④
「ひどい味だった」
屋敷に帰る馬車の中で、ユーグは顔をしかめて言った。
結局、王子は屋敷の中にはいなかった。
公爵家から寄越された人々が屋敷中をひっくり返したが死体の一部すら見つからず、大礼服や勲章など、身分を証し立てる品物もない。
理由は不明ながら自発的に出ていったとしか思えないという結論だった。
「そんなに不味いなら無理に全部お食べにならなくてもよいのでは」
ユーグは妖物の名残、お仕着せのボタンを一つづつ口に放り込んでいる。
ボリ、ボリ、ボリ。
「服の方がマシなんだ。あの黒いのも泥水みたいだったけど、あの料理人自体の味が本当にひどかった」
ユーグは不平を続ける。
彼の好みは罪無くして突然死んだ者である。
恨みや憎しみが無ければなお良い。
「巻き添えで取り憑かれたと思っていたんだけど、アレ自体がかなりな極悪人だったなあ」
ボタンを全部食べ終え、最後に胸ポケットに挿してあった洒落たピンをかじる。
「ピンやボタンの味なぞ、悪人よりよほどひどくはありませんか」
「なんだい。ほしいのか」
「いえ、全く」
ジェイリーはすました顔でかぶりを振った。
「僕が食べるのは死者なんだ。どんな欠片でも喰ってしまう食屍鬼じゃないんだから」
言い訳めいたことを述べ、ユーグの食事が終わった。
「僕の故郷では食べられてくれる死者は貴重だった。意地汚く見えるかもしれないが、食事の機会は逃したくない。例えそれが不味くてもね」
「そのあたりは私めにはわかりかねますな」
「だろうね」
ユーグは元の通りの濁った目で馬車の外を見た。
夕暮れの赤だけは彼の故郷とよく似ていた。
数日後の夜半、ボーフォート公爵からの謝礼がユーグの館に届けられた。
亜麻布に包まれた細長い包みである。
ジェイリーが召使いに命じ、手早く中身を検めさせる。
「なんだ?これは」
それは王子の仮宅の下男をしていた顔色の冴えない男の死体だった。
「指が全て潰されております」
「拷問を受けたか。無益なことを」
ジェイリーにはこの下男が何を知っていたとも思えない。
ボーフォート公爵の八つ当たりであろう。
「やむを得ぬ。食堂までお運びいたせ」
そして自身はユーグを起こすため寝所に向かった。
「謝礼が届いたかい」
ユーグは既に起きていた。
「は、しかし非常に状態が良くありません」
「だろうね。王家への伝手が減ってご立腹かな」
怒っている。
目がかすかに赤く輝くのを見て、ジェイリーの背に怖気が走った。
ユーグは非常に穏やかな動く死体であるが、逆に言えばどんなに穏やかであっても人倫を破壊する恐るべき怪物には違いないのである。
「お怒りはごもっともかと思われますが、ちとご沈思を願います」
「怒ってなどいないさ。それに怒っているとしても……」
目を伏せたジェイリーの前から気配が消えた。
もうユーグはそこにいない。
「全ては食事の後だ」
食堂へ続く階段の影から、はっきりとした冷たい声が届いた。
ボーフォート公爵は今夜、ひどく後悔することになるだろう。