お別れをしに来た猫
昔、仲の良かった猫の話を、誰かに聞いて欲しくなりました。ただ、それだけですので、軽く読み流して下さいませ。
今から数十年前、瀬戸内海の片田舎で、僕はジュリという名前の猫と、のんびりとした少年時代を送っていた。
僕の中で、ジュリは飼い猫ではなく、半野良猫。
猫が通れるだけ常に開かれていた窓から、好き勝手に僕の部屋を出入りしている近所の猫。ジュリは、そういう自由な存在だった。
とは言え、ジュリは1日の大半を僕の部屋で過ごしていた筈だ。
夜は、必ず僕と同じ布団で寝ていた。
僕が布団に入ると首もとから潜り込んで来て、僕のわき腹の辺りで方向転換すると、頭だけ布団から出して、僕の腕を枕にして眠るのだ。
ジュリが外出中に僕が布団に入ってしまっていると、外から帰って来ると一直線に布団の中に飛び込んで来た。夢うつつの状態で、窓からジュリが飛び降りて来る「トタン!」という音が聞こえたら、僕も反射的に布団を持ち上げてジュリの突入を迎えたものだった。
そんなジュリとの蜜月時代にも、終わりがやって来る。
高校を卒業した僕が、進学のため大阪に行く事になったのだ。
幸い、母親も大の猫好きだったので、ジュリの心配はしていなかった。それに、僕がいなくなっても僕の部屋はそのまま残され、言わばジュリ専用の部屋になる事が決まっていた。
僕が万年床のまま使っていた布団も、それまで通り、敷いたままにして行った。不潔なのには、目を瞑って欲しい。
もちろん、大阪からはこまめに帰省するつもりでいた。
が、電車賃もかかる訳だし、せいぜい数ヶ月ごとに帰るのが精いっぱいだったのも事実だ。
そんな、ある日――――。
布団の中で、僕は夢を見ている事に気がついた。
大阪の自分の部屋だ。
僕は、布団の中で眠っている。
しかし、それ自体が夢なのだった。
部屋の外に幹線道路が通っている為、夜中でもクルマの走る音が途切れない筈なのに、全く何の音も聞こえない。
時間の流れが微妙に間延びしている感じがして、空気を構成する粒の1つ1つが、ゆっくり動いて見える。
そんな部屋の様子が、布団の中で横になっていながら、同時に俯瞰で把握出来た。
トタン――――!
音がしない筈の空間に、聞き慣れた懐かしい音が響いた。
ジュリが窓から床に飛び降りた音だ。
僕には、部屋の入り口側の何もない所から、突然ジュリが飛び降りて来たのが、はっきり分かった。
反射的に僕は布団を持ち上げる。
ジュリが真っ直ぐに布団の中に走り込んで来る。
僕の首もとをかすめるジュリの毛並み。そのこそばゆさを、僕は確かに感じた。
ジュリの死を母親から知らされたのは、その数日後だった。
僕の所にジュリがやって来た翌日に、母親の見ている前で、ジュリは敷きっ放しだった僕の布団に潜り込んでいったらしい。それが、生きているジュリの最期の姿だった。
それきり、ジュリの姿が見えなくなったので、母親が布団の中を確かめたら、もう冷たくなっていたのだそうだ。
つまり、大阪の部屋にジュリがやって来てから、すぐに僕が帰省していれば、まだ生きているジュリに会えた可能性が高いのだ。
大阪の部屋にジュリがやって来たのは、僕が見たただの夢かも知れない。
でも僕は、最期にジュリが会いに来てくれたのだと信じている。
ジュリは、満足して、安らかに逝けたのだろうか?
もう一度だけ、僕に現実に抱かれたかったのだろうか?
あれから数十年経っても、僕はまだ猫を飼えないでいる。