が話せない僕に祖父母は親切丁寧に日本語を教えてくれた。

 それから約一か月後、ついに学校へ登校する事になった。転入の手続きに手間取っていたらしく日本に来てから些か日にちが経ってしまっていた。だがそのおかげで日本語に関してはゆっくり話して貰えれば何とか聞き取れるぐらいにまで上達した。



 そして迎えた登校初日。その日の事は今でも鮮明に覚えている。その時はまだ桜が散り終えておらず、僅かな花弁が風に舞い地面に降り注いでいた。気候も非常に穏やかで、新しい門出には打って付けのような快晴。その柔らかな陽気を受けながらも僕は殊更……それこそ心臓が口から出てしまうんじゃないかというぐらい緊張しながら、恐る恐る校舎へと足を踏み入れた。第三者が見れば多少……いや、大分顔が強張っていたに違いない。現に校門で出迎えてくれた担任になるのであろう先生が僕の表情を目にして苦笑を洩らしていた程だ。



「此処が今日から貴方のクラスよ」

 校舎の中へと招き入れられ、ある教室の扉の前で足が止まる。僕にちゃんと伝わるように英語で訳し微笑んだ先生は、扉を開けると同時にその暖かい手で僕の背中を優しく押した。

「はーい、皆聞いてねー。今日から皆と一緒にお勉強する事になった井川真琴君です。仲良くしてあげてねー」

 女性特有の温和な声に呼応して、僕と同じ幼い声が四方八方から飛び交う。僕はただただ俯いたまま顔を上げる事が出来なかった。

「こーら、皆静かに! 真琴君はアメリカに住んでたからまだあまり日本語が話せないし解らないの。だからゆっくりお話ししてあげてね」

 ざわざわと喧騒が聞こえて思わず耳を塞ぎたくなった。日本語の聞き取りも慣れていなかったから何を話しているのかは全くと言っていい程解らなかったけど、不安な気持ちも相俟ってか「悪口を言われているんじゃないだろうか」なんて後ろ向きな考えばかりが過ぎってしまう。




 その時、一際大きく凛とした声が響いた。




「きーらきーらひーかーるー、おーそーらーのーほーしーよー」

 その唄に反応し思わずパッと声の主に視線を向ける。肩に掛かるか掛からないかの髪がリズムと共に微かに揺れ、ともすれば閉じていた瞳が開かれる。勝気そうな眼差しにやんちゃそうな容姿。静謐とした教室内で行儀良く席に着いている周りの雰囲気に怖気付く事も無く一人だけ立ち上がっていたその人物もまた僕の方を凝視してきた。歌詞は理解出来ずともそれは僕も熟知していた曲のフレーズで。

 何故だか頭よりも先に体が反応し、その唄に合わせて僕も歌った。勿論日本語は解らないから、英語で。そのハーモニーがとても心地良くて身体全体が曲に合わせて揺れる。歌い始めた声の主とふと目が合うと、その子は悪戯っ子のような表情で笑い掛けてきた。特徴的な八重歯がその悪戯な笑みを更に際立たせる。不思議と僕まで気持ちが高揚して知らぬ間に満面の笑みを浮かべていた。

 言葉は無かったけれど、そこには確かに通じ合うものがあった気がしたのだ。





 そしてこの出逢いが、後の僕の未来を大きく左右していくなんて、この時の僕には知る由も無かった……









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