他人との認識の違いについて
他人への認識
他人の気持ちを考えろ。世の中はよくこんな言葉を向けてくる。
これは屁理屈なのだが、どのように他人の気持ちを考えるのだ?私は私であって他人でない。同様に、他人は他人であって私ではない。
この話は、そんな屁理屈から疑問を持った筆者の文、考察である。
◇◇◇
よくこんな疑問をする。
自分が見えている世界は実は他人からは全くの別世界に見えているのではないか、と。
つまり、例えば私が「コップ」だと思っても、他人からは別の、私の考えないものが見えている。
それは、口頭や文章で説明するときに私が見ている世界に対応して聞こえ、見えるのではないか。
いやいや、これはコップだしそれは紛れもない事実だよ。そんな声が聞こえてきそうだ。
例を挙げよう。
AさんとBさんがいたとする。
それぞれの見えている世界は違う。
ここからはAさんの視点で語らせてもらおう。
Aさんはコップをガラスでできたものと認識している。
しかし、AさんからみたBさんのコップの認識は違うものだ。
もっと単純に色の話でもいい。Aさんの認識では赤色のものは、「Aさんから見たBさんの認識」では他の色に見える。
BさんからみたBさんの認識はその「他の色」に見える。
つまり、同じものでも見ている人によってそれは違うものに変えるというのだ。
私は文章でもこの現象が起きていると考える。
赤色
この文章。これも見ている人によって変わると言うのだ。
私は「赤色」と書いた。私にとっての「赤色」という文章は、私の認識から見た他人の認識は違うものだ。
単純に言うと「変換」しているのだ。
他人の認識では、私の「赤色」を他人の認識の対応するものから選ばれ、変換されて始めて認識する。
赤色
この文章も他人が見た場合変換されて認識される。私にとっての赤色は私にとっての他の色になりうる。
◇◇◇
ただ、これは証明することができない。「私」は「読者」の認識を確認できない。
全員ができないのだ。
ただ「反論」もできない。証拠がないのだ。私と他人の認識は同じですと、いくら主張しても証明できないのだ。
人は他人の認識を認識できないのだ。
じゃあ何が正解なんだと思われるかもしれない。
そりゃあ、全員正解で全員不正解だ。
◇◇◇
さて、この話の延長として「世界は私を中心に回っている」ということについても話そう。
馬鹿な奴らがほざいているだけ、なんて考えるのも良くない。実はこれ、かなり深い話だ。
先程も言ったように他人の認識を認識できない。
さて、ではこの世界。一体誰の世界だろうか。
答えは「誰の世界でもある」。
そう、世界の中心はやっぱり自分だったんだ!
同時に「誰の世界でもない」。
おいいいいい、さっきの話は何だ!と思うかもしれない。
さっきの認識の話を図式化してみよう。
今回は発言を例にする。そして私からの視点で解説する。
(他人)<???→???→赤色(私)
他人が発言したことは私にとっての赤色だということ以外何もわからないのは先程も言った。
では真ん中の???。これは一体何だというと「真にこの世界を支配する全て」が作った全ての認識する者に対応する言葉である。今回は簡単に支配する者を「神」、対応する言葉を「万能言語」とでもしておこう。
他人が発した言葉。これは他人からの認識だ。これを神が万能言語に対応させる。そして、私からの認識、「赤色」に変換して、始めて私が聞く。
この「神」。これこそすべてを支配するもの=世界の中心にあるものだ。
そしてこの神。これこそ自分である。つまり、自分が知らず知らず、「自分にすら分からず」自分に対応するものに変換する。
これこそ世界の中心=神であり、その神こそが自分である。
◇◇◇
かんたんにまとめると「自分の世界と他人の世界は違うが、神によってそれらが同一化される」ということだ。
最後に
天才と凡人は見えている世界が違うらしい。クリエイターもそうだ。
しかし、それはある意味間違っていると言えるだろう。天才と凡人ではない。全人類、意志があり、認識し、考える全てが違う世界を見ている。
この世界、他人と見ている世界と違うかもしれない。しかし、その世界は十人十色。自分だけ見ている世界が違うと嘆くことはない。全員違う世界で、全員がうまくやっている。嘆くのはまだ早いんじゃないだろうか。
どうも、作者です。
哲学っぽいの第二弾、他人との認識の違いについてです。
作者は時々こういったことを考えてしまいます。若干鬱かもしれません。
と、同時に面白くもあります。自分が思いついた疑問を自分で好きなだけ考える。
他人の認識自体もまた気になります。私が見ている世界は本当に他人からも同じ世界なんだろうか、と。そしてまた、それも面白くあります。
反論はできない、なんて本文には書いていますが、逆です。どんどん反論ください。それもまた、面白いのです。
それでは、読んでいただきありがとうございました。
最後に
哲学はいいぞ