ステータス・ウインドウが開かない男
召喚された。しかし俺だけステータス・ウインドウが開かなかった。
ステータス・ウインドウが開かないということは世界を渡るときに女神から祝福をもらわなかったということだ。
「女神様の祝福がない人間を王宮におくわけにはいかない」
ということで追い出された。
「意味が分からん」
ステータスなど見えるわけがない。そんなものが見えたらおかしいだろう。誰がどうやって人の能力を数値化するのか。
たとえ見えたとして、「称号は勇者です」などと恥ずかしいことこの上ない。
しかし一緒に召喚されたという学生、警察官、自衛官などは喜んでいたようだ。
「女医さんまで嬉しそうだったのはいかがなものであろうか」
そして街に放り出されたわけだが不思議な光景が目に入る。熊が服を着て二足歩行していた。
その熊と目が合う。
「……」
「……」
熊は四足歩行に戻った。
『そう。それでいい』
しかし、これですべてが解決したわけではない。二足歩行の犬猫が通りを闊歩している。
「ちゃんとしろ!」
つい叫んでしまった。ちょっと恥ずかしい。
だが、その効果があったのか皆本来の歩行形態に戻った。
「それでいいんだ」
その後も時おり二足歩行の獣に出会うが俺が近づくと焦ったように四足歩行になる。
剣と楯と狼の看板。その下のドアを開けてギルドへ入った。ここに来れば仕事がある。俺を城外まで連れ出した衛兵の言葉だった。
ギルドの受付カウンターに向かう。右手の酒場では昼間から酒を飲む男たちで賑わっていた。
受付には耳の上部が尖った女が座っていた。いささか度が過ぎていると思われるが、ギリギリ許容範囲だ。
受付へ行く。尖り耳女の隣の中年男のところだ。男のほうが近かったのだ。
「仕事を探している」
「初めてか」
「ああ」
男が紙とペンを差し出す。名前と年齢はまあ良い。
「魔法適性?」
「わからないところは書かなくて良い」
魔法など使えるわけがない。ふざけているのか。
「これで良いか」
職業、称号、レベルなどほとんど空白だ。職業は、まあいわゆる非自発的失業中というやつだ。
「ん、ああ。じゃあこの水晶に手を置いてくれ」
言われたとおりに手を置く。なんのおまじないだ。
受付は水晶球を覗きこみ、首をかしげた。
「水晶球の調子が悪いようだ。おい、そっちのを貸してくれ」
都合四度水晶球に手をおいた。受付も四度首を傾げる。
「鑑定水晶の調子が悪いようだが仕方がない。それでどんな仕事がしたいんだ」
「どんな仕事があるんだ」
質問に質問で返してみた。
「そうだな。南地区のドブさらいか東壁外の草刈りか」
ちゃんと答えが帰ってくる。
「いくらになるんだ」
「二千ギルだな」
「それだけあると何が買えるんだ。宿に泊まれるか。ここの物価がわからないんだ」
「なんだ田舎から出てきたのか。二千ギルなら一番安い飯を食って一番安い宿に泊まるくらいか」
「その宿はどこにあるんだ」
「ギルドの裏手のボロボロの建物だ」
俺は東壁外の草刈り仕事を受けた。デスクワークが主だった俺にはきつい仕事だ。明日は筋肉痛か。
街壁に寄りかかってペットボトルから水を飲む。たまたま持っていた五百ミリリットルのミネラルウォーターも残り少なくなってきた。どこかで水を調達しないと。
隣で座り込む男は大口を開けて上を向く。その口の上に作った握りこぶしの間から滴る汗を飲んでいた。ちょっと気持ち悪い光景だが、ミネラル分の補給という意味では合理的なのか。いやそれにしても、
「すごい汗だな」
「汗?」
「ああ。汗なんか飲んでうまいか」
「そんなもん飲むわけねえだろう。水だよ、水」
「水が握りこぶしからあふれるのか」
「魔法に決まってるだろ」
「魔法?」
「知らねえのか」
「魔法なんかあるわけないだろう」
「魔法を知らねえなんて、まったくどんな田舎モンだ」
そう言って男は握りこぶしから滴る水を再び飲む。だが、「ウガッ」とうめいて水を吐き出した。
「どうした」
「汗の味がする」
なにをいまさら。
「そんなもの飲み過ぎたら体に良くないんじゃないか」
「そうだな。魔力切れかもしれん」
まだその設定を続けるか。
休憩のあとも草刈りを続けた。魔法が本当にあるのならパパッと魔法で刈ってしまえばいいと思うのだが。などと考えていると、鐘が鳴り始めた。長い。
「あの鐘は?」
隣にいた汗飲み男に尋ねた。男は空を見てキョロキョロしている。
「ドラゴンだ」
「ドラゴン?」
「ドラゴンが来たんだ」
そう叫んで男は街門に走って行った。あんなに走ったら汗だくになりそうだ。その汗をまた飲むのだろうか。
「ドラゴンってどういうことだ」
腰を抜かしたような姿勢で地面に座りこみ、口を開けて空を見ている女に声をかける。この女もさっきまで一緒に草を刈っていた。
女は返事の代わりに空を指さした。
女が指さした方向を見る。遠くの山の上に黒い何かがあった。目が悪いのではっきりとはしないが、次第に大きくなっている。
「あれがドラゴンか?」
女に再び問う。
「あっ、ああっ。逃げなきゃ」
女は門に向かって這っていく。手伝ってやってもいいのだが、だんだんハッキリしてきたドラゴンと呼ばれるものが気になった。
「でかいな」
まだまだ遠くにあるのにその巨大さを感じる。
姿形は西洋のドラゴンだ。大きさはシロナガスクジラか、それとも巨大飛行船といったところか。
それに申し訳程度の翼が二対付いていた。
それが相当の速度で近づいてくる。
『飛んでいるのか。それとも落ちているだけなのか』
飛んでいるとしたら、きっと飛行船のように空気より比重の軽い気体が詰まっているか、さもなければ……
その時ドラゴンと目が合う。
「あんなものが飛ぶわけがない」
そう言った瞬間、ドラゴンは地へ落ちる。そうだろう。そのとおりだ。あるべき姿だ。
そして立ち上がろうとしたドラゴンの脚は自重で砕け、心臓は押しつぶされた。
ドラゴンの周りに人が集まって来る。人々はドラゴンが突然倒れたことを不思議がっていたが、そのうちにドラゴンに取り付き鱗を剥がしだした。
せっかくだから俺も記念に一枚もらっておこう。ドラゴンの鱗に指をかけて引っ張った。
「何かコツがあるのか」
となりで器用に鱗を剥がす男に声をかけた。
「丁寧にやることだ。その方が高く売れる。手抜きはいけない。あとは、気合と根性だ」
気合と根性か。それは正しい。それで人生の問題は八割がた片づく。
男は血だらけの手でタガネを持っていた。
道具が必要か。よく見ると剥がしやすそうな鱗もある。
それに手をかけたとき、再び鐘が鳴りだした。先ほどとは違うパターンの鳴りかただった。
「あの鐘は?」
俺は血だらけの男に尋ねる。
「魔物の氾濫だ」
「そうか。それでそんなに落ち着いていていいのか」
男はまだドラゴンの鱗と格闘していた。おっ、鱗が剥がれた。同時に男の爪も剥がれたようで顔をしかめて指先を見つめている。
「魔物が来るまでには、まだ時間があるだろう。ドラゴンの素材なんて、こんな機会でもなきゃ一生手に入らないんだから」
男は血だらけの手を次の鱗に掛けた。
気持ちは分かる。「今しか手に入らない限定商品」などと言われると、無理をしてでも欲しくなるのが人情だ。
「ところで、魔物の氾濫というのはあれのことか」
そう言って丘の上を指さす。そこには砂煙とともに蠢くものあった。それは次第に大きくなる。かなりの速さだと思う。
「なんてこった」
男は鱗剥がしをやめて、すでに剥がしてあった鱗をどこからか取り出したロープで縛り、背負い、よろよろと歩き出す。かなり重そうだ。
『俺も戻ったほうがいいか』
そう考えて門へ向かった。
だれも考えることは同じようで門の付近は渋滞していた。さらに皆が担いでいるドラゴンの素材によって混雑度が増している。
それでも少しずつ進んでいたのだが、その人の流れが止まり押し戻された。
進行を妨げられた人びとの怒号が聞こえる。しかし、しばらくしてその声が歓声に変わると門から数人走り出てきた。
高校生らしき制服を着た男女、警察官、自衛官、白衣の女医さん、その他名も知らぬ勇者たち。
皆何か武器のようなものを手に持って突進していく。なかなか元気が良い。全速力だ。それはいいが、
「速すぎないか」
そう呟いたとき、勇者たちの速度が落ちた。疲れが出たのだろうか。いくらなんでも速すぎる。あのままだと短距離の世界記録が出そうだった。
魔物の群れと勇者たちがぶつかると派手なエフェクトとともに魔物が吹き飛ぶ。映画のワイヤーアクションと見まごう様だった。
魔物たちは見る間に駆逐される。もはや街壁の中へ逃げる人はなく、勇者の活躍を見守っていた。
なかなか楽しい見世物だが、演者の練度が足りない。主役も敵役も演技が単調で少し飽きてきた。
「何かもう少し盛り上がりが欲しい」
そして三度目の鐘が鳴る。
砂埃が舞う。速い。猛スピードで近づいてきた。人が走るには、
「速すぎる」
速度はさらに上がったようだ。なるほど、馬か。それは額に一本の角を持っていた。
勇者と魔物の戦いを遠巻きに見ていた人びとが「魔族だ」と叫んで壁の中へ逃げていく。俺も逃げるべきか。
頭にツノを生やした小学五年生くらいの少女が馬の背に立ち上がった。それでも馬のスピードは落ちない。そのまま勇者たちの真ん中へ進み、少女は馬から……
「そんな速度で飛び降りたら」
少女は跳躍する。着地した。前へつんのめる。そして顔面でブレーキをかけた。少女は気丈に立ち上がるが、顔についた砂に血が混じっていた。
『ほらね』とか『それ見たことか』などの言葉は子どものヤル気を奪うので使わないが、
「……」
ほかの言葉も見つからない。それに、しょせん独り言にしかならない言葉を吐く必要もなかった。
少女は顔にこびり付いた血混じりの砂を袖口で拭う。そして馬に括りつけられた大剣を引き抜くと、水平に薙いだ。
眼帯をした男子学生勇者が吹き飛ぶ。さらに少女が剣を振ると銃剣を持った自衛官勇者も飛んでいった。警察官勇者も飛んでいくが全て同じパターンだ。
少女が大剣を振り回し勇者が飛んでいく。その大剣は彼女の身長をはるかに超える長さの刀身を持っていた。
「無理だよな」
そんなものを扱うには少女の筋力も体重も不足している。
それでも彼女は剣を振り回し、勇者たちはそれを避け、なぜかこちらに逃げて来た。
「あんな大剣を振れるとすれば……」
考えごとをしていたら女医勇者が俺の横を通り過ぎて行く。
「ハァッ!」
追ってきた魔族少女が気合いとともに大剣を横薙ぎにした。それが俺の脇腹に当たり中程から折れる。
「発泡スチロール」
まあ、こんなものだろう。
少女の顔が歪む。
「アダマンタイトの剣だぞ」
少女が叫んだ。
そうか、そう言う設定だったか。吹き飛ばされてやれば良かった。空気は読むべきだ。読めるものなら。
泣きそうな少女をなぐさめるべく頭を撫でたら右側頭部のツノが取れる。
「ウワーン」
少女は本格的に泣き出した。返す返す申し訳ない。
少女の泣き声が周囲の山々にこだまする。
それが合図だったのだろうか、蒼空に切れ目が入る。その裂け目を押し広げるように魔王が現われた。
「見るからに魔王だ」
魔王であることは間違いない。りっぱなツノに漆黒のマント、隆々とした筋肉と黄金のレスラーパンツ。
なにより空中に浮いていた。
しかしながら、
「残念だ」
なかなかチャレンジングな試みだが少しやりすぎたようだ。
「生身の人間は空を飛べない」
そして、マントやレスラーパンツに飛行機能はなかった。
魔王は落ちる。必死に腕を振り回すが落下速度は物理法則にしたがって増していった。
あの高さから落ちたら助からない。
「お父さま!」
少女の声が再び山々にこだまする。
魔王の激突と同時に地面が割れ水柱が立つ。そこには水を張った落とし穴があり、中には気絶した魔王が浮いていた。大ケガはしているが運良く生きている。
スタントには危険が付きものが、やはり、やりすぎた。
そこそこ楽しめた。でもまあ、そろそろ頃合だろう。
「莫妄想」という禅語がある。妄想する莫かれ。妄想してる暇はない。そうだ、
「明日の会議の資料を作らなければいけない」
そして現実に戻る。
俺の隣には、指ぬきグローブを着けて血糊のついたメスを握った女医さんが立っていた。
終り