②
「ベリック殿下は行状に問題のある方でございます」
ジェイリーは屋敷に帰る馬車の中でそう言った。
「……どんな問題?」
仮面を物入れに放り込みながらユーグが聞く。
「使用人、それも女性を苛む癖がおありと聞き及びます。当地に参られたのも、はっきり申しまして王都で高まっておりました追求の声から逃れるためかと思っておりました」
王子の名前はベリックというらしい。
ユーグは頷いた。
「そんなことまでよく知っているね」
「使用人たちには独自の情報網がございます。苛烈、非道な主人を避けるために」
「なるほど。では屋敷に憑いた霊という訳ではないかもしれないね」
「公爵閣下はベリック殿下を責めるような言辞を仰せられませんから」
ここに至って、ジェイリーとユーグ、主従の会話はやや噛み合っていない。
ユーグは公爵の事情には興味がないのである。
ベリック殿下が滞在する屋敷の住所はジェイリーが既に聞いていた。
伯爵とはいえ、王子の座所に知己でもない者がいきなり訪問するのは礼に外れるのではないか。
ユーグは柄でもなくそう思ったが、ジェイリーは勝手に馬車を王子の屋敷に向けて走らせている。
「公爵閣下よりベリック殿下に「孫を拝謁させたい」とのことで会見の時間に至るまでご配慮いただいておりますので」
「そうか」
相手の事情など興味がないのは公爵も同じであるらしい。
貴族街のはずれにある屋敷についたのは昼前だった。
約四百年前のミドルトン朝様式を模した豪奢な屋敷だがあまり手入れが行き届いているとは言えない。
使用人も少ないらしく、馬車を出迎えたのはさえない顔色の下男が一人だけだった。
あきらかに外向きの用を足す召使いではない。
「こちらで世話をしておこう。厩まで案内してもらいたい」
おぼつかない手つきで馬車を差配しようとする下男にジェイリーが尊大な口調で言った。
「は、はい……すみませんです。なんだか、今朝はお屋敷の"内"の方々が誰も返事をしてくださいませんのでわしが」
「遅かったかもしれませんな」
なおもごもごと言い訳をする下男を放置してジェイリーが厳しく言った。
「僕の仕事に遅すぎたってことはないよ」
小さく「死人も霊も急がないし」と付け加える。
「お戯れを」
屋敷の重厚な扉についたノッカーを打ち鳴らしたが、誰も反応はしない。
いくら使用人が少なくとも玄関に誰もついていないなどとは考えられない。
「これはいけませんな」
ジェイリーが手袋を外すとその下に着けた銀の小手が現れた。
非常に薄く軽く出来ており、現実の防御力は期待できそうもないがこれで魔法の品なのである。
ジェイリーが本来属する組織では広く使われ、霊的な防護を装着者に授けている。
「いきますぞ」
彼が手を触れると弾かれたように扉が内に向かって開いた。
同時に、強烈な圧力が屋敷内から吹き出すのが感じられるが、実際にはそよ風ひとつ起きてはいない。
悪意の力である。