第四話 旅亭・春風
2015/4/20 修正
「つまり極淵は迷宮の超上級地ってことですか」
「もう4つ超をつけてもいい程度ですけどね。説明した通り東西南北、それに加え中央地の合わせて5つの極淵が存在しますが、未だにどの極淵からも戻ってきた人間は2人しかいません」
「命知らずなお方もいらっしゃるのですね」
そんなことを言うと目の前の女性、アリスは明らかにムスッとして頬をリスのように膨らませてきた。
「命知らずとは失敬な。情報を持てるだけ持ち帰っただけありがたいと思って欲しいものです」
「1人で行く自体がどうかしていますよ」
「私について行きたがった者は皆おこぼれが目当ての方々です。足手纏いを連れて行く義理もありません」
極淵――
迷宮と呼ばれる、魔物や金銀財宝となり得るアイテムが摩訶不思議『魔力』と呼ばれる存在によって生み出され、人々の欲望を掻き立てる地下や天へと永遠と続く謎の建造物。その迷宮と呼ばれる物以上に魔物は強化、又は極淵にしか存在しない新種の魔物、そんな危険としか言い様がない場所だが、アイテムは更に良い物尽くし。まさにハイリスクハイリターンの代名詞と言われるような場所なのだ。
アリスの所持している黒の魔術書もその産物……であるのだが。
「仲間置いて行くのは」
「うるさい、夫が妻に秘密で調べ事をしないでください」
「勝手に婚姻結ばれてるのに怒られた!?」
瑞樹が起きればそこは柔らかなベッドの中。
意識を失う直前、アリスにされたことに身震いをしつつ、適当にベッドから抜けだしての散策。
部屋はきらびやかな雰囲気であり、自身の場違いを感じながらも部屋中をくまなく見て回る。しかしどこにも誰もおらず、仕方なく部屋から抜け出そうとした所でメイドさんに捕まった。
部屋の外からではなく中から、というより背後からだ。一体どこにいたというのか。何とか抜けだそうと接戦を極めたが、メイドさん相手に手も足も出ず断念。仕方なく元の部屋へ戻るとメイドさんは付いてくる始末。窓から抜けれないか可策したのがバレたというのか、そんな馬鹿な。
しかし部屋ですることもなくメイドさんに話しかけると、最初は言葉が通じることはなかったのだが、何故か話を促すようにされ取り留めもない言葉を紡いでいたら……だ、なんと流暢に日本語を話すメイドさんがそこにはいるではないか。驚いていた様子を察してか理由を話せば今覚えたとのこと。流石に笑った。
言葉が通じ合うというのは素晴らしい事で、メイドさんとアリスさんのことや私の状況を軽く話し合ったのだ。
「ミリアめ……余計なことを」
「ほへーミリアさんって言うのですね。あのメイドさん」
「なに、ミズキさんはメイドが好きなのですか、変態ですか?私がメイド服を着れば興奮するのですか」
「初対面の時の淑女さはどこにいったんですかねぇ!?」
何となくだがアリスさんの性格に一貫性がなくて困惑せざる負えない。通常はお淑やかそうな雰囲気を纏っているのだが、たまにブレる。
「横暴者が多いギルドの受付嬢やらギルド十傑の第二席やら冒険者やら、いろんな事をやっているので私でもたまに私が何かわからなくなりますが、ご心配なく」
「そういうものなんでしょうか」
「私が特殊かもしれませんね」
アリスは困った時に見せる笑みを浮かべる。
大抵上の立場を経験し続ければ、言葉など状況によって変えられるものだと思うが、アリスの立場自体がブレブレ過ぎなのだ。ギルドの依頼を人を見極めて斡旋する受付、冒険者の中でもトップの実力を持つギルド十傑の2番、更にメイドのミリアにお嬢様と言わせているからには、どこかの令嬢でもある身だろうか。
しかしこれだけの重要そうな立ち位置を持ってしても、何やらこのエルト街では一部冒険者から蔑まれているという。
これで理解するほうが難しいというものだろう。
「ですがやはり――」
「ミズキさん」
「む」
不意にアリスの表情に影が出る。これなのだ、どうしてかアリスさんの雰囲気は私から見ても裏を返したように代わる代わる回る。
それに疑問を感じてしまう。
「今私があなたを捨てればこれから路頭に迷うことになるでしょう。それにプローブがなければ生きていくことさえままならない」
男女の関係というのは非常に重い。何も自分にとって頼るものが無いからこそアリスの存在は依存してしまいそうになる程だ。しかし、だからこそだろうか。
「あなたに選択肢はありません。私と一緒にいなさい、ミズキ」
この女性が――怖い。
「少し、考える時間をいただけませんか」
だが、そんな私をまるで言うことを聞かない子に呆れるような、そんなため息をしながら首を振ると、アリスは立ち上がりこちらへ寄ってくる。
そもそも数センチも距離はなかったのだが。
そして突然頭を抱きすくめられ萎縮してしまう。女性特有の鼻を燻るような甘い香りがし、気が緩みそうになるが、抱擁を強められると体を強張らせてしまう。いつからこんなに自分は弱々しくなったのか。
「ミズキ、ミズキさん、ミズキ様……」
耳元で甘く囁くような声をされ、たじろいでしまう。が、同時にそれで冷静になれたと言うのか自分でも分からなかったが、アリスの肩が微かに震えている事に気付く。
まるで自分を否定、拒絶されるのを恐れるかのような雰囲気に、余計どうすればいいのか分からなくなってしまう。そんな状態で思い出すのはネットゲームの事でつい苦笑してしまう。
――前にもこんなことがあったな――と。
しかし、その時も今と同じようになにも出来ず、ずっと尾を引きずってしまっていた。
――だから。
せめて彼女を傷つけぬように言葉を紡ぐ。
「アリスさん」
返事はないがヒクッと肩を揺らす。
こんな時まで他人行儀にするのもバカバカしいと思いつつも、やはり一線を引きそうになる自分に嫌気が差す。
「私はこの世界に来ることが出来た理由はわかりません、でも、自分のいた世界に後悔を残しても少し嬉しいんです。平穏な生き方を捨てても、この世界は非情なくらいに厳しくとも、生きてるって思える。
変ですよね、まるで命のやりとりを軽く見てる。自分に特別な何かがあるわけでもないのに、それでもここは輝いて見える。だからこの世界を見て回りたい。力をつけてダンジョンへも極淵へも行ってみたい!結果死に繋がるとしても……!」
アリスに依存してしまえば生きてはいけるだろう、もしかしたら元の世界に戻れる方法も探してもらえるかもしれない。
だがそんな事は許容できなかった。
アリスは右手で胸元を握りながらこちらに綺麗な藍色の瞳を向けてくる。
「一杯騙されて、この世界に絶望するかもしれませんよ?」
「承知してます」
「一杯痛い思いをして、苦しんで死んでいく事になるかもしれないんですよ!?」
「大丈夫ですよ」
「何を根拠に――!」
「アリスさんがいますから」
卑怯かもしれないが、アリスがこのまま離してくれるとは思えなかったからこその判断だ。それにこの人は無理矢理出て行ったとしても絶対に付いてくる。
そんな確証がどうしてか私の中にはあった。
「ずるいです」
「はい」
大勢の人へ1人1人に指示を出す。それを全員の性格を徹底的に見抜くなんて、馬鹿げた事をやってのけた『ユキ』として生きた瑞樹には、人一人の思いを利用するのは簡単な事で、慣れることでも、絶対に許せることでもなかった。
***
部屋から出て行ったアリスを頭に思い馳せながらも、拝借したクラフィエス言語によって書かれている絵本を読み進める。
アリスに、相手と簡単に意思を疎通できる魔術はないのかと聞いたが、やんわり拒否された。
仕方なく自力でこの世界の文字と言葉を覚えると話したが、今度は明らかに嫌そうな顔をされてしまう始末であった。このままでいる訳にはいかないと、ミリアさんに教えて貰おうとした所、慌てた様子でアリスが少しだけ厚く古びた本を持ってくると、夜に一緒に勉強しましょうということになった。
それはアリスの大切な童話が描かれた絵本であるらしいので、1枚1枚読み進めるとき慎重な手つきで開く。
文字は自分の知る文字のどれとも当てはまらなく、憶えるのには苦労するなと頭を抱えたが、どこかで見たことのある文字であり違和感を覚えた。
「ん、あーこれってあのメールの」
そう、ゲームにて届いていた、半ば脅しのようなメールにて一部読めなかった部分に似ているのだ。文字化けと考えていたがどうやら違ったらしい。
しかしそれが分かった所で謎が増すだけであり、言語を習得するのに何も役に立つわけではなかった。
そしてひと通り絵本を読み終え、腕を伸ばしながら欠伸をしていた時だった。2つ鐘の音がどこか遠くから聞こえる。それは体に響くようなものではなく、不思議と心が落ち着く気がした。
「ミズキさん」
「っと、すみません。ぼーっとしていたみたいで」
いつの間にか部屋に入ってきていたアリスに声をかけられ、驚いてしまう。
アリスはふふっと笑みを浮かべながらご飯ができたと告げる。
「今日はミリアに無理を言って、私の方で腕を寄りにかけ作ったんです。すぐ運んで来ますから少々お待ちくださいね」
「おおー。楽しみに待たせてもらいます」
なんというかお世話になりすぎているという思いが出てきたため、申し訳なくなってしまう。
それを察したのかアリスは「大丈夫ですよ」と言うと部屋の外に置いてあったのか配膳を持って来る。この部屋はベッドルームだと思うのだが近くには長方形で大きめな机があり、手際よく食事を並べられていく。
並べられた食事は見たことのないものばかりであったが、どれも胃を刺激する香りを放ちながらも美しく、思わず感嘆を漏らす。
「これ全てアリスさんが?」
「ええ、料理は久々で不安でしたが体が覚えているものですね。さ、冷めない内に食べましょう」
アリス手作りの料理はどれも美味であり、この世界の話や私のいた世界の話、それにこれからの予定の話などをしつつも、残らず食べきった。
元々私は食が細いのだが、別に入らないわけではないのだ。
食べるという行為に関心が子供の頃からあらず、本来体が必要としている量の半分に足らない状態で食べることに飽きる。
それ故に、よく周囲にいた人にはどうして太らないのか。どうしてそんなに体が細いのか――これ自体は体が小さい体型なのと、骨がどうも女性に似たような形らしく、関係はないのだが。聞かれたものだった。
なにからなにまで飽きが回るのが早く、決して気力がないわけではないが、思っていた通りに進んでも、フッと線が途切れたように動きが止まる。
生きるといった原始的な思いにも疑問を感じ、いつの間にか消えてしまうであろう危うさが瑞樹には存在した。
しかしそんな底知れぬ飽きを上回り、料理が綺麗に食べ終わるまで体を動かさせたアリスの手料理も末恐ろしい。
旅亭・春風と呼ばれるこの旅館はアリスの所持物件であり、整備はミリアともう1人のメイド、その2人だけで仕切られている。
中々の広さがある春風旅亭は露天風呂も完備されており、語学の前に入ってくるようにアリスに促され、しもやけとなっている手足にため息をつきながらも、湯につかることができた。
旅亭と名乗っていてもここには誰も宿泊させることはしないため、浴場は貸し切りであり、豪盛と感じずに入られなかった。
部屋に戻り、腕時計をみれば短針は既にⅨを指していた。
外も暗がりになっており、時間が恐らく同じな事に有り難みを感じていると、ノックの音に気づく。
「どうぞー」
「失礼します。ミズキさん」
そこには夜着の姿をしたアリスがおり、胸の高鳴りを抑え平常心を心がける。
室内用の猫が刺繍された靴をパタパタと音を立てながらミズキの隣までやってくる。机まで移動しようと思ったのだが、ベッドで隣を陣取られてしまっては動くのも考えものなので、そのまま絵本を読み聞かせて貰う事になった。
アリスとの距離は眼と鼻の先であり、花の石鹸の香りが鼻を燻る。
女性っぽいと言われても所詮ミズキも1人の男であり、夜中に可愛らしい女性と部屋に2人きりと言うことに意識をしてしまうのは当たり前であった。
それが分かっているのかどうか本心は分からないが、絵本を開きながらもミズキと0距離で位置を保つ。
高鳴る鼓動を抑えるため胸に手を当てて平常心を保つ。
ふとアリスへ視線を向けるとこちらをじーっと見てきていたため、絵本へと視線を逸らして、話の内容を読んでもらえるよう促した。
この童話は騎士とお姫様の物語で、1人の騎士は病に伏せた姫を救うため、精霊の住む南の森林、西の湖畔、北の雪山、東の海底へと旅をするというものだった。姫の病を治すためには、精霊たちに許された者にしか持つことの出来ぬ魔水晶を4種集め、順に姫へかざせばいいというのだ。
「どうして薬草や花じゃなくて、水晶なのでしょうね」
「きっと枯れちゃうから……じゃないでしょうか」
妙にそこだけはリアルだと感じつつ、読み進めてもらっていると、突然目の前が暗くなり体が動かなくなる。
「ミズキさん?」
返事をしたいのに声を上げることが出来ない、怖いと思いつつもアリスが強く手を握ってくれている感触があり、少し安堵する。
しかし、そのまま意識が遠くなり線が切れたようにベッドへミズキは倒れこんだ。
――やっと見つけた――
そんな声が意識を手放す瞬間、聞こえた気がした。




