武神覚醒
ドルジがその異変に村の誰よりも早く気付けたのは、山を生活の糧とする者であるからに他ならない。
それが飛来するよりもわずかに前、予兆は風の流れとなって木々の間をめぐり、彼の耳をくすぐったのだ。
「今日はどうも、おかしなものばかりくるな……」
先程、山道ですれ違った風変わりな夫婦の事を思い出しながら手斧を握り直す。
この山から恵みを得ているエルフとして、斥候のごとき役割を果たすのもドルジの務めである。
とはいえ、戦のいの字もない昨今であり、大概はさっきのようにほがらかな挨拶を交わすだけで終わるのだが……。
単なる旅の者が、おかしな風の流れなど起こそうはずもない。
――ならば、いずれかの災害か?
ともあれ高所からの視界を確保すべく、ドルジは手近な木によじ登ったのである。
「よ! ほ! ほ!」
幼き頃からこの山を遊び場としてきたドルジにとって、それは文字通り朝飯前の仕事だ。
たちまちのうち木のてっぺんへと登り、風の流れてきた方向を見やる。
「な……あ……!?」
そして――絶句した。
遥か彼方から飛来したその生物を、何と呼ぶべきであろうか……。
これまでドルジが見てきたいかなる生物よりも巨大な体は、村で祀られる武神像にも匹敵するほどである。
全体的なシルエットを見ればこれは、
――昆虫。
……と、称する他にあるまい。
だが、三つの巨大な複眼とカマキリにも似た鋭い鎌状の前肢。そして巨大な体躯を支え得るたくましい後肢を備えた姿は、自然に存在しうるあらゆる昆虫とも異なるものであった。
それが背中から生えた二対の翅を羽ばたかせ、猛烈な勢いでこちらに――村の方へと迫ってくるのだ。
遠方にあったその姿が見る見る内に大きくなり、同時に耳をつんざくような翅の音が周囲に響き渡る。
それが通り過ぎていく際、台風に打たれたかのように激しく揺れる木の上から放り出されたなかったのは幸いだったと言えるだろう。
「ありゃあ、魔物だ……おとぎ話の魔物だ」
揺れる木の上で、どうにかその言葉を紡ぎ出せた。
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今置かれている状況が夢ではなく現実だという事は、これまで何度となく証明されてきた。
が、それを今再び疑ってしまったのは、致し方のないことだと言えるだろう。
何しろ、空から巨大な虫を思わせる化け物が飛来してきて……村のすぐそばまで迫っているのだから!
(怪獣……!?)
その単語が脳裏をよぎる。
アルタイルがカートゥーンの中から抜け出してきたかのような造形だとすれば、こいつは古い特撮映画から飛び出してきたかのようだ。
「魔物……!? そんな、早すぎる!?」
化け物の翅が生み出す轟音が響き渡る中で、キリシャがそう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
「あの化け物が何なのか、知ってるのか!?」
「あれは、魔物です! でも、こんなに早く出現するなんて!」
怪獣も魔物も似たようなもんじゃないかと思うが、そんな事を考えていられる状況じゃない。
ついに村まで辿り着いた魔物の翅が生み出す突風により、あれほど実り豊かだった田畑の作物は見るも無残に倒伏し、村を構成する木組みの家々は今にもバラバラになりそうな勢いで激しく揺れているのだ。
魔物は背中の翅を仕舞うと、丸太のような両脚でついに地上へと降り立った。
ズ……ン!
という、工事現場のパイルドライバーが打ち付けられたかのような音が響く。
そして魔物は祈るように鎌状の両手を持ち上げると、三つの複眼で村内を見渡したのだ。
村に住まうエルフ達の混乱は、その時頂点に達した。
それまではあまりに突然すぎる怪物の襲来に、ただただ唖然とするしかなかったのだろう。
しかし、事ここに至って生物としての本能が理解したのだ。
――これは、自分達に害なすものであると。
あまりに不吉かつ、自然な生物の形態を逸脱したそいつの姿は、そう確信させるに十分だったのである。
村民達の示した反応は、様々だ。
ある者は、魔物の翅が生み出した突風により扉の吹き飛んだ家屋へと逃げ込んだ。
ある者は、近場にいた年少の者をかばうように抱きかかえた。
ある者は、一目散に村の外めがけ走り出した。
そしてある者は……勇気を振り絞ったのである。
そのある者とは他でもない――キリシャだ。
彼女は魔物の複眼が幼子を抱きかかえる女性――あれは俺たちに蒸かしイモをくれたおばさんだ――を睥睨した瞬間、ためらうことなくその両手を突き出したのである。
「――っは!」
それまでの印象とは打って変わる気合の入った声と共に、手のひらからサッカーボールほどもあろうかという火球が打ち出された。
そして、それは野球選手の投球じみたスピードで魔物の頭部目がけて突っ込み、小規模な爆発を引き起こしたのである。
「……魔法ってのはこんな事も出来るのか!?」
驚きの声を発する俺をよそに、この一撃で勇気が湧いたのだろう……若い男たちが同じように魔物目がけて火球を撃ち放つ。
一つ一つはキリシャのそれに劣る威力のようだが、かき集まればそれは大輪の爆華となる。
たちまち黒煙が魔物を包み込み、シン……という静寂が周囲を支配した。
だがこれは……。
「やってないな……!」
確信と共に、そう毒づく。
長く戦場に居た俺の直感は、その場に居る者全ての力を合わせたこの攻撃に手ごたえがない事を察知していたのだ。
ふと……キリシャと目が合った。
その瞬間に俺は全てを察し、いまだ膝立ちとなったままのアルタイルへ向き直ったのである。
「起きろ……! これは俺たちの仕事だ!」
一瞬、脳裏をあの時の光景がよぎる。
メレディス大佐の企みにようやく気付き到着した俺の機体は……ただ、燃える街の中でたたずむ他になかった。
人の命が炎となって燃え散るあの光景を、二度とこの世界で繰り返すわけにはいかない。
だから俺は――全力でアルタイルの膝へとよじ登る。
散々訓練を重ねた動きだ。一秒も擁さない。
そのまま機体の太ももを足場に、胸部のコクピットへと手をかざしたのである。
――ヴン。
と、機体にリザーブされている動力が呼び起こされる音がした。
そしてコクピットハッチは生体ナノマシンを通じて俺の意思に従い、長い封印を破ったのである。
内部に蓄積された古臭い空気が吐き出される音と共に、慣れ親しんだコクピットがその姿を現す。
「胸が開いた!?」
……驚くキリシャに構っている暇はない。
俺の読みは正しく、黒煙が晴れつつある中で魔物は無傷な姿を晒していたのだ。
ビニールも剥がされないままなシートに座り、再びコクピットハッチを閉ざした。
薄暗くなったコクピット内で手際よく計器を操作し、まずは主動力たるプラネット・リアクターの眠りを覚ます。
俺が地味に評価している点である起動の早さは何百年経とうとも健在であり、たちまちメインモニターに頭部カメラの捉える映像が映し出された。
同時に初期状態のまま放置されていたOSがアップデートの要求をするが、こんなものは全て省略だ。そもそもどっから修正パッチをDLしろってんだ!
「……プラネット・リアクター出力安定。
……ナノコンタクト開始」
訓練生時代から変わらぬ習性で手順の一つ一つを口頭確認し、最短で機体を戦闘状態に持っていく。
「……ジャイロ、同期確認」
最後に、生体ナノマシンを通じて俺の平衡感覚が機体にフィードバックされ、全ての準備が整った。
「――行く!」
関節の固定を解除されたアルタイルが立ち上がるのと、魔物を包み込んでいた黒煙が完全に晴れ上がったのとはほぼ同時の事だ。
自分と同等の巨躯を誇る相手が立ち上がったのを脅威と感じたのだろう……村民らへ向けられていた魔物の複眼が、こちらを捉える。
対する俺は、アルタイルに余計な構えを取らせる事なく……ただ自然体のままに立たせた。
装甲越しに周囲の空気が緊迫していくのを感じながら、視線は画面の中の魔物から外さず、目の端で周囲の様子を確認する。
「武神像様が、立ち上がった……!?」
「胸が開いて、誰か乗り込んでいったぞ!」
「さっき見かけた旅の者じゃないか!?」
その気になればネズミの足音すらも拾えるアルタイルの高感度センサーが、こちらを指差すエルフらの言葉を拾い上げた。
状況が状況なので致し方ないところはあるのだが、今彼らに望むアクションはこちらを見やる事ではない。
唯一適切に動けているのはキリシャで、アルタイルの足元から大急ぎで離れた場所へと駆け出しているのは流石といったところだろう。
『巻き込まれるぞ! とっとと逃げろ!』
外部スピーカーを通じたエルフ達への警告が、戦いの口火となった。
これを隙とでも判断したのか、魔物は見た目通り強靭な脚で地を蹴り、一息にこちらへ接近してきたのである。
カマキリのそれを思わせる鎌状の手が、こちらを袈裟切りにせんと振りかぶられたが……。
「見え見えだ」
そんなテレホンパンチ……いやこの場合はテレホンシックルか? を、おめおめと喰らう俺ではない。
アルタイルは意のまま軽いステップを踏み、その一撃を胸部装甲にかすらせた。
当然、これはわざとである。
ダメージコントロールが告げる情報を眺めながら、俺は驚きの声を発する事になった。
「ナノ・メタル製の装甲を切り裂くとは……!? やはり、尋常な生物じゃないな!」
アルタイルの装甲に使用されているナノ・メタルは、ただの金属ではない。
分子レベルでナノマシンが組み込まれたこいつは、衝撃に対し瞬時に分子構造を変化させる性質を持つのだ。
強靭にして柔軟。奴の前肢が見た目通りただの鎌なら、この装甲に傷を負わせることなど不可能である。
だが、今の一撃をかすらせた胸部装甲には浅い切り傷が出来ており、ナノマシンによる自己修復が開始されていた。
「分子振動でもしているのか……?」
気になるところではあるが、悠長に考え込んでいる暇はない。
今の攻防ですれ違う形となっていた魔物が振り向くと、再びその鎌を振り下ろそうとしていたのだ。
……だが、相変わらずの大振りだ。
「サービスはもう終わりだ」
ここで今日――初めての戦闘駆動を行う。
プラネット・リアクター内で生じた核融合エネルギーはいささかのロスなく機体の全身を駆け巡り、内部フレーム機構の――そして装甲を形作るナノ・メタルの筋肉めいた伸縮作用により、爆発的な踏み込みを可能とした。
その俊敏さたるや、先程見せたステップの比ではない。
そして勢いのまま、力任せな……俺から見ればあまりに無防備な一撃を放たんとしていた魔物の下顎へ、痛烈なジャブを突き入れたのである。
エルフ達の魔法が生み出した爆音など比較にならぬ、鋭い炸裂音が周囲に響き渡った。
痛烈な一撃を受けた魔物が、二歩、三歩とよろめく。
――隙だらけだ。
「格闘戦はこうやるんだ」
ろくな構えすら取れない魔物へ更に踏み込み、強烈な下段蹴りをその脚部へ叩き込む。
ただでさえよろけていたところでバランスを崩されたのだから、これはもうたまらなかったのだろう。
そこからの数秒間、魔物は長き眠りから覚めたアルタイルの……一方的なサンドバックと成り果てた。
――顔面へ。
――両手の鎌で防ごうとしたなら、腹部へ。
――そして、またもおろそかとなっている脚部へ。
容赦なく、数発ずつの拳や蹴りをくれてやる。
「すごい!」
「一方的だ!」
ようやく避難し終わりつつあったエルフらが喝采するのを、アルタイルのセンサーが拾い上げた。
だが、これを操る当の俺からすればそう楽観的に構えられる状況ではない。
「硬すぎる……!」
そうなのである。
見た目はキチン質に見える甲殻の正体は、果たして何であるのか……?
これほどの打撃を浴びせながらしかし、魔物の命には届く気配がないのだ。
武装なしで相手取るには、ちと面倒な相手だな……。
再び自然体の構えを機体に取らせながら、わずかに思案する。
すると、こちらの一撃が致命傷にならないのを察したのだろう……魔物が雄々しく背中の翅を広げ、空中に跳び上がった。
「こっちが飛べないのを悟りやがったな。虫の分際で賢いじゃないか」
そのまま上空で静止する魔物を睨み据えながら、そうひとりごちる。
「確かに、こちらは初期出荷状態だ。ブースターの類は一切装着していない……。
では格闘戦ならどうかといえば、致命傷にならないと実証済みだ」
次の瞬間、両の鎌を槍のように突き出しながら、魔物が全力の突撃を敢行した。
前身をぴんと伸ばし、翅が生み出す飛翔力のままにこちらへ突っ込む様はさながら一本の矢といったところだろう。
「では、どうすれば良いか?」
大人しく地上戦に徹すればいいものを、わざわざカモへと成り下がった相手に聞こえぬ講釈を続けた。
「……技で補えばいいのさ!」
アルタイルの駆動系が唸りを発し、突撃する魔物を迎え撃つかのように跳躍する。
だが、今度放つのは打撃ではない。
アルタイルはバレリーナのように柔軟な動作で身を翻すと、両足で魔物の頭部をがしりと挟み込んだのである。
「――死ね」
――ヘッドシザーズ・ホイップ。
プロレス技として知られるこれだが、しかしわざわざ背中から投げてやるような情けはない。
親切にも上乗せしてくれた突進力のままに、遠慮なく頭部を大地に叩き付けた。
魔物が襲来した時の着地音とは比べ物にならぬ、凄まじい衝突音が周囲に響き渡る。
すぐさま機体を立ち上がらせて身構えるが、もはやその必要はなかった。
魔物は頭部を完全に潰され、無残な骸を大地に晒していたのだから……。