トネルの村
そこからの道のりは、比較的楽なものだった。
それというのも、あの中腹を境に麓で暮らす村民達の生活圏へと入って行ったからである。
道なき道だった山中は徐々に踏み慣らされた山道へと移り変わり、自然なまま手が入った様子のなかった木々はおそらく資材用途を見据えての事だろう……明らかに間隔をつけられており、それも歩きやすさに拍車をかけた。
ならば狩猟目的などでこれまでの山中にも手入れがされていてよかろうものなのだが、キリシャが言うには、
「あの辺りは古い言い伝えで誰も立ち入らないようになってるそうです。
何でも、地獄に繋がっているとか」
……とのことである。
まあ、イタリアの古い詩人いわく地獄の最下層は氷の世界らしいし、そういう意味では俺も地獄帰りの男なのかもしれない。
「旅の方かい?」
「ええ、噂の武神像へお祈りを捧げに来ました」
「はは! そいつはいいね!
……おっと、旦那さんの耳は?」
手斧をぶら下げたその装いは芝刈りか何かなのだろう。山道ですれ違ったエルフとにこやかな会話を交わすキリシャだが、その言葉に俺はぎくりとする。
よくよく考えてみればフードも何もなくノーガードでここまで歩いて来てしまったのだが、これは大丈夫なのだろうか?
そりゃキリシャは何か目論見があって俺を起こしたわけだから大丈夫なんだろうけど、一般的なエルフが人間に対しどう思っているのかは定かじゃないのだ。
だが、続くキリシャの言葉にはもっと仰天させられる事になった。
「そうなんです!
夫は若い頃、ネズミにかじられてしまってこんな変な耳に……。
だから故郷にも居づらく旅から旅への流れ暮らしなのを、武神像様にどうにかして頂こうと……」
何言ってんのこいつ?
そう口元まで出かかったのを飲み込み、神妙な顔を作る。
キリシャの言葉は流れる水がごとき自然なものであり、今にもよよよと泣き崩れそうな様はダメ亭主に苦労する嫁の姿そのものであった。
「そうか……」
芝刈りエルフさんがその言葉に、うんうんと頷く。
「耳がそんな様じゃあ、魔法も使えんのだろう? まだまだお若いだろうに苦労なさって……」
通じちゃったよ、おい。
というか、魔法を使うのに耳が重要なんだ。一つ知識が増えてしまった。
「あんたも、せっかく可愛い嫁さんもらったんだ。神頼みだけじゃなく、自分でもがんばらないとな!」
「あ、ハイ」
ぽんと肩を叩く芝刈りエルフさんに、どうにかそう返事を返す。
彼はほがらかに笑いながら、山道の中へと消えて行った。
「あら、可愛いお嫁さんなんて言われちゃいました。
どうです、私可愛いですか?」
「あー、うん。可愛いと思うよ」
何が嬉しいのかくるくると回ってみせるキリシャに気のない返事を返した。
俺の方はと言えば、君のおかげで猫型ロボットを標榜する青ダヌキのごとき設定が付けられたけどね。
「で、その設定で押し通すのか?」
「もう村民の方に言っちゃった以上、これで通すしかありませんね。いちいち違う嘘をつくのも面倒ですし」
急造夫婦誕生の瞬間だ。
……全然嬉しくない。
「それで、武神像っていうのはアルタイルの事か?」
先程の会話で、もう一つ気になった部分へ触れる。
武神とはまた、大仰な呼び名を付けられたものだ。
――現代のF-4ファントム。
それがアルタイルに付けられた二つ名である。
高性能、汎用性、生産性の三つを実現し、総生産数は俺が眠りにつく前でも実に五千機以上!
傑作機であるのに間違いはないが、神様を名乗らせるには少しばかり数が多すぎるな。
「アルタイル! それがあの像に付けられた本当の名前なんですね」
だが、そんな事は知らないのだろう……キリシャはうっとりとした様子で、今は山道の木々に阻まれ見えない武神様の方角を眺めやった。
「ニンゲンの残した史跡や遺品は数多いですが、私が知る限り完全な状態で今も残るのは、このトネル村に祀られている一体だけです」
「一体だけ、ね……」
これもまた、気になる発言だ。
俺が把握してるだけで五千機以上も存在した機体の内、無事を確認されているのが一機だけ……。
いかな量産機と言えど、あれは単なる鉄の固まりじゃない。
ナノマシンを始めとする科学技術の粋を集めた最新鋭――俺の知る範囲で――兵器だ。
地中に埋もれながらも冷凍刑務室が健在だったのと同様、主動力であるプラネット・リアクターさえ生きていれば自然に朽ちるという事はまずありえないのである。
誰かが……あるいは何かが意図的に破壊するなり、隠滅するなりしない限りは。
――何故、人類文明が滅びたのか。
少し油断すると、答えは出ないだろう謎へ囚われそうになってしまうな。
とりあえず、今は簡単に答えの出せる疑問を解決していくべきだろう。
「名前は知らなかったようだが、あれに人が乗り込むって事は知ってるんだな?」
「そうと知っている者はごくわずかでしょうけどね。
私自身、調査と研究の果てにようやく辿り着いた結論ですから。
武神像の名が示す通り、私達にとってあれはただの巨大な像です。
でも、ニンゲンにとっては馬などと同じ乗り物なのでしょう?」
「ああ、俺も……変な言い方だがほんの一月くらい前まではあれと同じ機体に乗って戦っていた」
「今でも、乗れるんですか?」
「……多分な」
多分とは言ったが、これに関してはほぼ確信していた。
長い時間野ざらしにされて綺麗な状態を保っている以上、あの機体が生きているのは間違いない。
にも拘わらず村に住むエルフがアクセスできないのは、生体ナノマシンを注入されていないからに他ならないだろう。
高度にして複雑な人型機動兵器を操る上でナノマシンの補助は欠かせないし、逆に言うならばそれがなければ胸部のコクピットハッチを開ける事すらかなわないのだ。
だが、俺の体内には冷凍刑を経て旧時代から持ち越した生体ナノマシンが今も息づいている。
……接近すれば、問題なくコネクトが可能なはずだ。
「それで、あれを動かして何をさせる気なんだ?」
「昨日も言いましたけど、詰め込み過ぎは良くないですよ。
慌てなくても、近いうちに説明してあげますから」
「今のうちに言っておくが、悪事なら加担しないぞ? 殺しに使う気もない」
これは大前提だ。
かつて統合軍のエースとして多くの敵兵を殺した俺だが、あれは戦争行為であると割り切っている。
それが正当な行いでないならば、例え殺されたとしても従う気はなかった。
何も、俺が冷凍刑で持ち越したのは生体ナノマシンだけではないという事である。
「それに関しては、心配しないでください」
あっさりそう言うと、キリシャは鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌な面持ちで歩き続けた。
「ふふ、それにしても楽しみです」
「何がだ?」
「テツスケがあの武神像――アルタイルの頭に乗っかって、あれを意のままに操る姿を見るのがです」
「……ああ、それは傑作だろうな」
馬などと同じ乗り物と言っていたが、どうやら搭乗方式まで同じであると勘違いしているらしい。
死ぬって。そんな乗り方したら。
--
なるほど、トネル村というのはいい所らしかった。
いかんせん、この世界に関する知識がほとんどないので印象でしかないわけだが、それを差し引いてもそうであると断言できる。
背面にそびえる山の斜面を利用した棚作りの田畑は収穫期の豊作が約束された瑞々しさであるし、村民が住んでいるのであろう木組みの家々はこざっぱりとしていて汚らしさを感じさせない。
それはこの地に暮らすエルフ達に関しても同様で、元々が――不自然なまでに――顔立ちが整っていることもあり、キリシャが着ているそれや俺に着せてくれたそれと比べても簡素で動きやすい服装であるに関わらず、そのままで絵になりそうな様だった。
醸造施設や学校……というにはいささか大げさだが私塾のような教育施設も存在するらしく、俺が漠然とイメージするファンタジー的な文明よりも幾分か文化的でゆとりのある生活をしているようである、
だからだろうか、村のエルフ達はみんながみんな親切だ。
何でそんな事が、到着一時間もしない内に分かったのかって?
「あれまあ、そんな耳じゃあ大変だろうね。これ、余り物だけど良かったら食べておくれ」
「ネズミにかじられちまうだなんて、ドジな子だねえ。
でも気を落としでないよ? 昔から言うように、エルフは耳だけにあらずの気持ちでいかなくちゃ!」
「そんな耳じゃあ、路銀を稼ぐのも大変だろう?
単純な力仕事ならいくつかアテはあるから、良かったら声をかけてくんな」
……こんな感じで、皆さんこぞって俺を哀れんでくださるからである。
芝刈りさんというチュートリアルを経て更に磨きのかかったキリシャの名演技も大きいだろうが、根本的に――良いエルフたちなのだろう。
……少なくとも、戦没者の共同慰霊碑へ目もくれない人間達に比べればはるかにまともだと思えた。
そんなわけで気前の良いエルフおばさん――すごく若々しいけど多分――から貰った蒸かしイモなんぞかじりつつ、俺とキリシャは村の中心部に膝立ちするアルタイルの前までやって来たのである。
「お前……すっかり神様が板についてるんだな」
真正面までやって来て、その姿に思わず苦笑してしまった。
種々様々な野菜や穀物に、加工された肉や魚……お供え物をされる人型機動兵器の姿なんぞ、十年近くもパイロットをやってきて初めてである。
全長にして九メートル。膝立ちしているとはいえ周囲の建物より頭一つ高い巨体を誇る白亜の機人はなるほど、こうしていると神々しく思えなくもない。
とはいえ、日常的にこいつを乗り回していた身からすれば滑稽に思えてしまうのは仕方のない事だろう。
だが表情も声もない機械の戦士は、心なしかそれへ満足しているようにも思えた。
だってこいつは、平和を守るために生み出された存在なのだから。
キィン……という、耳鳴りのような感覚に襲われたのはその時だ。
慣れ親しんだその感覚に身を任せ、許容の意思を抱く。
するとすぐさま眼前に、コンピュータ画面のウィンドウにも似たパネルが開かれた。
あまりにも周囲の風景とそぐわないこれは、現実に存在する代物ではない。
体内に存在する生体ナノマシンが俺の意を汲み、網膜に直接表示しているのである。
パネルに表示されているのは、目の前で膝をつくアルタイルの機体状態だ。
指の動きに合わせて大小様々なパネルが開いていき、俺はざっとそれらへ目を通す。
――システムオールグリーン。
初期出荷状態という俺の見立てに間違いはなく、装備がないのは仕方ないにして機体そのもののチューンも物足りない仕上がりではあるが、一つ兵器として万全の状態であるのは間違いない。
「何をしているんですか?」
隣で興味深げにアルタイルを眺めていたキリシャが、俺の方を向きながらそう問いかける。
「機体の状態を確認していた。詳しい事を省いてざっくり説明すると――その気になれば今すぐでも動かす事が可能だ」
「まあ、それは素晴らしいです」
ぽんと両手を叩き、キリシャが喜びの声を上げた。
「それでどうするんだ? まだこいつで何をやるのか聞いてないし、そもそも盗むってわけにはいかないだろう?」
「まあ、盗むとは失礼ですね」
今度はぷくりと頬を膨らませるキリシャである。なかなかに表情豊かな娘さんだね。
「動かせると分かった以上、きちんと村長さんに交渉して譲り受けますとも」
「思いっきり神様として祀られてるものをか? 絶対にうんとは言わないだろう?」
「そこは心配ありません。
――村長さんだけでなく、村の皆さんも必ず納得してくれるはずです」
表面的に言葉の内容だけをなぞったならば、まるで脅しでもかけるかのようだ。
だが、眼鏡越しに見やるキリシャの瞳に卑の色――そう、メレディス大佐が浮かべていたような――はなく、何かの決意と確信だけがそこに存在していたのである。
そしてそれこそが、俺を目覚めさせた理由であるに違いない。
「一体――」
続く俺の言葉は、耳をつんざくような轟音に遮られた。