ドラゴン転生1
頭の中に鈍痛めいた物を感じながら星野竜見は会社を後にした。
顔面はやや青ざめ、全身から気だるい感覚が襲い掛かる。風邪とはやや違う、しかめっ面を浮かべながら自分の体にどうやら良くないウイルスが降りかかっているのだろうかと思い至る。
竜見は今年で26歳となる、人生も中盤戦に入り決して無理のできる年ではなくなった。
日は落ち空は暗闇に包まれている、最寄りの駅へと重たい足を運ぶ。
「全然やってないな」
疲れ顔を浮かべながら愚痴めいた呟きが口から洩れる。
星野竜見はゲームが好きだが、最近は全くやれていない。
好んでやるジャンルはロールプレイングだ、現代社会にない非日常を主人公を通して体験できる、剣に魔法、勇者と魔王、それに素敵なヒロインと仲間たち、今の竜見にはないものばかり、夢と希望に満ち溢れた世界を疑似体験させてくれる。
しかしそのゲームをやるぞと思う度に、強烈な虚無感に襲われるようになっていた。趣味であったゲームもいつの日からか気力が無くなり触らなくなっていた。
思い描く理想郷は理想なのだ、年を食った脳ミソはドライな気持ちを誘発させる。ゲームを頑張ったところでなにになるというのだ。
朝から晩まで仕事をし、家に帰って風呂に入り飯を食う、自家発電にしけこみ寝る、そしてまた仕事を繰り返すだけの日々。
気の合う仲間もいなければ、彼女も奥さんもいない、灰色の独身生活を淡々とこなすばかり。
こんな人生に意味はあるのかと自問自答を繰り返す、あっという間に彼女いない歴27年、生物としてはダメであろう。
毎日を惰性で生きた結果なのだが。
「仕事もゲームも、彼女作りも半端だな俺は」
自己分析を口に出す。
深く思い詰めると、疲れた体は震えてしまう。
とにかく家路につこう、その一心で竜見は歩みを進めた。
暗い空から1滴の雨粒が落ちてくる、それは竜見の頬を濡らし肌を滑り落ちて行く。
「降ってきたな」
重たい声音で呟く、疲れた体に雨など害でしかない、視界の向こうに見える駅へと歩みを早める。
しばらく進むと歩道橋へとさしかかる、濡れた階段を上りきり、歩道橋の中間まで進んだ所で下りの階段が見えてくる。
雨粒は俄然降り注ぎ、ドシャブリの懸念を示す、早く帰らねばと竜見の心を急かす。
更に数歩直進を進んだところで向こうの階段を駆け上り先を急ぐサラリーマンがやってきた、中年に見えるサラリーマンも傘を差してはおらず、雨を嫌って急ぎ足で歩道橋を進んでいた。竜見は反射的に身を端へと寄せた。
「え!」
その時竜見の頭の中に鋭い痛みが響いた。
立ち眩みに似た鈍痛と目の前の視界が不鮮明に歪んでしまう、急な痛みに橋の手すりへ体を預け頭を抱えた。
「なんだよこれは」
小さな声で吐き捨てる、本人自身出所の不明な痛みである。瞬きを数度繰り返したところで頭の痛みは和らいでいく。深く深呼吸を繰り返し呼吸を整える。こんな痛みは人生で初めての経験である。
明らかに異変を感じ取ったものの、ここで雨に打たれているわけもいかないだろう、重たい体を無理矢理に動かした。ゆっくりとした足取りで歩みを再開し、下りの階段へ差し掛かったタイミングの事、タツミの視界がグニャリとネジ曲がった。
世界が壊れた。
そう例えるに相応しい異変、体の自由は利かず前のめりに崩れ落ちていく。
「あ」
ほんの一言唇からこぼれ落ちると、体は歩道橋の階段を無造作に転げ落ちていた。
体中に焼ける様な熱と痛みが広がる、受け身のない落下は至る処に傷をつける。そして竜見の視界に血の赤が紛れ込む。
--まいったなーー
路面に頬を擦り付けながら、そんなあっけらかんとした感想を浮かべる。痛いはずなのだが、竜見の意識はどこか夢見の様に薄く途切れてしまいそうになっていた。
ーーきゃあぁぁ!!ーー
ーーきゅうきゅうしゃだー!!ーー
遠巻きに声が届く、その声の異常さは自身へ向けられたのものなんだと自覚する。
ーーもしかしたら死ぬのだろうか?--
不意に頭の中に浮かんだのは不吉なワードであった、もしかりにそれが現実になるのであればそれは。
ーーもっと楽しく、自分らしく生きたかったーー
素直な後悔であった、もし次に目を開ける時が来るのであればその時は本当に自分らしく生きよう。
竜見の赤い視界が突如黒く染めあがった。同時に、竜見の意識はそこで途絶えてしまった。
竜見は意識を認識した。
あれからどれ程の時間が経過したのだろうかは定かではない。目の前には相も変わらず暗闇が広がるばかり。
もしかしたら頭を強く打って、目が見えなくなってしまったのかも知れない。そうなのであればかなり辛い状況である。
しかし今回は体の感覚が有ることに竜見は気が付いた、両手と両足、更には首までなんなら普段意識しないお尻の先まで感覚が通っている。
試しに手を動かそうと思うと、呆気なく動かすことに成功した。寝た切りということではないのだと安堵を覚える、更に体を動かそうと身を捩っていると手足の先々が見えない何かにぶつかった。
ーー壁?ーー
竜見は声を出そうとしたが上手く言葉を操れなかった、くぐもったそれは呻き声に似ている。
煩わしさと違和感を感じながらも、声がでない事よりも目にすることの出来ない壁に竜見は意識を注ぐことにする。
階段から転げ落ちてから意味不明なことだらけだ。疑念を押し付けるように竜見はその壁を強めに叩いてみることにする。
すると音が響き、壁にヒビが入ったような感覚に襲われる。
ーーおい、何か壊しちゃってないか?ーー
ガラスとか割っちゃって無いよなと不安に襲われ手を引っ込める。
一体何を叩いたのだろうか、疑念と不安が押し寄せるなか、竜見の暗闇の世界に異変が訪れた。
それは一筋の光である。
突如として現れたその閃光に竜見は驚愕する、体が固まったのは一瞬のことで好奇心に背中を押され竜見は光に向けて手を伸ばす。
光に触れて竜見は理解した。
この先に何かがある。
確かな予感に誘われ、その手を伸ばす。すると、光の膜はボロボロと零れ落ちる様に広がっていく。世界が広がっていく、そんな感覚を覚えながら更に手を動かし続けた。光が顔程に広がったとき、竜見はその光の向こうに何かがいるのに気が付いた。
それはドラゴンである。
白銀にも似た長く美しい1本角を生やし、光が反射し輝きを放つ白き鱗を纏い、そして凛々しく毅然とした眼を持つドラゴンが光の向こうにいるのだ。
ーーなんだこれは?何が起こっているんだ?なんでドラゴン?これは夢?--
驚き戸惑う竜見の心情をよそに、そのドラゴンの鋭い双眸は竜見の方へ向く。
青くどこまでも澄んだ瞳は美しい、その瞳をもってして竜見を射抜くのだ。
ドラゴンは竜見の方へと、顔を近づける。人であれば一口で食べてしまえそうな巨大な口を竜見の視界一杯に入れると、ほんの少し口を開け長い舌を出してみせる。
現状を理解できない心臓は鼓動を早める、だが恐ろしいという感情は沸いてこない。人生で初めて見るドラゴンという架空の生命体に対して竜見は違和感と嫌悪感を覚えなかった。
動かない竜見に対してドラゴンは出した舌で竜見を一舐めする。瞬間に熱が伝わった、心美の良い温かさは全身に駆け回り体の組織全てを活性化させているようである。
ただひたすらに安らぎを覚える、幸せだと心の底から思えてしまう。
「おはようアースラ。私があなたの母親ユリアよ」
ドラゴンは竜見に分かる言語でそう名乗った。
ーーすごい夢を見てないか?--
今を理解するには情報が少なすぎる、端的に現在までの流れをまとめるならば階段から落ち、意識を失い、色々と声が聞こえ、そして今である。
もしかしたらとんでもない頭の打ち方をしたのかもしれない。
ーー夢にしては感触だとか、意識はしっかりと認識できている。なんなら匂いも感じ取れる、なにがどうなればこんな状況になるんだ?--
答えは簡単に出てこない、頭の中をひっくり返すが一番近いだろうと思える今への回答は、『強く頭を打ったための幻覚』である。
その二の次に思い返すのは、これまたあり得ない話だが『異世界転生』である。
ーー異世界転生って俺はラノベの見過ぎか?--
竜見の好きな小説ではよくあることらしいのだが、まさか有り得ない、頭に浮かべながらも竜見は強く否定した。
階段から落ちたあの時、もしかしたら死んだのかもしれない、死後の世界を経てドラゴンがいる世界にやってきたのかもしれない。
では今の自分はどうなっているのだろうか、光に手を翳し自身の視界でもって両手を見るとそれは黒い鱗を纏う人ではなさそうな手をしていた。
ーーおいドラゴンじゃねぇかーー
否定するのもバカらしいほど、竜っぽい手をしていた。
動揺するも現実を軽く受け止める。これは夢か幻の類という可能性が大いにあるが、竜見はとりあえず今が現実なのだと飲み込んだ。
ーー死んで転生、しかも記憶は持ったままドラゴンになったのか。俺は竜見じゃなくてアースラ。目の前の大きなドラゴンは俺の母親のユリアかーー
いや簡単には飲み込めねーよ。
「どうしたのアースラ、おなかがすいたのかしら?貴方は将来竜王になる子よご飯ならいっぱい食べさせてあげますからね」
母竜たるユリアは側にある台座か小さな光る石を竜見の前へ置いた。
それは七色に輝く不思議なものである。
「七色の魔力を秘めた魔石よ、残っているのはほんのわずかだけど貴方のために全てを注ぐわ」
ーー石を食えというのか?--
思わず、母竜を見上げる竜見、瞳に宿る感情は愛というものなのか優し気なものである。
子心か、母と認識するのは今先ほどの事であったが竜見はそれをむげにできず泣く泣く石を口にくわえた。
ーーええい、石ぐらい食ったるわーー
人としての抵抗があったが、一線を乗り越え竜見はそれを喉に通した。
瞬間、胸の奥に強い衝撃が走った。そして、竜見の口から涎があふれ口から零れ落ちた。
ーーくそうまいーー
この瞬間竜見は自分が人ではなくドラゴンになったのだと認めた。